2025(25-26)年度 四旬節(受難節)の礼拝説教

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年3月22日    
受難節第5主日    
聖書 マルコ福音書 14章66-72節 
讃美歌21 227、470
 「 中庭の焚き火に 」 
 ペトロの大変に有名なエピソードの一つです。初代教会の指導者であったペトロにとって、これほど面目丸潰れになる話はないでしょう。そうしますと、大祭司の家まで、あるいはその近くまでペトロが行き、何某か危険な目に遭い、俺は知らない、と言って逃げた事は間違いないと思われます。
 マルコはこの物語で誰もが持つ弱さを語ります。14章ではペトロはイエスの予告の言葉を強く否定しております。しかしながら、その同じ夜のうちに大祭司の家の中庭での出来事が起こります。
 それなのにペトロがヨーロッパのキリスト教社会では聖人として親しまれ続けてきたということは、古今東西、人間はペトロと同じような性格と弱さを持った生き物であるのかもしれません。
 ペトロ以外の登場人物の事も見てみましょう。
 まずは大祭司の家の女中がペトロに目を付けます。見慣れないヤツが庭にいる、と思ったのでしょうか。ペトロに向かって、「イエスと一緒に居ただろう」と言い出します。ペトロはそれを否定して、おそらく焚き火が幾つかあったのでしょう。違うところに行きます。しかし彼女はペトロを追いかけ、周りにいた人々(大祭司の下役たち)を巻き込んでいきます。
 再びペトロがイエスとの関係を否定し、今度は下役たちがペトロを問い詰めます。彼らはペトロのガリラヤ訛りを突いてきます。女中との遣り取りを聞いていた下役たちが、エルサレム近辺の住民とは思えない、いかにも巡礼者らしい、それもどう見ても金持ちには見えない巡礼者の身なりと、女中に抗弁するガリラヤ弁を不審に思ったのでありましょう。
 この遣り取りは当時のガリラヤが置かれた状況をよく表しています。ガリラヤはエルサレムの住民からは田舎だと思われて一段低く見られておりました。しかし一方で、ガリラヤはエルサレムから離れているが故に信仰的に一途なところがあり、それだけにローマに対する反乱がたびたび起こっていた場所でもありました。
 大祭司の下役ともなれば政治的にはローマに近い人達でしょうから、自分たちと一緒に焚き火に当たっている見知らぬヤツがガリラヤ人だということは、それだけで充分に警戒心を呼び起こされる状況です。しかもその夜は、人々の信仰心が高まる過越祭の期間中であり、それだけにローマへの反感も高まっている時です。その状況で、過越祭の巡礼に集まった群衆を味方に付けながら神殿を批判したガリラヤ出身の若いラビを捕まえて、ローマへの反逆容疑で尋問している最中なのです。
 ペトロとしては本当に身の危険を感じる瞬間であったに違いありません。気をつけてコッソリと中庭に入ったつもりでも、焚き火に当たって気が抜けたのでしょうか。
 最初にペトロを問い詰めた大祭司の家の女中は何者だったのでしょうか?イエスを取り囲んでいた群衆の中に彼女も居たのでしょうか?イエスならともかくペトロを見覚えていたのです。一度チラリと見た程度ではないでしょう。深読みをすれば、そのことが彼女にとって不利に働きそうな気がして、ことさらに役立とうとしてペトロを追い詰めたようにも思えます。そうだとすれば、ペトロと同じ弱さを彼女も持っていたことになりましょう。今日の主役は彼女ではないのですが、気になるところです。
 ペトロの否定の仕方は2回目(3回目)の方が激しくなります。ここを原文どおりに読みますと、「そして彼は呪い始め、また誓い始めた、あなたの言うその男の事は知らない」となります。
 知らないと言って誓っている自分の言葉がウソならばわたしは呪われるがよい、という意味の呪いの言葉であろう、と言われています。そこまでしてイエスとは無関係と言い張ります。かえって怪しまれそうです。ペトロが捕まらなかったのが不思議なぐらいです。なぜペトロが捕まらずに済んだのか、その理由は分かりません。あるいは元々の出来事はもっとシンプルで、本当のところは身元を疑われるなり1回で逃げ出したのかもしれません。
 しかしながら、とにもかくにもペトロはこの危機を何とかくぐり抜け、仲間の弟子たちの居た家に辿り着きます。そこで再びペトロは泣いたことでありましょう。ゲッセマネでは逃げ出し、大祭司の家ではウソを突き通した。自分の不甲斐なさに押し潰されそうになったことでしょう。他の弟子たちも自分たちにも危険が及ぶかも、と心配しつつ、しかしどうにもならない現実の中で、潰れそうになっていたことでしょう。
