聖霊降臨節説教2019

2019年10月20日 聖霊降臨節第20主日
使徒パウロ
ガラテヤの信徒への手紙 1章11~24節

パウロの生涯を決定的に変えた福音とは何かを学んでいますが、今月の予定表をご覧になった方は既にお気付きでしょうか、来週の日曜日も同じ聖書箇所から、一章十五、十六節だけに絞ってパウロの召命についてご一緒に考えたいと思っております。このように同じ個所を重ねて学ぶのは初めてのことです。わたしたちが御言葉の説教を聞くときにパウロの召命はそれほど大切な意味を持つと考えます。パウロ以外にも改宗者は大勢いるのですが、彼が受けた召命こそが教会を変えたのです。いったい説教者、牧師の権威とは何か、どこにあるのか。教会の推薦を受け教団の試験に合格した人々を、正規の手続きに従ってわたしたちは牧師として立てるのですが、そういった手続きの根底にあるものとは何かを教えられます。召命とは教会以外ではあまり聞かない特殊な言葉ですが、特に牧師になるよう呼びかけを受けることを指します。神がその人を召しておられる、呼び出しておられる、それも命を差し出すように、そういう意味で命を召すと書きます。召命を受けると当然その人の生き方は変わりますので、職業に就くときにも使います。また洗礼を受けキリスト者として生きるよう神に招かれることも広い意味では召命です。

パウロは自分が使徒となったいきさつ、使徒として召命を受けたことをガラテヤの信徒たちに説明をしております。なぜそんな必要があったのでしょうか。単なる自己紹介ではないようです。ペトロやヤコブとは違いパウロは漁師ではありません。律法学者でした。それもエース級の若者でした。そういう人がキリスト者になりました。神の教えを説くのにわざわざ自分の正統性を説明する必要があったでしょうか。イエス様の仲間ではありませんでしたが、だれが見ても教師です。よく聞くのは、パウロの敵対者がパウロという人はイエス様の弟子ではなかった、それだけではなく以前は迫害者であった、そんな人の言うことは信用ならないと宣伝していたので弁明しているという考えです。使徒ではないという批判に対して、いや使徒職にあるのだと反論しているという理解です。しかし、そんなことで自伝的論述をする必要性があったでしょうか。確かに先週読みましたように、キリストの福音をすり替えて歪曲しようとした人々はいました。パウロを攻撃したことでしょう。しかしパウロがここで自分の過去を語っているのは、そういう人々に対する反論のためではありません。わたしはこう思います。「現代聖書註解」という説教者がよく読んでいる註解書シリーズで、ガラテヤ書を担当しているカウザーも同じ意見ですが、パウロは「一つの福音」を強調し、特に割礼の問題も含めて福音は神からのものであり、神の力として機能するのだと言いたいから、その主張を裏付けるために自分の過去の歩みを回顧する必要があったのです。急所は福音にあります。自分も使徒の一人なのだとか、ペトロなんて大したことはなく自分の方が優れた使徒だとか言いたいのでも、使徒とはいったい何か、誰が使徒で誰がそうでないのか説明したいのでもありません。牧師が持っている力、権威は「一つの福音」、神の権威から出ていると言いたいのです。パウロの問題意識は正統性ではなく、その力の根源、権威がどこから来ているのかということです。

それではパウロが自分の主張が正しいことを裏付けるため、どのように自分の過去の歩みを振り返っていったかを見ていきましょう。

「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」(十一、十二節)。パウロは兄弟たち、という呼びかけに続けて「あなたがたにはっきり言います」と、今から言うことは非常に重要なことであるのでしっかり聞いてくださいという言い回しを使って聴衆の注意を引いています。そして自分が告げ知らせた福音は人によらない、つまり、人間的なものではないと人的権威を否定し、イエス・キリストの啓示を通して知らされたと言います。ここでパウロはギリシア語では普通省略される「わたしは」を明記することで、知らされたのは他でもないこの「わたし」であることを強調しています。本論の開始部分でもこのように挨拶の初めと同じく、パウロは自分の福音が人の権威によるものではなく神の権威によるものであるとはっきりと宣言しています。

「あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました」 (十三節)。パウロは召命以前、自分がユダヤ教徒としてどのように行動してきたかを聞いているでしょうと語っています。徹底的にというのはステファノの殺害のことを思い出していたのかもしれません。神の教会を迫害したと教会に「神の」を付けて、この迫害が神への反逆であったと強調しています。ここで「かつてユダヤ教徒として」とユダヤ教から距離を置く表現をしていますが、キリスト教がユダヤ教の一派ではなく、完全に分離していくことを示しています。

「また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」(十四節)と、パウロは書かれた律法だけではなく先祖から口伝えされていた「伝承」をも誰にも負けないくらい熱心に守り、ユダヤ教に徹していたと顧みています。自分を誇っているようにも聞こえますが、これはこの後起こった事件が、パウロの意志を越えたものであることを一層際立たせています。神の御心によるものであるということです。

そして「しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき」(十五、十六a節)と続けますが、これは預言者イザヤやエレミヤの召命記事を思い起こさせます。イザヤ書の「わたしを母の胎内にあるときから選び分け」「主は母の胎にあるわたしを呼び、母の腹にあるわたしの名を呼ばれた」(イザヤ四十九章一節)や、エレミヤ書の「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」(エレミヤ一章五節)です。パウロも自分の使徒としての召命と重ねて考えたのではないでしょうか。この後もまた、一方的に神から与えられる恵みとして、自分は召されたと確認しています。神の子キリストとの出会いによって福音を受け取ったと言い、この啓示はキリストの十字架を福音として異邦人に宣べ伝えるのが目的であったと記しています。この点については来週もう一度ご一緒に考えることにします。

「わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした」(十六b、十七節)。パウロは肉という言葉をよく用いますが、血肉、「肉と血」は神との対比で身体的、時間的制限のある人間を意味します。必ずしも親兄弟のことではありません。わたしより先に使徒として召された人たちと言っていますが、先輩という意味ではなくただ単に時間的に先であるという意味です。ここでもパウロが語っているのは自分の使徒職の独自性で、エルサレムの使徒たちつまり人間的権威にはよっていないということです。ですから会いに行こうとせず、むしろ、アラビアに退いたのです。パウロがいうアラビアとは、パレスチナの東から南にかけての広大なエリアで、ナバテア王国の北部を指したようです。エルサレムに「上る」、アラビアに「退く」、とそんな感覚です。アラビアから再びダマスコに戻ったとありますから、アラビアに退く前はダマスコにいたようです。回心・召命の出来事がダマスコで起こったと伝える使徒言行録の記事と一致します。

「それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません」(十八~二十節)。アラビアに退きエルサレムに行くまで三年かけたと言っていますが、このことには注意が必要です。この間パウロは自分を立て直し、異邦人宣教という新たな勤めを考察し、どの程度かは不明ですが実際に宣教活動に従事したものと思われます。そしてイエス・キリストの啓示から十分な時間が経ち、自分の受け取った福音を確立した後にエルサレムに上ったとパウロは表明しているのです。これが聖書に出てくるパウロにとっての最初のエルサレム訪問です。「ケファと知り合いになろうとして」というのは、知り合いになるのが目的で、公の働きとして啓示に対する助言を求めに行ったのではないということでしょう。ケファとはアラム語の岩ケーファーの音訳で、ギリシア語ではペトロです。もともとはイエス様がシモンにつけられたあだ名です。十五日間滞在しましたと書かれていますが、これも短期間であり、自分の語る福音の神的権威がケファによって揺るがないということの確認です。そしてこの後パウロは唐突に神を引き合いに出してまで、うそをついているのではありませんと自分の言葉の信憑性を強調します。

「その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました」(二十一~二十四節)。キリキアは東部にパウロの出生地タルソスがある地方です。パウロの劇的な方向転換は、ユダヤの諸教会のキリスト者たちに大きな驚きと衝撃を与えました。神に背いた者、罪を犯した者が悔い改める、そういうことでは全くないのです。ルターとはずいぶん違います。パウロは熱狂的ユダヤ教伝統主義のエリート青年として自分を誇り、徹底してキリスト教会を迫害していました。そんな人間が、イエス様をメシアとして認め、今度は福音の熱心な宣教者となるなどということは、普通考えられません。人の予想を超えた出来事です。ご復活のイエス様に出会ったのです。すべては神の恵みによるとしか思えません。そこに神の働きを見たユダヤの諸教会の人々は、顔見知りでもなかったのに、パウロのことで神をほめたたえたのです。

今の社会では正統性こそが問われます。わたしも若いころは百%そうでした。正規の手続きを経て牧師となった人物には、その人柄に寄らず、説教をする力、その職務を遂行する力がある。だから信徒であるわたしは牧師を助けて役員として牧会に参加しようと考え実行しました。しかしパウロは二千年前の人です。だれも教師試験など受けていません。ですからパウロは彼の正統性を問う者を問題にしているのではなく、パウロの権威を疑う者に対して反論しております。彼が問題にしているのは、教会が福音に服従しているかどうか、そういう視点での教会一致です。ガラテヤの教会とエルサレムの教会が共に神の教会であるのかどうかです。わたしは異なった教派・教団の牧師たちと勉強会を続けております。カトリックの司祭も何度かこの教会に来られましたし、ロシア正教の神父も来ました。ただお招きしたというよりも、親しくして学びを続けております。同じ神の教会だと思えるからです。そういう意味で教会一致の運動に積極的です。このことを批判なさる方もいらっしゃいます。カトリックと仲良くするなんてけしからんと。自己の正統性を強調すればそうかもしれませんが、そこにこだわれば、福音による一致、「一つの福音」はありえません。

マラナ・タ教会は牧師の招聘という難しい問題に直面しております。候補者は当たり前ですが全員が正規の手続きを経て教団教師となった、正統な者ばかりです。正統な者なのにある方はお断りをし、ある候補者を受け入れます。それは過去教団が正統性だけを表面的に追求し、どんな人であっても牧師にした大失敗の三十年を過ごしたからです。正統性はとても大事な要素ですが、それだけでなく福音に生きる人であるかどうかが問われます。牧師の招聘は教会の自己都合であってはなりません。自分たちの言うことを聞いてくれそうな人当たりの良い、親切そうな人物を選ぶのでもありません。「福音を説く」ことによって神からの召命を明らかにすることのできる人をお迎えします。教会員の皆さんや役員会の決定が候補者に権威を与えるのではなく、権威は正しく福音を語ることによって神から与えられるのです。具体的に申し上げます。このようなことを高壇から申し上げるのは初めてであり、今後はもうないと思いますが、あえて申し上げておきます。

まず牧師はクリスチャンであって、神から召しを受けている確信を持ち、それを教会が承認して、試験を受けて一定の才能、知識があると明らかになっていることが前提です。まずこの前提をよく確かめなくてはなりません。牧師職は仕事であるだけでなく召命です。次に、ここからがさらに重要なのですが、福音に生かされる姿勢が問われます、よく祈る人であること、人格的な誠実さを持つこと、他人の行動を理解できること、継続して信仰を学び自己を解放して学びを分かち合うことができる人です。そのために肉体と意志、生活の姿勢がばらばらでなく自己統合ができていることです。お前はどうかと言われそうですが、これらの点について、百点ではなくても六十点以上でないといけません。これは良い会社員を雇うこととは全く視点が異なります。能力がすべてではありません。使徒の務めは厳しいのです。しかし、厳しい面ばかりではありません。聖書を読み神に仕えることを仕事とできる喜びがあります。そして神を見上げ同じ方向に向かって教会と共にまた信徒の皆さんと共に歩む感動があります。牧師を選ぶのは結婚と似ています。決めるまでは両目を開いて福音とマラナ・タ教会にふさわしいかどうかをよく見て祈り、決まった後は、片目をつぶって支え合い、互いに敬愛し祈りあって歩んで行きます。どんな方が来られても、福音に適って決まればそれが御心です。福音を体であらわすことのできる人を祈り求めましょう。

