2026年度 復活節の礼拝説教

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年5月17日   
復活節第7主日    
聖書  マルコ福音書 3章20-35節 
讃美歌21 352、411
 「 イエスの家族? 」 
 アレキサンダー大王をギリシャ語読みしますとアレクサンドロスとなります。彼のアジア遠征は、元々は父のフィリッポスが計画しています。最初の目標がペルシャ打倒でありました。その前の時代に、ギリシャのポリス連合軍がペルシャと戦争して負けております。フィリッポスがギリシャ連合軍をマケドニア主導で建て直すことでペルシャ打倒が可能になります。そして、アレクサンドロスが大遠征の途上で死んだ後、およそ40年にわたって跡目争いが起こります。アレクサンドロス自身が王位にある期間の3倍ぐらいです。その間にアレクサンドロスの母や妻子は全員殺されております。内輪争い、家族、どちらのテーマにも繋がります。イエス自身も知識として知っていたことでありましょう。
 先週を振り返りますと、イエスが悪霊祓いの奇跡を起こしていることについて、律法学者たちが「あの男はベルゼブル、つまり悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言いがかりを付けてきます。それに対してイエスは、そんな内輪もめのようなことをしていては、悪霊の国は成り立たないであろう、と言い返します。考えてみますと、悪霊の国なんて成り立たない方がいいんじゃないの?と思うのですが、先に行きましょう。
 イエスと家族の間に大きな溝のあったことが記されております。「あの男は気が変になっている」と言われて、家族が取り押さえに来ているのです。その出来事の中に、内輪もめしてはダメだ、という話が挟まれております。
 マルコ福音書の最初の読者たちも、ごく近い時代の歴史としてよく似た出来事を思い出します。70年頃のユダヤ戦争の前後、ローマに対する武力抵抗に加わるかどうか、家族が相争い、引き裂かれ、国の情勢も四分五裂し、ついには家族もユダヤの国も失ってしまいます。それがユダヤ戦争の現実であり、マルコたちの時代の現実でもありました。
 状況は異なりますが、家族の絆が引き裂かれたもう一つの物語がイエス自身の家族の物語です。おそらくは父ヨセフが早死にした後、イエスが大工を継いで家族を養います。ところが、ある時イエスは家業を捨てて家を飛び出し、ヨハネの弟子になって荒れ野での生活を始めます。残された家族は食い扶持を稼ぐのに大変だったことでしょう。それだけならまだ良かったのです。次には、ヨハネの元を飛び出したという知らせが入ります。しかも「ベルゼブルに取り憑かれている」などというとんでもないウワサが引っ付いてくるのです。
 家族としては、狭い町の中でウワサされるたびに肩身の狭い思いをします。ついに我慢ならなくなり、取り押さえて家に連れて帰ろうとして家族揃ってやってきます。しかし、イエスは連れ戻されることを拒絶します。そして、自分の周りにいる人たち、自分と共に歩む弟子たち、自分の話に耳を傾ける人々、神の御心を行う人たち、彼らこそ自分の家族なのだ、と宣言します。イエスの弟たちは力づくで連れ帰るということをしませんでした。
 この調子だと、無理矢理連れて帰ってもまた飛び出していくだろう。そうなると自分たちはナザレの町でますます肩身が狭くなる、と思ったとしても無理ないような気もいたします。
 ここでマルコが書きたかったことは明らかです。マルコの教会には、ユダヤ戦争の結果、家族を失ったり、家族の絆を失ったりした人が少なからず居たと考えられています。故郷を離れざるを得なかった人も多かったのでしょう。ヨセフスを読みますと、町や村が丸ごと略奪されて住めなくなるような話も描かれております。またマルコの教会にはユダヤ人も居れば、ユダヤ人ではない人も居たことでしょう。そのような人たちに向かって、教会の仲間という新しい家族関係をマルコは示そうとしているのです。
 旧約聖書に多くの家系の系図が記されていることからも分かりますように、ユダヤの社会は血縁関係を大事にします。その中で、35節のようなことを言うのは、けっこう過激な発言です。