 現代に生きるわたしたちが、文字通りの状況でペトロと同じような危機に遭うことはなかなか考えにくいです。しかしながら、生命の危機や、自分の力では何ともならない困難や試練に出会うことは少なからずあります。そんな時、わたしたちは潰れそうになります。あるいは逃げ出してしまいます。
 ペトロは、一晩のウチに強気から弱気に変わり、逃げ出し、ウソをつき、イエスの言葉を思い出して泣きます。しかしながら、ペトロたちはそれだけでは終わりませんでした。復活のイエスに出会い、ペンテコステに聖霊を受けることで、変えられていきます。その後も、時には弱気になりながらも、結局は踏みとどまり再び立ち上がっていきます。
 わたしたちも、主の御復活への信仰を、わたしたちの生命の力として、全ての人に伝えられる希望として、信じて歩んでいきましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年3月15日   
受難節第4主日    
聖書 マルコ福音書 14章53-64節 
讃美歌21 155、457 
 「 不利な証言 」 
 今日は受難週の出来事から、木曜の夜の出来事、大祭司による裁判の記事を読みました。実際のところ、今日読みました裁判の記事が歴史的に何処まで正確かということは、非常に厳しいところです。11弟子は、ゲッセマネの園で逃げてしまいました。ペトロは思い直して付いて行きますが、大祭司の家の庭で焚き火に当たっております。では、マルコ福音書の描く裁判の様子は全くのフィクションかと言えばそうは言い切れません。
 一つの可能性としては、使徒言行録に、エルサレム神殿の祭司たちの中にもイエスを信じるものが多く居た(6:7)、と書かれていますから、議員ではない資格で裁判の席にいた(議会事務局の)祭司の中に、初代教会に様子を伝えた人が居たのかもしれません。あるいは、アリマタヤのヨセフは議員の一人であったようですから、彼から弟子たちに裁判の様子が伝えられ、福音書に伝えられていった可能性も考えられます。
 今日の物語に戻りますと裁判は3つの場面からなっております。
 最初は告発の場面です。元々が死刑の口実を作るための裁判で、多くの証言があったけれども、いずれも偽証だった上に、証言が一致しなかった。とマルコは記します。律法の規定では2人以上の証人の証言が細部まで一致する必要があります(申命記 19:15)。その規定に関しては、旧約外典の「ダニエル書補遺」に載っております物語(スザンナの裁判)が有名です。
 そして、この裁判が結論ありきの出来レースの裁判であった、ことはおそらく本当でしょう。ただ、結論ありきで偽証するのであれば、口裏を合わせるんじゃないのか?と思えます。マルコは裁判の不当性を強調するためにいささか無理をしているようです。
 これらの証言だけでは不十分と見た大祭司が立ち上がり、イエスを詰問し始めます。これが第2の場面です。
 裁判の第3の場面は判決です。イエスの答えに激怒する大祭司の権力を恐れたのでしょうか。議員たちは死刑に価する、という判決を下します。わたしたちはどうしてもキリスト教徒としての視点から読んでしまいます。しかし、当時の議員たちにとっては、大祭司の意向に沿った判決を下すことが自分たちの地位や権力を守ることに繋がります。彼らのことを、権力に擦り寄ってイエスに死刑判決を下した。イエスが神の子であることを認めることが出来なかった。と軽々しく言うことはできません。私たちも、今を大切に生きてこうとしていたら、実は再臨のキリストに気付かなかった、という事は充分にありえます。
 第2の場面に戻りましょう。この大祭司の問い掛けとイエスの答えは、マルコの教会の信仰告白というべき部分です。大祭司は「お前は讃むべき方の子、メシアか?」と尋ねます。神の子か?キリストか?という質問です。これは大祭司たちにとって非常に重要な問題です。神の子であると答えれば神を冒涜したことになるでしょうし、メシアであると答えればローマへの反逆容疑を固めることが出来ます。とはいえ、神の子、キリスト、という表現は、マルコ福音書の冒頭に出てくる言葉であり、マルコ福音書の中心メッセージなのです。
 この問いに対する答えは、ダニエル書7章の引用でした。ダニエル書の後半は世の終わりを描く黙示文学です。キリスト教的視点から言えば、これは明らかにキリストの再臨を描いた預言です。
 一方で歴史的には、この預言はユダヤ教を弾圧したB.C.2世紀頃のヘレニズム王朝に対する神の裁きを描いています。すると、大祭司たちはヘレニズム王朝と同じように経済的にも宗教的にも民衆を苦しめている権力者である、という批判になるのです。
