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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2023年2月12日
降誕節第8主日 主日主題:いやすキリスト
聖書 マタイによる福音書 15章21-31節
讃美歌 520、452
「イエスの足元に」
福音書の奇跡物語を読んでおりますと、サラリと書かれた数行の間に、けっこうな時間の経過や空間の移動が含まれていることがあります。カナンの女と記される女性はイエスに叫びかけます。すぐ近くからは呼び掛けておりません。そこからだんだんと近付いてゆきます。時間の流れとしても、叫ぶ女性、黙って無視する(?)イエス、追い払おうとする弟子、追いすがる女性、イエスに願う弟子、ついにイエスが口を開き「イスラエルの失われた羊のところにしか遣わされていない」と答えるのです。
彼女は諦めません。弟子たちの囲みを突破してイエスの前にひれ伏して願います。イエスはまたしても「あなたの娘を癒やすつもりはない」と言います。イエスの言葉に彼女は機転の利いた返しをするのですが、その前に彼女の立場を考えてみましょう。
イエスと弟子たちの一行はティルスとシドンの地方に居ました。これはガリラヤでの出来事ではありません。ガリラヤの北にある海岸地方、異教徒の地での出来事です。そして彼女はカナンの女とされております。元々はガリラヤかどこかに住んでいた、しかしイスラエルの民ではない一族がティルスかシドンに移住して、そこで生まれた女性です。
イエスと弟子たちだけではなく、彼女にとってもティルスは先祖代々の土地ではなく異郷の地です。イエスにとって彼女が異邦人であるように、ティルスの人から見ても彼女は異邦人です。さらには、何かの機会にカナンに帰ってもヨソ者扱いされましょう。
そして、聖書の記された時代は現代よりも遙かに男性社会です。娘の癒やしを願って母親がイエスに願うのは尋常のことではありません。彼女のその必死さは、冒頭に記された「わたしをあわれんでください」によく現れております。病気なのは娘なのに、あわれんでほしいのは母親である自分です。彼女にとって娘の病気がいかに重大な事件であるかが窺えます。
イエスは彼女のその背景にいつ気付いたのであろうかと思います。イエスは彼女の必死な願いに対して、「パンを子犬にやってはいけない」と答えます。おそらく当時のことわざです。そこで彼女はあざやかな返しをします。必死になってはおりますけど、弟子たちから邪険にされ、イエスからも冷たくされ、それでも彼女はパニックになっておりません。彼女が返した「机の下に落ちたパンくずはいただきます」という言葉はイエスをハッとさせます。来週御一緒に読みます湖の上の弟子たちとは対照的です。
おそらく、彼女のこの言葉でイエス自身もまた変えられます。
イエスが宣教活動の最初に「天の国は近づいた」と語ったのは、本当に間近に迫っているという思いからでした。まずはイスラエルを救う、異邦人は後回しです。しかし目の前に居る異邦人によって、イエスは異邦人の救いの優先順位を少し上げるのです。
一行はガリラヤに戻ります。ガリラヤに戻った途端、またしても大勢の病人がイエスの足元に連れてこられます。イエスは人々の信仰を確認することなく、次々に癒やします。癒やしの奇跡を起こすにはイエスとてやはり大きなエネルギーを使ったことでしょう。ティルスに行ったのは、押し寄せる群衆の居ないところで弟子たちと祈りの時を持ち、必要な力をチャージしようと思ったのではないでしょうか(マルコ 7:24)。カナンの女性に冷たかったのも、今はチャージが切れているんだけどという思いがイエスの中にあったからかも知れません。
ガリラヤに戻ったイエスは多くの人を癒やします。次々に起こる奇跡を見た人々は、驚き、神を賛美します。マタイは人々が「イスラエルの神を賛美した」と記します。ガリラヤに帰ってきているのに、わざわざ「イスラエルの神」と書くのです。新共同訳のマタイ福音書には神という言葉が50回以上使われます。ザッと見たところ例外なくイスラエルの神を指しています。それなのに、ここでだけ「イスラエルの神」と記します。これは、ガリラヤに住んでいたカナン系の住民たち、つまり異邦人ではないけれども異教徒である人たちが、イスラエルの神を賛美したことを強く暗示します。
さらには、マタイ福音書はすぐ後に4000人の供食の奇跡を記します。この奇跡にも異邦人が含まれていることをマタイは暗示しています。5000人の時は残ったパンくずを集めると12の籠一杯になりました。イスラエル12部族を意味するでしょう。4000人の時は残ったパンくずを集めると7つの籠一杯になりました。天地創造物語を思わせる数字です。天地創造まで遡るのであれば、そこには異邦人も含まれることになります。