 そしてマルコはここに書いてはおりませんが、マルコ福音書の1章からをずっと読んで参りますと、また20節に「家」「食事」という言葉を出していることからも、この新しい家族、教会という家族を神の国の先取りと考えていることは間違いないようです。
 マルコの教会の人たちにとって、ユダヤ戦争やその戦争に至るまでの社会の混乱という現実の中で、教会の仲間が新しい家族であり、教会という集まりが神の国の先取りであるということは、とても大きな安心でありました。
 現代の日本でも状況は似ているところがあります。マルコの時代、広大なローマ帝国の中で、キリスト教はごくごく少数の人たちの宗教でありました。キリスト教がローマ帝国で広く認められるまで、まだ250年以上の時が必要でした。日本の250年後がどうなっているかは分かりませんけれども、教会は社会全体の中では小さな集まりです。それでも、教会が神の国の先取りをなす集まりであり、また血縁関係の有無を越えた家族であることは変わりません。イエスに従い、いつも神の御心を行う人であり続けたいものです。その信仰のエネルギーとなったのが聖霊である、ということができましょう。それがペンテコステ以来2000年の受け継がれてきた信仰です。次週の聖霊降臨祭を、わたしたちの今に繋がる信仰の歩み、教会の始まり、としてあらためて心に刻んで、その日を迎えるようにいたしましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年5月10日    
復活節第6主日     
聖書 マルコ福音書 3章20-31節 
讃美歌21 204、361
 「 ベルゼブルなのか? 」 
 ベルゼブルをマルコは悪霊の頭と言い換えます。ベルゼブルは古くからのカナン地方の神々の一つです。イエスはサタンと言います。さしあたりは、悪霊、サタン、悪魔、どれも悪い奴らとしておきましょう。今日の物語全体から言えば、前後にイエスの家族をめぐる物語がありますから、ベルゼブルに「悪霊の家の主人」というニュアンスを読み取ることが出来ます。
 悪霊の頭の力で悪霊払いをしている、と非難されたイエスが反論します。サタンの国であれ、悪霊の家であれ、内輪もめすれば消耗して滅んでしまう。わたしがサタンの親玉に取り憑かれて他のサタンを追い出しているワケじゃない。アホらしい言い掛かりを付けなさんな。そんなところでありましょう。
 内輪もめしていては国が成り立たないということでは、イスラエルあるいはユダヤの王国時代史が当て嵌まります。南王国・ユダ王国が、圧力を加えてくるバビロン帝国に従って貢ぎ物を納めて国家の形式的な独立を守るべきか、エジプトの援助を求めてバビロン帝国に抵抗すべきか、国論二分する様子が列王記や歴代誌に描かれます。北王国・イスラエル王国も同じです。北王国の相手はアッシリア帝国でした。結局、北王国は滅ぼされます。それを見ていた南王国でありますのに、同じことを繰り返します。
 旧約聖書はイスラエルの不信仰の罰であると記しますが、現代の目から歴史的に割り切れば、神の忠実な民であったとしても国力の差は歴然としております。国論二分しなくても、いずれはアッシリア帝国やバビロン帝国に支配されたでしょう。とはいえ、イエスの言葉の背景にはその旧約の記事があり、聞かされた人々もその歴史を思い起こして頷いたことでありましょう。
 付け加えるならば、マルコ福音書の最初の読者たちも、ごく近い時代の歴史を思い起こします。70年頃のユダヤ戦争の前後、ローマに対する武力抵抗に加わるかどうか、そのことで家族が相争い、引き裂かれ、国の情勢も四分五裂し、ついには家族もユダヤの国も失ってしまいます。それがユダヤ戦争の現実であり、マルコたちの時代の現実でもありました。もっとも、社会全体の話しだけではなく、マルコの教会にとっても、内輪もめが自分たちの経験としてあったのかもしれません。
イエスの言葉に戻りますと、27節は強盗の話に移り、マルコは、イエスはベルゼブルよりも強いのだ、と主張します。縛り上げられる強い人がベルゼブルで、家財道具を奪う強盗がイエスです。そう読みますと26節までと内容的に繋がってきます。
