2019年11月24日 降誕前節第5主日
「信仰によって義とされる」
ガラテヤの信徒への手紙 2章15~21節
「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」という言葉は、信仰者でなくても知っているほど有名です。宗教改革の中心テーマです。一言で「信仰のみ」と表現します。信仰義認の教えとも言います。神の前では異邦人であってもただイエス・キリストの福音に生きる者が義とされる。イエス・キリストへの信仰こそが問われるということです。信仰だけではだめで割礼も受けなければならないという誤った教えに対し、パウロが反対して言った言葉です。
パウロは、アンティオキアで起こった共同の食事をめぐる事件を説明することで、律法の実行によるのではなく、イエス・キリストの信仰を介してこそ、ユダヤ人であっても異邦人であっても神との正しい関係に生きることができる、それが明らかにされたと言っております。律法を守ることによってはだれも神の義を受けることはできません。しかし、では律法によらずに神と正しい関係に生きているかとなると、それを自分で証明することはできません。それは神が啓示なさいます。上から、それでいいとかこれはだめだというようにです。ところで啓示とは必ず何かを媒介にしてしか明らかにできません。神は見えないからです。神の啓示の媒介となられたのがイエス・キリストです。イエス様はご自分を信頼する人に「あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃいます。また時にはその人の思いに関係なく親や友人が示した神への信頼を見て、「あなたの罪は赦される」とおっしゃいました。肝心なのは主がお持ちになっていた、そしてそれをわたしたちにお示しになった権威と神への信頼です。わたしたちは皆、罪の中に生きておりますから、そのままでは神の栄光を受けることはできません。イエス・キリストにおける贖いを媒介にして上からの贈り物、賜物として神との正しい関係を受け取ることができるのです。
「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません」(十五節)。わたしたち現代人は差別の感覚に敏感ですから、この表現は異邦人を差別した言い方に聞こえるかもしれません。けれどもパウロはユダヤ人である誇りは持っていますが異邦人を差別しているのではありません。ユダヤ人は優れた律法の下に生まれて、自分で選択することなく信仰の世界に生きてきたと言っているのです。異邦人は律法など知りませんから、律法に従った生活はできません。ですからユダヤ人の理解では異邦人は当然罪人となります。生まれながらのユダヤ人は異邦人とは違う。
「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです」(十六節)。では、その罪人でないはずのユダヤ人は、神と正しい関係の中に生きているか、というと残念ながらそうではないのです。ユダヤ人は律法を神から与えられた「神の民」です。異邦人のような罪人、つまり神を持たない不幸な民族ではありません。ここで「わたしたちも」というのは「わたしたちユダヤ人も」という意味です。だからわたしたち、すなわちペトロもわたしパウロもユダヤ人は、これまで律法を完全に実行することによって義とされると思っていましたが、それは不可能で神の前に義とはされませんでした。律法の実行はどうしても不完全にならざるを得なかったのでした。ユダヤ人であることは何ら決定的な要素ではなかったのです。しかし今や、割礼も食事規定も関係なく、律法の実行によらず、神の前ではイエス・キリストへの信仰こそが問われ、ただキリストの福音に生きる者が義とされると知って、「わたしたちも」キリスト・イエスを信じました。こうパウロは言っております。キリスト・イエスへの信仰によって義とされる。この信仰義認の教理は西洋の歴史を変えてしまったほどの強い言葉であり、今日のわたしたちにも実に重い言葉です。この言葉についてはクリスマスの後、もう一度ご一緒に学ぶことにして、今日は十七節以下に進みます。
「もしわたしたちが、キリストによって義とされるように努めながら、自分自身も罪人であるなら、キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか。決してそうではない」(十七節)。これはユダヤ人独特の言い方でわたしたちには少し分かり難い表現です。キリストの中にあって義とされることを求めているのに、それでもわたしたちがなお罪人であるとするなら、キリストがまるで罪に仕える者ということになるではありませんか、そんなバカなことは決してありませんと言っております。「罪に仕える」を、文字に仕える、霊に仕える、死に仕える、命に仕える、といろいろ言い換えてみるとなんとなく分かるでしょうか。人間は律法を完全に守ることはできません。律法は神に対する服従を要求し、できないものを断罪します。パウロは、キリストは決してそうではなく命を与えてくださる、神の前に罪人が正しく生きることを教えておられるのだから、罪に仕えるなどありえない、決してそうではないと言いたいのです。
「もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになります」(十八節)。パウロは言います。「一度壊した建物をまた同じように建て直すのは逆行です。わたしは一度壊したものを再び建てるというような説教をしてこなかったでしょう。そんなことをすればわたしの働きは虚しく、わたし自身が違反者であると言っているようなものです」と。ガラテヤの信徒たちにあてた手紙で、逆向きに進んではならないということをパウロは繰り返しています。キリストの恵みを知ったのに、それだけではだめだ、割礼を受けなければというのは逆行です。食べてはいけないものへのこだわりは、今や過去のものとなったのに、やっぱり異邦人とは一緒に食事しないというのも逆行です。キリストの恵みを知ったのにモーセの教えに戻る、それも逆行です。ルターは神が建てた教会に人間が勝手な教えを導入してしまった中世の教会にあって、それを自分たちは壊したのに、つまり司教の教えではなく、イエス・キリストへの信仰のみと訴えたのに、教皇主義者たちがもう一度建てようとしていると批判しました。当時のカトリック教会では人は良い業をなさない限りだめだと言われておりました。ですから忙しい人は、良き業をする代わりにお札を買うというようなことをしておりました。贖宥状と言います。いわゆる免罪符です。
「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています」(十九節)。パウロは言います。「わたしは律法を真剣に学びました。頭で学んだだけではなく、律法が身に沁み込むまで、身体化するまで学びました。そのことによってキリストの到来による律法の役割の変化に気づき、逆に律法から解放されたのです」と。それを「律法によって律法に対して死んだ」と表現しています。そして「キリストと共に十字架につけられ、今なお十字架につけられています」と、これは文法でいう完了時制で語っています。過去の出来事、行為が今を規定しているときに使われる言い方です。キリストの十字架は一度だけの過去の出来事というのではなく、わたしはキリストと共にずっと十字架についている、キリストと運命を共有していると言っています。痛みを耐え忍ばねばならず、罪と激しく戦わなければならないこの世に留まっているということです。十字架は律法の克服でした。キリストによって生かされているとはどういうことでしょう、勝ち誇った感情や、優越感ではありません。宗教的な雰囲気に浸るようなものでもないのです。そうではなく十字架につけられているのです。