今日の奇跡物語は、イエスの救いの対象が、ガリラヤのイスラエル人から、カナン系の人々を経て、すべての人へと拡大される、そのきっかけとなった出来事になりました。その新しい展開を引き起こしたのは、カナンの女としか伝えられていない女性の、機転の利いた、粘り強い信仰でありました。
「蛇のように賢く、鳩のように素直に」(10:16)と語ったイエスの言葉はマタイだけが記します。弟子たちをガリラヤの各地に派遣した時の言葉です。カナンの女性の機転に通じるものがあります。わたしたちも、彼女のような信仰を持ちたいものです。粘り強い、機転の利いた信仰が、救いの次の展開を呼び起こすのです。
合わせて読みたい
列王記下 5:1-14、2コリント 12:1-10、詩編 103:1-13
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2023年2月5日
降誕節第7主日 主日主題:教えるキリスト
聖書 マタイによる福音書 5章17-20節(1-12&17-20)
讃美歌 58、55、81
「小さな掟」
山上の説教にはもちろんマタイの編集の手が随分と入っております。これはイエス説教集でありましょう。今日はその中でも19節の前半「これらの最も小さい掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる」を中心に、山上の説教冒頭の幸いの教えとの関連も考え合わせながら見てまいりましょう。
イエスは「律法を完成させるために来た」と言い、「律法の一点一画も消え去ることはない」とも言っております。ところが「小さい掟であっても律法の掟を破った者は天の国は入れない」とは言いません。「最も小さい者と呼ばれる」とイエスは語ります。
可能性としては、天の国に入れてもらえなかったあげくに「あいつは最も小さい者だ」と批判されることも考えられるのですが、どうやらここは、天の国には入れるけれども、そこで「最も小さい者」と呼ばれてしまうだろう、と読めるようです。
あらためて1節から読んでみますと、随所が符合しております。もちろんマタイの編集の結果であり、イエスの真性の言葉であるかは検討の余地がありますけれども、見方を変えればそこにはマタイの信仰が反映されているのです。
幸いの教えの中に2節「心の貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである」と10節「義のために迫害される人は幸いである。天の国はその人たちのものである」があります。
先程の20節も「義」と天国の関係を語ります。弟子たちの義が律法学者たちの義にまさっていなければ、天の国には入れない、とイエスは語ります。マタイの時代、キリスト教は社会の少数派でありました。神の義を守ろうとすれば、ローマ社会と幾分なりとも衝突せざるを得ない。それによってなにがし白い目で見られていたことは確実です。10節の幸いの教えを読み替えますと、「義のために迫害されている弟子たちは幸いである。天の国は弟子たちのものである」と言い換えることができます。
2節に「心の」と付け加えたのはマタイです。心の貧しい人とは何でありましょう。ルカもマタイもプトーコイ(単数形はプトーコス)というギリシャ語を使います。辞書を見ますと、最初に書かれているのが、文字通りに非常に貧しい人です。今日では使いにくい表現を使いますと、ズバリ「乞食」と出てきます。単に貧しいのではなく、その日暮らし、何も持たない貧しさを意味します。ルカは明らかにその意味で使っております。普通に貧しいぐらいですと別の単語があるのです(ペネース)。
プトーコスを辞書で見ていきますと、3番目ぐらいになって、何の助けにもならない、貧弱な、弱々しい、という意味が出てまいります。「心」はプネウマです。魂とも訳せます。心の貧しい人は魂の弱い人です。律法の教える掟を十分に守ることのできない人でありましょう。ルカ版の貧しい人も、貧しさゆえに神殿への献げ物を守ることのできない人でありました。マタイは一見よく分からない一言を付け加えてはおりますけど、天の国は律法を守れない人のために用意されている、という基本事項は変えていなかったのです。
律法の中の小さな掟を破った人は、もちろん破らないに越したことはないけれども、やはり天の国に入れるのです。そこで大事なのが、律法学者の義ではなくイエスの義を受け継いだ弟子の義であるよ、と読めるようにマタイは山上の説教というイエス説教集を編集しております。最も小さな者と呼ばれてしまうけれども、それでもイエスに従う者たちは天国に入れる。これは当時の弟子たちにとって、とても大きな安心であったことでしょう。
