四旬節(受難節) 2020年度の礼拝説教

マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年2月21日    
受難節第1主日
聖書 マルコによる福音書 1章12-15節
讃美歌21 337、530
「そこに誘惑あり」

 今週から受難節の主日となります。先週の17日が今年の灰の水曜日でありました。受難節は、主の御受難を思い、その先にある御復活を、さらには再臨を、私たちの信仰に刻み直す時です。

 多くの聖書日課では、受難節の最初に荒れ野の誘惑の出来事を振り返ります。マルコ福音書は、主がどのような誘惑を受けられたのか、詳しいことを記しません。マルコ福音書はイエスに従って歩みを重ねる中で出遭う様々な誘惑を読者自身に思い起こさせようとしております。その上で、十字架に向かって歩みを進めるイエスとは何者であるのかを思い起こさせようとしております。

 まずはイエス御自身の誘惑について考えてみましょう。

 この短い記事は、主の洗礼と神からの祝福を描く記事と、ガリラヤでの宣教活動の間に置かれます。先週のメッセージでは、イエスは人間としての生涯において、人間としての様々な経験をされたこと、人間としての様々な感情を経験されたことを、思い起こしました。誘惑も同じでありましょう。世の中の様々な誘惑や試練を、全てとは言い切れないかもしれませんが、経験されたことでありましょう。宣教活動を始めたとき、多くの人がイエスの元に集まります。福音書は決して露骨には書きませんけれども、集まったのは人だけではなく、お金も名声も集まったことでしょう。人々が散り始めたときには、もうやめようかという誘惑もあったかもしれません。おそらく最後の誘惑は、過越祭のエルサレムを立ち去り、ガリラヤに帰ることでした。

 それらの誘惑の最初が、宣教活動の開始に先立つ荒れ野の誘惑であり、それはイエスにとっての試練の始まりでありました。

 今年の棕櫚の主日にはゲッセマネの祈りの箇所を御一緒に読もうと思っております。先回りすることになりますが、その時、イエスは神の御心を尋ねます。そして御心に沿って再び立ち上がり、十字架へと歩みを進めます。そこから考えますと主の御受難は究極的には神の御心でありました。もちろん、そこではサタンの働きや、弟子たちの不甲斐なさや不信仰が露わになるのではありますけれども、同時に、その先にある御復活は、天地の創造者である神の御心と、創造者の大いなる力とがあればこその御復活でもあるのです。サタンも、死も、創造者である神を超えて、あるいは神を差し置いて、私たちを支配することはできないのです。

 受難節の始まりに当たり、受難節の最後の場面も確認しておきましょう。十字架による処刑の現場責任者であった百人隊長は、「本当に、この人は神の子だった」と語ります。これは主の洗礼の時に、天から聞こえた声に対応しています。「あなたは私の愛する子」と神は語り掛けます。来月読みます「主の変容」の物語でも、神は弟子たちに「これは私の愛する子」と告げます。

 イエスの宣教活動は神の国の接近を告げて始まります。癒やしの奇跡は癒やしを受けた人にとっても、あるいは、その人の身内や友人の人たちにとっても、神の国の始まりでした。百人隊長がガリラヤでのイエスの活動や評判を知っていたとも思えませんけれども、彼は、主の十字架が神の国の到来を告げるものであることを正しく理解したようです。弟子が理解していないのに、ローマ人である百人隊長が理解していたと描くところに、弟子たちへのマルコの厳しい視線を見ることもできますし、現実に支配者であるローマへの遠慮というか忖度もあったのでしょうけれども、マルコは福音書全体を通して、イエスが神の子であり、イエスが神の国を人々のもたらしたことを記します。

 しかしその宣教活動は、最初にも申しましたように様々な誘惑と試練の中にありました。その誘惑に、イエスは日々の祈りによって力を得て、立ち向かい、サタンの試みに勝利するのです。

 いかなる試練も誘惑も、創造者である神の支配を超えて私たちを誘惑することはできません。私たちもイエスを信じる信仰によって誘惑や試みに立ち向かいます。

 今日の福音書と合わせて読むように示されているヘブライ書には次のように書かれております。キリストは、御自身が「試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」。

 ヘブライ書は手紙とされておりますが、実際には説教集であったようです。その説教が語られた教会は、迫害の危機に遭ったと考えられています。その状況下、先立ち行くキリストをしっかり見つめつつ、希望と忍耐を持って歩み続けることが勧められます。

 私たちの日々には、様々な誘惑があり、試練があります。誘惑や試練に苦しみ悩むその時、私たちと同じ誘惑や試練を経験され、その経験によって私たちを誘惑や試練から助け出してくださるイエスこそが、私たちと共に居てくださり、私たちを神の国へと導いてくださいます。サタンの力も、死の力も、神の国には打ち勝つことはできません。

 受難節の日々、イエスに従って歩み続けることの大切さと、イエスを見上げて歩み続けることの安らぎをあらためて心に刻み、主の御受難こそが、その平安の基であることを確かめてまいりましょう。

わたしたちの教会は、プロテスタント諸派が合同してできた日本基督教団の教会です。穏健で健全な福音主義に立っています。どのような信仰の立場の方でも歓迎いたします。しかし教会が二千年間守ってきた伝統には忠実な教会です。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。