 ダニエル書の引用の前にある「そうです」も重要です。元のギリシャ語では、エゴー・エイミーです。お気付きのように、ヨハネ福音書を読む時には欠かせないキーワードです。直訳すると「わたしです」になるでしょうか。扱いのやっかいな言葉です。新共同訳は大祭司の問いを肯定する答として訳していますが、文法的には、肯定、疑問、否定、空惚け、どれとも取れるのです。
 マルコが意識していたであろう大切なことがもうひとつ、エゴー・エイミーにはあります。出エジプト記(3:14)に、モーセが山の中で神に出会い、神の名前を尋ねる場面があります。口語訳聖書の答えは「わたしは、有って有る者」です。その前半「わたしはある」の部分をギリシャ語にするとエゴー・エイミーになります。神の自己紹介の言葉です。マルコはここで、イエスは神と等しい神の子である、と告白しているのです。
 マルコ福音書の理解では、それは取りも直さずキリスト教2000年の理解であるわけですが、イエスは神の子でありキリストです。しかしそれ故に、イエスは十字架刑という反逆者に適用される大変残虐な処刑方法で殺されなければならなかったのです。
 軽々しいことは言えませんし、一方で、ありきたりな言い方にしかなりませんが、神が国家に対する反逆者として殺されるという、いわば有り得ない出来事の中に、わたしたちの理解や知識や想像力の限界を超えた出来事の中に、その中にこそ、神の神秘を見るように、とわたしたちは促されています。心の眼を開き、心の耳をそばだて、日々の祈りの中で、十字架の出来事を通した神の思いに近付きましょう。そのことでわたしたちは今日の一日を生きる力を与えられるのです。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年3月8日   
受難節第3主日    
聖書  マルコ福音書 14章27-31、50-52節 
讃美歌21 8、520
 「 弟子たちは逃げた 」 
 わたしたちは毎週の礼拝で使徒信条を唱えます。伝承に依れば、イエスの直弟子たちが一言ずつ語って出来上がったと伝えられます。使徒信条の原形となる信仰告白文は2世紀に遡ります。さらにその元になる言葉を探すならば、ペトロたちが語っていたことが伝えられたものである可能性は高いでしょう。
 ところで、12人の弟子たちの中で一番有名なのはユダかもしれません。しかしながら、名前がよく知られている一方で、ユダ自身に関する情報はほとんど残っていません。年齢、前職、出身地、いずれも不明です。枕詞のイスカリオテもカリヨテという町のこととも言われますが、それもハッキリしません。カリヨテの位置も不明です。
 判っていることの方を申しますと、共観福音書といわれるマタイ・マルコ・ルカの3福音書で名前が出てきますのは、12弟子のリストとエルサレムでの裏切りの場面だけです。12弟子のリストが、ユダで終わることは共通しています。福音書記者たちにとって、よほどに最後に置きたい名前であったのでしょう。
 ユダの死の場面もマタイ福音書と使徒言行録では全く違うように描かれます。マタイ福音書では銀貨を神殿に投げ込み、首を吊ってしまいます。使徒言行録では転落事故に遭って死んだとされます。どうやらユダが早くに死んだことは間違いないようです。
 ペトロたち11人の弟子たちには、ゲッセマネの園で自分たちがイエスを見捨てて逃げたという心の負い目があります。ゲッセマネで逃げたのだって裏切りじゃないのか?と言われると反論しにくいものがあります。あるいはその重苦しさに目をふさぐために、無意識にか意識的にか、裏切り者の汚名を死んでしまったユダ一人に押しつけたのかもしれません。
 一方で、福音書には12弟子の派遣の物語があります。その時には弟子の一人としてユダも誰かと組んで町や村を巡ったはずです。ユダがイエスの公生涯と呼ばれる宣教活動の1年間(ヨハネ福音書では3年)を、共に過ごしたことは見落とされがちです。
 ユダの裏切りとはいったい何であったでしょうか?極論しますならば、ユダの裏切りがなかったら十字架もなかったかもしれないのです。それならば、ペトロたちの心の負い目は別として、ユダの裏切りは必要なことでありました。ユダの裏切りがあったからこそ十字架の出来事があった、という可能性は大きな重みを持ちます。なにしろ、十字架の出来事がなければキリスト教は成立しなかったのですから。
 今日のマルコ福音書の前半では、イエスから、わたしにつまづくだろう、わたしのことを知らないと言うだろう、と告げられた弟子たちは、そんなことはありません、と言いつのります。