そこでこう続きます。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」(二十節)。ここではテーマが「キリストと共に死ぬ」から、「キリストと共に生きる」に変わっています。もはやわたしではないというときの「わたし」とは、律法に生き、キリストと関係なかったわたしです。パウロによれば、キリストを知らずに生きていたわたしは、死に属していたのです。強い表現ですね。だから今生きているのは、もはや以前のわたしではなく、キリストがわたしのうちに生きておられるとしか言いようがないのです。生まれ変わってキリストがわたしにぴったりとくっつき内に留まっておられる。わたしが今新しく生きているのはキリストがわたしのうちにあって生きておられるのだというのです。キリストとパウロは一体です。マラナ・タ教会の言い方ではわたしたちはキリストの中に生きている。キリストと一つになっているということです。もう律法は克服されたのです。裁きと死を恐れることもない。キリストに引っ付いて生きるということは、わたしの皮を脱いで、恐れから解放されてキリストと共に神の国に生きることです。平和、喜び、永遠の国に生きるのです。外から見ればまだ古いわたしが残っています。名前も顔も身長も変わっていませんが、神との関係が正しくなった以上、聖書の言い方では義とされた以上、キリストがわたしのうちに生きておられ、わたしがキリストの中に生きている。なんと素晴らしい表現でしょうか。わたしのうちに素晴らしいものがある。それはキリストのものです。しかもそれはわたしのものでもあります。パウロは特別な言い方をしています。人間の普通の言い方ではなく霊的な言い方です。こういう風に言葉で言ってくれなかったら、わたしたちも言えなかったでしょう。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と。わたしはこう覚えています、「もはやわれ生くるにあらず、キリストわがうちにありて生くるなり」と。日本では謙遜な人が褒められ、威張っている人は嫌われます。でもわたしたちは威張ってこう言えるのです。わたしはキリストの様だと。人がキリストのようになれる。何とすごいことでしょうか。それはわたしが偉いからではありません。キリストが罪あるわたしの傍に来てくださったからです。ぴったりと引っ付いてくださったからです。
「わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」というパウロの言葉は注意してご理解ください。わたしが今、現に生きているのは信仰による、その通りですが、わたしが信仰を持てばそれでいいと言っているのではありません。もしそうだとすぐに律法主義、裁きがでてきます。わたしには信仰があるがあの人には信仰がないという風に。わたしの信仰に目が行ってしまいます。「神の子に対する信仰」とは、「神の子が持っている信仰への信頼」です。信仰とは絶対的に「わたしたちの外に」あるもので、わたしたちの中から涌いてくるものではありません。与えられるものです。頑張って獲得するのではなく、信頼によって与えられるものです。それを「キリストを信じる」と言います。キリストに対する信仰は、主体はあくまでキリストの側にあります。「信仰のみ」という重要な標語も、前提に「神の愛のみ」がないと、自らの信仰を誇ってしまいます。ルターは「神の愛には関係なく信仰だ」と言ったのではなく、「良き業ではなく信仰だ」と言ったのです。信仰によって義とされる、イエス様の信仰によって、それを信頼するわたしたちが、神によって「よし」とされるのです。わたしたちの信仰なのですが、わたしたちが生み出した信仰ではありません。キリスト教会が長年にわたって陥ってきた、教派間の対立、教派内の対立、同じ教会員同士の裁きあいは、信仰を自分のものにしてしまった熱心な信徒たちによって引き起こされました。牧師と副牧師、役員と役員、聖歌隊の指揮者とオルガニスト、婦人会のボスと若きエリート婦人。たくさん見てきました。信仰が人間の心の持ちようや、他人への親切な行為と同じ次元で捉えられているからです。競い合いが起こります
「わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます」(二十一節)。繰り返し申しあげましたように、救いはわたしたちの外にあり、与えられるものです。恩寵によって与えられるもの、神の恵みです。それを拒否する、無にするのは愚かです。わたしはそんなことはしないとパウロは言います。わたしたちに確かに差し出されている恵み、罪の赦しを斥ける、それはいかにも残念なことです。聖書の言葉ではそれが罪です。神と関係が悪いことを言います。正しい関係性が生まれるのが律法によるのならば、キリストは無駄に死んだことになります。わたしたちはもちろんキリストが無駄に死んだのではないと知っています。義は律法によらないと知っています。
今は待降節の直前です。来週からアドベントです。礼拝堂にろうそくの光が燈ります。
ちょうど八十年程前、ドイツではこの時期に何人もの牧師がナチスに捕らえられ収容所に送られました。もちろん、反省の意を表すとか、今後は協力しますと言えば生き延びられたのです。あるいは自分の教会を捨てて、よその地域に引っ越しさえすれば、殺されないで済む場合もありました。ですからしぶしぶ引越した牧師も多かったのです。しかし、「もはやわれ生くるにあらず、キリストわがうちにありて生くるなり」という御言葉が身に沁み込んでいた牧師たちの中には、家族に別れを告げて、収容所に向かった人もいたのです。わたしはそんなことができるかどうか分かりませんが、何があっても礼拝する生活は続けようと思っております。もはや逆行してキリストを礼拝しない生活に戻ることは出来ません。マラナ・タ教会は後任牧師を招聘しようとしております。時に牧師交代には混乱が付きまといます。しかしどんなことがあっても信仰を見失ったり、教会を離れたりしてはなりません。主の平和が皆さんに!
祈ります。
父なる神、あなたはわたしたちをイエス・キリストの信仰によって義とし、キリストを信じる者としてくださいました。心より感謝します。どうかわたしたちにイエス様の死を無駄にしない生き方を与えてください。古いわたしが十字架で死んで、キリストの中にキリストと共に生きる者となれますよう支え導いてください。
イエス・キリストの御名を通して祈ります。アーメン。
11月24日の音声
2019年11月17日 降誕前節第6主日
「福音の真理論争」
ガラテヤの信徒への手紙 2章11~14節
初代教会が大きく発展していく過程で、ユダヤ人だけではなく大勢の異邦人がパウロの宣べ伝えたキリストの福音を信じました。その結果、キリスト教会の中にユダヤ人信徒と異邦人信徒の二つのグループが生まれてしまったということを先週聞きました。異なった文化背景と習慣を持つ人々の間に行き違いが生まれ、そのまま行き違いが深刻化しますと、福音による一致が壊れキリストの体が裂かれてしまうかもしれない危機的状況でした。もはや一つの教会ではなくなってしまうかもしれない。そういう中で、パウロとペトロはエルサレムで会談し、この危機を乗り越える合意をします。「ユダヤ人に対する使徒としてペトロに、異邦人に対する使徒としてパウロに、同じ神が働きかけられた」(八節)と、お一人の神がそれぞれの働きを起こされたと理解したのです。異邦人への伝道も神が自ら決められたものであることに同意しました。イエス様のもともとの弟子である使徒たちや弟のヤコブがパウロを受け入れたのです。初期の頃のユダヤ人キリスト者には自分たちはユダヤ教ナザレ派であるといった意識があり教会の仲間になるには割礼が必要だという考えの人が多くいましたが、この会議で異邦人がキリスト者となるのにユダヤの「割礼」を受ける必要はないという結論を出しました。エルサレム教会と、ギリシア・ローマ世界に広がった教会は、割礼の有無にかかわらず、同じイエス様の教会であって、同じ福音に生かされている教会だと理解したのです。このようなことを前回学びました。
しかし、これで分裂は避けられた、めでたしめでたしとはいかなかったことは、今日聞きました御言葉でよくわかります。「食事の仕方」をめぐってペトロとパウロが対立したのです。ユダヤ人と異邦人の一致はただ割礼のあるなしの違いを認め合うことで片付くような簡単な問題ではなかったのです。同じ食卓を囲むことが出来ませんでした。どういう事が起こったかをまず振り返ります。今日の舞台はアンティオキアです。同じ名前の町がいくつもありましたが、今日登場したアンティオキアは、エルサレムの北五百キロにあって地中海にそそぐオロンテス川の河畔にある、属州シリアの州都で、ローマ、アレクサンドリアに次ぐローマ帝国三大都市のひとつでした。ステファノの事件をきっかけに迫害を避けてエルサレムからやって来た人々も多く住んでいました。その中には「ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」(使徒言行録十一章二十節)、熱心に伝道する人もいて、教会が設立されました。異邦人も喜んで教会に迎え入れられ、アンティオキアの教会には実に様々な人たちがおりました。伝道がどんどん進んでやがて異邦人宣教の拠点となっていきます。パウロも三度ここから宣教旅行に出かけました。また、「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」(同十一章二十六節)と書かれている有名な町です。
ユダヤ人には律法の規定で食べてよいものと悪いものがありました。もし異邦人と一緒に食事をすると、知らず知らずに一度偶像に備えられた食べてはならないものをはじめ、律法で禁止されているものまで口にしてしまう恐れがありましたので、ユダヤ人は異邦人とはいっしょに食事をしない習慣でした。しかしアンティオキアではもはや異邦人とユダヤ人を区別するこの習慣を無視したようです。共に食事をしても分裂につながるような議論を引き起こすことはなかったといってよいでしょう。そういう所にペトロがやってきます。伝道がどんどん進んでいたシリアならびにキリキア地方を視察に来たのではないかと思われます。ペトロはアンティオキアの教会で熱烈に歓迎され、この地のキリスト者共同体で食事の交わりをします。皆さんで食事をしたのでしょう。エルサレムからイエス様の一番弟子と言われる人が来たのですから当然です。よくわかります。今週末からローマ法王が日本を訪問されます。大歓迎の準備が進んでいます。宣教地である日本にローマから司教が来れば大歓迎を受けます。
「さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです」(十一、十二節)。やがて少し遅れてイエス様の弟ヤコブの元からある人々がやってきます。するとペトロは異邦人とユダヤ人の共同の食事の席に着くことを止めてしまいました。「割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし」と書かれています。やってきた人々の圧力に押されたのか、あるいは説得されてやめたのかわかりませんが、態度を変化させたのです。キリスト者として律法の規定から自由になっていたのに、規範順守の姿勢に逆戻りするように見えます。このペトロの態度の変化に対しパウロは面と向かって彼を非難しました。
「そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」(十三節)と言っております。おそらく非常に目立つ行為だったでしょう。ペトロが身を引いたことはすぐに知れ渡り、あの人が止めたのなら、自分たちがそうするわけにはいかないだろうと、ほかのユダヤ人キリスト者たちも共同の食事をやめてしまいます。「ほかのユダヤ人」とありますのは、アンティオキア教会のユダヤ人信徒のことです。アンティオキアの教会が、ユダヤ人と異邦人とが混ざり合った教会であったことがここでもわかります。「心にもないことを行い」と訳されているのは「ある役を演じる」が直訳です。自分がそうではないのに、そうであるかの様に行為する、つまり偽善です。演技している、不誠実を意味します。これは実は強い言葉で、「思わず心にもないことをしてしまった」というのではなく、裏切行為、背教や神への反抗といった強い意味です。「見せかけの行い」と訳されているのも、「偽善的行為を共にする」というのが直訳です。バルナバはパウロと共にエルサレムまで出向いた人で、そのときエルサレムの主だった人たちはパウロと彼に一致の印として右手を差し出しました。あのバルナバです。最初の頃から宣教を共にしてきたパウロの後援者であり同労者です。そんなバルナバまでが引きずり込まれたのです。
「しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。『あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか』」(十四節)。五節でも「福音の真理」という言葉が出てきましたが、パウロは「真理」を神の意志と業の信頼性、キリスト者が神や人に示す「信頼」という意味で使っています。ここでペトロやバルナバ等が取った行動、態度の変化に対し、パウロは、「福音の真理にのっとっていない」「正しい行為ではない」とみんなの前でペトロを批判しました。これは単に食事規定だけの問題ではなく、キリストのもたらした律法からの自由という福音の本質から外れているという大きな問題なのです。あなたはこれまではユダヤ人ではないかのように異邦人と一緒に食事をしていた、つまり異邦人のように生活していたのに、どうして今更仲間である異邦人キリスト者を見捨てて、あなたと交わりを持つにはユダヤ人の様になるべきだとユダヤ人のように生きることを強いるのかと言っております。
パウロの指摘はおそらくこうでしょう。「異邦人キリスト者とは食事を共にしないとすると、異邦人キリスト者を教会の交わりから締め出すことになる。それを避け一緒に食事するためには、割礼を受け律法を守ってユダヤ人のように生活することが求められることになる。これでは教会の一致は、イエス様の恵みの福音によるのではなく、割礼と安息日厳守、律法による一致となってしまう。これは『福音の真理にのっとっていない」」・・。パウロの立場からすれば、律法の実践が神の民であることの前提条件であるかのようなペトロの行為は克服すべき律法主義です。パウロにとってこの論争は「真理論争」なのです。ペトロは指導者として失格であるとか、教会の中心はもはやエルサレムではなくアンティオキアであるといった主流争いのようなことではありません。古めかしいエルサレム教会と新しいアンティキア教会の対立、ペトロとパウロの論争ということでもないのです。神学論争をしているのです。福音とは何かという神学論争です。
確かに今のわたしたちの感覚でいえば、日本人の夫が韓国人である妻と仲良くキムチを食べていたのに、周りに民族主義的な日本人が来ると一緒に食事をするのをやめて、一緒に食事をしたいなら着物を着てお茶漬けにしてくれと言えば、もう離婚になるでしょう。あまりにも偏狭で自己中心ともいえます。おまけに食事規定はユダヤ人にとって割礼と共にアイデンティティそのものでしたから、この当時の状況を考えますと、エルサレムから来たユダヤ人キリス者たちが戦闘的でペトロを脅迫したとも考えられますし、食事に関する先祖からの伝統を守らないなら、あなたはユダヤ人への伝道者ではない、パウロと一緒に異邦人に伝道したらどうだと嫌味を言われたのかもしれません。あるいはこういうことをしていると、教会外から教会への攻撃に火をつけかねない。つまりエルサレムに起こりつつあった偏狭なユダヤ民族主義者との対応に苦慮していた教会がますます困ったことになるだろうと説得されたのかもしれません。教会の指導者が異邦人と共に食事をしている。やはりキリスト者というのは律法を無視するけしからん輩だという民族至上主義者による教会への攻撃を避けようとしたのではないかという解釈です。かつての日本がそうでした。キリスト者は天皇を崇めない非国民だというのと似ています。それで攻撃を避けるため、礼拝の前に皇居に向かってお辞儀をする、宮城遥拝というバカなことをしました。ペトロは誰かを欺こうとか陰険な方法で目的を遂げようとしたというのではなく、演技をしていた、自分ではそう思ってないのに、教会のためにそうした、だからバルナバもペトロの行為にそれなりの深い意味を感じ同調したとも考えられます。こういう可能性がかなりあったとわたしは思います。しかし、やはり不当なことであり、言い訳に過ぎません。神の前に不当なことは見逃せないとパウロは言っております。これは真理論争であって、いい加減にはできないのだと。
パウロが問題にしているのは福音の真理です。それが十五節以下に「信仰によって義とされる」という、あまりにも有名な言葉で語られます。次週説教がなされますが、その次十二月になりますと待降節になり待降節の間は説教箇所が旧約聖書に変わります。それでクリスマス後の年末十二月二十九日、降誕節第一主日にもう一度、「イエス・キリストの信」と題してガラテヤ書二章十五、十六節にだけに焦点を当てて説教がなされます。とても大切な事だからです。面倒な神学論争のようにお感じになるかもしれませんが、神学は、その理解によって信仰生活を根っこから変えるものです。聖書理解の原点です。牧師のなかには「神学なんかに興味はない」「人がどう新しく生きられるかだ」とうそぶいて頭を使わない人もおりますが大間違いです。神学なき聖霊体験は盲目です。もちろん聖霊体験なき神学も空虚ですが、神学理解によって人の生き方は全く変わります。聖書の読み方が人を変えます。頑固にもするし柔軟にもします。人を優しくもするし厳しくもします。明るくもするしノイローゼにもします。改革派の牧師とメソジストの牧師は雰囲気が違います。性格の違いではなく神学の違いから来ます。マラナ・タ教会は牧師が交代します。四月になると、全く違う声で福音を聞きます。目に見える違いがあります。つい比較して今度の先生はいいとか悪いとか言いがちです。前任の牧師が十年以上牧会しておりますと、慣れがありますから、新しい牧師に慣れるのに時間がかかるでしょう。こういう時比較してもいいのは「福音理解」です。聖書解釈の底に流れているものです。これは問うてもいいし、問うべきです。牧師に問うだけでなく自分はどうかとも問うてください。「先生、わたしは難しいことは分かりませんが、何十年も聖書を読んできて、どうしても先生のおっしゃるように解釈できません」と言えたら素晴らしいでしょう。これは決して牧師の人格否定でも、福音の原理否定でもありません。御言葉への真摯な態度です。教会分裂も招かないはずです。