 

祈ります。
父なる神、マラナ・タ教会の方針を受け継ぎながら新しく変えていき、教会員と共に五十周年を祝うことのできる牧師を与えてください。この枚方の地に生活の根を下ろし、この地で伝道、牧会出来る牧師をお与えください。わたしたちが新しい牧師を愛し、共に福音のために働けますように。どうかこの教会が御心にかなった教会としてこれからも成長していけますよう守り導いてください。
主のみ名によって祈ります。アーメン。

10月20日の音声

 
 
2019年10月13日 聖霊降臨節第19主日
「他の福音はない」
ガラテヤの信徒への手紙 1章6~10節

先週、面白い言葉を目にしました。「光ある、ところで見れば、傷ばかり」。五七五の川柳みたいですが、傷だらけのラグビー選手ではなくある婦人のつぶやきです。続きがありまして、「ガラスと父と、このわたし」、短歌のようになっています。初めは笑ってしまいました。我が家の安いコップと呑兵衛でだらしない愛すべき父を思い出したからですが、しかし三つ目が「このわたし」です。ウームと考え込みました。なるほど、親父をバカにしていたこのわたしはどうだろうか。牧師交代のこの時期に、先週からガラテヤ書に取り組んでいて、毎日教会と牧師のことばかり考えていますので、ついわたしたちの教会員、牧師のわたしや後任者はどうかと考えてしまいました。置かれている位置を変えて明るいところで見るだけで物事の本質が見えてくることがあります。

さてわたしたちは先週からガラテヤの信徒への手紙を読み始めました。先週はこの手紙の挨拶部に当たるところでした。第一に発信人の名前、次に受信人の名前、そして短い挨拶というのがこの頃の書簡の定形ですが、その通りになっていて、パウロ及びパウロと一緒にいる兄弟一同からガラテヤの諸教会へ向けての手紙であることが書かれ、続けて恵みと平和の願いを込めた頌栄が書かれていました。そして、この短い挨拶部の中に、パウロを使徒として任命されたのはキリストを復活させられた父なる神であること、つまり、自分の使徒職は神の権威に根拠があること、またこの手紙の内容が教会で共有されている公同的性格を持つことを語ると同時に、パウロの福音、「キリストはわたしたちの神であり父であるお方の御心に従ってわたしたちの罪のために死なれたこと」、出来事の主導権は神にあり、神の慈愛によって今の悪い時代は過ぎ去り、わたしたちは新しい時代へ向かって救出されようとしていることをはっきり語っておりました。

そして、今日の箇所に入ります。「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」(六節)。手紙の本文を始めるにあたって、パウロは冒頭に通常書かれる神への祈りや感謝を書くのではなく、わたしはあきれ果てていますと言って、ガラテヤの信徒たちが本来あるべき状態から離れてしまっていることを露骨に非難しています。原因は明らかです。彼らがほかの福音に乗り換えようとしたからです。こんなにも早く離れてとガラテヤの人々のもろさに驚いています。乗り換えようとしているとありますから、パウロはまだガラテヤの人々が乗り変えてしまったと嘆いているわけではありません。パウロの教えとは異なった教えを説く伝道者が来て、異なる福音を説いた。どちらが正しいのか。他の何かではありません。福音の本質にかかわることです。ちょっとした牧会の仕方の違いとか、人付き合いの上での親切さの違いではないのです。前の牧師と今の牧師が違うことを主張すれば、教会の人たちは混乱します。他の福音に乗り換えようとしている、今まさに進行中の出来事です。取り返しのつかないところまでいってしまったのではないけれどもじわじわと広がってきている。だからパウロは一刻でも早く彼らを説得し引き戻したいと思っているのです。挨拶もそこそこに、単刀直入に語っていることから、パウロの切羽詰まった様子が見て取れます。

「ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです」(七節)。ここでパウロは「ほかの福音」と言ったことについて、キリストの福音以外の福音があるかのように間違えることがないよう、はっきりもう一つ別の福音があるわけではない、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないと明言しています。惑わすという言葉を使って、他の福音を説いているのが害を及ぼす者であることを表しています。又覆すという言葉で、その人々がキリストの福音をすり替えてしまおうとしている、歪曲していると言っています。

「しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい」(八、九節)。パウロはここで、誰であれ自分が伝えた福音に反する内容を告げ知らせる者に対する呪いを述べています。申命記に「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう」(申命記二十八章一節)。「もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう」(同十五節)とあります。パウロが繰り返して言っている「呪われるがよい」という言葉は、神の裁きに委ねるという旧約以来の伝統の言葉です。この言葉だけから見ても、パウロと後から来た宣教者たちの間には人の力では解決できない対立があったことがわかります。また敵対者だけではなく、天使さえも福音ならざるものを語れば呪いの対象だとまでオーバーに言ったのは、自分の宣べ伝えた福音こそが真実であり、唯一であり、絶対であるという確信があったからでしょう。

「こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」(十節)。パウロはローマの信徒への手紙でも「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――」 (ローマ 一章一節) と始め、まず初めに自分が「キリストの僕」であると書いています。ですからパウロの答えは、自分がこのようにしているのは神を喜ばせるためであり、人に取り入るためではないということです。「もし、今なお人の気に入ろうとしているなら」という言い方は、パウロ自身が人の気に入ろうとしているのではないとはっきり認識していることを示しています。今なおというのは、かつてのファリサイ派の一員としての自分の振舞と回心によるそのようなかつての振舞からの離脱を思ってのことでしょう。以前はそうだったのかもしれない。これは、おそらく敵対者がパウロを非難するため使った言葉を逆手にとって反論しているように思えます。敵対者はパウロが人々の気に入るようなことを言っていると言ったのでしょう。つまり、後で出てきますが、律法からの自由を説くパウロを訴えて、「もう律法を守らなくてもよい、それは何とも安易なやり方だ、律法が要らないなんてそんなバカなことはない。パウロは人の気に入るような誤った福音をこびへつらって説いている」。そういう批判があったであろうことが窺えます。パウロにとっては、福音により人を説得することが目的ではなく、神の御旨に従って託された宣教の務めを果たし、神に仕えることが最終目的でしたから、気に入られる必要はなかったのです。そこでわざわざ「人の気に入ろうとしているのではない」と主張します。

今日聞きました箇所には、「キリストの福音」とは何か明確には書かれておりませんし、またほかの宣教者がどの様にパウロの宣べ伝えた福音を覆そうとしているのかも明確ではありません。しかし教会が教会としてやって行けるかどうかという重要な問題なのだろうということは推測できます。パウロがキリストの福音をどう捉えていたのか、ローマの信徒への手紙を参考に、この手紙をしっかり読んで理解していきたいと思っています。キリストの福音とパウロの自己理解は密接に関係しています。パウロの自己理解については、先週聞いた自己紹介でパウロが言っていた、神によって使徒とされたことと、自分を変える改宗経験がイエス様との出会いであったこと、この二点から想像できます。また、この人のイエス様との出会いは使徒言行録に詳しく描かれていますが、簡単に言いますと、イエス様に出会うことで本当に救われ、解放された。その結果、福音の僕となり、福音宣教に派遣されて、キリストの福音にふさわしく生きるようになれたということでしょう。パウロはキリストの福音によって救われたと確信しています。

もしキリストの福音が、パウロ同様に他の人をも救うのなら、その内容は人類すべてを救うもののはずです。逆に言えば、キリストの福音を知らなければ人は滅びる。分かり易く言えば死ぬことになります。新約聖書全体の主題でもありますが、福音の核心はイエス様の十字架での死と復活にあります。普通自分を変えるような大きな出来事に出会いますと、人はそれが何であったのか熱心に語ります。特にそれがある人物との出会いであれば、その人から聞いた教えや、受けた人格的影響を語ります。父親であったり、学校の先生であったり、会社の上司だったりします。しかしパウロは肉におけるキリストを知りません。生前のイエス様に出会っておりません。それでも死と復活の事実を知って、肉におけるキリストとの出会いがないことなどまるで関係ないほどの衝撃を受けたのです。キリストが自分に代わって死んでくださった。そのことによって自分は生かされている。そしてそのキリストを父なる神は復活させられた。だからわたしたちは「復活の命の中に救われる」のだということです。ですから自分を召されたのは、「キリストを死者の中から復活させた父である神」(一節)であると言ったのでしょう。キリストの十字架での死と復活が、キリストの福音の中身です。わたしたちはキリストが死んでお甦りになったと信じています。死をもって死を滅ぼし、墓の中にいる者に命をくださったと信じています。人はキリストの死と復活の出来事に参与できるのです。

では福音を覆すとはどういうことでしょうか。イエス様の死と復活を信じないことでしょうか。もしそうであれば分かり易いのですが、そうではありません。重要な、無視できない違いは、十字架の死に何かを付け加えることにあります。後で出てきますが、ここで問題になっているのはこれまでの伝統、これまでの信仰の核心を捨てられないことです。具体的にはたった一点の違いです。割礼を受けることが絶対に必要かどうかです。ただひたすらにイエス様の贖いに与るのか、それとも律法の規定にも従って、割礼は異邦人であっても受けねばならないのか。この割礼の問題です。パウロ自身ユダヤ人信徒との軋轢を避けるため、弟子のテモテに割礼を受けさせました。また、わざわざエルサレムの神殿に行って清めの儀式にも参加しております。決して律法を軽視しているのではありません。律法などどうでもいいのだということではなく、あくまでもそれが救いの条件とはならないと言っているのです。キリストの十字架の死は、わたしたちの救いの絶対的、百パーセントの根拠であると言い、そのことを否定するなと言っているのです。これは些細な違いのようにも感じますが、救いについて絶対に譲れない点なのです。

キリストの十字架の死が、わたしたちの救いの絶対的、百パーセントの根拠にはならない、人の側にまだもっと何かが必要だという主張は、歴史の中で繰り返し現れます。近代になってもそれは続き、このマラナ・タ教会でも、つい二十年程前にありました。礼拝し、祈り賛美する、それでもなんとなく教会に力がないような気がする、信徒の数は増えない。それは聖霊の働きが十分ではないからだというのです。歴史上何度も教会に現れた「聖霊による刷新」運動です。カリスマ運動です。強い感動があります。人々は動かされます。キリストの十字架の死にほんの少し付け足さないといけない。それがわたしたちの興奮です。熱狂です。祈ればバタンと地に倒れる。ある人は泣き叫ぶ。それが必要だと言うのです。近代では二十世紀の初めから世界中の教会でこの運動が巻き起こり、教会は分裂しました。この運動はある意味でとても魅力的だったのです。しかし、キリストの福音だけに集中できません。自分が納得できる感動を「聖霊の働き」と呼びました。パウロは人による何かを付け加えることを違うと言っているのです。

