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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年2月15日
降誕節第8主日
聖書 マルコ福音書 12章41-44節
讃美歌21 7、280
「 だれよりもたくさん 」
今日の物語の前には神殿ではいくつもの出来事がありました。イエスの教えを快く思わない人達から、イエスは次々に意地の悪い質問をぶつけられます。彼らがイエスの教えを快く思わなかったのは、かつての預言者の多くがそうであったように、イエスが当時の宗教的権力者たちを厳しく批判し、そのゆえに民衆の圧倒的な支持を受けていたからでありましょう。
イエスが権力者の側からは大変に煙たい存在であったことは容易に想像が付きます。彼らとしては、なんとしてもイエスの失言を引き出し、民衆を引き離さなければならなかったのですから、自分たちの権威と権力と生活を賭けてイエスとの戦いに挑んできたのだ、と言ってもいいのかもしれません。
そのような状況下で「やもめの献金」と題された出来事が起こります。エルサレム神殿は中でいくつかのエリアに分かれておりました。一番外側が異邦人の庭、その内側には、婦人の庭とか女性の庭と呼ばれる庭があり、次が男性だけが入れる庭、そして祭司だけが入れる庭、と続きます。さらにその奥に神殿本体の建物がありました。生贄を献げる祭壇は祭司の庭にありました。
外庭が異邦人の庭と呼ばれるのは、使徒言行録に「神を畏れる異邦人」と記された人であれば入れるからです。その先は名前の通り、イスラエルの民であっても、女性、男性、祭司、と制限されます。
賽銭箱という訳し方も凄いですが、当時、女性の庭の周りの壁に沿って、いくつもの献金箱が置かれていたと言われております。その一つに如何にも貧しい身なりの女性が近付き、2枚の銅貨を入れる様子がイエスの目に付きました。通貨の単位として記されたクァドランスはデナリの1/16です。
同じ時に、見るからに金持ちといった人も献げ物をしておりました。裕福な身なりをした人は、律法の複雑な規定の通りに献げていたのでありましょう。
しかし彼女の献げ物はそうではない、とイエスが見抜きます。ガリラヤは豊かな農業生産から得られる富を、エルサレムやローマに奪われ続けた地域です。ガリラヤで育ったイエスと弟子たちは、ガリラヤの豊かさと貧しさの両方を本当によく見ていたのだと思われます。
神殿の雑踏の中で、彼女はおそらくひときわ貧しい身なりが目立ったのでありましょう。周りにいた金持ちからは冷たい目線で見られていたのではないでしょうか。
その中で、彼女は2枚のレプトン銅貨をどのように献げたのかな?と思います。思い切りよく投げ込んだのでしょうか、名残惜しそうにそっと入れたのでしょうか、特別な表情を示すことなく入れたのでしょうか。元のギリシャ語では、投げるというニュアンスが強い言葉が使われています。
大変興味深いことに、マルコはこの出来事のすぐ後に、神殿の建物が贅を尽くしたものであった、と記します。聖書に残る言葉ではないのですが、「ヘロデの神殿をまだ見ていない者は壮麗な建物を見たとは言えない」という諺があったようです。その贅沢さの中では、彼女の2枚のレプトン銅貨は本当に埋もれてしまう献金でありました。
しかしそれでも彼女は持てるもの全てを献げた、だから彼女の献げ物は他の誰よりもたくさんなのだ、と言ってイエスは彼女を褒めます。もっとも彼女はその褒め言葉を聞いていないでしょう。聞いていたのは弟子たちでありました。この褒め言葉が群衆に向けてでなく、「弟子たちを呼び寄せて」語られたと書かれているのは、全ての弟子に向かって、時代を超えてキリストの弟子であるわたしたちに向けても語られているということでもあります。
イエスは弟子たちに、彼女は生活費の全部を献げた、と言います。元のギリシャ語を見ますと、生活費とか財産と訳す他に、生活、人生、生涯、などと訳すこともある言葉が使われています。人生そのものを献げたということでしょうか。英語の Life が、生活とも人生とも訳せることと似ているのかもしれません。
マルコはここで「やもめの献金」に託して、主の御受難の物語と、その受難と復活の持つ意味を、わたしたちに伝えようとしております。マルコはこの日の一連の出来事を描くことで、イエス・キリストは如何なる方であるか?と問い、キリストは軍事的政治的なメシアではなく、神の国の実現のために、救いの実現のために、全てを献げたメシアであった、と答えています。そしてイエスの弟子であるならば、あのやもめのように読者もその生き方に倣(なら)わなければならない、と示します。
キリスト教2000年の歴史の中で、人生をまるごと神に献げる修道という信仰スタイルは、ごく初期からあり、4世紀頃には既に現代にまで繋がる形がおおよそ定まっていたようです。
