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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年8月9日
聖霊降臨節第12主日
聖書 マルコ福音書 7章1-7、14-23節
讃美歌21 505、475
「 言い伝えに依らず 」
今日のマルコ福音書でも律法を巡ってイエスと律法学者やファリサイ派が対立します。
古代イスラエル王国の歴史を振り返りますと、ダビデとソロモンの時代の後、王国が南北に別れます。北王国がイスラエル、南王国がユダ。ユダ王にヨシヤがいます。ヨシヤの時代にエルサレム神殿を修理しておりますと壁から巻物が出てきます。巻物がヨシヤの手に届きますと、律法が記されていました。律法に即して彼は大胆な改革を始めます(列王記下 22~23章)。この出来事が、旧約時代史を学びます時に必ず出てきますヨシヤの宗教改革です。
ヨシヤの宗教改革のころ、すでに北王国はなく、南王国もその後120年ほどでバビロン捕囚の時代を迎えます。ヨシヤの時代とバビロン捕囚の時代に整えられたものが、イエスの時代に文字に記された律法として伝えられていました。バビロン捕囚からイエスの時代まで400年以上あります。その間に再び口伝の部分が増えていきます。律法はかなり細かい規定を元々たくさん持ちますが、時代の変化に対応して付け加えられていきます。
3節に「昔の人の言い伝え」をファリサイ派や律法学者たちが固く守っている、と記されます。読み進みますと、イエスは彼らのその生き方に否定的であることが分かります。昔の人の言い伝えとは、口伝で伝えられ、付け加えられた部分です。
具体例のひとつは、先ほど読んだところにありますように、手を洗う、器を洗う、どのようなときには洗わなければならない、という決まり事です。現代人が食事の前に手を洗い、食事の後に器を洗いますのは、現代的な食品衛生の知識によるものです。一言で言えば食中毒の防止です。ところが2000年前のユダヤでは、食中毒の予防も経験的には含まれているとは思いますが、手を洗う理由の基本は律法に基づく祭儀上の清さです。
さて、ファリサイ派は福音書ではイエスに対立する人たちとして描かれております。彼らの本当の姿はかなり違います。2000年前といえども、時代の変化、社会の変化、産業の変化は、必ずあります。その中で律法をどのように守るべきか、律法を解釈して現実にフィットさせようとした人たちがファリサイ派でした。
2000年後の現代に伝わるユダヤ教も基本的にはファリサイ派を受け継いでおります。ですから2000年前にはなかった電気で動くエレベータのボタンを押していいのかどうか、を安息日の問題として大真面目に考えて、安息日には自動的に各フロアに停まる設定をしよう、という、ある種の妥協策が作られるのです。
さて、後半部分を見ていきますと何やら回りくどい言い方になったりしております。食べてもよい物は律法が清いと認めた物です。当時の考え方としては、おそらく、それを食べる時には手も同じように、律法に基づいて清い状態でないといけない、ということであったのでしょう。その先には、食べる時に手が清くなかったら、清いはずの食べ物まで清くなくなってしまうかもしれない、という恐れの発想があったのであろう、と思います。
それに対してイエスは、人の体に入る食べ物が清いのだから、それでいいじゃないか、と主張しているようです。神が清いと定めた、あるいは神が清めた物を食べているのだから、それ以上を求めるな、というところでありましょう。受難週に弟子たちの足を洗った出来事が似ています。足を洗って貰ったペトロが、それなら手も頭もと言い出しますと、足だけでいいんだとイエスは言い返します。使徒言行録10章に記される、ペトロがヤッファで見た幻の記事にも通じるところがあります。
マルコのイエスは、人の体の中に入る物は何であれそれは清い、と語ります。それは神が清めた食べ物だから、というのです。一方、律法では、人の身体から出る物はどれも清くない物とされています。「人から出てくるものこそ、人を汚す」というイエスの言葉は、律法の一般的な理解から外れてはおりません。
ただ、イエスは「人間の心から、悪い思いが出てくる」と語ります。そのすぐ後に、実例として、悪い思いがリストされます。リストした悪い思いは、すぐに伝染する、タチの悪い伝染病のようなものだ、と言いたかったのかもしれません。
ファリサイ派が真面目に考えて細かいルールを付け加えることを、人の心から出た悪いものと言ってしまうのは厳しすぎる気もいたしますが、その細かいルールを守りきれないことで律法を守っていないと批判される民衆の側にイエスが立つのであれば、その厳しさはイエスの本音であったように思えます。イエス自身は律法そのものを批判したり否定したりしているのではありません。律法が大事にしているものについて考え、律法の守り方について、律法学者やファリサイ派の態度を批判しているのです。
2000年後のわたしたちのところに戻って終わりましょう。キリストに出会った者として、わたしたちは日々を整えようとしています。託されたタラントを活かすことが福音につながることもありましょう。あるいは祈りによって、あるいはまっすぐな生き方によって、福音を伝えることもありましょう。
その時に、考えすぎて福音からかえって遠ざかることに注意せよ、ということであり、また、福音への熱心のあまりに他者を傷つけることに注意せよ、ということでもあるのでしょう。その意味で、わたしたちはファリサイ派的な信仰にならないように気をつけながら、キリストの福音の中を歩み続けたいものです。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年8月2日
聖霊降臨節第11主日 主日主題:平和聖日
聖書 マルコ福音書 6章30-44節
讃美歌21 561、543、81
「 12の籠(かご)に 」
ユダヤの律法には食事に関して細かいルールがたくさんありました。食事が単に空腹を満たすことだったのではなく、生活の中で神に向き合う時間である、と考えられていたことを意味します。
5000人の共食奇跡は4つの福音書が記します。初代教会においても、共に食事をすることが、とても大切な営みと考えられていたことを示しておりましょう。マルコ福音書には、8章にも7つのパンを4000人が食べてパンくずが7籠残った奇跡物語もあります。そちらは、マルコとマタイだけが記します。
興味深い数字を先に見ておきましょう。
「パンを食べた人は男が五千人であった」と記されます。実際の人数はどうだったのかな?と思います。男だけの人数を記すところは、福音書も時代の制約の中で記されたことを示します。女性や子どもを数えると、実際には2倍3倍の人数であったかもしれません。一方、古代の書物は数字を大袈裟に書きます。とすると5000人は居なかった可能性が大きくなります。考えても答えは出ませんので、今日のところは女性も子どもも数えて5000人としておきましょう。5000人に必要なパンの金額が200デナリオンでありました。200デナリオンを5000人で割りますと、1人400円の見当になります。その点は無難な金額に思えます。