 マルコ福音書1章の荒れ野の誘惑の記事とも繋がります。あの時点でサタンは既にイエスに負けております。だからこそ、その後の一連の悪霊払いが可能になるのです。さらには同じく1章で洗礼者ヨハネが、やがて現れるイエスのことを「自分よりも優れた方が来られる」と語ったことにも繋がっていきます。
 続く28節29節では、聖霊を冒涜することは赦されない、とイエスが語ります。1章に戻りますと、ヨハネによるイエスの洗礼の後すぐに聖霊が降ります。弟子たちに聖霊が降るのはペンテコステの出来事ですが、イエス自身にはこの宣教活動の最初から聖霊が共にあるのです。ですから、イエスに対して、こいつはベルゼブルだと言い掛かりを付けることは、聖霊を冒涜することになります。律法学者たちに対する厳しい批判です。もっとも、律法学者はイエスの洗礼の時に聖霊が降ったことは知りません。
 この28節は、マルコの付け足し、もしくは別の時にイエスが語ったことをマルコがここに組み合わせたように思えます。マルコ福音書で聖霊という言葉がそのまま使われますのは全部で4回だけです(1:8,3:29,12:36,13:11)。その4場面を並べますと、聖霊が弟子たちに働いて福音を語らせる、弟子たちの宣教の働きを聖霊が支える、というマルコの聖霊理解が浮かび上がってきます。順番に見ていきますと、1回目は、洗礼者ヨハネが、自分よりも後から来るイエスは聖霊で洗礼を授ける、と語ります。ルカが使徒言行録に記す聖霊降臨の場面をマルコは描きませんけれども、弟子たちが聖霊を受けることをマルコはヨハネに語らせます。2回目が今日の箇所です。3回目は、ダビデが聖霊を受けてメシアを主と呼んだ、とイエスが語ります。4回目は、弟子たちが宣教活動の中で危難に出会った時に語らせるのは聖霊だ、とイエスが言います。聖霊の働きを冒涜してしまえば、弟子たちが福音を語り伝えることはできなくなります。
 現代キリスト教の三位一体信仰理解においても、キリストの昇天のあとに弟子たちの一番身近なところで働いているのが聖霊である、と考えています。昨年の映画『教皇選挙』は、そのあたりを上手に描いておりました。弟子たちを支える聖霊の働きをマルコは記します。聖霊は悪霊の反対語ではありません。三位一体の神の姿の一つです。説明しにくいけれども、わたしたちの一番身近なところで働いているのが聖霊である、とされるのです。
 言い換えてみれば、聖霊は表には出てこない影の力持ちでありましょうか。それでも、その働きは、マルコの教会だけではなく、福音書の弟子たちの時代だけでもない。2000年後のわたしたちにも同じことなのです。ベルゼブルが力を持っているように見えるときでも、わたしたちには常に聖霊が働きかけている。わたしたちを福音へと導いている。そのことを心に留めてキリストに従う歩みを重ねてまいりましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年5月3日     
復活節第5主日     
聖書 マルコ福音書 2章23節-3章6節 
讃美歌21 464)、459、81
 「 安息日は人のために 」 
 またしても安息日の出来事です。弟子たちは歩きながら他人の麦畑の麦を摘みます。ファリサイ派の人々が、あなたの弟子たちは何故安息日にしてはならないことをするのか?とイエスに詰め寄ります。律法には弟子たちのこの行動を直接に禁じる規定はありません。麦に関しては、他人の畑の麦を刈り取ってはいけないけれども、他人の畑で落ち穂を拾ったり、手で摘むのは許される、とあります。むしろ、畑の持ち主に対して、貧しい人のために落ち穂を残しておくように、と命じます。ルツ記の背景になった規定です。ところが時代を経て、安息日にしてもよいことと、してはいけないことが段々と細かく決められていく中で、労働禁止の規定の適用として、穂を摘むこと自体が収穫であるとして禁止されていったようです。
 続く25節と26節のダビデが祭司のパンを食べた出来事は、サムエル記にあるのですけれども(サムエル上 21:1-7、レビ 24:5-9)、ここでの反論の論点としてはいささかズレております。