キリスト教は律法の中でも守らないことにした教えや掟がいくつもありました。割礼や豚肉の禁忌が一番に上がります。その意味ではキリスト教は律法から離れたと言えますが、一方で、守り切れているかどうかを別にすれば、律法の中でも基本中の基本、いわば律法の憲法である十戒は今も大切にされております。
福音書に描かれたイエスの姿を見る限り、イエスが求めたのは律法の表面的な決まり事ではなく、律法の基本にある精神であったと言えましょう。ファリサイ派に限らず、律法の掟を守ることばかりに気を取られていた人たちをイエスが批判したのは間違いありません。律法の基本にある精神を求めた、という意味において、イエスが預言者や律法を完成させるために来た、と語るのは当たっております。イエスの言葉へのマタイによる付け足しがあったとしても、それはすなわちマタイの信仰告白なのです。
では、あらためて律法の一点一画に当たるような小さな掟とは何か?と思います。具体的に律法のどの掟かを示すことはおそらくできないでしょう。むしろ、神の御心をとはどのようなものであるか、とわたしたちが自分自身に問い続け、御心に適うような生き方をしようとする、その信仰の日々の小さな積み重ねの一つ一つが、消え失せることのない律法の一点一画になってゆくのでありましょう。イエスの義を心に刻み、御心に適う生き方を目指して、日々を重ねてまいりましょう。その日々によって、わたしたちは天の国へと導かれるのです。
合わせて読みたい
イザヤ 30:18-21、1テモテ 4:4-16、詩編 119:9-16
エレミヤ 31:33-34、ヘブライ 12:2
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2023年1月29日
降誕節第6主日 主日主題:新しい神殿、祈りの家
聖書 マタイによる福音書 21章12-17節
讃美歌 210、3
「そこは祈りの家」
人間イエスを描いた本は神の子イエスを描いたものと同じくらいにたくさんありますが、その中でわたしがこれは面白いよと言って他の人に勧める本の中に『誰も知らない男』があります。
冒頭、著者のブルース・バートンは子ども時代の教会学校の思い出として、「神の小羊」とばかり言われる意味が分からず、イエスが嫌いだった、と述べています。ところが大人になって実業家として成功したとき、福音書を読み直してビックリします。そして喜怒哀楽の感情豊かなイエスの姿を描き出します。
福音書にはイエスが笑ったと書く箇所は一つもありません。本当に笑ったことがないのかな?と思います。カナの婚礼の時、あるいはザアカイの家で、イエスが笑わなかったとは思えません。
一方、ヨハネ福音書のラザロの復活物語の中では、イエスは涙を流します。新約聖書で最も短い節として有名です。
悲しむ場面はたくさんあるように思えます。奇跡物語で「憐れみ」と書かれているところも(14:14など)、心を痛めたと同じ意味である考えますと、イエスは悲しんでいるとみていいでしょう。
そして今日の、この宮清めと呼ばれる物語では、明らかにイエスは怒っております。
考えてみますと、古くはエリヤ、後にはイザヤ、エレミヤ、ホセア、アモス。こう並べていきますと、社会の有様に対して怒るのは預言者の伝統でありました。イエスが引用した「私の家は祈りの家と呼ばれる」はイザヤ書(56:7)です。イザヤ書のこの箇所は、異邦人もヤハウェの神殿にお参りするときが来るという預言ですからイザヤは怒ってはおりませんが、後半「強盗の巣」は、エレミヤ(7:11)が、神殿を批判したときに使った言葉です。エレミヤの時代、すでに神殿には「祈りの家」と言いがたい状況があり、そのことに対してエレミヤは激しく怒ります。
さて、怒りに燃えるイエスを見てと言っていいのでしょうか、癒やしの奇跡を求める人たちが集まってきます。そのような人たちは神殿の中には入れないはずじゃなかったのかな、と思いますけれども、その点は横に置いて先に進みましょう。イエスはその人たちを次々に癒やします。「不思議なわざ」と書いてあるのは癒やしの奇跡のことです。祭司長たちもまた、その様子を見て怒り出します。2000年後に物語として読むわたしたちは、癒やされた人たちが働いたら神殿に献げ物をしてくれるだろうに、その分、神殿の献げ物が増えるだろうに、と思うのですが、彼らは目の前で起こった出来事を見てカチンとくる方が早かったようです。
露骨な言い方になりますけど、神殿の中に居る両替人も、ハトを売る者も、神殿にショバ代を払って仕事をしております。祭司長たちにすれば、それを邪魔されたと思うでしょうし、自分たちがその儲けで民衆から恨まれていることは知っておりますから、嫌なところをイエスに突かれてもいるのです。
そこに、子どもたちが叫ぶ「ダビデの子にホサナ」とくれば、ガリラヤでのイエスの評判を知っていたとしても、この若造何者だ、と思います。イエスは「幼子や乳飲み子の口に、神は賛美を歌わせた」と言い返します。これは詩編(8:3)にあります。