キリストの福音に、分かり易い行為を付け加えることに対して、パウロは強い感情の高ぶりがあったのでしょう、それは違うと強く言っております。「あなたが割礼を受けているかどうか、それは大切なことではない。最も大切なのは、『神の恵みにあずかること』。恵みがすべてに優先する。あなたがこんなことをした、あんなことをしているというのではなく、神があなたを義となさる、つまり神との関係を正しくしてくださるのだ。あなたの行為ではない。恵みは律法によって決定されているのではなく、つまりユダヤ人でなくてもユダヤ人であっても『信仰によって受け取るものだ』」と、教えています。そして信仰への神の招きも、行いにはよらず恵みによると教えています。ではこれまであんなに大切だった律法の意味、その機能は何だったのかという深刻な問いが出てきます。この問いに対する答えをパウロは旧約聖書から導こうとしています。わたしたちの信仰に置き換えていえば、神の恵みに与るのはクリスチャンだけなのか、それともそうではない人も含まれるのかということです。パウロはユダヤ人以外も含まれると考えています。ではわたしたちの信仰はいったいどうなるのでしょう。聖書を読まなくてもいいのか。祈らなくてもいいのか。礼拝しなくてもいいのか。大変深刻な問いの前に立たされます。

難しい問題ですが、福音という言葉に鍵があります。福音というのは当時政治的な朗報を意味していました。ローマ皇帝の誕生や即位、戦いでの勝利、これから平和になるぞと伝える良い知らせだったのです。この「良い知らせ 福音 εὐαγγέλιον」という言葉をパウロは積極的に用いました。こういう使い方をするにはイザヤ書の背景がありました。「高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ、良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな、ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神」(イザヤ書 四十章九節)、「わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」(イザヤ書 六十一章一節)。パウロの福音を聞いた人々は、この言葉と重ね合わせて、「キリストという福音」こそ世界に救いと平和をもたらす良い知らせと聞いたに違いありません。わたしたちもこの世界に救いと平和をもたらす良い知らせを聞いているのです。ここを聞き逃すと小さな傷が拡大し、すぐ傷ばかりになります。しっかり受け止めようではありませんか。


祈ります。
父なる神、あなたは、わたしたちがこんなこと、あんなことをしたからではなく、まったく代価なしに、キリストの十字架によってあなたとの関係を正しくし、わたしたちをキリストの中においてくださいました。この恵みを喜び、感謝して受け取ることができますようお支えください。そしてキリストと共に歩み続けることができますよう守り導いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

10月13日の音声

 
 
2019年10月6日 聖霊降臨節第18主日
神によって立つ
ガラテヤの信徒への手紙 1章1~5節

十月になりました。十月はプロテスタント教会の始まり、宗教改革を覚える時です。今月末が宗教改革記念日です。加えてマラナ・タ教会では先月創立四十一周年を祝ったばかりです。わたしたちのプロテスタント教会、マラナ・タ教会が、何によって立っているのか、その信仰の原点を問い、また問われるときであります。とりわけマラナ・タ教会は来年春牧師交代を控えております。どうしても教会とは何か、伝道者とは何か、牧師と信徒の関係はどうあるべきかなど、大切なことが一人一人に問われております。そういう大事な時にちょうどマタイによる福音書の連続講解説教が終わりました。マタイの次に何を読むべきか、書簡にしたいという思いはもっていましたが、どの書簡がいいのか、わたしは今年の初めから半年以上祈ってきました。初めはエフェソ書を読もうと思いました。次にローマ書はどうかと考えました。信仰と教会の基本に立ち返ることが求められる書簡だからです。しかしいくつかの理由でガラテヤ書を読むことにしました。この書簡をご一緒に読むうちにだんだんと今読むにふさわしいと納得できるのではないかと思います。

これから来年の三月までの半年の間に、二千年前にパウロがガラテヤの信徒にあてた手紙で述べたことをできるだけ正しく理解し、そこから今のわたしたちの教会と現代の世界に対して、時の流れを超えて語られている内容を聞き取りたいと願っています。併せて現代の読者であるわたしたちが、今日の信仰と礼拝生活に関して解決すべき問題を解く手がかりを見つけることが大切になります。そのためには、まずこの手紙を受け取ったガラテヤの人々が当時どんなふうにこの手紙を読んだのかが明らかにされなくてはなりません。そこに大きな助けになるのが宗教改革者がこの手紙から何を聞き取ったのかという歴史的経過との対話です。特にルターはこの手紙が十六世紀の教会に直接かかわる重大なメッセージを語っているとして、膨大な註解書を残しております。新約聖書が今のような形になる前、福音書と使徒書(使徒による書簡)に分類されていた古代にはガラテヤの信徒への手紙が最も重要な書簡として使徒書冒頭に置かれていました。

では初めにこの手紙が、いつ、どこで、だれが、だれに書いたものか、わたしたちの共通理解を持っておきたいと思います。

まず著者についてです。この手紙はパウロが書いたとはっきり出だしに書かれておりますし、教会の初期の伝承によりますとこの手紙が本当にパウロの手紙かどうかと議論された形跡はありません。特に六章十一節を見ますと、「こんなに大きな字で、自分の手で書いています」とありますから、パウロの手紙と考えてよいでしょう。次に宛先のガラテヤとはどこか、手紙の受取人がどこに住んでいる人かについては、古くからのガラテヤ地方の人々か、それともローマ属州となったもっと広いガラテヤ地方なのか、諸説あります。パウロが手紙を送ったガラテヤとはどこかは、この手紙の中身を理解するのにあまり大きな影響はないと思いますので、ここでは小アジア中央の比較的狭い地方としておきたいと思います。聖書の裏の地図(九)「パウロのローマへの旅」をご覧ください。ガラテヤとあるのがすぐに見つかります。今のトルコ中央部です。次に「いつ」書かれたかです。どういう背景でこの手紙が書かれているのかがわかると、手紙の送り手であるパウロとガラテヤ地方の諸教会との関係性を理解するのに役立つのですが、はっきりはわかっておりません。パウロは第一伝道旅行の際、属州ガラテヤを訪れ、本来のもっと狭いガラテヤ地方には第二伝道旅行で訪れ、第三伝道旅行で再び訪れています。根拠を何に取るかによって五十年から五十七年にかけていろんな説がありますが、いずれも確かなことはわかりません。わたしは五十三年から五十五年にかけてではないかと思っております。コリントの信徒への手紙と同じころ、ローマの信徒への手紙よりは前に、エフェソかコリントかマケドニアのどこかで書いたのだろうと推測します。面倒な話の様ですが、たぶんこうだろうという理解をある程度共有しておきたいと思います。後日説教プリントをお配りしますので、すぐに捨てないで来年春まで残しおいてください。聞くだけでなく時々読むと理解が深まる筈です。

パウロはこの手紙を書く前に、ガラテヤ地方を少なくとも一度、おそらくは二度訪問したことがあり、この地域に教会を創立し、そして教会を指導していたことは確かです。ガラテヤの人々は彼を「神の天使であるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように」受け入れ、大きな犠牲さえ惜しまずにパウロを支えました(四章十四節)。いい関係があったはずです。ところがパウロの訪問の後、他の巡回伝道者が来て、異なる教えを説きました。ほとんどが異邦人であるガラテヤの教会で、神の民になるには、そして安全な教会生活を送るには、ただキリスト・イエスを信じるだけではなく律法の規定に基づいて割礼を受けねばならないと説いたのです。何しろ当時キリスト教はまだ新興宗教であり、ローマ帝国公認のユダヤ教とは違い迫害の対象でした。まず目に見える形でユダヤ人となり、安全を確保して、その上でキリストを信じて救われる、ユダヤ教ナザレ派とでもいう立場になってキリスト者としての救いが完成すると教えたのです。キリスト教徒でない異邦人に囲まれていた当時の教会員たちは、割礼を受けて目に見える形でまずローマ帝国公認のユダヤ教徒になって、いったんは身を安全なところに置いて、それから教会の教えを聞くという、二重構造、安全保障のある形に極めて誘惑されやすかったでしょう。

そういう状況下で、パウロは強い感情の高ぶりを隠そうとせず、それは違う、と強く言っております。あなたがたが今から割礼を受ける、それは間違っている。大切なのは、「神の恵みにあずかること」。恵みがすべてに優先する。あなたがこんなことをした、あんなことをしているというのではなく、神があなたを義となさる、つまり神との関係を正しくしてくださるのだ。あなたの行為ではない。恵みは律法によって決定されているのではなく、つまりユダヤ人でなくても割礼のあるユダヤ人であっても「信仰によって受け取るものだ」と、教えています。しかし代価なしに神から与えられる恵みを強調しますと、一つ大問題に突き当たります。神が義となさる神の民とはだれなのかという問題です。アブラハムの子孫であるユダヤ人でなくてもよい、すべての人が神の民だとなれば、ではこれまであんなに大切だった律法の意味、その機能は何だったのかという深刻な問いが出てきます。この問いに対する答えをパウロは旧約聖書から導こうとしています。わたしたちの信仰に置き換えていえば、神の恵みに与るのはクリスチャンだけなのか、それともそうではない人も含まれるのかということです。パウロはユダヤ人以外も含まれると考えています。ではわたしたちの信仰はいったいどうなるのでしょう。聖書を読まなくてもいいのか。祈らなくてもいいのか。礼拝しなくてもいいのか。根本的な問いの前に立たされます。

現代の教会においても、この問題は切実な問題になり得ます。洗礼を受けていない人も神の民であり、神によって義とされうるとしますと、いったい洗礼を受けていることの意味は何でしょうか。大きな混乱に直面する予感がします。無教会と教会の区別がつかなくなります。未受洗者の陪餐を躊躇なく実行する牧師は、決してバカな牧師ばかりではありません。注意しないと、ちょっとした誤解から、教会を破壊する行いさえ出てきます。これに対し、パウロは責任ある自由の行使を呼びかけております。そして「人間のあらゆる努力はすべて神の恵みへの補足、もしくは応答であって、決め手ではない。キリストの十字架に示された神の愛こそがすべてである」と語っております。さあ、それではいよいよ本文に取り掛かりましょう。

今日の箇所はこの手紙の挨拶部に当たります。第一に発信人の名前、次に受信人の名前、そして短い挨拶というのがこの頃の書簡の定形です。その通りになっています。

「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ」(一、二節)。まずパウロという発信者名から始まります。使徒言行録では「パウロとも呼ばれていたサウロ」(使徒言行録十三章九節)と出てきます。サウロはヘブライ語名のサウルをギリシア語表記にしたものですが、この名前は使徒言行録に出てくるのみで、書簡ではすべてローマ名のパウロを用いています。異邦人の間ではパウロと呼ばれていたのでしょう。パウロはここでまず自分が使徒であることを強調します。そして使徒とされたのは、エルサレムやアンティオキアの教会指導者たちによってではなく、またペトロやヤコブのような特定の指導者によってでもないとして、人々によってではなく、人を通してでもないと断っています。そしてキリストを復活させられた父なる神が、パウロを使徒として任命された、自分の使徒職は神の権威に根拠があると続けています。人間的根拠を強く否定し、神から与えられたものであることを強調しています。最初にこのように述べているのはパウロとは異なる福音理解をする宣教者たちが現れパウロの使徒職の正当性に対する疑念を持ち出していたからだろうと感じられます。他の使徒たちと異なりイエス様自身が選ばれた使徒ではないとパウロを批判したのでしょう。

次にならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同からとあります。共同して宣教に当たっている者たちだけではなく、今滞在している執筆している土地の教会の信徒たちが含まれていると思われますが、これはこれから書くことがパウロ個人の確信であるだけではなく、教会で共有されている公同的性格を持つことを言い表しています。