もちろん、それができる人ばかりではありません。だからこそ、安息日という定めが律法にはあり、それを受け継いだキリスト教も安息日を土曜日から日曜日に変えて、天地創造の終わった第7日(土曜日)ではなく、キリストの御復活を記念する日曜日(「週の初めの日」マルコ16:2 )としながらも、神と向き合う時を定めて持とうとしております。そのような時を生活の中に挟み込むことで、日々の生活と人生の中で福音書が伝えたイエスに折々に出会いなおし、その言葉と姿に倣いつつ歩んでまいりましょう。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年2月1日
降誕節第6主日
聖書 マルコ福音書 12章28-34節
讃美歌21 494、412、81
「 あなたは神の国に遠くない 」
マルコ福音書ではイエスと弟子たちの一行がエルサレムに到着するのは11章です。教会暦的には少し早いのですが、マルコ福音書の記すエルサレムでの出来事を今日から読みすすめましょう。
今日の物語はマタイ・マルコ・ルカの3福音書共に記されております。この日は朝から、祭司長たちからはイエスの権威が天から与えられたのかを問われ、次いでファリサイ派からはローマ皇帝への税金を納めるべきかどうか、サドカイ派からは復活はあるのかないのか、と様々なグループから次々に議論を仕掛けられています。ところが、いずれもイエスに切り返されてしまい、質問のような形でワナを仕掛けた方が面目丸潰れになって引き下がる、という出来事が続きます。
一連の議論を聞いていた一人の律法学者が、では、数ある律法の中でも第一の掟はどれでしょうか?とイエスに尋ねたのが今日の物語です。ルカ福音書ではマルコ福音書の筋書きとは異なり、この律法学者は同じ質問をいたしますものの、イエスから「お前はどう思うんだ」と切り返されて自分で答えてしまいます。答えの内容も同じです。聖書学者たちの中には、この物語に関してはルカの書く方が元の形なのじゃないか、と考える人が居ます。
マルコ福音書に戻ります。この律法学者の質問は一連の意地悪い質問の最後です。しかし彼の思惑は描かれていません。このラビならどう答えるだろうか?と本当に知りたかったのかもしれません。一方、イエスの答は案外に辛辣な答のような気もします。
質問を受けたイエスは申命記6章の言葉を答えます。「イスラエルよ、聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である」現代だけでなく2000年前も同じと思いますが、この申命記の言葉は、ユダヤ教の安息日の礼拝の中で何度となく唱えられる言葉です。ですから、重要であり特別な言葉であると同時に、身近な言葉でもありました。律法学者の問いに対する、まっとうな答であり、逆に言えば、ひねりも何もない当たり前すぎる答です。
続く部分も申命記の言葉です。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、あなたの神ヤハウェを愛さなければならない」と書かれています。「思いを尽くし」という言葉が増えていますが、そのほかは申命記のとおりです。心、精神、思い、力。それぞれの単語にあるニュアンスの違いを訳すのが難しいところです。結局は、あなたの全てを尽くして神を愛しなさい、ということでありましょう。実は十戒にも同じことが言えるのですが、この部分を原文に忠実に訳しますと、本当は命令形ではありません。
多くの日本語訳は命令形に訳しておりますが、原文に即して訳しますと未来形で「あなたは神を愛するであろう」となります。
第二の掟はレビ記19章から語られます。「隣人を自分のように愛しなさい」の部分は、口語訳では「自分を愛するように隣人を愛しなさい」としておりました。ところが、そのように訳すと意味合いがかなり変わります。原文にない言葉を新共同訳は抜いて、「隣人を自分のように愛しなさい」と訳します。もっとも、これも原文に即して訳しますと、「隣人を自分のように愛するであろう」となります。そしてここも、隣人を愛するならば隣人を傷つけたりはできないであろう、という含みを持ちます。
イエスの答を聞いた律法学者は「あなたの仰るとおりです」と言い始めます。彼は申命記の言葉を少し変えて「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして」神を愛しなさい、と言います。「知恵を尽くし」は、理解を尽くすと訳すこともできます。これが律法学者によるいわば解説的な言い換えであったのなら、元に戻ってイエスの言葉として申命記に付け加えられた「思いを尽くして」にも、知恵とか理解とかいったニュアンスが含まれるのかもしれません。