子どもたちまでが「ダビデの子にホサナ」と叫んだのはなぜでしょうか。民衆が疎ましく思っている両替人たちを遣り込めたことも大きいと思いますが、癒やしの奇跡を目撃したことも大きいでしょう。洗礼者ヨハネとイエスとの大きな違いは癒やしの奇跡でありました。ヨハネがメシアの先駆けであるならば、癒やしの奇跡こそが先駆けとメシアとの違いであり、民衆にとってイエスがメシアであることのしるしが癒やしの奇跡でありました。
だからこそ、人々はイエスのことを「ダビデの子」と呼び、「ダビデの子にホサナ」と叫びます。こうしてみますと、メシアであるイエスの業が癒やしの奇跡であり、それに対する人々の業が賛美である。ちょうど対応しております。
まさに賛美なのです。そして、幼子や乳飲み子までが賛美を歌ったのは、祈りの家である神殿での出来事であると福音書は伝えます。言い換えますと、歌われた賛美は祈りなのです。
わたしたちの信仰生活も同じであろう、と思います。わたしたちが歌う讃美歌も、そのものが祈りであり、祈りの表現なのです。賛美歌には、神への感謝を歌うものがあり、神への願いを歌うものがあり、神の栄光をほめたたえるものがあります。嬉しいときの歌。悲しいときの歌。つらいときの歌。明るい歌。落ち込んだときの歌。一昨日はこの会堂で御葬儀がありました。悲しみの中に平安を求める歌があります。毎週のように歌っております誕生日の祝福の歌もあります。
考えてみれば、これはどれも祈りであるわけです。わたしたちが歌う賛美の歌はすべて祈りです。同時に、わたしたちが賛美の歌を歌う場所は、すべて神の神殿です。祈りの家です。
賛美の歌を祈りとして歌い続けていきたい。歌い続けてこそ、祈りは聞かれることでしょう。歌い続けてこそ、平安と祝福が与えられることでありましょう。
祈りの言葉を味わいながら、祈りの言葉を心に刻みながら、歌い続けていきましょう。主がわたしたちと共にてくださいますように。わたしたちを主の幸いの内におらせてくださいますように。
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創世記 28:10-22、使徒 7:44-50、詩編 84:2-13
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2023年1月22日
降誕節第5主日 主日主題:最初の弟子たち
聖書 マタイによる福音書 4章18-25節
讃美歌 543、402
「イエスのめぐみ」
イエスは、ヨハネが捕らえられた後、ガリラヤに戻って宣教活動を始めます。そのとき、ごく早い段階で数人の弟子を集めます。福音書から使徒言行録までを読み進みますと、弟子たちには様々な働きが託されていることが読み取れます。一番大きな働きは、目撃者となり証言者となることでした(ex.16:13-19)。
弟子たちが目立ちますのは、癒やしを求めてきた人を追い返しそうになったり(15:21-25、19:13-15)、イエスに香油を注ぐ女性に向かって無駄遣いをすると言って詰め寄ったり(26:6-13)する場面です。実際には、福音書を丁寧に読みますと、弟子たちは、地道な、目立たないイエスの協力者でありました。
時にはイエスに救いを求める人の仲介をします(ヨハネ 12:20-22)。時には派遣されて福音を伝えます。旅路を先回りして泊まるところや食料を確保する役割もありました(ルカ 9:51-56、ヨハネ 4:8)。その力を与えられて悪霊払いをしたこともありました(10:5-15)。5000人にパンを配った奇跡に際しては、人々を座らせてグループに分けたり、その人々にパンを配ったりもしております(14:17-21、15:32-38)。最後の晩餐の前には、部屋を用意してくれた人に「今夜よろしく」と伝えに行きます(26:17-19)。20世紀のミッシオ・デイ(神の宣教)は弟子たちのそのような本来の姿を取り戻すものであったと言えるかも知れません。
イエスをしたって着いて行く人たちは誰でもイエスの弟子のようなものでありました。一方で、ヨハネ福音書には途中でイエスの元を去った弟子も多く居たことが記されます(6:66-71)。その中で残ったのが、いわゆる12人であったのかも知れません。
12人が選ばれたということは、裏返せば12人以外にも弟子がたくさん居たことを示します。イエスの宣教活動のごく早い時期から多くの弟子がいたのです。だからこそイスカリオテのユダが抜けた後、ペトロは「宣教活動の最初から一緒にいた人の中から選ぶべきだ」と言えたのです(使徒 1:21-22)。