受信人はガラテヤ地方の諸教会になっています。他のパウロの書簡は一都市にある教会、家の教会が宛先になっていますが、このガラテヤの信徒への手紙だけがガラテヤという限定された地域ではありますが広範囲の複数の教会宛てになっています。パウロの反対者が特にこの地方に多くいたことが見て取れます。又普段用いている「神の」とか「聖徒」という表現がここでは出てきません。問題だらけのコリントの教会にあてた手紙でさえ、「コリントにある神の教会へ」と言ったにもかかわらずです。異なる教えに簡単に左右されてしまうガラテヤの教会に対し、お前たちは、それでも神の教会かというイライラした気持ちがあったのかもしれません。

「わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(三節)。これはパウロの書簡によくある祈りの定型文です。キリストからの恵み(カリス)と平和(エイレーネー)があるようにと祈っています。当時のローマ社会にあって平和は、戦争のない状態を意味しました。一方でパウロがいう平和は、ヘセッド、神の深い愛に由来する平和で、神との関係の良さ、平安、安寧という意味が含まれています。シャロームです。この当時圧倒的な軍事力によって維持されていた「ローマの平和」とは違う平和です。

「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」(四節)。ここでパウロは、キリストがわたしたちの罪のためにご自分を与えられたこと、それはわたしたちの神であり父である方の御心に従ったことであったこと、つまり、出来事の主導権は神にあり、神の慈愛によって進んで行くこと、そしてこの悪の世からの救出が、イエス様の死の目的であると言っております。今の悪い時代は過ぎ去り新しい時代へ向かって救出されようとしている、これは圧迫に苦しむガラテヤのキリスト教徒にとって慰めと励ましとなる言葉です。この四節と一節とで、神の御心によってなされた、イエス様の死と復活によってわたしたちは救われるというパウロの福音がはっきりと示されています。

「わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン」(五節)。手紙の導入部に発信者と受信者、恵みと平和の願いがあり、普通ならばそれに続けて感謝の部分が続くのですが、この手紙にはその感謝がありません。挨拶の最後に頌栄が置かれています。感謝の言葉を述べるのは憚られたようです。これは注目してもよいと思います。この書簡は伝統的な感謝の言葉が省かれている唯一の手紙です。ガラテヤの教会の抱えている問題が深刻であったことが分かります。

パウロがこれからこの手紙で述べる主張の基礎は、この序文の中にあると思います。どこまでガラテヤの信徒たちが明確に理解していたかどうかは別として、異端的信仰はキリストの死についての誤った考えから来ます。キリストの死はわたしたちの罪を解決するのに十分かどうか、悪の支配から人を解放できるのかどうか。イエスというお方の死が、破れた関係を真に修復できるのか、つまり神と人との和解をもたらすのか、また人間であるための必要条件のようになってしまった破壊的な行為の繰り返しをストップさせられるのかどうか、そのように十字架の力に疑問を持つのです。福音の根本問題です。キリストの十字架の死だけでは問題は解決しないというのが、異なった教えです。

牧師が交代しますと、突然教会の雰囲気が変わります。説教者の顔と声が変わります。かなり時間を有することもありますが、これはしばらくすると慣れるでしょう。説教で語られる御言葉の解釈がこれまで聞いたこともないような場合もあるでしょう。わたしは何度もそう言われました。先生のような説教は聞いたことがない。これは批判の場合も誉め言葉の場合もあります。長く一つの教会にいた方々は特にそう感じるかもしれません。奏楽や賛美の仕方も変わるかもしれません。事務処理の仕方に至っては、大きな差がある場合もあります。掃除の仕方や愛餐会の持ち方も違います。しかし、そういうことで新旧二人の牧師を比較してもあまり意味がありません。問題にすべきは、キリストの十字架の意味を正しく語るかどうかです。

パウロがガラテヤの信徒に向かって主張しているのは、「十字架にかけられたキリストのほかに救いはない」です。「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」(四節)。わたしたちの罪のためにと言われている罪は、社会的無関心を含む一般的な罪でも、内面的観念的罪でもありません。初代の聖徒たちにとっては、イエス様を見捨てて逃げたことと深く結びついていました。パウロにとっては教会を迫害したことです。具体的な自分を縛っている暗い過去、この罪からの解放が救いでした。現代日本では社会は安定していて、具体的罪をもって自分が罪人であるという自覚する人はほとんどいなくなりました。こういう社会では、暗い話、罪の話は受けません。ですから罪や救いは宗教の専門用語、心の問題になってしまいました。けれども本当にわたしたちは具体的な罪と無関係なのでしょうか。わたしたちの罪とは何なのか、そしてそれを解決できるキリストの十字架、それこそが牧師が語るべき言葉であり、わたしたちが聞くべきことです。

このガラテヤの信徒への手紙はパウロの手になる他の書簡に比べてやや特殊ですが、六章の最後十五節に書かれているように、結論は新しく創造されること、わたしたちが新しく作り直されることです。どうすればわたくしたちは新しくなれるのか、過去を引き継ぎながらなお新しくなれるか、来年度からの新しい歩みを始める上で知っておきたいと思います。マラナ・タ教会に良き牧師が与えられるよう祈りましょう。

祈ります。
父なる神、御子イエス様の死と復活を通しわたしたちに救いの恵みを与えて下さいましたことを心より感謝致します。わたしたちを新しく作り直し、常にあなたを見上げて御心に沿った歩みができますよう支え導いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります

 

10月6日の音声

 
 
2019年9月29日 聖霊降臨節第17主日
「主はわたしたちと共に」
マタイによる福音書28章11~20節

わたしたちは二〇一七年より「マタイによる福音書」をずっと読み続けてきました。今日の御言葉で最後になります。使徒言行録に続いて、一つの書物を最初から最後まで読み通しました。説教で語り続けるのは大変ですが、大きな恵みでした。聞く皆さんも同じだと思います。ご家庭でもお読みになったことでしょう。この福音書の語っていることが生き生きと迫って来ました。何よりマタイによる福音書、新約聖書により一層親しみを感じるようになりました。

ご記憶のように、この福音書はイエス様の家系図を明らかにするところから始まりました。そしてイエス様の誕生の記事があり、救い主がこの世に来られたいきさつが語られます。つまり、どういう家にどんなふうにお生まれになったか、異国の占星術学者による訪問や、生れてすぐのエジプトへの脱出などの出来事が語られました。イスラエルの新しい王、待ち望んだ救い主の伝記の様に始まっておりました。その後幼いころの話はありませんでしたが、教えや奇跡など青年イエス様の活躍が描かれ、そしてとうとう十字架上での死が語られました。しかしマタイによる福音書は、このイエス様の死で終わるのではなく、ご復活なさったイエス様が弟子たちを派遣なさるところで終わっています。わたしたちが読み続けてきました物語は、ただイエス様の伝記ではないことが分かります。福音書は明らかに新しい王の死を超えて、神が共におられることを伝えようとしているのです。読むものすべてに神による知らしめ、継続の宣言を語りかけているのです。

「婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した」(十一節)。番兵たちはエルサレムに戻り祭司長たちに報告します。総督ではなく祭司長なのはピラトが彼らに指揮権を与えていたからでしょう。「この出来事をすべて」と書かれていますが、番兵たちは死人のようになっていたとありましたから、地震があり天使が降ってきたこと、空っぽの墓のことは報告できますが、天使の言葉や、イエス様のご復活については知りません。婦人たちが復活を知らせる使者であったのとは全く異なります。肝心なことはわからないのです。

「そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。『「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。』兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。」(十二~十五節)。祭司長や長老たちは欲しがっていた「天からのしるし」(十六章一節)が与えられたのに、それを無視しました。のみならず番兵たちに多額の金を与え、「弟子たちが、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と嘘の説明をするように買収します。この当時、見張りをしている間に寝てしまい死体を盗まれたなどと言えば死刑になる可能性があります。祭司長たちは多額の金を渡した上、もしそのことが問題になれば総督を説得するからとでも言って番兵たちを納得させます。それで番兵たちはお金を受け取り、指示されたように行動します。こういうことがあったので、「弟子たちが死体を盗んだ」といううわさが今でも続いているとマタイは言っています。

ここで弟子たちの方に目が向けられます。「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」(十六、十七節)。婦人たちから伝えられた通り弟子たちはガリラヤに行きます。故郷でありイエス様に弟子とされたガリラヤ、懐かしいガリラヤです。登った山とは山上の説教をなさった山でしょうか、それとも別の山か、よく分かりませんがイエス様が指示なさった山に登りました。そして、そこでイエス様に出会ったのです。どんなお姿だったのか、どのようにお会いしたのか書かれていません。「ひれ伏した」と弟子たちの反応だけが書かれています。ところが、ここが聖書の正直でおもしろい点ですが、イエス様の愛された弟子たちの中でさえ、直接お甦りのイエス様に出会っても、「疑う者がいた」のです。果たして今出会っている方がイエス様なのかどうか、疑いが残るような状況でした。弟子たちの信仰も確信に満ちたものではなく、信頼はしていても疑ってしまう葛藤や混乱も含んだものであったことがわかります。

そんな弟子たちに「イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる』」(十八~二十節)。ご復活なさったイエス様は「天と地の一切の権能を授かっている」とおっしゃいました。ここで「権能」と訳されているエクスーシアἐξουσίαという言葉は、わたしたちが簡単に思いつく権威や能力ではありません。法律で規制したり、裁判で白黒をつけたり、病気を治すようなことを直接には意味しません。もっと大きなものです。神にふさわしい力、事を決定し可能ならしめる、事をなす力です。新しく何かを作り出す力です。逆に言えば、どんなに強大に見えても、悪しきものであればそれを打ち壊す力です。力、力と繰り返しましたが、単なる力ではありません。力と言えば悪魔も強い力を持っております。ここで言われているのはもちろん、どこまでも神の力です。神がイエス様にお与えになった力。その後の歴史においては、教会に与えられた、人を弟子に変え、人を活かす力です。

イエス様の出来事が単に旧約聖書に預言されていたことが実現したのだということであれば、ユダヤ人にとっては意味があるでしょうが、わたしたち異邦人にはあまり関係ありません。しかし、そうではないのです。いまや天と地におけるすべての力、一切の権能が復活されたイエス様のもとにあります。イエス様はユダヤの救い主であるだけではなく全世界の救い主です。これこそが十字架の上に挙げられて殺されたのに、ご復活なさったことの真の意味なのです。

ご復活のイエス様は天と地の一切の権能を持たれました。そしてそのイエス様が弟子たちに与えられた使命が、「全世界に向かっての宣教」、すべての民をわたしの弟子にしなさいという命令でした。人を弟子にする、「罪の赦しのための悔い改め」や「福音」を告げ知らせることは、結局は洗礼を授けイエス様が教えてくださったことを守るよう教えることです。人は誰でも最終的には神の前に立たねばなりません。善悪をはっきりさせる神の審判なんて、単なる脅しで実際にはないのだから、何をしてもいいのだと思っている人々に、また神のことなど考えたことのない人に、人は最終的に神の前に立たねばならないことを知らせ、イエス様と対面させ、さてあなたはどうするのかと決断を促す。それが一切の権能を持っておられるイエス様が命じられた伝道という仕事です。そしてこの命令は、十一人の弟子だけに与えられたものではありません。あらゆる時代の弟子たち、わたしたちにも向けられた言葉です。弟子とするというのは、何か精神的な行為ではなく、具体的な誓約を引き出すこと、洗礼を授けるということです。洗礼を授け、イエス様の教えを守るように伝えることを命じられました。