ここの解釈を間違えなかったことが、彼がイエスに褒められた一因であるようにも見えます。続いて彼は、神と隣人と自分を愛することは生贄よりも優れたことである、と言い始めます。
彼の言葉を受けてイエスは宣言します。「あなたは神の国から遠くない」。そしてその後、質問をする者がいなくなった、と記してマルコは一連の物語を閉じます。
彼はこの後どうしたのかな?と思います。「遠くない」と言われて満足して立ち去ったのでしょうか。あるいはイエスの隠れた弟子の一人になったのでしょうか。マルコは口をつぐんでおります。
彼としては、ルカ福音書の記事のように、あと一声、「遠くないのであれば、あとはどうすればよいですか?」と問いかけても良かったのかもしれません。その場合(他の福音書の記事から考えますと)、イエスは、あとは実行しなさいと答えたことでしょう。
あるいは彼は「遠くないのであれば、神の国を来たらせてください」とお願いしても良かったのかもしれません。イエスとしては、そうお願いしてもらえれば、神の国について、メシアについて、さらに続けて語ることが出来たでありましょう。
福音書の中で、このようにイエス御自身が律法のエッセンスを取り出しております。そして福音書の他の箇所では、知識として持つだけじゃなくて実行しなさいよ、と語りかけてきてもおります。律法主義に陥らないように気をつけながら、というところを注意する必要がありますが、わたしたちもまたこの2つの教えを、イエスが教えた聖書の要点をして大切にし、大切に守り、神の国に近付いて参りましょう。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年1月25日
降誕節第5主日
聖書 マルコ福音書 1章21-34節
讃美歌21 470、459
「 一同をもてなした 」
今日のマルコ福音書からは、いろいろなことが分かります。イエスから声を掛けられるとすぐに網を捨てて従った、と記されるペトロはすでに結婚しておりました。ここは元のギリシャ語でも、ペンテラという「しゅうとめ」を明らかに意味する単語が使われております。
ヤコブとヨハネの兄弟の場合は「父ゼベダイと雇い人たち」を置いてイエスについていきます。ペトロの場合は、福音書の記事を信じる限りは「網を捨てて従った」という以上に、妻に相談もせずにイエスについていっております。他人事ながらも、大丈夫か?と心配になります。パウロが第1コリント書(9:5)に書いたことから考えますと、福音書にも使徒言行録にも名前が残っておりませんものの、ペトロの妻は網を捨てたペトロを見限ることなく、後には一緒に伝道・宣教を行っていたようです。
あるいは福音書の他の箇所を見ますと、イエスは身内に冷たい印象を持たせる記事が多いです。マルコ福音書4章には、イエスの様子を見に来たマリアと兄弟たちが来ていることを知らされたとき、「わたしの母、わたしの兄弟とは誰か?」と言ったことが記されております。また、ルカ福音書(9:62)では、弟子となることを迷った人に対して、後ろを振り返るようでは弟子になることはできない、という意味の大変冷たいことを言っております。そのイエスが、弟子の身内が寝込んでいると聞くなり早速に癒やしの奇跡を起こします。身内に特に冷たいわけではなく、むしろ、身近な人をこそ大切にした、ということであるのかもしれません。
いずれにしても、これは最初の4人の弟子を集めた直後のことでありました。カファルナウムはガリラヤ湖に面した町です。ペトロたちが漁をしていたのも、町のすぐ近くであったのでしょう。安息日まではどこに居たのかな?と思います。実は最初から4人の弟子の誰かの家に居候していたのかもしれません。ペトロたち4人とイエスが、元々は洗礼者ヨハネの弟子仲間であったのなら、声を掛けられてすぐに従うことも、いきなり居候することも、不思議ではないような気がいたします。
そして安息日になりますと、イエスは、会堂で教え、続いて(4人の弟子の前での)最初の奇跡を起こします。会堂での出来事を描く間、弟子たちもそこに居たはずでありますのに、弟子たちのことは記されません。イエスは「律法学者のようにではなく」聖書について語ります。先回りしますと、その次の奇跡が、ペトロのしゅうとめの癒やしでありました。
その安息日、会堂には「霊に取り憑かれた男」が居て、取り憑いた霊が叫び始めます。大変にインパクトのある奇跡です。今日はこの奇跡には深入りしないでおきましょう。
会堂でのイエスの教えは、カファルナウムの人々をして「権威ある新しい教え」だと言わせます。福音書に記されるイエスの言葉「はっきり言っておく」は、おそらく実際にイエスに遡る言葉だと言われております。マルコ福音書では3:28に記されます。御存知の方も多いと思いますが、原文ではアーメンです。ヨハネ福音書ではアーメンが二重になります。ルカ福音書では十字架上の七言の中に「はっきり言っておく」(23:43)と記されます。