ところが12人の中の多くは名前が知られるだけであり、具体的なエピソードは福音書にも使徒言行録にも記されません。その中で、シモン・ペトロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネの4人については、彼らが元はガリラヤ湖の漁師であり、イエスから直接に「あなたたちを人間を捕る漁師にしよう」と言われて着いて行ったことが記されます。
4人がすぐに船や網を捨ててイエスに従ったのは、彼らがそれぞれにイエスの評判を既に聞いていたからでありましょう。
彼らはヨハネの弟子仲間であったのかも知れません。「天の国は近づいた」というヨハネのメッセージに共感し、ヨハネの活動を助けていたのにできなくなった。ヨハネに替わって伝道グループを立ち上げる力は自分にはない、と思っていた時にイエスから「一緒にやろうじゃないか」と声を掛けられて、着いて行った、と考えるのは無理のない想像に思えます。彼らがそのようにしてイエスの弟子となったのであれば、御子イエスが御自身で宣教される、その働きに弟子たちが協働するのですから、それは人の思いによる宣教ではありません。神の宣教への参与です。
イエスは宣教活動を始めます。「天の国が近づいた」と告げるだけではなく、最初からたくさんの癒やしの奇跡を伴う活動でありました。福音書では洗礼者ヨハネは癒やしの奇跡を起こしておりません。ヨセフスの記事によっても洗礼者ヨハネが癒やしの奇跡を起こしたとは記されておりません。ヨハネは癒やしの奇跡を起こしていないように思われます。
ヨハネの服装は預言者エリヤを思わせるものであり(列王記下 1:8)、当時、エリヤはメシアの先駆けとして現れると思われていたのでありました。エリヤは預言を語るだけではなく、癒やしの奇跡も起こしております(列王記上 17:17-24)。それなのに、メシアの先駆けとして再び現れたエリヤであるはずのヨハネが奇跡を起こしておりません。
当時の理解では、癒やされる必要のある人たちは神の救いの外に居ます。ヨハネの弟子たちの中にも、天の国が近づくのはいいけど、その人たちはどうなるのだ、という疑問を持つ人は居たのではないでしょうか。それがイエスであり、またペトロたちであったのでしょう。イエスは宣教活動の初めから癒やしの奇跡を起こしています。その力がイエスにあったことはもちろんですが、それは同時に、ヨハネが癒やしの奇跡を起こさなかったことへの、イエス自身の疑問と解答でありました。ペトロたちにとっても、ヨハネの活動に感じていたもどかしい思いへの答えでありました。
イエスが起こす癒やしの奇跡は、癒やされた人にとっての救いと恵みであるだけではなく、弟子たちにとっても、すべての人が救われることの確信に繋がるのです。その確信がまた、イエスに着いて行こうと思う弟子たちの信頼と信仰を強めていくのです。
世代を経た弟子であるわたしたちも、キリストの救いの目撃者となり、証言者となって神の宣教の働きに協働することが求められます。わたしたちの協働・宣教としては、イエスの直弟子の日常と同じように、地道にキリストを証言していくことが求められているのでありましょう。主の弟子としての日々を積み重ね、神の御計画につながることは、わたしたちにとっての恵みなのです。
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エゼキエル 2:1-3:4、黙示録 10:8-11、詩編 40:6-12
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2023年1月15日
降誕節第4主日 主日主題:宣教の開始
聖書 マタイによる福音書 4章12-17節
讃美歌 409(すくいの道を)、494(ガリラヤの風)
「天の国は近づいた」
イエスの初期のメッセージは洗礼者ヨハネの影響を強く受けております。「天の国は近づいた」という言葉は、おそらくイエス自身に遡りますし、おそらくヨハネの言葉にも遡ります。
新約聖書の中で、時代的に最も初期に書かれたのは、パウロの手紙でした。パウロ自身は主の再臨がすぐにも起こるという切迫感の中で伝道活動を続けます。その時までに1人でも多くの人に福音を伝えたいと思うからこそ、パウロは町から町へ、それも大きな町を選んで足を運びます。
ペトロたちも同じように再臨はすぐに起こると考えておりました。使徒言行録5章のアナニアとサッフィラの事件とその前後の出来事は、エルサレム教会の弟子たちが再臨は遠くないと考えていたからこそ起こるわけです。
ところが再臨はなかなか起こらない。イエスの直弟子であるペトロたちは居なくなってしまった。イエスの教えや行いをちゃんと書き残しておかなきゃ、と思うところから福音書が成立していきます。
再臨の時が来ない、近づいたはずの天の国はまだ来ない。それなのにイエスの最初の言葉として「天の国は近づいた」と福音書の初めに書かれているのです。イエス自身の言葉として大切に記憶されてきていたからでありましょう。