 詰め寄られたイエスは言い返します。「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」。安息日の規定として、すぐに思い浮かぶのは創世記の最初にある天地創造物語です。そこでは天地創造の7日目に神が安息したことが、安息日の由来として当たられます。
 ところが、出エジプト記の23章にも安息日の由来が記されております。こちらでは、エジプトで奴隷であったことを忘れず、あなたの家にいる奴隷や外国人にも休みを与えなければならない、命じられます。社会的な弱者への保護がポイントです。旧約学者は、出エジプト記の方が安息日の起源の説明としては古いものだと言います。27節のイエスの言葉は、出エジプト記の安息日規定を意識しているようです。
 現代のキリスト者であるわたしたちもいろいろな場面で気をつけなければならないことですが、これは決まり事がドンドン細かくなることで、律法の規定が形式的なものになってゆくことへの厳しい批判でありましょう。律法を丁寧に守ろうとするからこそ細かくなってゆくのですが、それはしかし同時に、守れば良いという考えを呼びますし、元々は何のための決まりか、ということを考えなくなっていたようです。
 その結果、神の救いを約束している律法であるはずなのに、実際には、多くの人が律法を守れないことによって、あるいは守りきれないことによって、神の救いから弾き出されて遠ざけられてしまっていたのです。イエスの言葉は、そのことへの強い抗議でありましょう。だからこそ、ことさらのように安息日に病気や障害を癒やす奇跡が行われるのです。
 ところで、先々週に読みました権威問答の10節の言葉に「人の子」があります。人の子が地上で罪を許す権威を持っていることが宣言されます。今日の28節では「安息日の主でもある」となっています。罪を許す権威を持つ上にさらに安息日の主でもある。安息日の規定よりもイエス自身の方が優位にある、とイエスは主張いたします。
 その流れで、3章に入りまして次の癒しの奇跡が始まります。そこでは、安息日に良いことを行うのは果たして具合の悪いことなのか?とイエスが質問します。律法の規定を守ることに汲々としてしまった人たちは、そこで一歩を踏み出すことができません。
 当時の律法学者たちは、生命の危険がある場合には安息日に治療(労働)しても良いと言います。一方、イエスが安息日規定に挑むかのように行った癒しの奇跡は、今すぐの命の危険があるようには見えません。
 イエスとしては、本当は難しい議論をしたかったわけではないのかもしれません(だとするとダビデの一件はわざとピントを外したようにも思えます)。目の前に治療を必要としている人が居る。そのことに心動かされただけのような気もします。しかし現実には安息日規定なるものが幅を利かせている。ちょっと違うんじゃないの?と考えたのでありましょう。その時に、出エジプト記が記す安息日規定を根拠に、本来の律法の精神を思い起こせ、ということを行動で示したのです。
 出エジプト記の安息日規定は、繰り返しますと、寄留者や奴隷、つまり、当時の社会で一般市民よりも低い立場にあって、神の救いから遠ざけられた人への配慮を命じています。そしてイエスの時代、癒やしの奇跡を必要とするほどの病気は、本人、家族、先祖の罪の結果として神から罰されているのだと言われておりました。寄留者でも奴隷でもないけれども、神の救いから遠ざけられている点では、出エジプト記が記す寄留者や奴隷と同じ社会的弱者でありました。そこにイエスは、安息日こそ弱い立場の人に配慮する時である、と行動で示して奇跡を起こしたのです。そのようなイエスだから、と言えましょう。イエスは、5節では、そのことが通じなかったファリサイ派のことを怒りつつ、同時に彼らの頑なな心を悲しむのです。