 後半は、いよいよゲッセマネの園でイエスが捕らえられる場面です。その時、ユダはむしろ捕まえようとする人たちの中に居りました。そして、残りの11人は以前の勢いはどこへやら、逃げ出してしまいます。
 このように、ペトロたちには、自分たちは逃げた、逃げることで生き延びた、イエスを見殺しにした、という負い目があります。それはもう半端ではない罪悪感に捕らわれていたことでしょう。意図して裏切ったのではない分、どうにも逃げようのない後ろめたさを感じていたことでしょう。仕方なかったんだよ、逃げなきゃ俺たちも捕まって殺されていたんだよ、と思えば思うほどに、ますます自分たちを追い込んでゆく、そんなペトロたちの姿が浮かんで参ります。
 またしても阪神淡路の1.17を持ち出しますが、あの時、あの地域に暮らしていた多くの人が感じていたのは、生き延びた安心感ではなく、生き残った罪悪感でした。東北の3.11でも同じであったと聞きます。ペトロたちも同じでありましょう。
 現代にまで伝えられているキリスト教は、ペトロたちのエルサレム教会のキリスト教ではなく、パウロを通したキリスト教であり、わたしたちはキリスト教をパウロを通して理解することになります。そのために、パウロのファリサイ的な高い教養の中に絡め取られてしまうような気がするのです。
 パウロの教養あってこそキリスト教として飛躍できたことは確かです。しかし、それだけに、12弟子の信仰はもっと素朴だったのではなかろうか?という気がします。
 さらに言えば、裏切って、見捨てて、生き延びてしまった。その罪悪感に弟子たちが打ちひしがれた時、その時に、それでも生きよ、生命の限り、息の続く限り、生き続けよ。と語りかけてくるのが「罪の赦しを信じます」「復活を信じます」という使徒信条の言葉なのかもしれません。後ろめたさの中で生命長らえるのでなく、赦された生命を生き尽くし、与えられた生命を生き切ることが、復活のイエスによって弟子たちに示され、彼らを通じて使徒信条に伝えられたことなのではないでしょうか。そのリアルな罪悪感とそれが赦されたことが、弟子たちにとっての復活の出来事を理解する一つの可能性のような気がしています。
 神によって神の似姿として生命を与えられた者として、そしてイエスによって今日という一日を生きることを赦された者として、一日一日を大切に生きて参りましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年3月1日    
受難節第2主日    
聖書  マルコ福音書 13章28-37節 
讃美歌21 443、492、81
 「 戸口を叩く主 」
 今日のマルコ福音書には唐突に「イチジクの木の教え」なる言葉が出て参ります。過越祭の近いエルサレムは、すでに春を迎えつつある季節です。もうまもなくイチジクの木も芽吹いてくる。同じように、「人の子」の再臨の時はそれほど遠くない。いや、間近い。というニュアンスを読み取るべきでありましょう。洗礼者ヨハネと同じように、福音書に描かれたイエス御自身は、世の終わり・神の支配の完全なる実現が、かなり差し迫った出来事と考えていた気配が強いです。
 今日、ご一緒に読みましたところの後半になる「目を覚ましていなさい」という小見出しの付けられた部分も、マルコ福音書の冒頭にイエス自身の言葉として記されておりましたところの「神の国は近付いた」という切迫感を感じさせます。
 30節の「はっきり言っておく」という言葉から始めましょう。これは原語ではアーメンです。語る言葉の冒頭にアーメンを持ってきて、自分の語る言葉の真実性を強調したのは、イエスの独特の言葉遣いだったようです。そのことから、新共同訳では「はっきり言っておく」と意訳されています。
 続いて「これらのことがみな起こるまでは」と書かれています。先週読みました箇所では、戦争そのものは世の終わりの徴ではない、と語られ、天地創造の秩序が崩れるような出来事が起こる時こそ人の子が来る時である、と語られます。
 そして冒頭にアーメンと付けて語り始められたのは、「これらのことが起こるまで、この時代は決して滅びない」 「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」という、力強い宣言でありました。この宣言によって、終末がまだ来ない、キリストの再臨がまだ起こらない、と言い続けながらも2000年のキリスト教の歴史が続いてきたのでありましょう。最大の奇跡である御復活を別にすれば、パウロの功績も、ローマ帝国との結びつきも、マタイ福音書を締めくくるイエスの大宣教命令も、ありますけれども、何よりもこの「わたしの言葉は滅びない」というイエスの宣言そのものが持つ力が歴史を導いたように思えます。