イエスはヨハネが捕らえられたと聞いてガリラヤに戻ります。ヨハネの洗礼を受けてすぐにガリラヤに引き返したのではない、とマタイは記します。ヨハネの弟子として一緒に活動していた時期があったのでありましょう。
洗礼者ヨハネが多くの弟子を集め、おそらくは時の領主ヘロデを批判し、そのために捕らえられ、処刑されたことはヨセフスも記しております。ただ、福音書としてはイエスがヨハネの弟子であったとあからさまに書くわけにはいきませんから「ガリラヤに退いた」と書いたのでありましょう。あるいは、ヨハネが捕まった時にヨハネの弟子集団は追い散らされたのかも知れません。
ガリラヤに帰ったイエスはナザレには戻らずカファルナウムに住み着きます。ヨハネが捕まえられたという政治的な状況の下ではヨハネの弟子であったことが知られているナザレは危険だと思ったのでしょうか。あるいは、ヨハネの元に行くにあたっては大工の仕事を捨てていきますから、マリアや弟たちとなにがし諍いのようなものがあって帰りにくかったのでしょうか。
一方、マタイが記すようにイエス自身がイザヤの預言を意識していた可能性も十分にあります。ローマの支配という闇の時代に、しかもエルサレムから見れば半分ほどは異邦人の地であったガリラヤは、イザヤの言葉を借りれば「死の陰の地」でありましたし、ガリラヤに住む人は「暗闇に住む民」でありました。そのガリラヤに「天の国は近づいた」というメッセージを届けるのは、イザヤが語ったように暗闇の中の大きな光となります。
エルサレムを含むユダヤではなく、ガリラヤでこそ語り始める意味をイエスは感じていたのでありましょう。
そして洗礼者ヨハネがヨルダン川に腰を落ち着けて「天の国は近付いた」と告げていたのに対して、イエスは最初から身軽に動き回って「天の国は近付いた」と告げて回ります。
イエスはヨハネの弟子グループの中でも広報担当であったのかも知れません。ヨハネという預言者が現れてヨルダン川で洗礼を授けている、と告げて回っていたなら、イエス自身の宣教活動がガリラヤ各地を訪ねるものであったことに結びつきます。
イエスはヨハネがヨルダン川に腰を据えていることに飽き足らない思いを抱いていたのかも知れません。天の国が近付いているのに、人が来るのを待っているだけでは時間が足りない、間に合わない、と思っていたとすれば、一人でも多くの人に告げたいと思うことでしょう。そうであれば後のパウロの精力的な伝道旅行に通じるものがあったと言えましょう。
イエス自身も宣教活動の中でだんだんと思索を深めていったところがあるようです。最初は「天の国が近づいた」と言っておりますけれども、何もしないでも天の国が来るわけではなく、天の国を神に求めなさい、ということも語られていきます。
さて、それから2000年、天の国が近づいていると語ったイエスの言葉そのものは世界中の隅々にまで知られていると言ってよいでしょう。とはいえ、本当に近づいているのでしょうか?何をもって天の国とするのか?いつ来るのか、まだ来ていないのか、といった疑問と合わせて、それらの問い掛けをキリスト教2000年の歴史は持ち続けています。それは一つまちがえれば、求め足りないのだという話になって変な方向へ行きかねない問い掛けでもあります。しかし、一方で、それらは確かに真剣な問い掛けであり、それらを問い続けることによって、わたしたちの生きているこの世界を天の国に近づける力になります。
近づいていると語ったイエスの言葉を信じて、もっと近くに来てください、もっと近くに行かせてください、と祈り求め続けたいものです。
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イザヤ 8:23b-9:3、ローマ 1:8-17、詩編 44:2-9
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2023年1月8日
降誕節第3主日 主日主題:イエスの洗礼
聖書 マタイによる福音書 3章7-17節
讃美歌 443、507、81
「聖霊と火で」
公現日の次の日曜日を主の洗礼を思い起こす主日として覚えます。公現は3人の博士によって救いが世に知らされたことを記念します。しかし彼らはエルサレムやベツレヘムでメシアについて語ったわけではなく、イエス御自身もまだ生まれたばかりです。イエスの具体的な活動の最初がヨハネの洗礼を受けることであり、「神の国は近づいた」と語り始めるのはその後です。福音書に記されるその順番に従って、教会暦も毎年を繰り返します。