 安息日規定に従って善も悪も行わないのでは不十分だ、とイエスは行動で示します。束縛のためにあるのではない。さらには、安息だけではなく、また会堂での礼拝だけではなく、善を行い、命を救うことを躊躇なく行わなければならない、とイエスは言います。もちろん、安息日だけではなく、他の日も善を行い、命を救わなければならない、と示します。結局のところ、人が生きていく上で本当に必要な物事へと人々の目を向けさせ、安息日の主に従い、律法に依らない完全へとわたしたちを導こうとされるのです。キリストに出会った者として、わたしたちは、どこまでも安息日の主に従ってまいりましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年4月26日    
復活節第4主日     
聖書 マルコ福音書 2章13-17節 
讃美歌21 507、516
 「 正しい人を 」 
 レビが居りました収税所はカファルナウムの北東数キロのあたりにありました。当時の収税人はとても嫌われ者でした。嫌われていた理由は2つあります。
 1つには、彼らが言ってみればローマの手先であったことです。彼らの集めた税金は最終的にローマ帝国に納められます。エルサレムの神殿ならともかく、ローマに納める税金です。
 もう1点、この仕事はローマからの請負でした。収税人の親玉が、この地域からは毎年どれだけの税を納める、とローマに約束して仕事を請け負います。余分に集めた分は儲けです。人々からすれば、ローマの手先というだけでも腹が立つのに、がめつく集めて自分の懐に入れている、と思って嫌うのです。
 さて、レビはイエスに声を掛けられて、すぐに立ち上がって従います。そのあと、イエスと弟子たちを家に招いて食事を共にいたします。これを見ていたファリサイ派の律法学者が文句を言います。「罪人や収税人と一緒に食事をしている」。
 当時のユダヤ人にとって、律法の規定に従うならば、異邦人や罪人と一緒の食事は避けるべきことでした。律法に即した生活をしていない人との食事を避けるのです。特にファリサイ派は、律法を生活の隅々にまで守ろうとする人たちです。ファリサイという名称も、律法を守らない連中と自分たちを分ける、という意味です。彼らにすれば、イエスの名前が知られてゆくにつれ、その言動が目に付き始めるのは当然のことでありました。
 ファリサイ派の律法学者にとっては、収税人たちが彼らだけで食事をしている分には勝手にしたらいいわけです。ところが、そこに預言者だかラビだか知らないけど宗教指導者気取りの若造が弟子と称する連中まで連れて一緒にメシを食っているとは何事か、ということになるのです。
 ファリサイ派に対してイエスが反論します。イエスの言葉の中でも有名な言葉でありましょう。前半の「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である」の部分は当時のヘレニズム世界の格言です。それを引きながら、後半にイエスのオリジナルな一言が付け加えられます。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。どうだ、文句あるか、というイエスの皮肉や静かな怒りが伝わってくるような言葉です。
 異邦人との食事の問題は、初代教会にとっても大問題でした。使徒言行録(11章)やパウロの手紙(ガラテヤ2章)にも取り上げられております。マルコの居た教会でも切実な問題であったのでしょう。
 その状況で、この物語はイエス御自身が罪人と食事を共にしていたではないか、イエスは自分は罪人とこそ食事をするのだ、と主張して居るではないか、という方向性を示す物語でありました。
 ところで、この収税人レビについては、他の弟子たちの多くと同じように詳しいことが分かりません。マルコがここに記しますことをそのまま受け取れば、ペトロやアンデレたちと同じように、全てを捨ててイエスの弟子となったようにも読めます。ところが不思議なことに、アルファイの子レビの名前はマルコ福音書にはこのあと一度も出てまいりません。もちろん、弟子たちの多くが名前しか残っていないことは、むしろ、そのことによってキリストの救いの普遍性が示されても居るのですが、野次馬的興味は尽きないモノがあります。
 おそらくレビはイエスと共に旅を続ける弟子とはならなかったのでしょう。しかし、イエスに宿や食事を提供したり、活動資金を提供したりして、活動を支えた多くの弟子の一人となったように思われます。イエスの弟子というとわたしたちはすぐに12弟子を思いますが、福音書の中にもすでに、12人以外にも多くの弟子が居たと書かれております。今風に言えば、弟子としての働きの多様性があった。そのような多様性が最初からあった、ということもわたしたちの信仰の持ちようにとって大事なことであるのかもしれません。