 イエスの語られた、癒しの言葉、赦しの言葉、喜びの言葉、力付けの言葉、希望の言葉、様々な言葉は、弟子たちを通じて語り伝えられ、2000年に渡って人々を導き続けてきました。その歴史の中にはキリスト教が迫害されて殉教者を生んだ時代もありました。それでも人々はイエスの言葉を信じ続けた。それだけの力を持つ言葉だったのです。
 そのイエスの言葉を繋いでゆく信仰者の流れの中にわたしたちもまた居るのだ、と思う時、あらためてイエスの言葉に力付けられる気がします。
 先週主日の礼拝より、受難節の礼拝となっております。御受難についていつも以上に思い起こして心に刻むときです。ただし、受難節といって暗い思いで時を過ごすことは、その本意ではないでしょう。常にその先にキリストの御復活があることをこそ、心に刻み続けたいものです。
 さて、29節の「戸口に近づく」という表現を見ますと思い浮かべる絵があります。直接にはこの箇所を描いたものではないのですが、昨年の田中忠雄の聖画カレンダーの7月にあります。戸口を叩いているイエスの絵です。この絵の場合は、むしろ公生涯の始めに故郷ナザレを訪れた時を描いたものだそうですが、夕闇の迫る中(のように見えます)、家の戸を叩いています。
 ヨハネ黙示録にもヨハネがイエスから預かった言葉として、神の国の到来すなわちイエスの再臨を描く言葉に「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。」という言葉があります。戸口をたたく、とはおそらく実際にイエスが使った言葉であり、初代教会に受け継がれた言葉でありましょう。
 先ほどのヨハネ黙示録の預言はこう続きます。「だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまたわたしと共に食事をするであろう」。
 今日は3月の第1主日ですから聖餐式があります。聖餐式には複数の意味合いがあります。多くの場合に強調されるのは罪の赦しです。罪の赦しについては来週に少しお話しすることになります。そして、みなさんお気付きと思いますが、わたしはいつも聖餐式の式文冒頭で神の国の食事・神の国の祝宴と申します。先ほどのヨハネ黙示録の言葉もよく使います。その言い回しを借りるなら、わたしたちがイエスの声を聞き分けてドアを開ける時、わたしたちはキリストと共に神の国の食卓に着くのです。
 神の国の到来、神の国の実現は、主の再臨の時のことなのか、あるいはわたしたちの生きているこの世界の中で実現してゆくものなのか、実は福音書を読んでいてもわかりません。その両方が書かれています。しかもそのどちらもがイエス御自身の言葉として書かれています。
 主の再臨による世の終わりに備えつつ、しかしながら、同時に、わたしたち自身の生きてゆく有り様として、イエスの言葉に力付けられながら、イエスの声を聞き分けながら、共に主の食卓に着く者であり続けたいものです。わたしたちのその信仰を神が目に留めてくださり、御復活の主の食卓に招いてくださいますように。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2026年2月22日   
受難節第1主日    
聖書  マルコ福音書 13章14-27節 
讃美歌21 464、352
 「 終わりのしるし 」 
 今日の箇所は、「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つ」という意味深な言葉から始まります。祭司しか入ってはならない神殿の聖域に、破壊者が立つ、とても恐ろしい光景です。マルコ福音書の最初の読者たちは、ここでユダヤ戦争を否応なく思い起こします。わたしたちの感覚で言えば何が近いのかな?と思います。やはりウクライナやガザでの出来事でありましょうか。
 御存知のように、ユダヤ戦争はガリラヤとユダヤの全土がローマ軍に蹂躙され、エルサレム神殿が炎上して終わります。廃墟となったエルサレムにローマの軍人が立つ姿が、この言葉の第一の情景です。
 またヨセフスに依れば、ユダヤ戦争が始まる時、エルサレム神殿は反乱を率いた「強盗」たちに占領されておりました。ローマの軍人が立つ前に、ユダヤ人かもしれないけれども、祭司ではない、従って神殿の聖域に入る資格を持たないはずの暴徒たちがそこに立っていたのです。それがこの言葉の第2の情景でありましょう。この2つがマルコの読者が思い描く出来事です。