ヨハネは「らくだの毛衣を着、腰の革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」と記されます。この姿は預言者エリヤを思い起こさせます。エリヤは、当時、大変に人気のあった預言者でした。人気の理由を考えますと、食べ物を増やしたり、子どもを生き返らせた奇跡があります(列王記上17章)。エリヤがバアルの預言者たちを打ち負かした奇跡があります(18章)。逃亡中のエリヤが神に直接養われます(19章)。そして、エリヤは死んだのではなく、天から降りてきた火の戦車に乗って天に昇って行った(列王記下 2章)、とされることも大きいでしょう。
ヨハネやイエスの時代、エリヤはメシアの先駆けとして再び現れる預言者とされておりました。ヨハネのイメージはそこにピッタリ当てはまります。そして、時代の空気はメシアの現れることを強く期待しておりました。
ユダヤ教にはヨハネ以前からも洗礼はありました。ヨハネ以前の洗礼は必要に応じて何回も行うものであり、感覚としては日本の禊ぎとよく似ておりました。ところがヨハネは「神の国は近づいた」という強烈なメッセージと洗礼を組み合わせ、目の前に迫る神の国に至る悔い改めの洗礼を行います。
当時の一般的な意味での洗礼を行うのは祭司や各地域の会堂の責任者でしょう。それに対して、エリヤをイメージさせる預言者が洗礼を行うところに、人生でただ一度の洗礼であることと合わせて、ヨハネのオリジナリティがあります。ヨハネの洗礼は、神の国が一方的に来るのではなく、ローマの支配に抵抗することで神の国に参加するイメージをおそらく含みます。そのあたりを按配した表現が、神の国に至る洗礼となるのです。
ヨハネも集まった民衆も、ローマの支配と、その支配に便乗している王や貴族や貴族階級のサドカイ派の祭司たちによる支配のありようが神の怒りを招いている、と思っております。
ですからヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人が洗礼を受けに来ると彼らを拒絶します。
その時、イエスが現れます。イエスとヨハネの遣り取りはマタイの信仰的な創作でありましょう。ただ、ここでイエスは大事なことを言っております。「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしい」とイエスは言います。神が人となることによって、人間としての楽しいことも苦しいことも、御子イエスはすべてを経験され、その経験の上に立って、わたしたちを導いて行かれるのです。それであれば、ここはやはり他の人と同じ土俵に立たねばなりません。近づく神の国を前に、人となられた御子イエスが他の人と同じように洗礼を受けるのは正しいことでありました。
イエスがヨハネから洗礼を受けますと、神の霊すなわち聖霊が天から降ってきます。これも大事な場面です。サムエルが油を注いだ2人の王、サウルとダビデは、油を注がれた後、どちらも神の霊が降ります(サムエル記上 10章 16章)。
現代では、3000年前のように、激しく聖霊が降ることはほぼありませんけれども、それでも洗礼式の時には、「聖霊を受けよ」と司式者は告げます。現代を生きるわたしたちにとっても、洗礼を受けることは、聖霊を受けることに繋がるのです。
ヨハネは、イエスが「聖霊と火で」洗礼を授けると語ります。歴史的にはイエス自身は洗礼を授けなかったようですが、イエスの授ける洗礼が、水の洗礼ではなく聖霊の洗礼であるという考え方は、ごく初期の弟子たちに遡ります。マタイ福音書だけではなく、4つの福音書のすべてが、イエスの洗礼は聖霊を授けるものであるとヨハネが語ったことを記します。使徒言行録ではイエスの名による洗礼で聖霊が降ることが記されます(19章)。
1年の初めにあたり、主の洗礼を覚える日曜日があることは、イエスの宣教活動に先立つヨハネの洗礼を読み直すことになります。御子キリストの受けた洗礼を読み直すことには、2つの側面がありましょう。
一つには、年の初めにあたり、わたしたち自身が自らの洗礼を思い起こし、あるいはまた信仰の友の洗礼を思い起こし、神の国に近づこうとする信仰を振り返るときです。
もう一つには、キリスト教の始まり以来、脈々と2000年続いているイエスの名による洗礼が聖霊を受けるものであることを思い起こすときでもあります。それは、わたしたちの信仰を支えているのが聖霊の働きであることをあらためて思い起こすことに繋がります。
聖霊の洗礼を受けた者として、今年も御心に適う生活を送りたいものです。主に従う生活の中にこそ、平安のあることを信じて日々を重ねてまいりましょう。
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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2023年1月1日
降誕節第2主日 主日主題:東方の学者たち
聖書 マタイによる福音書 2章1-12節
讃美歌 268、202
「その星を見て」
新年のお祝いを申し上げます。
主の祝福が豊かに続く1年でありますように。