イエスは通りがかりにレビを呼びます。他の弟子たちの多くもそうだったのでありましょう。しかし、レビの従い方はペトロやアンデレとは異なりました。おそらくは、彼の持ち味を活かす方法で、彼のタラントにとって適切な方法で、従ったのでありましょう。それは見える形は違ってもレビもまたイエスに招かれて捉えられたということです。
 わたしたちもまた一人一人異なった捉え方で主に招かれて捉ええられております。持ち味は違いますが、イエスの招きに従って生きる。その究極のところは同じです。しっかりと捉えられて、歩んでまいりましょう。
 キリスト教は、律法の全部をまるごと受け継いだわけではありません。その意味では、律法から見ると、わたしたちは、「正しい人」にはなりません。それでも、イエスが父と呼ぶ聖書の神を信じ、イエスをキリストと信じた歩みを、わたしたちは続けております。それはすなわち、今日は聖餐式を行っておりませんけれども、わたしたちが神の国の食卓の先取りとしての食卓へとイエスによって招かれている、ということです。神の国へと、そして、イエスの食卓へと招かれているのです。招かれていることを、この先も心に覚え続けながら、信じる者の歩みを重ねてまいりましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年4月19日    
復活節第3主日    
聖書 マルコ福音書 2章1-12節 
讃美歌21 332、458
 「 屋根をはがして 」 
 先週の奇跡物語の続きです。数日後、イエスはカファルナウムに戻ってまいります。ペトロたちは、重い皮膚病・レプラの人にあっさり触るイエスにとても驚いていたことでありましょう。
 一方で、考えてみればペトロたちにも同じ町に住む人がレプラになって追い出されるのを見ていた経験があるはずです。奇跡を見たとき、複雑な思いがあったのでしょう。その思いに加えての、イエスの行動力への驚きと、イエスの持つ力への気付き、がペトロたちにあるように思えます。
 大勢の人が集まり、家の中も外も一杯になります。そこへ、屋根を壊して一人の病人が吊り下げられてまいります。当時の家は簡単な作りであったわけですが、それにしても家の一部を壊されるわけです。しかもその家に集まっていた人々やイエス御自身にしてみれば、話の途中で頭の上でバリバリガタガタと大きな音が仕始めるのです。音だけではありません。途中からはホコリも砂も落ちてくるでしょう。何をやっているんだ、という騒ぎにならなかったのでしょうか?家の中の人々は外に出なかったのでしょうか?イエスの話しは中断しなかったのでしょうか?そう考えていきますと、とても変な話なのです。あるいはイエスからは家の外の様子が見えていたのかもしれません。家の中には人が多くて彼らが入れなかった、というのですから家のドアは開いていたでしょうし、そうしますと、イエス自身は家の中も外も見える位置に立っていたと考えるのが無理のないところに思えます。イエスには家の外の様子が見えていたのならば、「中風の人」が運ばれてくる様子も、家の中に入れなくてウロウロする様子も、諦めずに屋根に上る様子も、全て見えており、釣り降ろしてくるかもしれないと予想できていたように思えます。
 状況をどのように解釈するにしても、とにかく屋根に穴が開き、その穴が拡がり、大きな穴になったと思えば、寝床に寝かされた人が釣り降ろされてくるのです。状況だけを見ますと、そんなバカな事あるかな?と思いそうになりますが、だからこそ伝承されたのであろう、と聖書学者たちは言っております。
 先に進みます前に、またしてもその話しか、と言われそうなのでありますけれども、この話を読みますと、神戸の震災の時の光景を思い出します。
 マルコ福音書に戻りますと、5節に「イエスはその人たちの信仰を見て」と書かれております。釣り降ろした4人でしょうか?釣り降ろされた人も含めた5人なのでしょうか?