そして「わたしは世の終わりまでいつも共にいる」とイエス様はおっしゃいました。もし愛する人が「わしはいつもお前と一緒にいるよ」と言ってくれたとすれば、それだけで心強く、前向きに生き生きと暮らせるでしょう。しかし人である限り、いつまで一緒にいられるか保証はありません。この言葉の重みは、イエス様がおっしゃった点にあります。イエス様が一緒にいてくださるとはどういうことでしょう。主なる神が共にいてくださるということです。主なる神が共にいてくださるのですから、わたしたちはいつどんな時でも安心していいのです。貧しいとか豊かであるということに右往左往し嘆く必要はありません。貧しさが消えてなくなるのではないでしょうが、貧しさを楽しむ余裕ができます。苦悩があっても希望を持つことができます。全てを新しく出来る方がおられるからです。何かが出来ないと言って自信を失くすこともありません。出来なくても出来ることに目を向け、前向きに取り組めます。わたしは独りぼっちだと寂しがることもありません。主なる神が共におられるのですから。どうしようもないという時でも、イエス様が共にいてくだされば、心配は要りません。安心していいのです。希望を持って生きることができます。

復活前の、生前のイエス様に出会った者は、一握りの限られた人々です。彼等はイエス様の奇跡を見て驚きました。病気を癒してくれるように懇願しました。実際にイエス様に触れ、お声を聞くことができました。一方でイエス様のご復活を告げられたわたしたちはイエス様を実際に見ることも触れることもできません。ここが復活前のイエス様に出会った者とご復活のイエス様を告げ知らされた者の違いです。しかし世界中にいるご復活のイエス様を知った者たちは、ひれ伏してイエス様を拝み、立ちあがって伝道したのです。礼拝し伝道する。それが復活の主に福音書を通じて出会った、わたしたちのすることです。ご復活のイエス様を経験する、イエス様を知るとは、そういうことです。

今日登場しましたイエス様の弟子十一人は、いわばもっとも恵まれた人たちでしょう。イエス様と生活を共にし、お傍に仕えた者たちです。立場の違いを乗り越えて弟子として結束していった者たちです。そして故郷のガリラヤで、つまりエルサレムの緊迫の中ではなく、普段の状態でお甦りのイエス様に出会っております。にもかかわらず疑ったのです。もしイエス様に出会ったら信じられるのになあとか、復活なんて信じられないけれども、もしお甦りのイエス様が目の前に現れて下さったら信じます、とおっしゃる方をよく見かけますが、でもこれは嘘ですね。まずわたしたちは、生前のイエス様を知りませんから、ご復活のイエス様にお会いしても誰だかわからないでしょう。人は何かを見たら信じられるというものではありません。疑いとは現実に目の前にあるものが本当にそうかなと疑うことですから。その証拠にご復活のイエス様に出会った弟子たちの中にさえ疑う者がいたのです。たった十一人しかいないのに何人かは疑いました。お分かりのように、イエス様に出会うことが、そのまま信じることには結びつきません。一方で述べ伝えられただけのイエス様を、見ないで信じるものがどんどん起こされたのです。十一人だった弟子が、二千年たつと信仰者は何億人にもなりました。多くはキリスト教国の生まれつきのクリスチャンかもしれませんが、自覚的にキリスト者であろうとする方が、少なくとも一億人以上はおられるでしょう。

イエス様の最後の宣言は、インマヌエル、神が共におられるという約束です。イエス様は最後の命令の中に、そしてこの言葉を聞いているわたしたちの中にとどまっておられます。いつも共にいてくださるのです。誕生されるときにも、「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(一章二十三節)と天使が告げました。マタイは「インマヌエル」に始まり、インマヌエルに終わっています。「神われらと共に」です。 

オーストリアの精神科医師で、ナチスの強制収容所から生き延びて帰って来たフランクルの「夜と霧」という作品は、わたしも若い時に衝撃を受けた本の一つですが、翻訳者はフランクルの気持ちをこう解説しています。「あなたを必要とする誰かが居る。あなたを必要とする何かがある。その誰か、何かがあなたを待っている。わたしたちはこの誰か、何かによって必要とされ待たれている存在なのだ。だからたとえ今がどんなに苦しくても全てを投げ出す必要はない。投げ出しさえしなければ、いつの日かきっと、人生を肯定できる日が必ずやってくる。いやたとえ自分ではこれでよかったのだと言えなくても、人生の方からこれでよかったのだよと光を差し込んでくる日が必ず来る」。

フランクルは、この誰か、何かをわざとはっきりとは語りません。彼は科学者で牧師ではありませんし、一般の人に語っているのですから。しかし本当は、「神が」あなたを待っているのですよと言いたかったはずです。この事が分かった人は強制収容所でも生き延びる人が多かったという事実を彼は実際に見たのです。屈強で元気のいい人ではなく、希望を知っている人が生き残ったのです。時の終わりまで、わたしはあなたと共にいると言ってくださるイエス様は、ただじっと傍におられるというのではなく、あなたの脇を抱えて立っておられるのですとフランクルは言いたかったのかもしれません。こんな人生に意味があるのかとか、生きていても面白くないというつぶやきが聞こえてくることがあります。今は生きるのがつらい時代かもしれません。しかし、イエス様はいつも、わたしはいる、わたしは確かにあなたと共にいるのだ、さあ、どうするのかと問いかけてくださっているのです。自分の存在を問うのではなく、イエス様に問われているところに人生の中心はあります。ですから、意味のない人生はありません。人生はどんな時でも意味があるのです。イエス様が目を向けてくださっている。そのお方に従って歩む、そこに希望はあるのです。強制収容所の囚人は死刑囚と同じです。いつ殺されるかわからないし、いつか殺されるのです。しかし、どんな状況にあろうと、たとえ自分がどんなに絶望しても、神は自分に絶望されないことをフランクルは知っていました。神に、愛されている自分を見出していたのです。ですから自由と尊厳を奪われた獄中でも、くじけずに祈ることができたのです。

イエス様は最後に弟子たちに言われました。洗礼を授けて世の人々に福音を告げ知らせよと。希望と使命を与えられた弟子たちは、この後胸を張って生きることができました。磔になっても信仰を捨てませんでした。がんばって強くなったのではなく、復活のイエス様が共におられることを知ったからです。わたしたちも同じです。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」というイエス様の言葉が心に響きます。わたしはこの聖句を一日に一回以上口にしてきました。牧師になってからたぶん五千回は言ったと思います。

さて、マタイによる福音書をいったん閉じる時が来ました。誕生から十字架の死と復活に至るまで、主の御跡をたどりました。この歩みの中でマタイはイエス様が神であり、わたしども被造物に対して全支配権を持つお方だと繰り返し語りました。マタイによる福音書が、わたしたちに求めていることはただ一つ、主の御前にひれ伏し、イエス様を主、王と仰ぐことです。わたしたちの教会では来年一月にメサイアのコンサートを予定していますが、その中の「ハレルヤ」コーラスで「イエス様は王の王、主の主」だと賛美します。「王の王、主の主」、そのイエス様がいつまでもわたしたちと共におられます。マラナ・タと歌いながら、喜んでわたしたちの人生を全うしましょう。


祈ります。

父なる神、死に打ち勝って復活されたイエス様が、「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」という約束をわたしたちに与えてくださったことを感謝します。この深い慰めと希望、主の平和の内にイエス様に従い歩めますよう支え導いてください。また世界の全ての人に福音を告げ知らせ、洗礼を授けてイエス様の命令を守るよう教える働きにわたしたちをも参加させてください。何よりも、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、わたしたちの主イエス様を愛することができますよう、わたしたちを守り強めてください。

主のみ名によって祈ります。アーメン。

 

9月29日の音声

 
 
2019年9月22日 聖霊降臨節第16主日
「復活する」
マタイによる福音書28章1~10節

マタイによる福音書の連続講解説教もいよいよ大詰めです。復活したイエス様の「おはよう」という素朴な、喜ばしい挨拶の言葉が心に響きます。教会の教えとは特別な人だけが理解できる思想、あるいは高度な精神性ではありませんし、限られた人だけが経験できるような神秘でもありません。身近な出来事の中で泣いたり笑ったりしている、その当たり前の日常の生活をしているわたしたちに対する「おはよう」、「こんにちは」という呼びかけを含むものなのです。「難しいことはさておき、一緒に主イエスの復活を喜ぼうではないか」、そんな呼び掛けが聞こえてくる気がします。

「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」(一節)。イエス様が十字架にかけられた金曜日の翌日の安息日が終わりました。安息日とは「労働」をすべて止め、休むべき日で、金曜日の夜から土曜日の夕方までです。安息日が終わる土曜の夜から新しい週が始まります。ですから週の初めの日の明け方とは、日曜日の早朝のことです。マグダラのマリアともう一人のマリアがまだ暗いうちから墓を見に行きました。もう一人のマリアとは、おそらく二十七章に出てきたヤコブとヨセフの母マリアだと思われます。十三章にイエス様の兄弟として、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダの名が挙げられていましたから、イエス様の母マリアのことかもしれません。弟のヤコブとヨセフは、初代教会で大きな働きをしたので二人の名が挙がっているとも考えられます。ではなぜイエスの母マリアと言わなかったのか疑問が残ります。どのマリアか今のわたしたちにははっきりわかりませんが、当時の人には誰のことかすぐにわかったのでしょう。二人のマリアは、墓に葬られたイエス様のもとに向かったのです。ただ「墓を見に行った」とあるだけで、なぜという理由は書かれていませんが、亡くなったイエス様のために出来ることは、ご遺体に香料を塗ることぐらいですから、無力感に打ちのめされていたでしょうが、せめて出来ることをと墓に向かったのでしょう。当時の墓は岩場に掘られた横穴式の墓で、入口を大きな石で塞いでいます。しかも隙間を粘土で埋め、封印がしてあります。見張りの兵もおりますから、中には絶対入れません。イエス様が埋葬された様子を一部始終見ていたこの二人のマリアは、それでも墓に向かったのです。理屈ではなく彼女たちを突き動かすものがあったのです。気がかりでじっとしてはおれなかったのでしょう。

「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」(二、三節)。大きな地震が起こりました。これは神の介入を示します。すると主の天使が天から降ってきて、墓の入り口のアリマタヤのヨセフが置いた大きな石をわきへ転がし、その石の上に座りました。夢に現れるのではなく、目に見えはっきりと認識できる天使の出現や、その衣の真っ白な輝きも、神が働かれていることを表しています。

「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい』」(四~六節)。マタイは復活そのものについては具体的に何も語ってはいません。番兵と婦人たちに対する神の行動だけを語ります。彼らの見ている不思議な光景は、大きな恐怖をもたらしたようです。稲妻のように輝き、真っ白な衣の天使の姿もそうしょうが、それよりも神の力が現された場所に直接立ったときの恐れでしょう。番兵たちは意識を失ったのでしょうか、倒れて死んだようになりました。婦人たちも大きな恐れを持ちました。敬虔な人であっても、そのようなときには恐れを感じます。そこで天使はまず「恐れることはない」と言いました。イエス様が復活された後、神が天使を通してではありますが、最初に人間に与えられた言葉は「恐れることはない」だったのです。神のみが恐れを克服させることがおできになります。福音書では「恐れるな」とは決定的に重要な場面に使われます。いずれも神がそこにはっきりとおられる時です。マリアの懐胎、ガリラヤ湖での水上歩行、山上の変貌など。ですから「喜べ」と訳してもいいぐらいです。