わたしたちは祈りの最後に、わたしも同じことを祈ります、という意味でアーメンと唱えます。当時も祈りの最後にアーメンと唱えておりました。イエスは自分が語り始める最初にアーメンを付けます。大変に型破りな語り方でありました。
会堂での出来事が終わりますと、イエスと弟子たちの一行はペトロとアンデレの家に行きます。そこで人々が彼女のことをイエスに告げますと、早速にイエスは行動に移ります。「そばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」とマルコが記します。
ここで「もてなした」と訳されている単語は、新約聖書の重要単語のひとつです。義理の息子の知り合いが泊まりに来たので世話を焼いた、という以上の意味を持ちます。岩波訳は「仕えた」と訳します。マルコ福音書15:41(イエス処刑を見守った女性たちの働き)も同じ言葉です。名詞にしますとディアコニアです。
ディアコニアには、様々な奉仕、援助、さらには社会福祉的なことを含む援助、のような意味があり、使徒言行録には宣教の意味で「御言葉への奉仕」(6:4)と使われたりもします。
語尾を少し変えてディアコニアする人という意味を持たせますと、福音書が記された時代の教会用語としては、執事、すなわち今で言うところの教会役員を意味する言葉にもなります。つまり、ペトロの姑も、そしておそらくはペトロ妻も、12弟子を周辺から支えた重要な弟子の一人であったことが示されております。
少しだけわたしたちに戻って締めくくりましょう。キリスト教2000年の歴史には、名前すら残さなかった多くの弟子が居ます。その一人一人が、様々な働きでもって教会の働きを支えてきました。わたしたちも同じです。2000年どころか、100年後にも、名前が残らない。あるいは、まさに今という時にも、どこか遠い所の教会には名前すらも知られていない、それがわたしたちの一人一人です。それでも、わたしたちは、イエスの弟子であり、キリストに導かれ、神の言に従って生きようとしております。そのわたしたちの歩みに、神は目を留めてくださり、見守り、祝してくださるに違いありません。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年1月18日
降誕節第4主日 主日主題:最初の弟子たち
聖書 マルコ福音書 1章14-20節
讃美歌21 494、516
「 最初の4人 」
今日のマルコ福音書には、最初の4人の弟子が集められた様子が描かれます。そしてこの4人は漁師であったことが記されます。一方、アドベントの時にも同じことを申しましたような記憶がありますけれども、考えてみますと、少なくともルカのクリスマス物語であれほど重要な役割を果たした羊飼いが、イエスの弟子集団の中に居なかった、というのは興味深いところです。ただし、弟子の中に羊飼いが居たとしても、そのことを書きにくかった大きな理由はいくつもすぐに思い浮かびます。
旧約聖書で羊飼いといえば、アブラハムやダビデをはじめとする王たちを指しますが、詩編23編のように、神を羊飼いに見立てるところもあります。預言者でもイザヤ(40:11)やエゼキエル(34:11-19)の言葉の中に、神を羊飼いと呼ぶ(厳密には神が自分をイスラエルの羊飼いであると語る)箇所があります。
新約聖書では、第1ペトロ書やヘブライ書の中に、イエスを羊飼いに例える箇所があります。ヨハネ黙示録はイエスを犠牲の小羊に例えます。パウロ書簡の中にもそのような箇所があります。
イエスを羊飼いや犠牲の羊に見立ててしまった以上、弟子の中に元羊飼いが居たとしても、何かと描きにくかったのは間違いないところです。
4人の漁師にだんだんと話しを戻してゆきましょう。
イエスの弟子と言われますと、わたしたちはすぐに12弟子を思います。ところがヨハネ福音書(6:66)を見ますと、もっと多くの弟子が居たように書かれております。使徒言行録の冒頭部分もそうです。イスカリオテのユダが抜けた後について、ペトロは、宣教活動の最初から一緒に居た弟子の中から1人を選ぼう、と言います。ある聖書学者は12人を指名したのは最後の晩餐の時ではないか、と推定しております(佐藤研『聖書時代史 新約編』)。
12人の中には徴税人が1人いたとされますが、その名前も福音書で一致しません(Mtはマタイ、MkとLkはレビ、Mk.Lk.Actの12人リストには徴税人レビがない)。弟子たちについて、福音書記者たちが描かない理由が何かあったようにも思えます。