東から占星術の学者たち(以下、博士たち)が来ます。律法は星占いを禁じております。もっとも、ローマの法律が禁じているのではありませんから、ユダヤやガリラヤに駐在するローマ兵やローマの役人たちは星占いをしていたでしょうし、その占いの結果などはエルサレムの人たちもしょっちゅう聞かされていた、と考えてもいいように思えます。つまり、星占いは禁じられてはいたけれども、ある程度身近なところにあるものでした。
さて、クリスマス物語に登場する羊飼いたちと3人の博士は、律法から見て救いの外にいあると思われていたところと、メシアを探しに行くことでは同じですが、違いもたくさんあります。
目に付く違いといたしましては、博士たちは地位もあり、財産もある人たちでした。実際には3人ではなく、メシアに献げる宝物と合わせて旅の費用やその他諸々の荷物を持つ人や、護衛の兵隊も連れてきていたとみていいでしょう。
羊飼いたちが天使によって告げ知らされたのに対して、博士たちは星のしるしを見て気付いたのでありました。その星のしるしは、彼らだけが見たのではなく多くの人が見ているはずです。
しかしながら、誰もがそのしるしを見つけてメシアを探しに行ったのではありません。わたしたちも、救い主のしるしに気付いて、探しに行き、救い主に出会いたいと思います。そのような1年になりますように。
少し視点をずらせてみましょう。
博士のお供をした人たちのことを思います。家の主人が数日落ち着かないと思ったら、仲間の星占い師たちと何やら相談を始め、旅に出ると言い出し、献げ物を始めとした準備をさせられます。どこへ行くのかと思えば、荒れ地を越えて何日も旅をします。何をしに行くのかと思えば、新しい王の誕生を祝いに行くというのです。新しい王って何?という不安もあるでしょう。旅の疲れの中、ようやく目的地が分かればユダヤ。なんでそんな田舎にわざわざ行くんだという不満も出てきます。そしてついにベツレヘムに着いて、はたして彼らはメシアを拝めたのでしょうか?
博士の留守宅を守った人はどうでしょうか。新しい王の誕生を不安に思うところは旅について行った人たちと同じでありましょう。無事に帰ってくるだろうか?という不安もあるでしょう。星占いを求めに来た人たちからは、いったいいいつ帰ってくるんだ、と責められていたかも知れません。無事に帰ってきてほしい。早く帰ってきてほしい。そのように祈っていたことでありましょう。旅の結果を聞きたい。そう願っていたことでありましょう。
そう考えますと、周りの人たちにすれば、これはずいぶんと厄介な旅でした。それでも博士たちは探しに行ったのでした。彼らのメシアへの思いの陰には、彼らを通して異邦人にも救いが広がることを示したいという神の思いがあったのでありましょう。
博士たちが星のしるしを見て気付いたところに戻りましょう。
星のしるしを多くの人が見たはずです。何かの理由で空を見上げた人であれば、気付いたかどうかは別にしても誰でもが見たはずです。マタイ福音書のクリスマス物語は、こうしてキリストの救いを異邦人にもおよぶものとして宣言します。
異邦人の代表、世界中の民の代表として博士たちが来た。そのこともキリストの救いがすべての民におよぶことを示します。そして同じく、その知らせが星のしるしとして与えられた。誰でもが見ることのできる形でしるしが与えられた。そのこともまた、キリストの救いがすべての民におよぶことのしるしでありました。マタイ福音書の最後はイエスの大伝道命令といわれる言葉で締めくくられます。イエスは弟子たちに地の果てまで福音を伝えるようにと命じます。クリスマス物語の時点で、マタイにはすでに地の果てへの福音が視野に入っていたのでありました。
その星を見たけれども気付かなかったような人にも救いはおよびます。博士たちの留守宅を守った人にも救いはおよびます。博士たちと共に苦しい旅をしたのに、おそらくは幼子キリストを見ることを許されなかったお供の人たちにも救いはおよびます。
羊飼いたちとは異なり、博士たち自身はベツレヘムの人々にもエルサレムの人々にもメシアに出会ったことを話して回る機会はありませんでした。彼らが国に帰った後も、彼らがメシアに出会ったことが、なにがし国の政策を大きく動かすようなことはなかったでしょう。
メシアであるキリストの言葉と行いを伝え、世界を大きく変えてゆくことは、生まれたばかりのメシアに会い、国に帰った博士たちではなく、キリストと共に日々を過ごしてガリラヤを歩き回った弟子たちに託されます。
キリストに出会った者として、わたしたちもまた人生の日々をキリストと共に積み重ね続けてまいりましょう。キリストの救いを信じるその信仰の歩みを、この新しい1年においても神が目に留めて祝してくださいますように。
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