12の籠はイスラエル12部族を意識した数字でありましょう。もう一つの奇跡物語の、7つの籠は天地創造の7日間を意識させます。2つの奇跡物語をあわせますと、すべての人が、すべての時にわたって、キリストの救いに与るようになる、とマルコは主張していると読めます。
出来事を見ていきましょう。2人1組で行け、と言われた弟子たちが帰ってきた場面です。12人とすれば6組の弟子たちが宣教の働きに出かけています。弟子たちが帰ってまいりますと、イエスと弟子たちの間で報告が共有されてゆきます。オレたちはウマくいかなかったけど、アイツらの組はウマくいったみたいで羨ましい、なんてことも当然あったでしょう。そこでイエスが弟子たちをねぎらい、みんなで一休みしに行こう、と言い出します。
一行は舟に乗って人の居ないところへ行こうといたします。ところが群衆が先回りしておりました。そこで逃げなかったのがイエスのすごいところなのでありましょう。舟から上がり、群衆に向けて話を始めます。「いろいろと教え始められた」と書かれております。実際には、こういうとき、どんな話をしたのか、大変興味深いところです。
とにもかくにも時間が経ち、弟子たちがイエスに群衆を解散させましょう、と進言し始めます。弟子たち自身も疲れていたでしょうし、イエスもさぞかし疲れているだろう、と思って弟子たちとしては気を使ったつもりなのでありましょう。ところがイエスは、パンを買ってきて食べさせよう、と言い出します。
イエス自身、弟子たちが200デナリオンという大金を持っていないことも、買いに行ける店が近くにはないことも、どちらも充分承知の上で、弟子たちに無理を押しつけたような気がします。弟子たちの困り顔を見て内心ニヤッとしながら、表情だけは大真面目に、パンがいくつあるか見てこい、と言って指図した情景が浮かんでまいります。
パンが5つありました、と聞かされたイエスは「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ」ます。これは聖餐式のルーツとなった出来事のひとつです。「パンを裂く」あるいは「パン裂き」という言葉は福音書や使徒言行録の中でも何度も使われます。
今日は8月の第1週ですので、聖餐式があります。現代においても聖餐式には大きく分けて4つの手順があります。それがすべて、この奇跡物語で示されております。パンを取り、祈り、パンを裂き、みなで分けた、という4つの手順です。わたしたちの聖餐式も、この4つの手順に従っております。
また、現代の聖餐式には5つの意味があります。神への感謝、キリストを思い起こすこと、聖霊の働きを求めること、信徒の交わり、神の国の食卓の先取り、の5つです。今日の奇跡物語にも、これらの意味の多くが含まれております。
使徒言行録の時代の「パン裂き」も実際の食事であったと言われております。キリスト教2000年の歴史の中で、聖餐式は象徴化された聖礼典となり、肉体的な空腹を満たすものではなくなりました。しかしながら一方で、わたしたちの毎日が神に向き合っていることを、礼拝の中でも特に感じるものとなりました。神の与えた平安を、わたしたちひとりひとりが聖餐式の中に感じ取ることができれば、と思います。
平安という言葉を使いました。原語ではシャロームです。平和とも訳されます。今日は今年度の平和聖日でもあります。平和聖日のメッセージとして何をポイントに置こうかと思っている時、熊本の震災が起こりました。わたしが経験した阪神淡路の1.17は真冬の震災でしたから、さしあたり食べ物が腐る心配はありませんでした。一方、すでに報道に上がってもおりますように、夏の震災は食べ物が本当に大変であろうと思います。
わたしたち一人一人もでありますけれども、今日は特に、熊本の災害の中にあるすべての人に、キリストが分けられた12の籠のパンが行き渡りますようにと願ってまいりましょう。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年7月26日
聖霊降臨節第10主日
聖書 マルコ福音書 6章1-13節
讃美歌21 17、418
「 マリアの息子で 」
イエスの兄弟として、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン、の4人があがります。さらに妹が複数いた、と記されます。クリスマス物語を元に考えれば、イエスはマリアの最初の子どもでありますから、ヤコブたちはイエスの弟ということになり、弟と妹あわせて6人以上いたことになります。7人とも大人になるまで育ったのは、マリアもヨセフも丈夫な人であり、また、健康を維持できるだけの収入があったことを意味しておりましょう。
イエスを含めた兄弟5人の名前は、いずれも当時よくある名前でした。12人の弟子の中にも同じ名前の人がおりますけれども、いずれも別人であると言われております。ただし4人の中でヤコブだけは、後にはいわゆるエルサレム教会の中で「主の兄弟ヤコブ」(ガラテヤ 1:19)と呼ばれて指導的な働きをしたようです(使徒言行録 12:17など)。もっとも、一方で律法を巡ってパウロとはずいぶんと衝突したようでもあります(2コリント 11:4など)。4人の弟たちの名前が生まれた順に並んでいるのだとしたら、ヤコブはイエスのすぐ下の弟ということになりましょう。他の弟たちも福音を伝える宣教者となったことが、やはりパウロの手紙から分かっております(1コリント 9:5)。
イエスの妹たちについては、残念ながら名前が残されておりません。そのあたりが、福音書といえども2000年前の時代の限界の中で記されているところのようです。どんな名前だったのかと思います。野次馬ついでを言えば、妹たちがナザレに住み続けていることも興味深いところです。
ここでイエスは「マリアの息子」と呼ばれます。4つの福音書を読み比べてみますと、この場面で、マルコとマタイは「マリアの息子」と記し、ルカとヨハネが「ヨセフの息子」と記します。クリスマス物語では、マタイがヨセフに、ルカがマリアに、ポイントを置いているのとは逆転しているのが、これまた興味深いところかもしれません。
ナザレの人たちは、安息日の会堂で教えるイエスの話を聞き、イエスが起こした癒やしの奇跡(複数)を見て、ビックリもいたしますが、同時に、なんでこいつが、と思ってしまいます。福音書には書かれておりませんけれども、子どもの頃のイエスは、おそらくは相当にやんちゃな子どもであっただろう、という気がします。子どもの頃を知っている人たちの前では、イエスもやりにくかったように思えます。それとも、なにがし誇らしい思いで帰省していたのでありましょうか。
ナザレの人々は、奇跡を起こし、会堂で教えるイエスを受け入れられなかったようです。マルコは短く「人々はイエスにつまずいた」と記します。イエスも「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言い出します。