パウロは、単にアンティオキアでこんなことがあったと言っているのではなく、ガラテヤの人々に伝えたいことがあるのです。ペトロもヤコブも立派な使徒です。しかしイエス・キリストの福音とは何かを教える誤りなき権威を持っていたとは言えないようです。これはパウロの立場からの明らかな宣言であり、福音の真理の名において彼らに反対しています。急所になるのは、「一つの福音、キリストの福音」かどうかです。わたしたちは教会の指導者に対してではなく、恵みへと招いてくださるイエス・キリストに対して責任を負っています。異邦人とユダヤ人の間に、同じ信仰者であっても壁を作ってしまうことにパウロは反対しております。先週の説教でも申し上げましたが、教会の一致は「一つの福音の上に築かれている」ということです。熱心な信仰者ほどしばしば他人に批判的、また排他的ですが、福音は多様性を認めるものです。パウロが初代教会で努力したことは異邦人がユダヤ人の様になることでも、その逆でもありません。彼が目指したのは福音による一致です。キリストを頭として、キリストの中に生きる、エン・クリストー、イン・クライストに生きることです。キリスト者の一致の基礎は、あくまでも「キリストの中に」生きることにあります。
パウロの論点は「福音のみ」です。異邦人問題はエルサレム会議で原則的には一致を見ましたが、未解決の点は多く残っていたのです。ペトロもバルナバも仲間のキリスト者への配慮から共同の食事を避けたのでしょう。熱狂的民族主義者からエルサレム教会を守るためだったかもしれません。しかしパウロは福音の理解について妥協することができませんでした。神の民に加わるのに福音以外の何かを、例えば食事規定や割礼を守ることを要求されるなら、それは間違いで必要ないと言いました。ユダヤ人の様になるか、それとも異邦人のままとどまって差別されるか、そういう決断が必要だとなるのは「福音ではない」と言ったのです。「行ってすべての民をわたしの弟子としなさい」とイエス様はおっしゃいました。この事件はキリストの教えが世界の人々に宣べ伝えられるために、通らなければならない道だったといえます。
祈ります。
父なる神、わたしどもはしばしば、教会への配慮、伝統、習慣だと言って、自分がこれまでしてきたことにこだわります。どうかわたしたちが様々な違いを乗り越え、共にイエス・キリストの中に生きることができますよう守り支えてください。これからもキリストの福音の下に一致し、同じ一つの食卓を共に囲み、信仰生活を継続できますように、お導きください。
イエス・キリストの御名を通して祈ります。アーメン。
11月17日の音声
2019年11月10日 降誕前節第7主日
「使徒とパウロの一致」
ガラテヤの信徒への手紙 2章1~10節
先週は永眠者記念礼拝でヨハネによる福音書三章から説教がなされました。今週はガラテヤ書に戻って、先々週学びましたパウロの回心に続く箇所を読んでいきたいと思います。
今日の御言葉は「その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました」(一節a)と始まりました。その後十四年とありますので、どういうことがあったのか、初めに記憶をたどっておきます。パウロは先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていた人であり、教会を迫害し滅ぼそうとしていた人でした。教会を潰してやろうとダマスコに向かう途中で、劇的に回心しキリストの福音を異邦人に告げ知らせることになる、「神が御心のままに御子イエス・キリストを示される」という経験をします。この啓示体験の後、彼はいったんアラビアに退き、そこからダマスコに戻って三年の時を過ごしたようです。この三年間は反省とさらなる学びの時として過ごしたのではないかと思われます。そして三年後になって初めて「ペトロと会うために」エルサレムに出かけていきました。十五日間にわたってペトロの元に滞在し、イエス様の弟ヤコブにも会って自分の経験をペトロとヤコブに分かち合い、これからもさらに教会のために働くことを認めてもらったようです。それまでは迫害者でしたから、突然伝道者になったといってもなかなかすべての人からは信じてもらえなかったので、教会の中心人物から承認を得たのでしょう。ペトロの同意を得てシリヤやキリキヤ地方で異邦人への宣教活動に従事しました。さて、それから十四年たった時の話です。パウロはバルナバと共にエルサレムを訪問します。回心後二度目のエルサレム訪問です。「テトスも連れて行きました」(一節b)と言っておりますから、バルナバが同労者であるのに対し、テトスは弟子であることがわかります。
再訪の目的は、「自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求める」(二節)ことです。はっきりとは書かれておりませんがパウロの伝道活動はかなりの成果を上げていたのでしょう。神の祝福の内にあったと言ってもいいのですが、無視できない課題も浮かび上がります。それは大勢の異邦人がキリストの福音を信じてキリスト者になったことで、生まれたばかりのキリスト教会の中にユダヤ人信者と、異邦人信者の二つのグループが生まれてしまったということです。このままいくと教会は異邦人が多数を占めるようになっていくのではないか。当然ユダヤの律法は無視されがちになりますし、異なった文化背景と習慣を持つ人間の間に行き違いが生まれ、やがて軋轢が生じます。そのまま放っておいて深刻化すると福音による一致が壊れ、キリストの体が裂かれてしまうかもしれません。一つの教会ではなくなってしまう。パウロは自分が神によって召されていることや、自分の見出した福音が神によってよしとされていることに自信を持っていましたが、教会としての一致が壊れてしまうことを危惧していたのです。そこで「啓示によって」(二節)、つまり神の導きで再びエルサレムに上ったのです。ペトロに呼び出されたのではありません。パウロの内的促しによるものです。もう一度ペトロたちと話をして、自分が宣教している異邦人たちと、イエス様の弟子であったユダヤ人との間に、信仰上の重大な不一致がないことを確かめる必要があったのです。そうでないと努力が無駄になるだけでなく、教会を分裂させることにもなりかねません。パウロにとってキリストの教えは、あくまでもユダヤ教から発展した、ユダヤ教の伝統を受け継ぐものでありましたから、エルサレムの使徒たちとの一致は必要欠くべからざるものだったのです。
どんな話し合いがなされたのかはわかりませんが、一つはっきりしておりますのは、割礼を受けるべきか受けなくてもいいかという問題です。異邦人がキリスト者になるとき、つまりユダヤ教の伝統を受け継ぐキリスト教の信者になるときに律法の規定に従って割礼を受けなくてもいいのかどうか、これは結論の出ていない大きな問題でした。イスラエルの人にとって神が先祖アブラハムと結んだ契約を守ることは絶対に必要なこと、決して破ることのできないものでした。創世記の十七章に、その契約に関して「男子はすべて割礼を受ける」と約束されています。外国人の奴隷も同じです。もし割礼を受けなかったら、その人は民の間から断たれる、つまり殺されても文句は言えなかったのです。それほど強い規定でした。理屈を超えて身に沁み込んだ習慣でもあります。イエス様が父と呼ばれた神はイスラエルの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神です。パウロが啓示を受けた神も同じ神です。すると、イエス様の福音を信じる者は、契約の民となるのだから割礼を受けるべきだという主張はよくわかります。けれどもパウロは、それは絶対条件ではない。異邦人は割礼を受ける必要はないと主張しました。なぜか。それは今日の聖書箇所でははっきりと触れられておりませんので説明は見送りますが、新約聖書を貫く大問題です。割礼の有無は命にかかわることなのですから、教会の中に割礼を受けているユダヤ人信徒と、割礼を受けていない異邦人信徒と二つのグループができますと、一致がくずれ、やがて教会が分裂するような対立に巻き込まれる危険性が目に見えております。そこでパウロはペテロたち教会の指導者に直接会って、異邦人キリスト者に割礼を強制する必要はないとの同意と明確な約束を得ようとしたのです。
バルナバとパウロに同行した弟子のテトスはギリシア人でした。異邦人のキリスト者です。彼らは意図的にテトスを連れて行ったのでしょう。「テトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした」(三節)と異邦人のテトスが割礼を受けるように言われなかったことを根拠に、「おもだった人たちからも強制されず、どんな義務も負わされなかった」(六節a)と、割礼についての合意ができたとしています。おもだった人々とは後で具体的に、ヤコブとケファとヨハネ(九節)と名前が出てきますが、「この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです」(六節b)と言って、大事なことは相手がイエス様の内弟子であった人かどうかよりも、エルサレムの教会と異邦人教会の間に起こりえる軋轢を解消できたことが重要なのだと主張しています。大切なのは教会の分裂を避けることです。