福音書は最初の4人の弟子が漁師であったと記します。ヨハネ以外の3つの福音書に記された「人間を獲る漁師」という印象的な言葉は、実際にイエスに遡るとみていいでしょう。キリスト教の歴史の中ではイエスを羊飼いに見立てることが多いのですが、他にも、教会を船に見立てたり、あるいは、魚がイエスを表すシンボルになったりしております。
弟子になったときの状況が記されるのは、3つの福音書では、ペトロたち最初の4人と、レビともマタイとも記される徴税人、あわせて5人です。この5人はイエスから声を掛けられてすぐに立ち上がり、仕事を捨てて弟子になった、と記されます。この出来事だけを見ますと、全てを捨てて弟子になることが求められているように読めてしまいますが、弟子になるために全てを捨てることが常に正しいとは思えません。
福音書を細かく見ていきますと、12弟子以外にも、イエスと12弟子の周辺に今風に言えばシンパやスポンサーの居たことが読み取れます。分かりやすいのが御受難の場面です。イエスの死を近くで見届けたのは、ガリラヤからついてきた女性たちであった、と4つの福音書が揃って記します。特にマルコ福音書(15:41)は、彼女たちがガリラヤではイエスの「世話をしていた」と記します。古代の男尊女卑の社会背景の中で書き記された限界を持つ福音書であっても、女性たちの働きは書き残されたのです。
それほどに、12弟子以外にも、いろいろな支え方をする人が居てこその宣教活動であったのでしょう。それはイエスよりも後の時代も同じであり、教会は、さまざまな人がそれぞれの支え方をすることで続いてきたのだ、と言えましょう。
ただ、その一方で、信仰というものは、どこかで思い切るところ、飛び越えるところ、そのような一面があるのも確かであり、どうしても見栄えする飛び越え方をした人のことが、福音書や聖人伝に書き残されるのであろう、とも思います。
わたしたち一人一人の信仰も似ております。パウロのような極端でなくても、あるいは、ペトロたちのように生活を捨てたのでなくても、イエスに最初に出会った後、どこかで思い切って飛び越えたところが一人一人にありましょう。そして同時に、わたしたちがキリスト教の歴史に残って2000年後の書物に名前が載ることもないでしょう。わたしたちは、最初の4人の弟子でもなければ、最後の4人の弟子でもありません。わたしたちは歴代のおそらくは何億人の弟子の中の1人にすぎません。
それでもわたしたちは、一人一人のキリストとの出会いの中で神が示した道を歩もうとしております。キリストの弟子として呼ばれて、神の御心を尋ねながら生きていこうとしております。現代の日本では、それは簡単なことではありません。アチコチにぶつかりながらでないとキリストの弟子として生きることはできないでしょう。
その中にも信仰を持つわたしたちを、羊飼いである神とキリスト御自身が、見守り、また祝福してくださいますように。
あわせて読みたい
詩編 100編1-5節、エレミヤ書 1章4-10節、使徒 9章1-20節
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年1月11日
降誕節第3主日 主日主題:イエスの洗礼
聖書 マルコ福音書 1章1-11節
讃美歌21 204、289、81
「 主の道をととのえ 」
キリスト教の教義では、イエスについて、完全に神であり、完全に人である、と語ります。論理的には矛盾するような気がいたしますけれども、一方、だからこそ、人間であるわたしたちの人生の苦しみや悲しみを分かってくださるのだ、という安心感に繋がるようにも思えます。
人間イエスの面に注目したとき、ベツレヘムに生まれて、ナザレに育った、ことを含めて、どのように育ったのか、大人になったあと、宣教活動を始めるまでのイエスはどこで何をしていたのか、わたしたちはほとんど知らされておりません。先週ご一緒に読みました12歳の宮参りの出来事も、それが実際の出来事であったという証明は(事実ではなかったという証明と同じぐらいに)不可能です。
考えてみれば、洗礼者ヨハネについても、全く同じです。ルカ福音書だけは、ヨハネがイエスの親戚筋に当たり、半年早く生まれたのだ、と記しておりますが、それとても聖書以外の記録で確かめることはできません。一方、福音書に描かれる洗礼者ヨハネは、旧約聖書の時代の預言者たちの系譜に繋がる預言者である、と言えます。ヨセフスの『ユダヤ古代誌』にも「洗礼者と呼ばれたヨハネ」の記録があります。『古代誌』に記されるヨハネも、預言者の伝統的なスタイルを描きます。結局のところ、ヨハネについても、いつ、どこで生まれ、育ち、どのような教育を受け、預言者となる前にはどのような仕事をしていて、そして、何があって預言者・洗礼者となったのか、全く分かりません。