今日の後半は12弟子の派遣物語です。福音書を読み比べますと、ナザレの出来事と12人の派遣を続けて記すのはマルコだけです。マタイもルカもその間に他の出来事をいくつも入れております。理由が分かるような気がいたします。イエスが故郷ナザレに帰ったのは大失敗でありました。弟子たちはそれを見ているのです。イエスですら福音を伝えることができなかった。そのような時がある。そのような町がある。その直後に、さぁ、次はお前たちが2人1組になって行ってこい、と言われたら、弟子たちとしては、元気いっぱい行ってまいりますとはならないでしょう。ところが弟子たちは、イエスに言われたとおり宣教に出発し、悪霊を追い出し、癒やしの奇跡を起こして戻ってきます。
裏返して考えてみますと、マルコがこの2つの出来事を続けて記した意図は何だったのであろうか?と思います。おそらく実際の出来事としては続けて起きたのではないでしょう。マルコ福音書も、ナザレの人たちの不信仰に驚いたあと、イエスと弟子たちは、その周辺の村を回り、そのあとで、弟子たちを派遣した。つまり、弟子たちから見たイエスの権威を取り戻してから、弟子たちを派遣したことにしております。
マルコが意図的にこの2つの出来事を続けて記したのであれば、単なる時系列な記録ではなく、マルコ福音書の最初の読者たち、すなわちマルコの教会に対する何某のメッセージを込めていると考えていいでしょう。そう考えるならば、イエス御自身の経験と同じように、マルコ教会の人々も、身近な人々、家族、親戚、ご近所、同僚、そういった人々に福音を伝えることの困難を経験していたのではないでしょうか。だとすると現代のわたしたちと同じ経験を彼らがしていたことになります。そして、しかしながら、諦めてはいけない、とマルコは示そうとしたように思えます。
マルコの言いたいところを忖度すれば、こんな感じになるのではないでしょうか。
ナザレがダメなら近くの別の村へ行こう。イエスから力を与えられたと信じて次の町へ行こう。いろいろ持っていく必要はない。イエスの福音をこそ持っていこう。福音を証明するためにアレもコレも(物も言葉も)整える必要はない。持っていくのは福音だけでいい。受け入れてくれる相手であれば、それだけで届く。福音が届いたならば、そこにとどまればいい。必要なものは、そのとき、調えられる。
福音が世界の隅々にまで届く日のあることを信じて、一歩ずつ歩んでまいりましょう。
+-+-+-+-
今日のマルコ福音書では、ナザレの人々が「イエスにつまずいた」と記されます。英語の聖書を見ますと、offense、offend、reject、などの言葉が使われています。辞書を見ますと、オフェンスはディフェンスと対になって攻撃の意味になります。そのほかにも、無作法、軽微な犯罪、立腹、不愉快、といった意味が並びます。reject はニュアンスが強くなって拒絶でしょうか。原文のギリシャ語ではスキャンダルの変化形が使われます。ギリシャ語の原意では罠に掛ける、です。
「つまずく」と訳すのは日本語聖書独特の用語のようですが、いかにも情景が浮かびそうな、いい訳語に思えます。英和辞典でも上記の英語元来の意味に続けて、聖書の用語として、罪を犯させる、つまずかせる、と記されます。
昨年、気を抜いて(ボーッとして)歩いていたら、道路の縁石にまさに「つまずいた」ことがあります。いきなり足が引っ掛かって体が前に行かない、あの感触は聖書の「つまずく」にピッタリだとあらためて思ったものです。
ナザレの人たちは、元は自分たちのよく知る洟垂れ小僧のイエスじゃないか、と思うことで前に進めなくなりました。映画『教皇選挙』で主席枢機卿のローレンスは「信仰には疑いが必要だ」と言います。確信だけではダメだというのです。同じように、「つまずき」も時には必要かもしれません。いったん立ち止まり、足元を確認し、その後にそれを乗り越えた時、信仰が一歩前に進めるのでありましょう。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年7月19日
聖霊降臨節第9主日
聖書 マルコ福音書 5章1-20節
讃美歌21 377、402
「 足枷(あしかせ) 」
よく知られた奇跡物語です。一方で、よく分からないな、と思う気持ちが残る奇跡物語でもあります。
レギオンと名乗る悪霊たちが豚に入り込みますと、豚は湖に飛び込んで死んでしまいます。悪霊も死んだのでしょうか?もっとも、他の奇跡も悪霊を追い出しているだけですので、この時だけ悪霊が死んだのか?と気にするのは違うのかもしれません。
ゲラサ地方とは、ゲラサという大きな町のことと思われます。この町はガリラヤ湖から55キロほど離れております。「崖を下って湖になだれ込み」という描写から思い浮かべるほどには近くありません。マルコの勘違いなのでしょうか。
さて、悪霊たちの名前の「レギオン」は、ローマ軍の人数を表す単位で「軍団」と訳されることも多いようです。1レギオンは5000~6000人の歩兵を中心に、120騎ほどの騎兵や、人数はいろいろのようですが(昨今はウクライナの戦争でよく聞きますところの)兵站・ロジスティックス、などを含む部隊です。
豚は御存知のようにユダヤの律法では穢れた動物とされており、食べることが禁じられております。豚を食べる文化は世界の様々な民族で一般的なものであるにもかかわらず、ユダヤの律法では禁じられていることが、よく知られている理由でありましょう。
ローマ人やギリシャ人はもちろん豚を食べますので、ユダヤやガリラヤの周辺でも飼われております。ゲラサやデカポリスは、ヨルダン川の東側のヘレニズム文化の土地でありますから、豚を飼うことは当然の産業でありました。
デカポリス地方とは、ギリシャ語で、デカが10、ポリスが町、合わせて10の町となります。ヘレニズムの時代に、貿易の中継点として新たに建てられた、ギリシャ文化の強い町です。
豚を飼うことは町の食生活を支える大事な仕事でもありました。豚飼い自身はユダヤの羊飼いと同じく雇われた人でありましょうけれども、豚の持ち主から言えばこれは確実な売り上げが見込める産業です。豚飼いたちが町や村に走ったのは、豚の持ち主に急を知らせる意味合いもあったはずです。
癒やされた人はイエスと「一緒に行きたい」と願います。癒やされたことの喜びだけではなく、違う土地で生き直したい、と思うところもあったのでしょう。ところがイエスからはゲラサの地方で奇跡を言い広めることを命じられます。町の人が言い広めた噂ではなく、本当のことを伝えなさい、ということなのでしょう。イエスの福音を伝える者となれ、と命じられたのです。
町の人は、豚が殺された、町の産業に大きな被害が出た、ということを伝えるでしょう。その中で本当のことを伝えるのはとても大変なことです。現代でも大きな災害の時にデマは広がるのに正確な情報はなかなか伝わりません。彼はものすごく大変なこと・困難なことをイエスから託されております。