パウロが言う「潜り込んできた偽の兄弟たち」(四節)がどういう人かよくわかりませんが、異邦人にも割礼を強制すべきであると主張した人々であったことは確かです。パウロは、わたしたちはもはやキリスト・イエスによって自由を得ている(四節)と、律法による民族の規範からの自由を言っています。自由ですから、受けなくてはならないということでも受けてはならないということでもありません。テトスの割礼には強く反対しましたが、もう一人有名な彼の弟子テモテには逆に割礼を受けさせております。これはキリスト教がユダヤ教から分離していく大きなきっかけになりました。その後の発展の基礎でもあったのです。もし今日でも洗礼を受けるにはまず割礼を受けねばならないとすると、大勢の日本人が受洗を断念するのではないかと思います。
割礼のあるなしなどどうでもいいのではないかという声も聞かれますし、特殊なことのようにも感じますが、そうでもありません。民族のアイデンティティーとしての習慣に人は強い執着を示します。例を挙げて考えてみます。明治時代に日本が最初に国運をかけて戦かった国は清国で、十九世紀末に日清戦争を戦いました。清国は女真族の国で、この人たちは髪の毛を辮髪にします。長く伸ばして後ろに垂らすやり方です。前髪は剃ります。これはヘアースタイルではありません。髪型などどうでもいいというわけにはいかないのです。清国は数百万人の女真族が一億人以上ともいわれる漢民族を支配した国ですが、男は全員辮髪にさせられました。しなければ死刑です。前髪を切り落としますか、それとも首を切り落としますかという決断を漢民族は迫られたのです。もちろんほとんどすべての人が首を切られないように髪の毛を切ったのです。理不尽であるという主張は通りません。清には強いこだわりがありました。清国の一員となるには辮髪にする。絶対の条件です。これに似た感情があったのです。ユダヤ人ばかりであった最初の教会に異邦人が参加するなら割礼を受けろというのは、理解不可能なことではありません。
初代の教会は、割礼を受けねばならないと主張をする人々によるユダヤ教への逆行運動に悩まされたようです。パウロはこれに強く反対し、そのことが教会の分裂にならないように、バルナバとともにエルサレムに上って、ペトロたちイエス様の内弟子であった人々や、主の兄弟ヤコブといった初代教会の指導者たちと話し合いを持ったのです。結論として、ペトロは割礼を受けている人々への伝道、つまりユダヤ人への宣教が任され、パウロには割礼を受けていない人々、つまり異邦人への福音伝道が神から任されていることを、「彼らは知った」と言っています。なぜなら「割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられた」(八節)からだと、ここでもこの結論は人間が決めたのではなく、神が御自ら決められたものであることを主張しています。
エルサレムの指導者たちは、パウロの働きが神から来たものであると認め、連帯の証しとして右手を差し出しました(九節)。合意や信頼を表す行為です。握手したのか、右側に招いたのか、いずれにせよ連帯してそれぞれの宣教活動に出かけていくことになったと述べています。今パウロが行っている異邦人宣教が信任されたのです。そして割礼は必ずしも受けなくてもいいが、ただギリシア人の裕福な信者がエルサレムの貧しいユダヤ人信者のことを忘れないようにしてほしいという補足があったことを記しています。忘れないというのは目をそらさず心にとめて救援するということです。これについてパウロは、ユダヤ人、異邦人と宣教区分は違っても、経済的援助や霊的配慮を神への応答としてしっかり心掛けてきた点だと言っております(十節)。この時代ローマ帝国による迫害もあって、エルサレムの教会は、徐々に弱っていったようです。使徒言行録で学びましたように、この後コリントなどの豊かなギリシアの教会から、エルサレムの教会に多額の献金が送られることになります。
今日は、イエス様のもともとの弟子である使徒たちや弟のヤコブがパウロを受け入れ、異邦人がキリスト者となるのに割礼を受ける必要はないと結論を出したことを学びました。エルサレム教会と、ギリシア・ローマ世界に広がった教会は、同じイエス様の教会であって、同じ福音に生かされている教会だと理解したのです。しかし、これでめでたしめでたしとは行かなかったことは、このすぐあと「食事の仕方」をめぐってペトロとパウロが対立する状況が語られていることでも分かります。ユダヤ人と異邦人の一致は割礼のあるなしの違いを認め合うことで片付くような簡単な問題ではなかったのです。同じ食卓を囲むことが出来なかったのです。その点に関しては次週学びます。
ところで、エルサレムのおもだった人々とパウロが一致した福音理解とは何でしょう。大変重要なことです。わたしなりに二点に纏めてお話しします。第一の点は、教会の一致は「一つの福音の上に築かれている」ということです。キリスト者を一つにしているのは、信仰の教えについての見解が一致しているとか、同じ民族同士だからとか、よく似た社会状況の中で生活しているからという点にはありません。熱心な信仰者ほどしばしば他人に批判的、また排他的ですが、福音は多様性を認めるものです。パウロは非妥協的で独断的な人と誤解されることがありますが、彼が初代教会で努力したことは異邦人がユダヤ人の様になることでも、その逆でもありません。パウロが目指したのは福音による一致です。キリストを頭として、キリストの中に生きる、エン・クリストー、イン・クライストに生きることです。利害や人間の都合による一致ではありません。誤解されやすいのですが、他者への配慮とか、尊敬、謙虚とも少し違います。キリスト者の一致の基礎は、あくまでも「キリストの中に」生きることにあります。生来の性格の良し悪しとも関係ありません。キリストの中に生きることで、性格もよくなり、優しく謙虚にもなれるということはあるでしょうが。
第二の点は、キリストの福音の特徴は目に見える一致へと我々を押し出す力を持っているということです。観念的な一致ではありません。エルサレム教会などなくなってしまっても、小アジアやギリシアに教会があれば、それでいいのではという異邦人キリスト者もいたでしょう。パウロの伝道が進むにつれて、教会は国際色が強まっていきました。もはや母教会のユダヤ人たちが、何を言おうがわが道を行くとばかり自由に教会形成をすればいいのではと思ったかもしれません。しかし上から与えられる恵みに生きると言うなら、自分たちだけが正しいと言って分離主義、孤立主義に陥ることは許されません。目に見える一致は、長期にわたって対話し、努力してこそもたらされるものです。忍耐と努力が要ります。最近ラグビーのワールドカップで有名な言葉となりましたが、「ワンチーム」は一朝一夕にできるものではありません。日本代表チームは長い合宿と話し合い、学びで、国籍や人種の違いを認めつつ一つになれたのです。わたしたちが今手にしております新共同訳聖書も、カトリック教会とプロテスタント教会の協力で出来上がったものです。これができるためには、伝統を重んじるカトリックと聖書のみを掲げるプロテスタントが、学びを通じて歩み寄れたからです。伝統に関する理解を大きく変えないと実現出来ないのですが、カトリック教会が、教会の諸伝統の上に、最も大切な唯一の伝統である聖書、御言葉を据えたからできたことです。容易ではありませんでした。五百年近くかかったと言ってもいいでしょう。はっきり対話にかじを切ってからでも三十年近くかかっております。
今日の御言葉は、牧師が交代しようとしているマラナ・タ教会に、いくつかのことを考えさせます。古いものが新しいものに変わっていく時にはいつもそうでしょうが、相互の助け合いと参与を伴う一致の模索が必要です。一致は宣教という状況の中で生み出されます。マラナ・タ教会が一致して新しい牧師と共に歩むのに必要なのは、役員会の機能の調節や、組織運営の工夫でも、対立を避けることでもありません。問題がないこと、仲良くすれば大丈夫ということではないのです。牧師と教会員が、寛容な姿勢の中、夫婦のように具体的な形でお互いの参与を求めることです。パウロとペテロたちとの覚悟もあって、異邦人キリスト者は教会の一部となっていきました。一人一人が一つの福音に生き、上を見上げて歩みたいものです。
祈ります
父なる神、パウロたちの働きで異邦人キリスト者が教会の一部となっていったこと、わたしたちをあなたのもとに集めてくださったことを感謝します。新しい牧師を迎えようとしています。不安があります。容易に解決できないことも起こるかもしれませんが、それらを乗り越え、一つの福音の上に立ち、共にあなたを見上げて歩んでいくことができますよう支え導いてください。
イエス・キリストの御名を通して祈ります。アーメン。
11月10日の音声
2019年11月3日 降誕前節第8主日 永眠者記念礼拝
「信仰の核心」―――永遠の命に生きる
ヨハネによる福音書 3章16~21節