「恐れることはない」という言葉に続けて天使は、イエス様のご復活を伝えます。知らされたのは単に墓が開かれた、そして空になったことではありません。主イエスが「お甦りになった」ことです。「あの方はここにはおられない」。天使のこの言葉は、イエス様がもはや「死」の内におられないことを告げております。「かねて言われていたとおり」、と今まで三度「自分は殺されるが、三日目に復活する」と予告をなさっていた(十六、十七、二十章)ことに言及し、「死者の中から復活なさった」のだと語っています。復活なさったと訳されていますが、「起き上がらせられた」と受け身で書かれています。神が、わたしたちために犠牲となってくださったイエス様を受け入れ、復活させられたのです。十字架につけられたイエス様はもはや死の中におられず、死を超えたところに立っておられる、そのことが告げ知らされました。イエス様のご復活は、それ自体を見ることも説明することもできないものですが、しかし、そのことが起こったことについてははっきりと告げ知らされているのです。天使に遺体の置いてあった場所を見なさいと言われたので、二人のマリアは当然ご遺体のあったと思われる場所を見たでしょう。そこにイエス様のお体はありませんでした。イエス様はもうすでに復活させられていたのです。墓は空でした。

天使は続けて言いました。「『それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」確かに、あなたがたに伝えました。』婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」(七、八節)。天使は婦人たちに、弟子たちへの伝言を命じます。一つはイエス様が死者の中から復活されたこと、そしてもう一つは、ガリラヤで先に行っておられるイエス様にお目にかかれるということです。わたしたちは、イエス様が以前ペトロの離反を予告されたとき、「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(二十六章三十二節)とおっしゃっていたことを思い出します。神の力に触れたことに恐ろしさを抱きながらも、もう一度イエス様に会うことができるかもしれないという喜びでいっぱいになった二人のマリアは、このことを弟子たちに告げようと急いで墓を出て弟子たちのいるところに帰って行きます。恐れと喜びとが混在しています。

「すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した」(九節)。急いでいる婦人たちの前にイエス様がお立ちになりました。「おはよう」と言って。婦人たちは、ものすごくびっくりしたでしょう。今日聞きました御言葉と全く同じ聖書個所に基づいて、わたしは三度説教いたしました。二〇〇九年、十八年、十九年のイースターにおいてです。その三回の説教ではいずれも、ご復活のイエス様が「おはよう」とおっしゃった、その意外性、聞きますわたしたちの驚きをお伝えしました。最近のことですからみなさんの記憶にまだ残っていると思います。「おはよう」は、前の訳では「安かれ」、「平安あれ」と訳されていました。元の言葉「カイレテ」は「カイロー、喜ぶ」の二人称複数命令形ですから、あなた方は喜びなさいという意味ですが、宗教的な言葉ではなく、「いらっしゃい」とか「こんにちは」といった感じの、ごく普通の明るい言葉として挨拶に使われていました。朝ですと「おはよう」なのです。しかしそれにしても、「やぁ、おはよう」という挨拶は意外です。死者の甦りという、まさに天地もひっくり返るような重大なことが起こったのです。主の復活は教会にとってはもっとも大切な出来事です。大きな喜びですが、人間の普通の営みの外にある理解を超えることです。もう少し厳粛な響きを持つ言葉を期待する場面です。にもかかわらずイエス様のお言葉は非常に素朴な、ある意味で生活の匂いのする言葉だったのです。この「カイレテ」は不思議な響きではありますが、喜ばしくてわたしは好きです。

イエス様ご自身が婦人たちの前に立たれました。彼女たちは一目でイエス様と分かったのでしょうか。イエス様のご復活は、時間の中で現実に起こったのです。心の中で起こったのではありません。神の子が目の前におられます。彼女たちはイエスの足を抱き、その前にひれ伏したのです。「ひれ伏した」という表現はマタイによる福音書に十三回も繰り返されています。この言葉はただびっくりしてひれ伏したという行為だけではなく、礼拝を意味する言葉です。足を抱きというのも明らかに崇拝の行為です。二人のマリアも、死をうち破り死の外に立つ救い主の前でひれ伏し、礼拝する者として描かれているのでます。

「イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる』」(十節)。「恐れることはない」とイエス様も天使が言ったのと同じ言葉を繰り返されます。そして天使が婦人たちに「あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と弟子たちに伝えるように言い、確かに伝えましたよ、分かりましたかと念を押していた言葉を、今度はイエス様ご自身が「行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」とおっしゃっています。同じ指示を婦人たちにおっしゃっているのです。ガリラヤで会うことになるとは、わざわざ天使とイエス様が繰り返して二重におっしゃるほど重要なことなのでしょうか。「ガリラヤに行け」という言葉はこの福音書を理解するための急所のようです。

少し前に、弟子たちの姿について「このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(二十六章五十六節)と、十字架につけられたイエス様をずっと見守っていた婦人たちの姿と対照的に描かれております。「見捨てて逃げた」とは厳しい言葉です。イエス様の死後もどうしていいか分からなかったのでしょう。普通なら故郷に帰るのですが、それもせずエルサレムでただ隠れていたのでしょう。しかし、今やそのような弟子たちにも、イエス様ご復活の事実が伝えられます。「ガリラヤに行きなさい。復活したキリスト(救い主)はそこで待っておられる。そこであなたたちは主にお目にかかれるのだ」と伝えられるのです。ガリラヤは、弟子たちが最初にイエス様にお会いした故郷です。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という主の言葉を耳にした場所です。呼びかけに応じてイエス様に従い始めた彼らの原点です。そこで主が待っておられるのです。「お前ら、よくも裏切ったな。ついてくるとここで昔誓っただろう」と言われたら、どうしようもありません。しかし、そのガリラヤで主は待っていてくださるのです。復活されたイエス様は神の赦しを宣言されました。イエス様はこの恐れるな、ガリラヤで会おうという赦しを伝えるように言われたとき、「弟子たちに」とはおっしゃらず、「わたしの兄弟たちに」とおっしゃっています。弟子たちは、イエス様の内に置かれているのです。原点のガリラヤからもう一度イエス様に従いなおし、主と共に生きることができるのです。

単に「振り出しに戻る」ということではありません。ガリラヤで待っておられるのは死者の中から復活されたイエス様なのです。彼らは復活した救い主キリストに新たに従い始めるのです。つまり全く新しいことが始まるのです。繰り返しではありません。一回目は失敗でした。主を見捨てた弟子たちはもう死んだのも同然です。けれども新しい命を与えられた者として、もう一度イエス様に従い始める事が出来るのです。そのような彼らを主はこれまでと違って「兄弟」と呼ばれるのです。これが「ガリラヤに行け。そこでわたしに会う」と語られたことの真意です。再出発しよう、それができる、させてあげようという恵みの言葉です。

わたしたちは今、弟子たちと同様に、「ガリラヤに行け。そこでわたしに会う」というイエス様の言葉を聞いているのです。わたしたちも罪の赦しにあずかり、新しく生まれた者としてキリストと共に生きることができるのです。たとえ重大な失敗をし、絶望せざるを得ないような状態であってもやり直すことができます。イエス様と共に新しくもう一度生き始める、それが主のご復活を知るということです。生きていると色々なことがあります。うまくいったり、いかなかったり。元気であっても、がんや心臓病で苦しんでいても、そして、どんなに素晴らしい仕事をしていても、いい家族がいても、いつかは死にます。でも死は終わりではありません。イエス様はお甦りを示されました。この力があれば、わたしたちは決して死に負けることはないのです。「生きている、しかしいつか死ぬ」のではなく、「必ず死ぬ、しかし復活の命がある」なのです。これは単に「死と命」を逆にしただけの表現ではありません。イエス・キリストにおいて実際に起こったことです。わたしたちは心、精神性を尊ぶ世界に置かれておりますが、肉、身体の甦りは最も重要なことなのです。

あの日曜日に起こったことが、この日曜日にも起こります。死をうち破られた方と共にあるわたしたちは、もはや闇の中に閉ざされてはおりません。生活の重荷はなくならないかも知れません。人生の苦闘は続くかもしれません。悲しみに打ちひしがれることもあるでしょう。病気にもなるでしょう。しかしキリストと共にあるならば、わたしたちは死の闇に閉ざされてはおりません。生きることに命の光が差し込みます。ぽっかり開いた墓の入り口、死の入り口に、天からの風が吹き込みます。そこにわたしたちの喜びがあります。希望があります。わたしたちは何も特別な人間である必要はありません。ごく当たり前の日常を営む人間として、主の復活を喜んで生きるよう招かれております。わたしたちにとってのガリラヤは洗礼です。もう一度洗礼を受けたときに戻るのです。まだの方は洗礼を受けるよう招かれているのです。主の御声が聞こえます、「おはよう」と。「恐れるな」という喜びの響きがあります。わたしたちは赦されたのです。さあ大いに喜びましょう。主はお甦りなさいました。死をもって死を滅ぼし、墓にあるものに命をくださったのです。キリスト復活。ハレルヤ。


祈ります。
父なる神、あなたはわたしたちのために犠牲となってくださったイエス様を復活させられました。ご復活のイエス様が弟子たちをガリラヤに招かれたように、わたしたちをも共に生きるよう招いてくださっていることを感謝します。どうかわたしたちが、この恵みをしっかり受け取り、出発点に戻り、悔い改めてもう一度新たに歩んでいくことが出来ますようお支えください。そして、一人でも多くの方々と共に、主のご復活を喜び礼拝することができますよう、わたしたちを用いてください。
主のみ名によって祈ります。アーメン

9月22日の音声

 
2019年9月15日 聖霊降臨節第15主日
「葬られる」
マタイによる福音書27章57~66節

今日わたしたちマラナ・タ教会は、創立から四十一年目の記念日を祝います。正式な教会の創立から四十一年たったのではなく、初めてこの地で日曜日朝に礼拝した、一九七八年九月十七日を伝道開始の日、創立の日としております。教会は礼拝する群れだからです。そして併せて、七十五歳以上の方々のこれまでの歩みを感謝して敬老の日としても祝います。二重の喜びです。礼拝後には愛餐会と大正琴の演奏でこの喜びを神に向かって賛美します。わたしたちの教会の歩みと人としての歩みが恵みと喜びに満ちているのは、言うまでもなくイエス様の死とお甦りの出来事によっております。わたしたちはマタイによる福音書を読み続けておりますが、今まさにイエス様の十字架での死と、ご復活の間、葬りの出来事を聞いております。

ここまで二十六、二十七章で、イエス様の十字架の出来事をかなり詳しくご一緒に読んでまいりました。真の人間としてのイエス様の無力の死とその死のすぐ後の力に溢れた神の介入のあと、マタイはいよいよ二十七章五十七節以下二十八章にかけて、イエス様に起こった最後の出来事、ご遺体の葬りとご復活を語ります。これは単なる歴史上の出来事というだけでなく、人類に救いをもたらす最大のドラマです。