ヨハネの人物像は、このように何も分からないのですけれども、彼のメッセージは明らかです。ヨハネは、神の国が近づいた、神の裁きの時は近い、罪を悔い改めよ、そして洗礼を受けよ、と語ります。裁きと救いの知らせ、という点が、預言者の系譜を示しております。その中で、自分は水で洗礼を授けるが、まもなく現れるメシアは聖霊で洗礼を授けるであろう、というところは、ヨハネ独自の言葉でありましょう。
マルコはここで「主の道をととのえ、その道筋をまっすぐにせよ備えよ」と語るイザヤ(40:3)の預言を引きます。元々は、バビロンからエルサレムに帰る道をととのえよ、という預言です。交易ルートとしての道は既にありましたから、イザヤ自身のイメージとしては、具体的物理的にその道をととのえるのが半分、そして、エルサレムに帰るための心の備えや資金の備えが半分、というところでありましょうか。
加えて、人々がエルサレムに帰ってみると、今で言うインフラはボロボロの状態でした。エルサレムを神の都とするためには、そこで生活の基盤を立て直す必要があり、エルサレムの都市機能を取り戻すことは、主の道をととのえることに重なるのです。
福音書が書かれたのはイエスの処刑と御復活から何十年も後です。教会の中で、最後の審判がすぐに始まると思っていたのに、なかなか始まらないじゃないか、神の国はいつ来るのだ、という疑問、ハッキリ言えば、不審がすでに大きくなっていた時代です。だからこそ、イエスの宣教活動、教えや奇跡をまとめて、信仰の指針とするための福音書が必要になった、と言えるでしょう。そう考えていきますと、マルコが福音書の冒頭に、イザヤの預言を引いて「主の道をととのえよ」と記したのは、最後の審判がすぐに来るかどうかにかかわらず、主の道を歩め、と読者に訴えたかったのでありましょう。それは時代を経た弟子であるわたしたちに向けても語り掛けてくる言葉です。
主の道を歩むとはどういう生き方なのでしょうか。4つの福音書が揃って洗礼者ヨハネの活動を描き、イエスがヨハネから洗礼を受ける場面を記すのは、もちろんそれが大事なことだからです。福音書を見る限りは、イエス自身は洗礼を授けることに熱心ではないのですが、イエスの弟子たちは、ヨハネ以来の洗礼を受け継ぎます。そこから、イエス自身が、あるいは、弟子たちが、元はヨハネの弟子であっただろう、と言われております。
イエスがヨハネから洗礼を受けたとき、神の声が聞こえます。神はイエスに「わたしの愛する子」と呼び掛けます。代々の教会では、神の子イエスに注目して、罪の無い神の子が洗礼を受けるのはどういう意味を持つのか、と議論されてきた歴史があります。ただ、人間イエスに注目するならば、人間として生きる、人生の全てを引き受ける、喜びも悲しみも、痛みも苦しみも、すべてを人間として引き受ける神の子イエス、という姿が浮かび上がってきます。神の子イエスにとっての「主の道」は人間として生きていくことでありました。
2000年を経て現代を生きるわたしたちにとっても、「主の道」は神の似姿として、人間であることを生きてゆくことではないでしょうか。神の似姿であることを心に留めて、信仰者としての日々を重ねてゆくことが、「主の道をととのえ」続けることになるのでありましょう。
その生き方において、神の祝福の言葉として「わたしの愛する子」が、他ならぬわたしたちひとりひとりに向けて語り掛けられるのです。
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詩編 85:2-14、イザヤ書 4:1-11、2ペトロ 3:8-14
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年1月4日
降誕節第2主日 主日主題:エルサレム訪問
聖書 ルカ福音書 2章41-52節
讃美歌21 276、497、81
「 神と人に愛された 」
新年のご挨拶を申し上げます。
教会暦では6日の公現日までがクリスマスシーズン、灰の水曜日までが降誕節となります。クリスマスにまつわる記事を今日も見てまいりましょう。
神学校同期のある牧師が面白いことを書いておりました。「待降節や降誕日は、イエスを発見することの連続である。マリアは、自分のお腹にいるこどもを発見し、羊飼いや占星術の学者たちも幼子イエスを探し、発見し、喜びに満ちあふれた」。
探して見つけるということでは、今日、ご一緒に読んでおりますところの、いわゆる12歳の宮参りの記事もマリアとヨセフが、迷子になったはずのイエスを探して見つける物語です。ところが、マリアとヨセフは、イエスを見つけたけれども、発見しそびれた、ということになるのかもしれません。
同期の牧師が「発見する」と言い換えたところにどういう含みを持たせたのか、本人には聞いておりませんのですが、英語のディスカバーは、ラテン語、つまりローマ人が使っていた言葉に語源がありまして、カバーを外す、覆いを取り除く、それがつまり見つけた、発見した、ということになります。