 ただ、2つの奇跡はどちらもイエスを信じることで奇跡が起こされます。
 そして、日本語で見ていても判りにくいのですが、実は5節後半から10節までのイエスと律法学者との遣り取りの部分は元の伝承にはなかったようです。先週のレプラの人とは異なり、今日の奇跡物語で癒やされた人は何も言いませんが、彼も床を担いで帰ることによって雄弁にイエスの癒しを語り伝えることになります。
 2つの物語は、ガリラヤにいた頃のイエスがたくさんの病気を癒やした奇跡の一部が紹介されています。どちらも、イエスを信じて、イエスを頼って、イエスにすがって、癒されていきます。わたしたちもひたすらにイエスにすがって生きてゆくことが、イエスを信じることなのでありましょう。
 もう一つ思いますのは、イエスが奇跡を起こす力について、わたしたちは、それはもちろん信仰に基づくものではありますが、イエスは神の子だから、と思ってそこで思考停止してしまってはいけないのかな、と思います。神の子だから出来た、それはもちろんその通りなのですが、裏返せば、神の子だから出来るだろう、という思い込みにも繋がるような気がします。その思い込みがいささか引っ掛かりますのは、それは荒れ野の誘惑の時の悪魔の台詞に似ている、と思えるのです。あるいは、神の子だから出来る、というのであれば、どこか怪しげな超能力者のように思ってしまう危険性を含んでいるようにも思えます。
 しかしながら、先週と今週の奇跡物語を繋いで読みますと、神の子だから出来た、というカテゴリーに収まらない奇跡のように思えます。神の子だから出来た、というだけであるならば、それなら世界中の病を癒やしてくれたらいいじゃないか、と思うのです。だけどそうではなかった。そこには、イエスが本当に心を動かされたから出来た、という状況が記されているわけです。
 そうであれば、マルコがここに記したかったのは、イエスにはその力がある、ということだけではなく、また、わたしたちにはその力はない、今はもうイエスに癒やしてもらえない、ということでもないような気がいたします。
 癒やしきることは出来ないだろう、それでもわたしたちは心を動かされることはある。それであるならば、わたしたちであっても、その時、手を伸ばすならば少しでも力を伝えることは出来るのかもしれない、とマルコは思ったのではないでしょうか。その意味で、先日のトランプ大統領のあのふざけた画像は、逆説的にですけれども当たっている部分もあるのかもしれません。それはともかく、イエスの癒やしの力を信じつつ、わたしたちも、弟子の系譜に繋がる者として、イエスの御名を唱えながら、求められるときには手を伸ばしていきたいものです。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年4月12日   
復活節第2主日    
聖書 マルコ福音書 1章35-45節 
讃美歌21 7、326
 「 語り伝えられた癒やし 」 
 重い皮膚病に罹った人がイエスの元に来ます。律法に依れば、彼は「イエスのところに来てひざまついて願い」事をしてはいけない人です。原文のギリシャ語では彼の病はレプラです。現代の医学でいうところのレプラよりも広い概念です。レビ記を見ますと、人だけではなく家までレプラになります。
 当時のユダヤ社会において、この病気の人は地域社会から排除され、律法の保護の外に置かれております。町の外に住むことを強制され、健康な人との接触を禁じられておりました。そして町に入ることができませんから、当然ながら会堂での礼拝にも神殿での礼拝にも参加できません。状況として見てみますと、近代社会において、レプラに罹った人が、社会から疎外され、隔離されていたことと実のところ大変によく似ております。
 福音書の時代に話を戻しますと、ウッカリと近付く人がいれば、その人に向かって「自分は重い皮膚病である、近付いてはいけない」と言って注意を促さなければならない(レビ 13章)、と決められております。健康な人がこの人たちに近付いて、手を触れたりいたしますと(病気が移るという危険ももちろんありますが)接触した人自身が、決められた一定期間を神殿立ち入り禁止になります。いわゆるケガレが移った状態、となるのです。