今日は年一度の永眠者記念の日です。帰天者とも言いますが、すでに天に召された方々を覚えて、ご遺族と共に礼拝しております。まだこの世に生きておりますわたしたちもやがて死ぬはずです。けれども信仰の先輩同様、御子イエス・キリストを信じているわたしたちは永遠の命に生かされています。今日はその「永遠の命を生きる」という約束を確認する日でもあります。
今日皆さんに聞いていただきました聖書箇所は、教会では知らない人がないくらいに有名です。特に十六節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」は教会学校で暗誦すべき箇所になっておりまして、誰もが知っている御言葉です。ところが皮肉なことですが、ここでイエス様がお話になっていることの意味は、しっかり理解されているとは思えません。よくあることですが、有名なのであまり深く考えません。何度も聞いている内になんとなくわかった気になってしまいます。牧師は理解しているけれども、信徒の方々がよく理解してないという意味ではなく、わたしのような牧師も含めて意味をあまり深く考えないのです。「神の独り子、イエス様を信じる者はひとりも滅びない」と「信じる者は滅びない」という箇所に目が行って、自分は大丈夫だが信じない君たちはわからないぞと内心思っているようなところがあります。はたしてイエス様はそういうキリスト者に都合の良い意味でおっしゃったのでしょうか。
今日の説教個所は十六節以下ですが、聖書を見ていただきますとわかりますように、これはニコデモという学者の質問に対するイエス様のお答えの一部で十節からずっと続いております。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか」と始まって、二十一節まで続きます。そこで今日は司式者に十節から朗読していただきました。またもっと後ろの方、三十一節から三十六節までの言葉も、深く関係しています。いつも申し上げますが、聖書を読むときは短い部分の拾い読みではなく、少なくとも一つの章全体は読んでいただきたいと思います。
ではまずイエス様とニコデモとのやり取りを振り返っておきましょう。ニコデモはファリサイ派に属する人で、ユダヤ人たちの議員だと紹介されています。ファリサイ派は、権力に迎合せず、宗教的に熱心な生活ぶりで、先祖の言い伝えや律法に忠実でした。議員とはユダヤの最高法院のメンバーです。つまり彼はユダヤを代表する長老の一人で、今で言えば裁判所の判事に当たります。さらに「イスラエルの教師」と呼ばれており、しかも定冠詞、英語で言うところの「ザ」がついた先生であって、あの偉大な先生というニュアンスで表現されていますから、人望もあったと思われます。現代にたとえますと、敬虔な聖書学者であって、有名大学の教授で、しかも最高裁の判事も兼ねているといったところでしょうか。宗教的にも社会的にも指導者であることは間違いなく、よく物の分かった人だったはずです。そんな人が、最近売り出し中の若い先生の所に教えを請いに出かけて行ったのです。プライドが邪魔して昼間に出かける勇気がなかったのか、あるいは周囲に配慮してか、夜こっそりとやって来ました。
ヨハネによる福音書には、ガリラヤの町カナでイエス様のなさった奇跡についての物語が出てきます。水がぶどう酒に変わったというびっくりすることが起こっております。この奇跡を著者ヨハネは「しるし」と呼んでいますが、ニコデモは、「神が共におられるのでなければ、あなたのなさるような『しるし』を誰も行なうことはできません」(二節)とイエス様のなさったことを正しく捉えています。この言葉に対してイエス様は、「はっきり言っておく。人は新たに生れなければ、神の国を見ることはできない」(三節)と答えられたのです。これは実に衝撃的な言葉です。ニコデモはイエス様のおっしゃったことを理解できませんでした。イエス様は「あなたは生まれ変わらないと、神の支配の中には生きられないよ」とおっしゃったのですが、彼は新しく生まれるという表現につまずいて、「どうしてもう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」、そんなことはできないでしょうと、物理的、肉体的な意味で考えております。イエス様は神の与えてくださる命について話しておられるのに対しニコデモは肉体の話をしているのです。当時のユダヤの考えでは肉そのものには命がなく神がフーっと息、霊を吹き込まれることによって命が与えられました。神が土の塊に吹き込んだ命、神の息、神の霊による命です。ですからイスラエルの教師であるニコデモの言葉としては滑稽でピント外れがやや強調されていますが、ギリシア文化の中にあったこの福音書の読み手であるヨハネの教会の人々の考えに合わせたのかもしれません。
「新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。では、どうすれば新たに生れることが出来るのでしょうか。それはイエス様の言葉の中にヒントがあります。つまり「新たに生まれる」と訳されている言葉は、「新しく」という意味の他に「上から」とか「再び」いうニュアンスのある言葉です。上からの神の働きによって生まれ直すという意味が込められた表現です。ですから「霊的に新しく生れる」という意味であることは間違いありません。イエス様ご自身が「はっきり言っておく。誰でも水と霊とによって生れなければ、神の国に入ることは出来ない」(五節)と説明なさっています。マタイによる福音書には「神の国」という言葉が、神の御支配という意味で何度も出てきましたが、ヨハネによる福音書ではここに出てくる二回だけです。ギリシア人たちが多かったヨハネの教会では、ギリシア文化の影響を受けた人が多く、神の国、神のご支配の到来を宣べ伝えるよりも、永遠の命を得ることに視点が移っています。
そして、「人の子も上げられねばならない」と、ご自分が十字架にかけられ復活し天に上げられることをおっしゃっています。それは「信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るため」なのです。今申し上げましたように、ヨハネによる福音書ではイエス様の使命は、神の国の到来を告げ知らせることであり、それはすなわち永遠の命を与えることなのです。
長い前置きになってしまいましたが、そしていよいよ今日の御言葉です。日本語では省略されていますが、「なぜなら」という言葉があって、前に繋がっていきます。なぜなら「神はその独り子をお与えになったほどに、この世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(十六、十七節)。なぜこの有名な御言葉が分かり難いのでしょうか、それは短い文章の中に、分かり難い言葉が立て続けに出てくるからです。「神の独り子、この世、独り子を信じる、滅びない、永遠の命、世を裁く、世が救われる」、ほとんどすべての単語、語句は聞きなれてはいるものの、意味がよく分かっているとは言えません。イエス様がおっしゃっている内容を理解するには、一つひとつの言葉にも注意が必要です。
世(コスモス)とは宇宙とか世界という言葉で、ヨハネ独特の言い方です。ヨハネはギリシア語に慣れている人で、みんなが分かるコスモスと言っておりますが、本来はアイオーンというべきでこの時代とかこの時代の人々です。イエス様はアラム語でテーベル、この時代の人々、それぞれの時の人たちとおっしゃったのではないでしょうか。時の中に生きる人です。神は「世、人々が救われることを期待しておられる」。この世を愛しておられる。おそらくこのことがニコデモはよくわからなかったのだろうと思われます。救う(ソーゾ-)、救い(ソーテリア)という単語の意味を誤解していたのではないかと思われます。イエス様は難しい言葉を使われたのではなく、易しい普通の言葉でおっしゃったのですが、それをギリシア語に翻訳したために、本来の意味が分かり難くなり、当時の教養あるユダヤ人にも、ローマ人にも分かり難かったのです。わたしたちも、あの人は救われたと聞きますと、どんな事故に遭ったのだろうか、どんな病気だったのだろうか、どんな罪を犯したのだろうかなどと思います。昔よく教会学校や青年会の修養会をしました。信州の松原湖にある同盟教団のキャンプ場を借りたり、あるいは丹後由良にある同志社中学のキャンプ場を借りたりしました。〇〇君は松原湖で救われたとか、丹後由良で救われたなどという言葉が飛び交いました。教会員でなかった母などは、ボートがひっくり返ったけれども、誰かが飛び込んで助けたのだと思っていました。