マリアとヨセフは、イエスを見失ったと思って探し回ります。迷子になって途方に暮れている、と思っていたら、神殿の学者たちと対等の受け答えをしていた。その驚きも加わってでありましょう。マリアはイエスを叱ります。やっと見つけたという安心もさることながら、普段なら自分たちでも対等に口をきくことができないような学者と一緒に居る息子、これは怖いと思います。現代であれば大学の教授でも普通に背広を着て通勤いたしますけれども、2000年前ですから服装を見ただけで地位が分かりますし、その場の雰囲気もそうであったのでしょう。
マリアに対して12歳のイエスは、いわば口答えをいたします。12歳というと当時では大人になる直前です。わたしたちの感覚で小学校6年生とか中学1年生とか思ってしまうとかなり違います。現代のユダヤ教の社会では男の子13歳、女の子12歳、で成人式をいたします。どちらも「戒律の子」という意味です。多くの古代社会では、同じぐらいの年齢に、しかるべき通過儀礼が行われます。ルカ福音書の記事でも、大人扱いされる直前の生意気盛りの子どもが、こともあろうに神殿の境内で、一目で学者と分かる人たちと対等にやり合っているのを見て両親が腰を抜かした、と読んでいいのでありましょう。
12歳のイエスはこう返します。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。ルカは続けます「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった」。
このあとは、どうなったのでありましょうか?ルカが書いていないので想像するしかないのですが、マリアとヨセフが強引に連れ出したのか。周りの大人が、もう少しこの子の話を聞こうよ、と言って止めたのか。あるいは引き留めたのはむしろこの子はものになるぞと思って対話を楽しんでいた学者たちであったかもしれません。いずれにしても、マリアとヨセフは迷子のイエスを見つけることはできたのですが、イエスについてディスカバー、覆いを取って発見することはできなかった、とルカは記します。
わたしたちも、聖書を通して、あるいは、キリスト教の歴史、そこに現れる様々な人々の働き、その結果の出来事、などを通して、キリストに出会ってゆく、イエスを発見してゆく、わけでありますけれども、全部を一度に発見することはできません。少しずつ見つけてゆく。そしてどこかでストンと腑に落ちる。でもそのあとにもまた疑問が起こり、そしてまた少しずつ新しい発見が続く。そのような経過を辿ります。それでいいのでしょう。毎日一緒に暮らしていたはずのマリアとヨセフですら、すべて理解していたわけではないのです。ただ、マリアはこれらの出来事を「すべて心に納めていた」とルカが記します。普段からも、いい意味で何をやらかすか分からない、マリアをびっくりさせることの尽きない子どもであったのでしょう。
一連の出来事を記す最後に、ルカはイエスが「神と人に愛された」と記します。ルカの記す宮参りの記事が歴史的事実であるかどうかは分かりません。それでも、宣教活動を始めて世に出るまでのイエスが、神と人に愛されたのは本当でありましょう。福音書の描くイエスを細かく見ていきますと、時にはかなりタチの悪い皮肉屋なイエスでありますが、それでも弟子たちが付いて行ったのは、イエスが本来は神と人に愛されるタイプであったからでありましょう。わたしたちも、時に福音書の中で、あるいはキリスト教の歴史の中で、それはどうなの?と思うイエスに出会うかもしれませんが、そう思う時にも、しっかりとイエスに付いて行く歩みを重ねていきたいものです。
イエス御自身も、そしてイエスを愛した神も、わたしたちのその歩みを良しとしてくださることでありましょう。2026年のわたしたちの歩みが、神とキリストの祝福の内にありますように。
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詩編 89編2-15節、ゼカリヤ書 8章1-8節、
1テサロニケ 2章1-8節
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2025年12月28日
降誕節第1主日 主日主題:東方の学者たち
聖書 マタイ福音書 2章1-12節
讃美歌21 278、275
「 先だって進み 」
ルカ福音書のクリスマス物語では羊飼いが幼子イエスを捜し当て、マタイ福音書では3人の博士がベツレヘムに来ます。博士たちの正体について新共同訳では占星術の学者と訳し、口語訳聖書では博士と訳しました。ドイツでは3人の王として親しまれております。元のギリシャ語ではマゴイです。語源的には英語のマジックと同じですから直訳すると魔術師になりましょうか。中世の錬金術師のイメージを考えれば、学者と魔術師がとても近い存在であるのは納得いくような気もいたします。