預言者エレミヤの物語(27~29章)を思い起こします。エレミヤは首に枷を付けて人々の前に現れて降伏を勧めます。バビロンに連行されても、その地でヤハウェの守りを得られるであろう、と告げます。この時、エレミヤと対立する偽預言者がエレミヤの首の枷を壊し、エレミヤはスゴスゴと退散いたします。エレミヤは預言が人々に受け入れられない困難を味わいます。
今日の奇跡物語の彼も、悪霊に取り憑かれて足枷を砕いていたやつだ、という好奇の目にさらされるばかりで、彼の語るイエスの福音はなかなか聞いてもらえない、というのが実際のところだったのではないでしょうか。この同じ物語を、マタイは町の人たちがイエスに退去を願うところで終わらせます。ルカは彼が福音を語り続けたと記しますが、最後の一言「人々は皆驚いた」を削ります。(マタイ 8:28-34、ルカ 8:26-39)
あるいはマルコは、福音を伝えることは、そもそも困難なことなのだ、と読者に伝えようとしているのかもしれません。ルカは、彼は福音を伝え続けたけれども聞かれなかった、と言いたくて、動詞の活用形を変えたようにも思えます。ルカの2冊目である使徒言行録も、読み進むにつれて人々がパウロの話を聞かなくなっていきます。マタイは、イエスですら拒否された、と記そうとして物語の後ろをスッパリと削ったようにも思えます。
わたしたちも、キリストの福音に出会った者として、その知らせを伝えるように、と促されておりますけれども、なかなか他の人に届かないもどかしさを、誰もが経験しております。
そう考えていきますと、わたしたちはやはり相当に困難なことを託されているようです。しかしながら、それだけに、わたしたちは、自分の力に依ってではなく、キリストから力を受けることで、聖霊に支えられることで、福音を伝えていることに気付かされます。20世紀後半以降のキリスト教では、神御自身が宣教され、わたしたちはその神の宣教に共に働くのだ、と考えています。わたしたちは、たしかに、困難なことを神から託されております。だからこそわたしたちは、神に祈り、神の力にすがることの大切さを感じ取ることができます。
福音を伝えるときだけではないでしょう。人生の中で行き当たる全ての困難の時に、神に祈り、キリストの御名を唱える、その信仰を持ち続けたいものです。その時、聖霊が働き、わたしたちをよき方向へと導いてくださることでありましょう。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年7月12日
聖霊降臨節第8主日
聖書 マルコ福音書 4章35-41節
讃美歌21 18、463
「 向こう岸に 」
ガリラヤ湖の向こう岸に渡ろうとした理由は何だったのであろうか、と思います。先週は一日の働きが終わって疲れていたのであろう、と申しました。それだけなら、少し離れたところまで行くだけではいいではないか?と思います。そして実際のところ、マルコ福音書のこの先を読んでまいりますと、一休みになっておりません。わたしたちの礼拝では次週と次々週で読み進めるのですが、向こう岸のゲラサでも悪霊を追い出し、その後すぐにまたガリラヤに戻ってきております。結局のところ、向こう岸へ渡ろうとした理由は、分かりません。
ただ、マルコの教会にとって、と考えますと、ここで弟子たちと共にイエスが向こう岸に渡ったことについて、少しばかり違った景色が見えてまいります。
この奇跡物語の記事は、ガリラヤ湖の向こう岸に渡ろうとした、そして嵐に遭いつつもそれを鎮めて向こう岸に渡った、と記します。当時の常識的な理解に沿えば、ガリラヤ湖の向こうとは異邦人の地を意味します。すなわち異邦人に向けての伝道をイエスも行ったのだ、と読むことができます。マルコの教会はエルサレム近郊ではなく、いくらか離れた場所、つまりは(まだ特定されておりませんものの)エルサレムから見たときにガリラヤ湖の向こうである異邦人の地にあったと推定されております。有力な説は南シリアのどこかであろうと考えております。だとすると彼らにとって、イエスがガリラヤ湖の向こう、すなわち自分たちの教会のある土地に来て、力強い奇跡を起こしたのだ、というゲラサでの奇跡物語は、とても力付けられる話であったことでしょう。
ところで、教会の世界的な横の繋がりとして、世界教会協議会・WCCという組織があります。教会の繋がりとして、わたしたちがまず意識いたしますのは、河北地区でありましょう。つい先日も、河北地区婦人会の研修会がありましたし、新年礼拝、交換講壇などがいずれも地区の繋がりの中で行われます。これからの時代は、各教会がもっともっと繋がってゆく必要がありましょうし、そうしますと、交換講壇だけではなく、その逆に信徒が動いて主日礼拝を共にするような企画もあっていい、と思います。
河北地区の次は大阪教区となります。大阪教区の次は日本キリスト教団となりますが、それが日常の信仰の意識の中にあるかどうかと言えば、かなり遠くなりますでしょうか。
他のプロテスタント教会を含めた繋がりとして、日本教会協議会・NCCJがあり、さらには、世界教会協議会・WCCがあります。
WCCとNCCJのシンボルマークがガリラヤ湖に浮かぶ船を描いております。シンボルマークに記された OIKOUMENE はギリシャ語です。世界の隅々にまで福音が届きますように、という願いを示しております。NCCJのマークですと、船の上に十字架の立っておりますのがよく分かります。キリスト教史の中では、船というシンボルは古代から使われておりました。
WCC世界教会協議会は、19世紀後半以来の歴史・創立に至る前史をもっておりますが、WCCとして成立したのは第2次世界大戦の前後の時代です。設立の合意ができたのが1937年、日本史では7月には盧溝橋事件が起こって日中戦争が始まります。世界史ではスペイン内戦が1936年から始まっており、第2次世界大戦は1939年に始まります。WCCが実際に設立できたのが戦後の1948年です。
第2次世界大戦は、欧米の教会にとっても大変に厳しい状況をもたらしました。ヨーロッパ世界ではキリスト教の国々が2つに別れて2回目の世界大戦を繰り広げるのです。第1次大戦の時に問われた問いが何倍にもなって繰り返されます。一方では、キリストの平和を唱え、神の愛を説いているのに、互いに憎み合い、殺し合ってしまった。その時、教会は何ができるのか?そもそも福音とは何か?自分たちの信じることの根幹を揺るがすような問いの前に立たされます。
その時に彼らが選んだのが、ガリラヤ湖で嵐に翻弄される船でありました。そのシンボルマークには、イエスが主であること、自然と歴史の支配者であること、弟子たちの不安の中で彼らと共にいてくださること、という信仰が込められています。
わたしたち一人一人の人生に於いても、激動の時にこそ、重大な人生の危機の時にこそ、イエスは私たちと共にいてくださる、ということをこの奇跡物語は語り続けます。共に居てくださるキリストこそが、嵐に向かって「静まれ」と命じ、わたしたちには「なぜこわがるのか」と問いかけてくるのです。そして、同じ船に乗り続けて、次の宣教へと旅を続けよう、向こう岸に一緒に渡ろう、と語り掛けてきます。イエスの受胎告知の場面で、天使ガブリエルがマリアに掛けた最初の言葉は「主があなたと共におられる。恐れるな」でありました。同じことをイエス御自身が、わたしたちに語り掛けてきているのです。