本来の救いの意味は極めて明確です。もともとは戦争に勝つことでした。敵の脅威、圧迫からの解放です。イスラエルの民にとっては、エジプト脱出時の神による危機からの救出という歴史的事実を指します。そこから後代の、バビロンからの解放とメシアによる新しい国の再建がなることを「救い」と言いました。当時「国」といえば王が支配する国のことで、国とは「王国、王の支配するところ」です。神の国とは神のご支配を意味します。ですから失われていたけれども新しく与えられる神の支配の中に生きることが救いです。わたしたちキリスト者が考えるような「罪からの救い」ではありません。救われるとは、新しい神の国ができるということです。ユダヤ人だけが救われるのではありません。世が救われる、人が救われ、時代そのもの、時が救われるのです。時間的・肉体的限界からの解放です。「時の流れ」に命が与えられるので、永遠の命に生きられるのです。
ニコデモは慎重な人で、そう簡単には考えを変えられなかったのでしょうか。神が新しいご支配をもたらそうとしておられるのだということが通じないので、さらにたとえでおっしゃいました。「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので光よりも闇の方を好んだ。それがもう裁きになっている」(十九節)。光とはイエス様ご自身のことです。イエス様が裁かれたというより、イエス様を信じるか信じないかで人々の方が分けられてしまっていて、それがもう裁きになっているとおっしゃいました。ニコデモはショックだったでしょう。若いけれども何か持っている先生だと思って訪ねてきてたら、その若い先生が、はっきり自分が光だと言ったのですから。それは言い過ぎだろう、あなたが光なのですか。あなたが神の子なのですか。ちょっと信じられません。その気持ちを察してイエス様はさらにおっしゃいます。「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために」(二十、二十一節)と。光が世に来た、この光が世に救いをもたらす。イエス様の真を受け取れば、光の方に来るので、神との関係は正しくなる。そもそも真理を行うその行為は神が導かれているとおっしゃいました。悪を行う者とは、教会の中にイエス様とは異なった教えを持ち込んで、闇を好んだ人たちです。
今日は永眠者記念礼拝です。信仰の先輩たちの写真を礼拝堂に飾っております。この写真に写っておられる方々は必ずしもわたしが今申し上げたような面倒な説明を必要となさっていなかったでしょう。素朴にイエス様を信じておられた。神がわたしたちを愛してくださっている。それはわたしたちが滅びないためなのだと理解なさっていたと思います。その通りです。真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために洗礼を受け、忠実に教会生活をなさいました。そして永遠の命に生きておられます。時代と肉体の制約を超えてわたしたちの交わりの中に生きておられます。「御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている」とありますが、信じるものと信じない者にはっきり分かれているところに意味があるのではありません。信じない者から信じる者へと変わることが勧められているのです。御子イエス・キリストを信じましょう。そして永遠の命に生きましょう。愛するものと共にそんな風に生きたいと願います。
祈ります。
父なる神、あなたの独り子、御子イエス様をわたしたちに与えてくださったことを心より感謝します。どうかわたしたちを聖霊の働きで新たに生れさせてください。イエス様が教えてくださることを信じることが出来るわたしたちに変えてください。御心が成っていきますように。わたしたちの賛美と信仰の言葉をお受け入れください。
主のみ名によって祈ります。アーメン
11月3日の音声
2019年10月27日 降誕前節第9主日
「パウロの召命」
ガラテヤの信徒への手紙 1章15~16節
ただいま司式者によって、十三節以下十七節まで朗読していただきましたが、説教箇所と致しましては十五、十六節を中心に、彼の受けた召命の意味を考えます。
イエス様がお甦りになって以降、教会が誕生し、ユダヤ教からキリスト教が分離していく過程でパウロの召命ほど大きな出来事はありませんでした。後に教会が正典として聖書を編集しましたとき、この人の書いた手紙がたくさん新約聖書の中に残されました。今は彼の書き残した言葉を御言葉、神が与えてくださった言葉として学んでおります。彼の最大の働きは、キリストの福音を異邦人に告げ知らせたことです。これによって教会の教えが、ヨーロッパ社会に広まりました。その後ヨーロッパ民族の海外進出に伴って、世界中に福音が伝わることになりました。パウロの召命という出来事は一言でいうと、「神は、はじめからパウロを選び分けて、恵みによって召し出された」ことです。別の言い方では「神が御心のままに御子をパウロに示された」ことです。本人もそう認識しております。神によるパウロの召命こそが、その後の世界歴史を動かしたのです。
わたしたちはともするとパウロの回心を、パウロというファリサイ派の学者がキリスト教の偉大な伝道者に変えられた、教会を迫害した悪い人物であったのに悔い改めてよい人になったと解釈します。間違いではありませんが、事の本質ではありません。さらに言いますと、パウロの回心とは、神を信じていなかった人が神を信じるようになったということでも、仏から神に代わったということでもありません。パウロは回心の前も後も同じ神を信じております。同じ神の新しい啓示に対し今までと違った応答をしたのです。「かつてユダヤ教徒として」と十三節でユダヤ教から距離を置く表現をしていますから、今までの民族主義に基づく自己理解から神の福音を異邦人に告げ知らせる普遍主義へと意識が大きく変わり、キリスト教のユダヤ教からの分離が見られますが、パウロが見ているのは同じ神です。神から神への深い回心です。「回心」と繰り返しましたが、心を改める改心ではありません。心を回す、回転させると書きます。向きを変えて違う方向に歩み出す。生き方の転換、質が変わることです。パウロはダマスコ途上でイエス・キリストを示されたことによって、急激な方向転換をしました。
人間的な介入ではなく一方的に神から与えられる恵みとして自分は召されたという話題に早く移りたかったのでしょう、手紙の本論に入って間もないここでパウロは自分の体験を驚くほど簡潔に書いていますが、ルカは使徒言行録九章にパウロの回心についてもう少し詳しく記述しています。突然ご復活のイエス様に声をかけられ、地に打ち倒され、三日間目が見えなくなったこと。教会の先輩が祈ってくれたら目からウロコのようなものが落ち、見えるようになって元気を取り戻したこと。それからは人が違ったかの様にキリスト教宣教のために活躍したことなどです。パウロがダマスコ途上に経験した出来事は、彼独自のものです。おそらくマラナ・タ教会のみなさん誰もが、このような経験はなさってはいないでしょう。サウロからパウロへの変革は劇的ですが、人は劇的に変わらなければならない、変わるべきだという模範ではありませんし、わたしたちも同じような経験をしなくてはならないということでもありません。しかし注意をしませんと、わたしたちは自分の回心の経験をパウロに起こった出来事に重ねて解釈したり、あるいは回心とはこうあるべきだという見本としてパウロの出来事を学んだりしますが、これはパウロの言いたいことではありません。
ルターはこの点を誤解し、歴史上、教会に大きな混乱をもたらしました。彼は修道士として敬虔に真剣に神に仕えながらも、まだ自分の罪の解決のために必要な行為を十分に果たしてないのではないかという不安にかられ日々を過ごしていました。この点、自分は律法の義に関しては非の打ち所がない、ちゃんとしていると自信満々であったパウロとは全く異なります。パウロは神からの承認を得るのに葛藤を抱くようなことはありませんでした。新約聖書にあるパウロの手紙のどこを読んでも、キリストとの出会いによって平安を得、永遠の救いを確信するようになったなどとは書かれていません。ところがある日突然十字架の赦しに気づかされ、神の深い恵みと無償の愛を知って深い罪意識から解放されたルターは、やはり劇的なこの経験をパウロの経験に重ねて理解してしまったのです。十字架の赦しに打ちのめされて起こった自分の回心は聖書に書かれていることと同じだ、人はこうあるべきだ、カトリック教会の教えは人の教えでだめだとなっていきました。このルターの回心の理解は、一部は正しいのですが大きな過ちの芽をもたらしました。カトリック教会からわたしたちの教会を離脱させ、ルターを尊敬する後代の人々に大きな誤解を与えてしまいました。
パウロは「生まれる前から神に選ばれていたのだ」と言っております。ある任務遂行のため周到に計画されていたのです。ですからパウロがご復活のイエス様に出会ったのが、父なる神がパウロにかかわられた最初の出来事ではありません。律法を専門的に学んだことも、律法の細則を守ることに情熱を傾けたことも、神の教会を迫害したことさえも、すべてが恵み深い神の見守りの中で起こったことです。そういう経験を通して時が満ちたとき、神は「御心のままに御子をパウロに啓示なさった」のです。つまり生まれる前から長い間パウロに働きかけておられた神の導きの中でのある決定的な瞬間が、イエス・キリストの啓示、パウロと主イエスの出会いであったと言えます。イエス様に偶然出会ったのではなく、神が決定なさったときに事が起こりました。パウロを招いたのは神の声、彼を捉えたのは神の御手です。すべては神の恩寵によるのです。