「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた」(五十七、五十八節)。

「夕方になると」というのは日没前を意味します。一節で「夜が明けると」で始まった長い一日が今や暮れようとしております。昼の十二時から三時まで闇が地上を覆いましたが、イエス様の死後、この異常さは影をひそめ平静さを取り戻しつつありました。イエス様は十字架上で命を落とされました。当時のローマ社会では、犯罪者の遺体は、十字架上に野晒しにされるか、共同墓地に葬ることが習慣でした。ところがユダヤの掟では申命記に「ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。あなたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない」(申命記二十一章二十二、二十三節)とあります。申命記にこうある以上、必ず遺体はその日のうちに葬らねばなりません。急がねばなりません。ここでの「夕方になる」とはそういう緊張を意味します。イエス様の死体を引き取ることによって、どの程度ヨセフの身に危険が及ぶものであったかわかりませんが、金持ちたちは総督に近づき易かったのでしょう。アリマタヤ出身のヨセフという人が、遺体の引き取りを申し出ます。ユダヤ人の仲間を恐れて自分がイエス様の弟子だとは言えなかったのを、イエス様がなくなったことで覚悟を決め踏ん切りをつけたのかもしれません。わたしはこの人の弟子でしたと名乗り出たのでしょう。男の弟子たちがみんな逃げてしまった中、今まで出てきたことのなかったアリマタヤ出身の弟子ヨセフが、重要な役目を果たします。ローマの法律では重大な政治犯でない限り、犯罪者といえども家族、親族には遺体を引き渡すこともできたようです。ピラト自身はイエス様について「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」と言っていたくらいですから、ヨセフの願い出に特に問いただすことなく、兵士に遺体を渡すように命じております。

「ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に堀った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った」(五十九~六十節)。

総督の兵が十字架から下ろした遺体を受け取ったのでしょう。ヨセフはその遺体を、きれいな亜麻布、これまで使ったことのない真新しい布ですっかり包み込みました。そして、おそらくエルサレム郊外に一家の墓を持っていたのでしょう、その中の家長である自分自身のための新しい墓にイエス様を丁寧に葬りました。時間が限られていたので、遺体を清めて油を塗り、次いで土などを落とすために水に浸け、再び油を塗る、こういう手順は一部省略されたかもしれませんが、イエス様は犯罪人の様にではなく気高く埋葬されたのです。ユダヤ式の墓は岩を掘って中に入れるような洞窟式です。エルサレムに行きますと、この岩だと信じられている場所に聖墳墓教会という立派な教会が建っております。ヨセフはくりぬいた岩の入り口に大きな石を置き、立ち去りました。アリマタヤに帰ったのかエルサレムのどこかに帰ったのか分かりませんが、自分の役割を終えると静かに去っていきました。

「マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた」(六十一節)。

男の弟子たちと違ってガリラヤから来た数人の女性が最後まで十字架のもとに留まったことが記されておりましたが、そのうちマグダラのマリアともう一人のマリアが葬りの場面にも登場します。この二人は重要な証言者なのです。福音書は目撃証言に基づいて書かれていると先週申し上げましたが、「墓の方を向いて座っていた」という表現は、彼女たちが葬りの様子を一部始終見ていたことを強調した言い方です。ヨセフがどんなふうにイエス様を葬るのか心配しつつ見守ったのでしょう。イエス様に従ってきた婦人たちが、ヨセフの用意した墓を見届けております。

ここから話が変わります。イエス様が死んだ。そして葬られた。弟子たちはちりぢりばらばらになった。これで全て終わりです。ところがユダヤ指導者には一つの大きな懸念がありました。イエス様が生前、自分は死んで甦るとおっしゃっていたことです。

「明くる日、すなわち準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。『閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、自分は三日後に復活すると言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、イエスは死者の中から復活したなどと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると人々は前よりもひどく惑わされることになります』」(六十二~六十四節)。

「明くる日、すなわち準備の日の翌日」とは、過ぎ越しの祭りの備えの日の翌日で、安息日です。わざわざこう言っているのは、イエス様がお亡くなりになったのが、準備の日、小羊が犠牲にされる日であったと強調している感じがします。この日ピラトは、前日のアリマタヤのヨセフに次いで、祭司長たちとファリサイ派の訪問を受けます。おそらくサンヘドリン、最高法院のメンバーたちでしょう。死刑になった人物の死体は、引き渡されても、ピラトの管轄下にあったようです。安息日にわざわざ集まって総督のもとに来て要望を出すという異常さから、事態の緊迫感が伝わってきます。閣下というのはキュリエで、「主よ」ですから、本来イエス様に向かって言うべき言葉を、マタイはローマ総督に向かって祭司長たちに言わせています。ナンセンスを強調しています、皮肉ですね。おべっかを使って「閣下」と呼びかけております。イエス様が最高法院で裁判にかけられたとき、「自分は三日目に甦るぞ、殺してみろ」などと発言なさったことはありません。沈黙なさいました。しかし、ファリサイ派の人々が初めてイエス様を殺そうと決めてから間もないとき、ファリサイ派と律法学者がしるしを要求したのに対し、「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる」と三日後のよみがえりを暗に予告されていました。その後ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰告白をしたときから合計三度、ご自分は「殺されるが、三日目に復活する」とよみがえりの予告をなさっています(十六、十七、二十章)が、いずれも弟子たちに向かってです。マタイによる記録では三度ですが、実際にはもっと多かったかもしれません。

長い間表舞台から退いていたファリサイ派が、祭司長たちと一緒にここで出てきたのはヨナのしるしの言葉を直接聞いていたからでしょう。三日後は、足掛け三日ですから金曜日の翌々日、日曜日です。日曜日まで番兵をつけてもらいたい。弟子たちが死体を盗んでは困ると訴えました。「人々は前よりもひどく惑わされることになります」と訳されていますが、もとの言葉では「『最終のごまかし』は『最初の』よりももっと悪くなるだろう」と書かれています。最初イエスは奇跡などで人々を惑わしたが、最後もまた弟子たちが惑わすことになるというのです。閣下が責任をお持ちのこの地で混乱が起きますよ、そうならないように手を打ってくださいと脅かしたのです。

「ピラトは言った。『あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。』そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた」(六十五、六十六節)。

ここは文法的に言うと「番兵を出してやる」と言ったのか、「お前たちは、番兵を持っているはずだ」と言ったのか二通りの解釈ができますが、どちらでもいいと思います。大事なことは見張りを置いたということです。アリマタヤのヨセフが入り口に転がして置いていった大きな石と入り口の隙間を粘土で固めて焼き印でもしたのでしょう。そして番兵を置いて見張らせました。これで二年以上にわたったガリラヤのイエスグループによる騒動は終わりです。日が経つにつれ、人々はイエス様のことを忘れるでしょうし、メシア騒動も消えていくはずです。やれやれこれでローマからの介入はなくなる。祭司長たちユダヤ上層部はほっとしたことでしょう。しかしこれで終わりではなかったことをわたしたちはよく知っております。ここから人類の新しい歴史が始まるのです。

どんな人間的な計画も神のご意思を妨げることはできません。墓の石を封印し見張りを置いたことは、ごまかしができなかったことの証明となり、祭司長たちの意図に反しかえってご復活が真実であることを立証することになったのです。イエス様の死とご復活の間にいるわたしたちに、マタイは人間の様々な企みが逆転させられていく様を静かに語っています。

さてイエス様の葬りの事実はわたしたちに何を語っているのでしょう。イエス様の死そのものよりも、死に至らしめた人の罪と、葬りが詳しく描かれております。イエス様は十字架にかかって死んでくださいました。まことに死の世界に下られた。墓に葬られたのです。死ぬのはわたしたちだけではありません。神の御子も死なれたのです。ですから、ペテロもこういっています。「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。あなたがたはキリストの名のために非難されるなら幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです」(Ⅰペテロ四章十二~十四節)。十字架に向かう主が先頭に立って、お一人で黙って悲しみの道を歩まれました。ですからわたしたちキリスト者の群も、キリストの中にあって、黙々と十字架に向かいます。しかしこの行進は死で終わるのではありません。死を超えて、復活の生命に至ります。このキリスト者の群は、地上にありながら、夜空の星のように輝いているのです。

わたしたちはこの礼拝で教会の歩みと教会員の長寿を祝います。主イエス・キリストの栄光を反映する小さな器として、喜びに満ちた器として祝福の内を歩んでくることができたことを感謝します。詩編の一節を朗読して説教を閉じます。

わたしの肉もわたしの心も 朽ちるであろうが
神はとこしえにわたしの心の岩 わたしに与えられた分。
見よ、あなたから遠ざかる者は滅びる。
御もとから迷い去る者を あなたは絶たれる。
わたしは、神に近くあることを幸いとし
主なる神に避けどころを置く。
わたしは御業をことごとく語り伝えよう

(詩編七十三篇二十六~二十八節)。

祈ります。

父なる神、イエス様が墓に葬られた様子を聞きました。イエス様の死によってわたしたちはあなたとの正しい関係の中に戻されました。忍耐と慰め、希望がわたしたちに与えられ、だんだん歳を取り死に向かう限界ある存在のわたしたちでもなお、「忍耐と慰めの源である神」、「希望の源である神」とあなたに呼びかけ、祈ることができるようになりました。感謝します。どうかわたしたちがこれからも、神と人とに仕える喜びをもって、イエス様に従って歩めますよう支え導いてください。

主のみ名によって祈ります。アーメン。

 

 

9月15日の音声

 
2019年9月8日 聖霊降臨節第14主日
「見捨てられる」
マタイによる福音書27章45~56節

「さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた」(四十五節)。イエス様の死は、三時間も闇が全地上をおおったという劇的な出来事で幕が開きます。アモス書に「その日が来ると、と主なる神は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする」(アモス八章九節)とありますが、この闇は日食のような自然の闇ではなく神の介入によるきわめて特別なものです。人間の罪深さとそれに対する神の裁きを象徴しているのかもしれません。人の理解を超える世界を揺るがすことがこれから起ころうとしています。

「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、『この人はエリヤを呼んでいる』と言う者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は、『待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう』と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた」(四十六~五十節)。

三時間の間何も起こらず闇が世界を包んでいましたが、三時間後、闇は終わりました。イエス様は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれました。そこに居合わせた人々のうちには「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もおりました。エリ、エリとおっしゃったので、確かにそうも聞こえたでしょう。だれかが「エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言いました。エリヤは終末時に現れると期待されていた預言者で、死ぬことなく天に帰り、苦しい状況のときに助けてくれると当時信じられていました。しかし、エリヤは助けには来ませんでした。一方これが詩編の嘆きの言葉だと分かった者は、「この男は絶対にメシアではない」と確信したでしょう。神に向かってなぜお見捨てになったのかと嘆いている姿は、とてもメシアとは思えません。にもかかわらず、マルコもマタイもこの言葉を記しております。ただ残しているだけではなく、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」とアラム語のままで伝えております。日本語訳にも、そのまま残っております。新約聖書ではいくつかの重要な言葉は、ギリシア語ではなくイエス様がおっしゃったアラム語のままで残してありますが、この言葉もそうなのです。ただアラム語だけでは読み手がわからないので、ギリシア語で意味が書かれています。「アッバ、父よ」という訳と同じですね。イエス様はアッバと言われたのですが、分からないので父よと足してあります。しかし一体なぜこんな絶望的な響きの言葉をわざわざ大事な言葉として書き記したのでしょう。

この言葉は先ほど申しましたように詩編二十二篇の言葉です。「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか」(詩編二十二篇二節)。当時の人たちは旧約聖書の言葉にどっぷりと浸かっており、この詩編二十二篇の言葉もイエス様と弟子たちが常々祈りの言葉として唱えていて身に沁み込んだ言葉だったと思われます。しかし、イエス様はこの言葉をただ詩篇の一節として引用なさったのではありません。弟子たちに捨てられ、ペトロに捨てられ今や神によってさえ見捨てられた。そんな中でイエス様は一人の祈り手として大声で祈られたのです。内面の深いところから出たご自身の嘆きの言葉です。