わたしたちの、向こう岸とはどこであり、嵐とは何でありましょうか。渡るべき向こう岸とは、場所のこともあれば時間のこともあり、仕組みや制度の時もありましょう。それが何であれキリストが共に居てくださる、恐れるな、と語り掛けてきます。
イエスの働きに力をいただいて、わたしたちもイエスの弟子として、キリストに出会った者として、イエスと共に歩み続けたいものです。わたしたちのその思いと信仰にイエスは目を留めて、導き、ゆたかに祝してくださるにちがいありません。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年7月5日
聖霊降臨節第7主日
聖書 マルコ福音書 4章35-41節
讃美歌21 6、357、81
「 風や湖さえも 」
今日の物語は「夕方になって」と書き始められます。その日も、譬え話を語り、病人を癒し、譬え以外の教えも語り、1日の仕事を終えてイエスは疲れていたことでしょう。弟子たちも同じように疲れていたのでしょう。イエスが弟子たちと同じように疲れていた、というのはとても大事なことでありました。キリスト教では、イエスは神の子である、と同時に、イエスは人間である、と信じます。人間でありますから、わたしたちと同じように一日の終わりには疲れを覚えるのです。それゆえに、わたしたちが持つ、あ~疲れた、という思いをリアルに体験して分かってくださっていることになります。
イエスと弟子たちは数隻の船に分乗して動き始めます。しかし、嵐が起こり、船は沈みそうになり、弟子たちは疲れて寝ているイエスを起こします。起き出したイエスは風と波を叱りつけて嵐を静めます。「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった」。と記されております。
どの民族であれ、古今東西よく似ておりますのは、病気を癒す奇跡にせよ、悪霊を追い出す奇跡にせよ、このように自然を従わせる奇跡にせよ、そのための呪文を唱える。それも特別な訓練を受けた人にだけ代々伝えられる、とても長くて難しい呪文を唱えることによって相手を従わせる、ということが多いようです。
特に自然を相手にするときは、古代社会が一般的に持っていた言霊信仰を持ってしても、なかなか思い通りにならず、決められた内容と手順を守った言葉でなければならない。それ相応たくさんの言葉(言霊)を費やさねばならない。となりましょう。
今もって人気の高い映画を3つ思い起こしますと、『ハリー・ポッター』のシリーズも魔法使いになるための特別な学校とその仲間たちが映画の重要な要素でありました。この映画が大ヒットした理由の中心部分は、彼の人間としての成長物語でしょうけれども、しかしながら呪文に対する意識が人々の持つ意識と逆であったらヒットを妨げたことでしょう。
次に、オカルト映画の古典というべき『エクソシスト』でも、あれを祈りと言って良いのであれば、大変に長い悪魔払いの祈りが、呪文として、それも途中までは2人の司祭によって祈られ続けます。エクソシストというのは、元々は悪魔払いの資格を持つ司祭を意味する言葉でありました。現代はともかくとして、以前には資格を持つ司祭を養成していたわけです。
宮崎アニメの『天空の城ラピュタ』では、滅びの呪文はわずか一言です。再放送の度に、視聴者がネットにバルスと書き込むバルス祭りが起こって話題になります。あれは一言ではありますが、王家の末裔という特別な人物が特別な言葉を使うから呪文となるのでありましょう。王家の末裔でも何でも無いネットユーザーが何千人一緒に唱えても何も起こりません。
マルコ福音書に戻りましょう。それらのことと比較しますと、ここでイエスがただ一言二言で、それも、特別な呪文ではなく、ごく当たり前の言葉で叱りつけただけで嵐を静め、風や波を従わせた、ことが大きな違いです。それは風や波という自然を支配することに対するイエスの確信を表しています。イエスは神の子として自然界の全てに対して支配者として振る舞うことができるのだ、という確信です。初代教会当時の人々にとって、そのことはイエスの力の証明でありました。
イエスのその力を語ることは、当時の伝道・宣教にとって大きなポイントの一つでありました。教会の外で、イエス?誰?などと言い出すような人々に、イエスの福音に耳を傾けさせるには、ただ二言で嵐を静めるような奇跡物語はかなり有力な物語であったようです。
一方でマルコは、マルコの教会の人々に向かってこの福音書を記しております。その中で、奇跡が起こった後に弟子たちがイエスから叱られ、そして弟子たち同士の間で自分たちの従っているイエスはいったい何者なのだ?という、良くいえば疑問、そしておそらくは得体の知れない力を持つ人に対する恐怖心のようなものを弟子たちが感じたことを書き記します。これは間違いなく、「イエスを信じるか?」という問いをマルコの教会の人々に、問いかけておりますし、また2000年の時を経た弟子であるわたしたちにも同じことを問いかけてきております。
しかしながら、このイエスの言葉は、裏返せば弟子たちへのイエスの期待の言葉でもありましょう。弟子たちの信仰を信じているからこそ出た一言のようにも思えます。
それから2000年、わたしたちはイエスの奇跡を直接見ることができません。イエスの声を直接聞くこともできません。不利だな、と思います。その一方で、福音書に記された言葉、というフィルターを通したものではありますが、繰り返し何度も読むことができます。
わたしたちも弟子たちと同じように「まだ信じないのか」と語り掛けられているのでありましょう。それは、イエスの全てを理解して信じるのは、簡単なことではなく、そして同時に、簡単でなくてもいいのだ、ということでもあります。イエスのその期待を受けて、キリストに出会った者として、信仰の歩みを重ねていきたいものです。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年6月28日
聖霊降臨節第6主日
聖書 マルコ福音書 4章26-32節
讃美歌21 360、412
「 大きな枝を 」
枚方あたりは台風の直撃からは逸れましたが、それでもたくさん降りました。各地の被害が大きくなりませんように。
先週の譬え話は、元は当時の諺であり、それを何かの場面でイエスが語った。それゆえ様々な文脈の中で語られます。対して、今日の「成長する種」の譬え話は、全体としてイエスの言葉に遡るであろう、と言われております。そして、いくつもの聖書箇所を思い起こさせる、大変に不思議な箇所でもあります。
パウロから始めますと、第1コリント3章の「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださるのは神です」という言葉でしょうか。コリント教会の中に派閥が出来ていたようです。パウロ派があり、アポロ派があった。それを伝え聞いたパウロが、成長させてくださるのは神だ、と書き送ります。ここで成長とは、おそらくコリント教会の人々の信仰を育てる、コリント教会を大きくする、その両面を意味しております。