 ですから、この病気の人が誰かの所に近付いて行って頼み事をすることも、律法の規定に違反していると見なされます。しかし、それを押してこの人はイエスの所に来ます。何らかの形で評判を聞いたのでしょう。すごい人が現れた。きっと預言者だ。いろいろな病気を治してくれた。悪霊を追い出してくれた。会堂で語る言葉もスゴイ。それならば、自分の病気も治してくれるのではないか?そう思って居ても立ってもいられなくなったのでありましょう。町から町へと渡り歩くイエスに、どこかの道路沿いででも近付いて声を掛けたようです。
 彼は言います。あなたはわたしの病気を治す力をお持ちです。「御心ならば」わたしはあなたに治していただくことができます。あなたの御心が違えば、わたしはこのまま町から離れた所にまた行かねばなりません。
 宣教活動を始めるまでのイエスについて福音書は記しません。けれども、当時の状況を考えますと、イエス自身が、重い皮膚病に罹った人を何人も見てきたことでしょう。イエスが育ったナザレの村でもレプラになって村から追い出された人がいたでしょう。当人や周りの人たちの様子を見ていたことでしょう。
 あるいは、子供の頃のイエスにとても親しかった人がレプラに罹ってしまって会えなくなった、というような経験があったとしてもおかしくありません。追い出された人についてのうわさ話が村の中を飛び交い、この病気になった人がどんな生活をしているかということもある程度は知っていたことでしょう。
 律法の規定に反してまでイエスの元に来て、「御心ならば治していただけます」と言った人はイエスの知らない人でありました。しかし彼のその境遇に、イエスはかつて自分がナザレで知っていた誰かしらの事を思い出したとしても不思議ではないのです。
 イエスは「深く憐れんで」その人に触り、病気を治します。律法の視点から言いますと、その人に触った時点でイエス自身も町や村への立ち入りが一定期間できなくなります。この物語の最後に、その人が言い広めたのでイエスが「もはや公然と町に入ることができ」なくなった、と書かれているのはそのことを指しているのでありましょう。
 イエスは彼に言います。「誰にも話してはいけない」。さらに言います。「祭司に見せて病気が治ったことを証明してもらいなさい」。これもモーセの律法の規定です(レビ 14章)。しかし彼は、祭司の所に行くのではなく、自分の身に起こった出来事を言い広めます。イエスに癒やされたことを言い広めた、と書かれているのは彼が最初ですので、彼は最初の宣教者、最初の使徒、などと言われることもあります。
 いつものように、最後に少しだけ、わたしたちに戻って終わりましょう。現代を生きるわたしたちは、福音書に記されているような癒やしの奇跡に出会うことはありません。目の前にイエスが居られるわけではないので、イエスが手を置いてくださって癒やされる、という具合にはまいりません。
 とはいえ、当時であっても、ナザレのイエスの評判を聞かなければ癒やしを願う機会はありませんでした。そう考えますと、当時の人々とわたしたちは、機会のあるなしという意味ではさほどに変わらないのかもしれません。ただ、わたしたちは、イエスの名を信じてイエスにすがった人が居たことを知っております。イエスを信じて癒やされと福音書に記された人が居たことを知っております。
 2つの奇跡物語は、ガリラヤにいた頃のイエスがたくさんの病気を癒やしたことの一部が紹介されているに過ぎません。来週も同じことを最後に申し上げるはずですが、どちらも、イエスを信じて、イエスを頼って、イエスにすがって、癒されていきます。わたしたちもひたすらにイエスにすがってゆく生き方をしてまいりましょう。その信仰に、キリストは応えてくださるに違いありません。

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主の平和がありますように

わたしたちの教会は、プロテスタント諸派が合同してできた日本基督教団の教会です。穏健で健全な福音主義に立っています。どのような信仰の立場の方でも歓迎いたします。しかし教会が二千年間守ってきた伝統には忠実な教会です。