マゴイは複数形です。彼らが3人とされるのは、献げた宝物が、黄金、乳香、没薬、の3つであったからです。実際には3人だけの旅ではなく、荷物持ちの家来ですとか、護衛の兵隊とか、それなりの人数の旅であったことになりましょう。
彼らが東から来たことが気になります。彼らにキリストの誕生が知らされたことで、キリストの救いが異邦人に及ぶことが示された、と説明されます。ところが、異邦人の代表ということだけであれば「占星術の学者たちが来て」でよいのです。東から来たことには何かもう少し込み入った意味がありそうに思えます。このあたりは、来年までに考えておこうかと思います。
もうひとつ気になりましたのが、エルサレムから先、星が先立って進んだ、ことです。今冬もベツレヘムの星の正体はこれではないか?という研究が新たに増えました。3人の博士を導く星の正体については昔から様々な説がありました。
マタイ福音書の記すところをおおよそ信じるならば、ヘロデ王の死んだ年から逆算いたしまして、紀元前4~6年がイエスの生まれた年であろう、とされております。その頃の特徴的な天文現象を探して諸説氾濫するわけです。
これまたマタイの記すところを信じるならば、彼らはその星をいったん見失っております。東の方で星を見つけ、ユダヤ人の王の誕生であろうと読み解き、エルサレムを目指します。ところが、その星はエルサレムの真上にはなかったのでありましょう。
彼らがヘロデ王を表敬訪問している間に、その星はベツレヘムに先立って進んだ、とマタイは記します。星が本当に一度消えたのか、あるいはまたエルサレムという思い込みが過ぎて彼らが空を確かめなかったり、見ていたのにもかかわらずエルサレムからベツレヘムというわずか10キロほどの違いに気付かなかったのか。本当のところの理由は分かりませんけれども、とにもかくにも、最終的には星は彼らをベツレヘムへと導きます。
マタイは何を考えて博士たちにそのような遠回りをさせたのかな?と思います。マタイの手元にあった伝承そのまま書いたのかもしれません。そうであれば、その元伝承もまた、なにゆえにそのような遠回りをさせたのでしょうか。あるいは実は歴史上の事実がそうであったのかもしれません。では、なにゆえに神はそのような遠回りをさせたのでしょうか。
救いは近くにある、しかしながら、近すぎると見落とすことがある、と訴えているように思えます。日本語の諺にも「木を見て森を見ず」などと言いますように、わたしたちの人生では、目の前のことに気を取られて物事の全体像が掴めないことは珍しくありません。一方で、遠くばかり見ていて実は目の前に問題解決のヒントがあることも決して珍しくありません。バランスを取るのは難しいものです。マタイ自身も、そのような経験があったのでありましょう。
マタイの教会の置かれていた状況もおそらくは同じで、キリストの救いがいつも分かりやすく見えていたりはしなかったのではないでしょうか。マタイ自身がユダヤ人なのか異邦人なのか、今もって聖書学者の意見は分かれておりますのですが、マタイは、旧約聖書の律法や預言に通じている一方で、最後の審判の信仰を強く持っております。そして、マタイ福音書の最後の場面は復活のイエスが弟子たちから離れて天に昇るところです。福音書の冒頭に「インマヌエル、神はわたしたちと共に居られる」という旧約聖書の言葉を置き、そしてイエスの最後の言葉として「世の終わりまであなたたちと共に居る」とマタイが記しているのは、逆説的でありますけれども、マタイの教会の状況として、イエスが共に居てくださることが、どれほど必要であったかを示しているのでありましょう。
それだからこそ、クリスマス物語の中でマタイは、博士たちが星を見失っても、その時にヘロデ王を頼るという失敗を犯しても、それでも神は導いてくださる、と記したように思えます。
わたしたちも、人生そのものにおいても、あるいは信仰それ自体においても、遠回りをしてしまうことは度々です。それでも、その先にはベツレヘムの星がいつのまにか先立って進み、もう一度その光を投げかけてくる。とマタイ福音書は語りかけてきます。
どのような危機に遭っても、あるいは一見平和なときにも、ベツレヘムの星はどこだろう、と探す気持ちを、キリストの救いを探す信仰を、持ち続けたいものです。
その思いに、その信仰に、神は目を留めてくださり、回り道の中にもわたしたちを導いてくださることでありましょう。
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詩編 72:1-7、イザヤ 49:7-13、黙示録 21:22-22:5
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