マルコの譬え話でも、畑にある種は他でもない神が成長させてくださるのだ、と語っております。
29節「その穂には豊かな実ができる。実が熟すると、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである」。収穫の時として連想するのは、マルコ福音書の中でイエス自身の言葉としては最初に記された「時は満ち、神の国は近付いた」でありましょう。
4章最初の「種を蒔く人」の譬え話とも繋がってまいります。マルコの2つの譬え話は共通点を持ちます。どちらも、種を蒔いた人がその後の世話をした様子が描かれません。
今日の譬え話では、種を蒔いた人が知らない間に畑の作物は育つと記されます。27節後半は少々訳しすぎで、意訳するならば「その人が見ていない間に成長する」と訳せます。ジッと見ていても何かが変わったようには見えませんが、朝夕ごとに葉が出て、茎が伸びてまいります。水を遣ったり、肥料を入れたり、太陽の当たる場所を追いかけてプランターを動かしたりいたします。
しかしながら考えてみますと、プラモデルや木工とは異なり、金柑も柿も、よく育つように祈るしかない、と言えましょう。
2000年前の人々も、種を蒔き、土を耕し、水を撒き、雑草を取り、と世話をしながら、しかしこの作物が育つということについて、世話をすることと育つことの間にワンクッションある、それが神の働きなのだ、と常々納得していたのでありましょう。農家の人だけではなく、都市生活をする職人の人たちも、自分たちの仕事と引き比べて納得したことでありましょう。
譬え話の中に語られていなくても、実際には農家の人は世話をするに違いありません。ただ、あえてそこは神の働きを強調するために省略した、という話しの流れが見えて参ります。そのところを、28節は「土はひとりでに実を結ばせる」と書いております。
譬え話の後半では、小さなからし種が、大きな枝に育つことが語られます。「からし」はアブラナの仲間で、実は小さいのですが、高さは大きくなるものでも2.4mぐらいです。「葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど」大きいとは言えず、諸説あるようです。
今はプランターの中にあります玄関前の柿も八朔も、実が付くぐらいに大きくなりますと、上にも横にも大きく枝が伸びてきます。桃栗3年柿8年などと言われますが、これが8年後には写真で見るような柿の木になるのか、と思いながら見ていたりするわけです。それなのに種はごく小さい。キリストの教えの広がりも同じだ、とマルコは記します。
マルコの教会は特別な建物があるのではなく、信徒の誰かの家に集まるようなものでした。家の教会と呼ばれています。マルコの教会に限らず、使徒言行録に描かれる教会はどれもそうでした。わたしたちの働きも必要であるのだけど、しかしながらそれは、大地を作ることも、大地から作物を育てることも、本来的には神の働きなのだ、とこの譬え話は語り掛けてきます。
現代という時代は、「時は満ち、神の国は近付いた」というイエスの宣言から2000年の時が経っております。神の国の到来を最後の審判に限定するならば、イエスの宣言にもかかわらず、まだ来ていないのか、となります。しかしながら、神の国の到来をわたしたちが生きている今を神の国に近づけることと考えるならば、それはいつか来るものではなく、絶えることのない信仰の営み、神の国へと向かって歩む不断の努力でありましょう。
20世紀後半以降、世界のキリスト教の大きな流れとしては、神御自身が宣教の主体である。神御自身が世界の果てにまで教えが伝えられるために働いておられる、と考えています。わたしたちはその働きの一端を担っているのだ、ということです。
すでに2000年前にイエスはそのように語っています。少々大胆に敷衍いたしますならば、天地創造以来の神の霊をいただいているわたしたち一人一人が誠実に生きていくこと自体が、大きな枝を伸ばし、豊かな実を結ぶことにつながります。わたしたちの中にであれ、わたしたちの外にであれ、つまりわたしたち自身の信仰を育てることにであれ、またわたしたちと共に礼拝を守るキリスト者が増えていくことであれ、与えられた畑仕事を丁寧に続けることが、わたしたちの知らぬ間に豊かな収穫へと繋がります。あるいは大きな枝を伸ばす木となります。
収穫の時が必ずある、大きな木に育つ時が必ず来る、という信仰をもって、日々を誠実に過ごして参りましょう。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年6月21日
聖霊降臨節第5主日
聖書 マルコ福音書 4章21-25節
讃美歌21 210、502
「 さらにたくさん 」
先週は前半の2つを見ました。今日は後半の2つを読みます。後ろの3つは、どうやら当時のことわざであったようです。
3つ目は秤の譬えです。マタイ福音書の山上の説教にも出てまいります。マタイ版の方はよく御存知かと思います。マタイ版の前後を読みますと明らかに裁きの文脈です。そのイメージが強いので、わたしたちはマルコ版24節の言葉も裁きの文脈で読みがちです。ところがマルコのポイントは、与えられるということにあります。マルコ福音書の文脈に即して読むならば、福音に従って生きているあなた方には、その福音という秤によって更にたくさんの福音が与えられるであろう、とマルコは主張しております。
4つ目もマタイではタラントンの譬え話に、ルカではマルコ福音書と同じく、ともし火の譬え話のすぐ後ろに記されます。
これらは元来はごくごく一般的なことわざでありました。
もともと、ことわざは場面に即して様々な読み方ができる部分を持っております。ですから、ことわざを引用して組み合わせたイエスの言葉も、3人の福音書記者(マルコ、マタイ、ルカ)それぞれの教会の状況や彼らの個人的な背景や信仰などの条件によって少しずつ解釈やポイントが違うのも致し方ないところです。むしろ、4つの福音書を前にしている現代のわたしたちにとって、いくつもの視点からイエスの言葉の意味を考えさせてくれます。
その中で、現代の日本においては、マルコ福音書を読む前にすでにキリストを信じている、という人は少ないでしょう。福音書はキリスト教徒にとっての魂の養いであり続けます。加えて、キリスト教に初めて出会うような人たちも読むものです。ところが、マルコ福音書の最初の読者たちはマルコの教会の人々でありました。キリストを知らない人に読ませるのではなく、教会の中で、キリストを思い起こすために読むものでありました。
マルコは、福音の言葉を聞く人がどれだけ理解しているか、ということを24節の「量る」という言葉に込め、理解した内容を持ち続けてこそイエスの弟子である教会の兄弟姉妹である、ということを25節の「持っている者」に込めたのでありましょう。困難な状況の中でも福音を理解し持ち続ける人は、神の国が来る時、「更にたくさん与えられる」と記したのです。