神に救われることは特別な人だけに起こることではありません。誰にでも起こりえます。異邦人にも起こるのです。パウロは旧約聖書を背景に持つ人です。「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が」という言葉から、パウロはエレミヤの召命やイザヤ書の苦難の僕の召命と自分の使徒としての召命と重ねて考えたのではないかと思われますが、預言者の書の中に「諸国民の預言者として立てた」(エレミヤ一章五節)、「わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とすると」(イザヤ四十九章六節)いう言葉が出てきます。また、詩編の「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ。求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし、地の果てまで、お前の領土とする」(詩編二篇七、八節)というような言葉にも、救いが普遍的に世界に広がるという視点を見出したでしょう。彼の出身地タルソスで受けたギリシア語による教育が下地になっていたのかもしれません。ユダヤ人だけでなく、ギリシア人もローマ人も万人が救われると確信したのです。
自分を導いておられる神が、キリストを十字架にかけた神であり、キリスト復活させた神であるとわかったパウロは、この啓示をキリストの十字架を福音として理解するだけではなく、異邦人にその福音を宣べ伝えるのが目的だと確信します。そこで自己を明け渡し、今までとは百八十度異なる生き方を躊躇なく始めたのです。そしてキリスト理解を深める中で、福音を異邦人に告げ知らせるという明確な目標に向かって情熱的に働き始めます。その変化を見るとき、彼が受けた啓示体験の衝撃の強さがわかります。
世界の民が救われる。それを律法(申命記)の言葉を使ってこんな風に言っております。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」(ローマ十章八節)。これが自分の宣べ伝えている信仰の言葉だと。誰の口、誰の心にもあるのです。それを口で言い表すかどうかが問われます。「実に人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して、救われるのです」(同十節)とローマの信徒に向かってそう言い切っております。
日本語ではわかりにくいのですが、「心で信じる」と訳されているところ、これは受け身で書かれております。心で信じさせられるのです。わたしが頑張って信じるというのではありません。信仰は与えられるものです。そして神との関係は正しくされていきます。義とされるのです。「口で公に言い表す」も受け身です。口で言わされるのです。俺は命がけで信仰を言い表すぞというものでもありません。口で信仰を言い表すということは言うまでもなく信仰告白をするのです。自分はこう信じていると信仰を明らかにします。自分だけひっそり信じているのではない。つまり仲間と信仰を共有します。わたしの信仰はこうだ。わたしもそうだと伝道するのです。わたしたちは毎週礼拝で信仰を公に言い表します。信仰を分かち合う。これが伝道です。駅前に立って大声で神を信じましょうと叫ぶこととは少し違います。礼拝することが伝道の第一です。パウロは、神によるキリストの啓示を受けて直ちに異邦人に伝道を開始します。キリストと出会う、それは伝道の生活の始まりです。
ですから伝道とは、わたしの救い、わたしの心の平和、神の祝福をわたしはこう確信していると語ることではありません。そうではなく、キリスト者の伝道、証を立てる業とは、報われても報われなくても言葉と行いによって神を指し示すことです。神がなさったことを指し示すことです。神がしてくださったことに満足するのではなく、恩寵に応えて生活を整えることです。パウロだけではありません。聖書の中に登場する人物を見てください。信仰によって新しく見出した喜びや平安、人生の保証などを語ってはいません。救われてどんな使命を見出したかを語っています。新しくされ新しく生きる。パウロの場合は異邦人に主の業を語り伝えました。
サウロがパウロとなっていく過程をみますと、連続と非連続の両面があるとはっきりわかります。わたしたちはどうしても彼がどれだけ変わったか、変化の方だけに目が行きます。分かり易いからです。ファリサイ派の学者で教会の迫害者から、偉大な伝道者、くじけない牧師への転換の姿と、そこで彼が新しく説いた教えです。でも彼が回心の前後で変わらなかった連続の面も理解すべき大事な点です。イエス様をキリストとして、神の御子として示された神は、アブラハムに語り掛けたイスラエルの神です。律法を与え、預言者を遣わされた神です。イエス様もパウロもユダヤ人です。連続しております。でもすべては、ただ一点、イエス様の十字架上での死が、わたしたちの罪のゆえであったということだけが新しく加わったのです。パウロは異邦人がユダヤ人のようになるために割礼を受けねばならないという考えには激しく反対しましたが、「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません」(二章十五節)と自分がユダヤ人である誇りは決して捨てませんでした。そんなパウロが、キリストに出会ってしまったのです。完全に打ちのめされて、こう言っております「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています」(フィリピの信徒への手紙 三章八節)と。
パウロがガラテヤの諸教会の信徒たちに懸命に語っているのは、「わたしはいかにしてキリスト者となったか」というような話ではありません。自分の生き方を方向転換させ以前とは正反対の方向に向かわせた革命的と言ってもいい神による出来事です。律法を注意深く守ることではなく、信仰においてのみ関係を持てるイエス・キリストとの出会いです。神が世界とその中の人々をどのように導こうとしておられかということです。これほど劇的ではなくても、わたしたちも生活していく中で経験することがあります。第一志望でなかった大学に心ならずも受かった。ある事故で道がふさがれた。こんなことは偶然だと思っていたことが、遠い先のある目標に自分を向かわせていたと知ったり、たまたま仕方なく向かった方向が、神に与えられた道だと気付いたりすることがあります。苦しみ悩んでいるときにかけられた慰めや励ましではなく、神の導きだからという運命論的あきらめでもなく、またヨブの友達のような苦難の意味の説明でもなく、ただただキリストを十字架にかけキリストを復活させられた神がわたしを導いておられると確信できることがあるのです。科学的に証明できることではありませんが、信仰によって深く肯けます。こんなとき人生に意味が生じ仕事や研究に情熱をもって取り組むことができます。
神に捕らえられていると知ることは、自分に課せられた使命を果たそうとするときに、非常に大きな支えになります。危機に直面すると人は疑いを抱き、岐路に立つと人は迷います。この人と結婚したわたしの決断は正しかったのだろうか。芸術家などではなくもっと平凡な生き方ができたのではないか。あのときああすべきだったのではなかろうか。その挙句、不確かさと疑いに包まれ、迷ってばかりいて身動きが取れなくなっていきます。しかし、これは自分で決めたのではなく神が決めてくださったことなのだと思えると重荷は驚くほど軽くなります。困難に立ち向かうのに信じられない力が涌いてきます。実に楽天的になります。困ったときでも、自分自身を笑い飛ばす感覚とユーモア、余裕を失わずにいられます。こんなに懸命にやっているのに、あの人がこう言った、この人は自分を認めてくれない、その人がああしたこうしたということが気にならなくなり、前を向いて歩めるようになります。
かつての基準はもはや意味を成しません。物事に全く違った光が当たります。この後で賛美する五〇九番、「光の子として歩みたい、イエス様に従っていきたい」こんなふうに願う生き方をしたいと思います。
祈ります。
父なる神、
パウロを用い、わたしたちにもあなたの御子を示し救いに与らせてくださったこの恵みに心より感謝致します。どうかわたしたちもあなたの栄光を現し、あなたの福音を伝えていくことができますよう導いてください。そしてこれからもあなたを見上げ、イエス様に従って歩んでいくことができますよう守り支えてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン、
10月27日の音声