 歴史的には、イエスと同時代の人たちが思い浮かべたのはマカバイ戦争でありました。「憎むべき破壊者」という言葉は、直接には(マカバイ戦争と同時代の)ダニエル書からの引用です。マルコ福音書の黙示録とされるこの13章には、ダニエル書からの直接間接の引用が他にもあります。
 どの戦争を思い浮かべたにせよ、その時には、戦争や内乱に関わることをせず、すみやかに逃げなさい。神殿が汚され、ユダヤ全地が戦乱に巻き込まれるような苦難は必ず起こる。しかもその時には、偽メシアや偽預言者が何人も現れるだろう。彼らに惑わされてはいけない。とイエスが語ります。
 このマルコ13章の預言は、イエスの神殿崩壊預言を受けて、世の終わりは何時来るのですか?その時にはどんな徴がありますか?と尋ねた弟子たちの問いから始まっています。サラリとこの箇所を読みますと、「憎むべき破壊者」の出現が世の終わりの徴と思いますが、偽メシヤの話が始まりますと、惑わされるな、彼らを信じるな、気をつけよ、と何度も念押しをされてしまいます。
 振り返りますと、5節と9節でも「気をつけなさい」という言葉が繰り返されています。「惑わされるな」という警告も5節と22節で繰り返されます。これらの言葉に注目しますと、神殿が破壊されるような一連の苦難は世の終わりの徴のように見えるけれども、決してそうではない、ということでありましょう。
 そう思って読みますと、今日の冒頭14節の「読者は悟れ」という、おそらくはマルコ自身によるイエスの言葉への割り込みも、世の終わりの徴ではないことを悟れという意味を含ませているらしいと読めます。
 考えてみますと、キリスト教の2000年の歴史の中で、人々が、これはいよいよ世の終わりか?と思うような戦争や内乱や地震や飢饉は何度もありました。その混乱に乗じて、偽メシアや偽預言者が現れたこともあったはずです。わたしたちの知るところでも、たとえば、大きな震災、阪神淡路の1.17や東北の3.11の時には、様々なデマが飛びました。天罰と言って顰蹙を買った人もいます。しかし世の終わりが来ることはなく、歴史は続いてきたのです。人間として見てはいけないモノを見てしまった、と思うような光景であっても、世の終わりの始まりではなかったのです。
 では、世の終わりの徴は何か?という弟子たちの問いが残ります。これらの苦難そのものではないとしたら、いったい何が徴なのか?そこで24節以降の言葉が示されます。
 「太陽は暗くなり、月は光を放たず」。日食や月食は古代社会では一般に不吉の徴と言われておりました。むしろ、それ以上に、昼と夜を象徴する太陽と月が全く失われることなのでしょう。
 「星は空から落ち、天体は揺り動かされる」。原文は複数形です。ポツンと流れる流れ星ではなく、次々に落ちてくるイメージです。これはあるいは、何百年に一度というような大流星雨の記憶が語り継がれているのかもしれません。
 所詮は人間が起こしている戦争や内乱のようなものではなく、天地創造の秩序が崩れてしまうような、最初に天と地に分けられたこの世界が再び「混沌・カオス」に戻ってしまうような、それほどの出来事が起こった時が終わりの始まりと言いたいのでありましょう。その時、栄光と共に現れる人の子、すなわちキリストの再臨する。それこそが世の終わりの徴だ。とイエスは語ります。
 一方で興味深いことには、イエスの再臨が語られ、選ばれた人が呼び集められる、と記されておりますものの、ヨハネ黙示録と異なり、地獄絵図が語られるわけでもなく、きらびやかな天国の様子が語られるわけでもありません。ヨハネ黙示録が世の終わり=最後の審判として語られるのに対して、マルコ福音書の黙示録は世の終わり=再臨であることに強く注目します。
 以来2000年、いまもってキリストの再臨は起こっておりません。元を正せば、パウロもイエスも、もっと早いと思っていたのです。しかし、まだ、起こっておりません。徴を探したり、徴を恐れたりするのでなく、しかしながら、いつ起こってもいいようにキリストの再臨を信じて歩んでいきたい。大切なのは、いつ起こるかではなく、起こったときに、しっかりと神を見上げて生きているかどうかなのです。

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主がわたしたちと共に居てくださいますように

苦難の時にそばに居てくださいますように

わたしたちの教会は、プロテスタント諸派が合同してできた日本基督教団の教会です。穏健で健全な福音主義に立っています。どのような信仰の立場の方でも歓迎いたします。しかし教会が二千年間守ってきた伝統には忠実な教会です。