日本語で読むとわかりにくいですが、後ろ3つの譬えの動詞はいずれも未来形が使われております。マルコの視線は未来へと向かい、キリストに出会った人たち、キリストの救いを信じた人たちが、どのように生きていくのかを考えようとしております。
マルコの教会は、ユダヤ戦争からの避難民を含む教会であっただろう、と言われております。そうしますと、一方には、土地や財産を持っている人が教会に居り、同時に、土地や財産を持っていない人も少なからず居たのでしょう。その中で、誰もが共通して持っていたのが、キリストを思う気持ち、キリストへの信仰、イエスの福音、でありました。同時に、それらを持ち続けることが容易ではない社会情勢も続いていたのです。
その中でマルコは、彼の教会の人々に向かって慰めと励ましを与えつつ、諦めてしまわず、萎縮せず、地道に福音を語り続けよう、生き方で福音を証しし続けようと勧めております。どの時代にも、またどの場所でも、その時代や場所なりの困難があり、それぞれの教会固有の困難があります。マルコは、イエスの言葉をマルコなりに受け止めた言葉として、神の国に備えて福音を語り続けよう、福音の上に生きていこう、とわたしたちにも今も勧めているのです。
その上で、24節前半の「聞く」ということばに注目しますと、先々週の種蒔きの譬え以来「聞く」が一貫してキーワードになっております。わたしたちが何を聞いているのか、と言いますと、もちろん、福音書を通してイエスの言葉を福音として聞いております。23節でも「聞く耳のある者は聞きなさい」とイエスは語ります。これもひとつのことわざであるかもしれません。23節と同じ「聞く耳のある者は聞きなさい」は、先々週の種蒔きの譬えを締めくくる9節にもあります。それを受けて、続く11節では、12人の弟子と、さらに12人以外にもイエスの言葉を聞こうとする人には、神の国という秘密が打ち明けられているが、イエスの言葉を聞こうとしない人には伝わらない、とイエスが語り、12節のイザヤ書6章の言葉が引用されます。
4つの福音書はどれもリアルタイムの記録ではありません。福音書記者たちの信仰理解を通して書かれており、さらには、それ以前にもイエスの言葉を伝えた人たちの信仰理解が、いわばフィルターになっております。わたしたちは、元々のイエスの言葉を、そのままに聞くことはできません。しかしながら、現代のわたしたちが、リアルに顔を合わせて話をするときにも、話し手と聞き手のそれぞれの、それまでの人生の出来事、経験、などを通して、理解したり、時に誤解したりしております。
福音書のイエスの言葉を読むときも、わたしたちは、自分自身の様々な経験というフィルターを通してしか読むことはできません。その限界を心に留めながらも、福音書に記されたイエスの言葉そのものを聞こうとする者であり続けたいと思います。聞く者であり続けるとき、わたしたちは、さらにたくさん、イエスの言葉を、キリストの福音を、与えられるのです。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年6月14日
聖霊降臨節第4主日
聖書 マルコ福音書 4章21-25節
讃美歌21 51、55
「 ともし火を 」
今日と来週は4つの譬え話が並ぶ同じ聖書箇所を読みます。今日は前半の2つを、次週は後半の2つを読みます。イエスの譬え話は具体的な情景を思い浮かべるものが多いのですが、この4つの譬えのうち、後ろの3つは当時のことわざでありました。ユダヤ教の文献(ラビ文献)に、よく似た言葉が残っております。
そして、元は別々のことわざが、マルコの手元に届いた時には既に2つずつの組になっていたようです。一般的なことわざであったとしても、何かのおりにイエスがそれらの言葉を組み合わせて対比することで、メッセージを伝えようとしたのであろう、と言われております。ただ、その組み合わせをイエスはどんな時にしたのか、誰と話している時に、どのような文脈で語ったのか、ということは今となっては再現することは出来ません。
一方でマルコの意図は聖書学者たちによってマルコ福音書全体の主題や流れに基づいておおよそ解明されております。マルコは譬え話を4章に集中させており、その多くが神の国についての譬え話として読むことができます。マルコは、これらの譬え話を神の国についてイエスが語ったものである、と理解したようです。
最初はともし火の譬えです。このともし火は、福音、イエスの言葉や行いを指す、イエスの救いを指す、そこから転じて、マルコの教会の人々の信仰を指していると言われています。そうであればもちろん、世代を経た読者であるわたしたちの信仰のありようについても指し示してくる譬え話でもあるわけです。
マルコの教会の人々は、ユダヤ戦争の戦禍をくぐり抜け、生き延び、そこから逃れた人が多かったであろうと言われております。そして戦争の後も、様々な困難の中にあった教会でした。福音を伝えようとしても、周りの人々から拒絶されたり、あからさまな迫害を受けたりすることもあったようです。
その中で、彼らの信仰も燃えさかる松明とは言い難い状態であった、かすかに手元を照らすともし火であった、それでもしかし、そのともし火を我々は燭台の上に置こうではないか。出来る限りの範囲を照らそうではないか。ともし火を燭台の上に置くように、拒絶されても他者と関わり続けようではないか。そう主張してマルコは教会の人々を励ましたのだ、と言われております。
現代のわたしたちも、あからさまな迫害こそないものの、キリスト教に限らず宗教というだけで不審の目を向ける人の少なくない時代を生きております。それでも、小さなともし火であっても周りを照らし続けたいものです。
イエス御自身も、その宣教活動の最初から最後まで、耳を傾ける人もあれば、聞こうとしない人もあったのです。その中を粘り強く「神の国は近づいた」と語り続けます。イエス御自身がそうであれば、わたしたちもすれ違いや敵意の中であっても福音を示し続けるしかないのでありましょう。
2番目の譬えを原語のニュアンスを含んで訳し直しますと、
今、隠れているもので露わにならないものはない(未来形)ように、以前より秘められ続けている(継続)もので、公にならないものはないであろう(未来形)。となります。それが神の国なのです。
御復活のイエスは、自分はすぐに帰ってくる、と言い残しております。弟子たちはその時を楽しみにしていたのにイエスの再臨はなかなか起こりません。結局、マルコの時代はイエスの再臨について、少し先になるらしいと人々が思い始めた時代です。しかし神の国はいつか必ず来る。いつか必ず明らかにされる。諦めずに待とうではないか。とマルコは主張しているのです。
考えてみますと、神の御子であるイエス御自身が、わたしたち人間の目には見えない存在から、人間の姿を取ってキリストとして2000年前の人々の前に現れてくださったことを、わたしたちは信じております。譬え話の冒頭は「ともし火をともして」と語り始めます。誰がともすのでしょうか?その部屋にあるともし火とは、イエスのもたらした福音のことであると同時に、ガリラヤの地に立たれたイエス御自身のこととなります。「器で覆い隠す」とは、単に隠すのではなく、消してしまうことを意味します。この譬え話は、ともし火を寝台の下に隠してはいけないだけではなく、器(升)の下に入れて消してはいけない、と語りかけてきてもいるのです。
マルコは彼の教会の人々に向かって慰めと励ましを与えつつ、諦めてしまわず、縮こまってしまわず、地道に福音を語り続けよう、生き方で福音を証しし続けよう、と勧めております。
キリスト教2000年の歴史を振り返りますと、時代も場所も越えて様々な困難があり、また、それぞれの教会固有の困難があります。その中で、マルコは神の国に備えて福音を語り続けよう、福音の上に生きていこう、とわたしたちにも今も勧めております。おそらく、イエスがこの譬え語ったときの文脈はマルコも知らなかったのでしょう。マルコとしては、状況が分からないならこのエピソードは使うのをやめておこう、という選択肢もあったはずです。しかし、マルコはそうしなかった。エピソードの全体像が分からなくても、イエスのその言葉が自分たちの教会の中でどのように意味を持つのか、と考えて福音書に書き記したのです。
わたしたちも、キリストの救いの全体像を知っているわけではありません。それでも、わたしたちの知っている範囲で、知っている事柄で、信じているともし火を伝え続けたいものです。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年6月7日
聖霊降臨節第3主日
聖書 マルコ福音書 4章1-12節
讃美歌21 54、346、81
「 種蒔きに出て行った 」
大変に有名な譬え話のひとつです。元々のところから見れば、この譬え話を聞かされた「群衆」はキリスト教徒ではなくユダヤ教徒でした。13節以降の解説部分について聖書学者たちは、譬え話の本体はイエスの言葉であろう、しかし解説部分は初代教会の状況を反映している可能性が高い、と考えています。
譬え話の本体を見てまいりましょう。
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った」、とイエスは語り始めます。イエスの譬え話はとても具体的です。この場面も2000年前の人々にとっては見慣れた風景でありました。
当時の農業は文字通り種を蒔いたと言われています。節分よろしく種を蒔いて、それから畑を耕したようです。ついでながらこの「種を蒔く」という言葉は、ルカ福音書15章と16章の有名な譬え話にも使われます。放蕩息子が持ち出した財産を「無駄遣いした」、あるいは不正な管理人が主人の財産を「無駄遣いした」、どちらも「種を蒔く」と同じ動詞です。
さて、道ばた、つまり畦道に落ちた種は鳥が食べてしまいます。この畦道は畑を使わない時期に人々が通り道にした部分のようです。種を蒔いた後は耕して畑の一部にするのだと言われています。しかし、先んじて鳥に食べられてしまう。よく見ますと、食べ尽くした、というニュアンスの言葉が使われています。
石地に落ちた種は日に焼けて枯れてしまいます。畑の持ち主であれば、どのあたりが石地であるかを把握しているはずです。本来ならその辺りは避けて撒くでしょう。ですから、種が落ちてしまった、ということでありましょう。実際、少しでも風があれば思いがけない辺りまで種が流される事もあったのでありましょう。イバラの中に落ちた種も同じです。畑の持ち主なら、そこを避けて種蒔きをするはずです。でも、落ちてしまった。そのあたりが種を蒔くという動詞が描き出す状況です。
最後のグループは「良い土地に落ち」て多くの実を結びます。30倍、60倍、100倍にもなった、とマルコは書きます。当時の収穫については、おそらくは畑全体で10倍ぐらいになれば豊作であった、平年作ならば7~8倍であろう。と言われております。
ですから、ここに書かれた数字は極端な大豊作でありました。元のギリシャ語を見ますと、この8節部分だけ動詞の活用形が物事の継続を表す形です。ニュアンスを汲んで言えば、30倍、60倍、100倍の実を結び続けた、となりましょう。ますますもって大豊作です。
種を蒔く人は、無駄になるかもしれないところや、結果として無駄になってしまったところにも種を蒔き、希望を持って実りの時を待つのです。そのように、神は、希望を持ちにくい状況を含む畑にも、とても豊かな実りをもたらしてくれるのだ、とイエスは語ります。
旧約の「コヘレトの言葉」(11章)に興味深い言葉があります。「風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れは出来ない」。「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか、それとも両方なのか、判らないのだから」。イエス御自身も当時の聴衆も、この言葉を思い浮かべながら譬え話を語り、あるいは聴いていたのでありましょう。パウロもこの言葉を知っていたからこそ「育ててくださるのは神である」という、あの有名な言葉を手紙に書いたのでありましょう。
話を戻しますと、この物語を語ったイエスにとって、種を蒔く人はイエス自身であり、蒔かれた種は(後の解説と同じく)聖書の言葉、神の言葉、でありましょう。イエスは律法のベースにある心を求めます。蒔かれた種はイエス自身の新しい教えのことです。
わたしたちの現代の教会と同じように、特にイエスの活動の初期には、なかなか広まらないイエスの宣教活動という現実があったのかもしれません。そうであれば、そのことにもどかしさを覚える時もあったことでしょう。福音書に書かれたイエスの活動も、故郷のナザレを初めとして受け入れない町もあったと記されます。そのような現状に対して、無駄になる種もあるだろうけれども、ありとあらゆる所に種を蒔き、実りを待つ。いったん実れば、それは繰り返し実りをもたらすはずだ。そのことを信じて、種を撒き続けよう、と考えたイエスの思いを表現した譬え話なのでありましょう。神の国を示す譬えによって、神の言を、神の国の知らせを、無駄になるかもしれない場所にも届けようではないか、とイエスは語り掛けてきております。
種を蒔いているのはイエスだけではありません。もちろん今もイエスは神の国、神の言という種を蒔き続けております。同時に、わたしたちもイエスの弟子として、イエスに倣って聖書の言葉、神の言葉という種を蒔き続けます。なかなか実らないかもしれません。しかし、その種を育ててくださるのは神です。神を信頼して、手の届く範囲でよいですから、無駄になるかもしれないということに思い煩わされず、いつか実るであろうという希望を持って種を蒔き続けてまいりましょう。
先ほども申しましたが、おそらくは、イエス御自身が、その宣教活動の初期には、なかなか実らないもどかしさを経験されたのです。焦らず、また、諦めることなく、そして丁寧に、福音という神の国の知らせを届ける人の一人であり続けたいものです。
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5月31日は聖書朗読の賛美の礼拝のため礼拝説教ありません。