ここでもう少しこの言葉について考えてみたいと思います。詩編を読んだり朗読を聞いたりしたとき、その詩編の言葉で祈ろうとしても、どうもその言葉がしっくりこない、自分の祈りにならないという経験をすることがあります。この詩編二十二篇も、そのような詩の一つです。なぜなら、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉は、神との正しい関係の中に生き、神との親しい交わりの中を生きた人だけが口にすることのできる祈りだからです。わたしたちは「なぜお見捨てになったのですか」と祈れません。理由は明白です。わたし自身の声が聞こえます。「そりゃ、分かるだろう。お前はこんなことをした、あんなことをした、それになすべきことをしなかった。だから見捨てられたのだ」と。神に向かって「見捨てるなんてけしからんではないか、約束が違う、不当だ」と言いきれる人がいったいどこにいるでしょう。そう思うと詩編二十二篇は、まさに「義人の祈り」だと気付きます。この祈りを本当の意味で口にすることができるのは父の御心に最後まで従順に従われたイエス様だけでしょう。

イエス様は苦難を受け、神に見捨てられた状態の中、大声ではっきり聞こえるように叫ばれました。神に向かって祈り嘆かれたのです。神に大きな信頼を寄せている人のみが、神から見捨てられたと思うときにさえ、その神に向かってなお嘆き祈ることができます。そしてそのような絶望の中にあっても、頼れる相手は、まさに神をおいて外にはないのです。この言葉はマタイに強い衝撃を与えました。そして福音書記者のみならず初代の教会もこの言葉に大きな意味を見出したのです。主のご受難において最も重要な言葉の一つであると同時に、新約聖書の最も高価な言葉の一つになりました。

わたしたちは「嘆く」ことをどう考えているでしょう。嘆くのは良くないと考えてはいないでしょうか。信仰者だから神を信じて揺るがずにいるべきで、嘆いてはいけないなどということはありません。聖書の世界では「嘆くための場所」が設けられているほどに、必要なこと、正当なこと、尊重される営みです。わたしたちの信仰において「嘆く」ことは抑制すべきではありません。どうにも理不尽でやりきれないことが起きたとき、試練のとき、孤独のとき、非力を思い知らされるとき、嘆いてもいいのです。わたしたちも「嘆き」に場所を与えましょう。嘆きは「被造物の限界」を思い知らされたときに、わたしたちの肉体と魂とが思わずあげる呻きだからです。イエス様は呻きを無言のまま胸中にしまっておかず、呻きを嘆きの言葉にし、父なる神に向かって叫ばれました。わたしたちも、肉体と魂の呻きに嘆きの言葉を与えましょう。神に向かって嘆くのです。聴いて下さい、なぜですかという訴えに、神はすぐにお答えにならなくても、必ずそこにおられ叫びを聞いておられます。

これに続くイエス様の死については、ただ「イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた」(五十節)と語られています。「息を引き取る」は原文では「霊を送り出された」です。土の塊に神がふーっと霊を吹き込まれた。それが生きる人です。その霊が取り上げられると人は死にます。イエス様は霊をお返しになりました。

そしてマタイは次のように続けます。「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出てきて、聖なる都に入り、多くの人々に現れた」(五十一~五十三節)。ここで大切な言葉は「そのとき」(五十一節)です。原文では「そして、見よ」です。「見よ」は新しい始まりを印象付けます。「そのとき」、時間は三時です。時間が記されているのはマタイではここだけです。祭りの時に、まさに神殿で小羊を献げる時間です。イエス様が息を引き取られた「そのとき」です。これで終わったなと見えた「そのとき」です。そのとき、新しいことが始まったのです。神殿の垂れ幕が裂け、地震が起こり、死人が生き返ったのです。

「垂れ幕」とは、神殿の聖所と至聖所を隔てている幕のことです。神殿の一番外側には「庭」があり、その内側に聖所があります。さらにその奥が至聖所です。最も聖なる場所です。至聖所には年に一回だけ、大祭司がこの垂れ幕を通って入ることが許されておりました。しかし、大祭司であっても罪ある人間がそのままで神に近づくことはできません。神に会うためには命が代償として要求されます。とは言え自分を殺すわけにはいかないので動物を身代わりにし、犠牲の血を携えて入っていくのです。血は命そのものです。このように神殿の垂れ幕は、神と人との厳しい隔てを象徴しています。人間は命を捧げないと、この隔てを超えて神に近づくことができなかったのです。ところが、そのとき、神と人とを隔てるその垂れ幕が裂けました。「上から下まで真二つに裂け」という表現は、神自らが隔ての垂れ幕を取り除かれたことを示します。もはや繰り返し犠牲の血を伴う必要がなくなりました。まことの犠牲が、動物ではなくイエス様の命が、献げられたからです。神自ら備えられた罪なき御子が、「わが神、わが神、なぜお見捨てになったのですか」と叫んで、死なれたのです。その犠牲を見て、神御自身が垂れ幕を引き破られ、すべての人がたとえ罪があっても、罪の赦しを得て神に近づく道が開かれたのです。神の厳しい裁きが、本来裁き主であるはずのお方を裁かれた。これこそ十字架の秘儀です。神の英知と愛が示されております。この秘儀を見落とせば、キリスト信仰の全体像を見失うでしょう。ご自身の御子をさえ惜しまないでわたしたちすべての者のために死に渡された以上、神はどのような必要をもお与え下さる筈です。神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛されたのですから。

それと同時にもう一つ大事なことが書かれています。地震が起こり、岩が裂け、死んだ者が生き返ったのです。神の介入によって多くの者たちが甦らされたのです。想像を超える出来事ですが、これは、死の克服を意味します。死に命が打ち勝ちました。死んで終わりではなくなったのです。ここで死の克服が、垂れ幕が裂かれたことと共に記されていることに注意しなくてはなりません。罪の解決と死の克服という二つの別々のことではなく一つのことなのです。それは一人のお方、イエス・キリストによってもたらされた救いです。ただ単に死んだ後に再び墓から出てくることができれば、死の克服になるでしょうか。あるいは永遠に長生きして死なないとなれば、それは死の克服でしょうか。いいえ、そうではありません。かえって大変な苦痛かもしれません。生きているという事は素晴らしいことですが、死ねないとなると文学のテーマになってしまいますね。今生きているそのままに神と会うことができる、つまり神との関係が本来あるべき姿に修復されることを教会の専門用語では「和解」といいますが、和解することによってはじめて、罪が赦され、神に義とされ、神との交わりが回復するのです。神との和解なしに死の克服はありえません。死に打ち勝つために必要なのは、神との和解であり罪の赦しです。そのことなくして死の克服はあり得ません。ですから罪の赦しと死の克服は一つのことなのです。また、ここで多くの者たちの体が生き返ったと言われているのは多くの聖なる者たちのことであり、終末時に起こることの徴として、起こったのでしょう。

「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当に、この人は神の子だった』と言った」(五十四節)。イエス様はご自分のためには全く力を行使されず、ただ神に信頼し従順に従われました。そのイエス様を神ご自身がご自分の子として証しされたのです。地震やそれに続いて起こったことを通してご自分を啓示なさいました。それをみて異邦人の百人隊長や兵士たちが、イエス様は神の子だったと告白したのです。彼らは、「神の子」という表現が意味するところが十分には解っていなかったかもしれません。でも、この人は神の子だったと告白したのです。創造主である神を旧約聖書に基づいて理解することがなかった異邦人の彼らが、不思議にもイエス様への信仰告白ができたのです。

「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子ら(ヤコブとヨハネ)の母(サロメ)がいた」(五十五、五十六節)。男の弟子たちと違って、婦人たちはイエス様の苦難のときも、遠くからではあるにしろ見守っていたことが描かれています。イエス様はすべての人から見捨てられたのではなかったのです。二人のマリアが特に名前を上げられて記録されております。この二人がご復活のイエス様に最初に出会ったとわたしは理解しております。新約聖書には、多くのマリアが登場しますが、ある論文によりますと、当時のユダヤ婦人の半分くらいの人の名前がマリアかサロメだったそうです。

何の罪もない神の御子、主イエス・キリストは無力なメシアとして、わたしたちの罪を担って十字架につき、御自身の血でわたしたちを贖ってくださいました。それにより、イエス様をののしった罪深いわたしたちでさえ神に赦され、神との義しい関係を回復されたのです。わたしのために、そしてあなたのために主は死んでくださいました。まだ受洗されていない方がいらっしゃいましたら、どうぞ一日も早く洗礼を受け、この恵みを受け取ってください。困難の中にあるとき、神に向かって嘆くことが出来ます。どんなときでも感謝をもって安心して主の平和の内を歩んでいくことが出来るのです。主はあなたを待っておられます。あなたに向かって「わたしはいる、確かにここにいる」とおっしゃっています。あなたがそれに応えて、「はい、わたしもここにおります」と近づいてくるのを待っておられるのです。

祈ります。


父なる神、あなたが御子イエス・キリストをこの世に送り、わたしたちを贖ってくださったこと、罪から救ってくださったことを感謝します。この十字架の恵みを、余すところなく受け取ることができますよう支えください。また、見捨てられていると感じるときでさえ、あなたは傍にいてわたしたちの嘆きを聞いていてくださることを信じ感謝します。どうぞどんな時にでもあなたに信頼し、あなたのほうを向いて歩むことができますよう導いてください。孤独な人に平安を、病の人に勇気を与えてください。マラナ・タ教会を通して、あなたのご愛がわたしたちの周りに、世界中に満ち溢れますように。

主のみ名によって祈ります。アーメン。

 

9月8日の音声


 

 
 
2019年9月1日 聖霊降臨節第13主日
「十字架につけられる」
マタイによる福音書27章27~44節

二〇一七年一月一日から読み続けてきましたマタイによる福音書も、イエス様がエルサレムに入城なさり、捕らえられ、裁判にかけられ、死刑の判決を受け、殺される場面にまで到達し、わたしたちはいよいよ二十八章の復活の出来事に向かって、まさにクライマックス、キリスト信仰の核心部分におります。二年半以上にわたりましたマタイによる福音書の説教も、もうすぐ、今月末には終わろうとしています。

信仰生活は恵みに生きる生活だと言ってもよいと思いますが、恵みとは、わたしたちにとって必ずしも調子のいいこと、都合のいいことではありません。恵み、「カリス」χάρις (ヘセッド、Gratia)は、恩恵とも訳されますが、イエス様のご生涯とりわけ死と復活において示された神のご愛を指す言葉です。以前、わたしと一緒に聖地に旅行すると恵まれるとか、この食品を食べると健康になり恵まれるのだと宣伝する輩がおりました。残念なことに牧師です。今もいるかもしれません。しかし、信じると都合よく事柄が進む、必要が与えられる、いい経験ができるというようなことを指して、ああ恵まれた、恵まれたと言うことは間違いです。人生がうまくいかないと恵まれてないのだという独断的な言い方に通じます。恵みは神の賜物です。いただくものです。したがって課題ともなります。味わうべきは、イエス様の苦難と死です。

では、イエス様の死を味わうとは、具体的にはどういうことでしょうか。マタイはここで何を語っているのでしょうか。極めて侮辱的なピラトの兵隊たちの態度に続いて、祭司長たちユダヤ上層部や群衆の同じような悪しき態度が淡々と描かれています。鞭うたれ、裸にされ、唾を吐きかけられ、そのうえで、重い十字架を背負って、処刑場まで歩かされる。これ以上ない侮辱と恥辱です。しかしマタイは、イエス様がどんなに苦しまれたのかという書き方はしておりません。何とおいたわしいことかとも言っておりません。事の重大性に対しずいぶん淡々と書いております。しかしこの簡潔な書き方は、かえってイエス様を取り巻く人間の愚かさを際立たせております。醜さが暴かれているのです。イエス様の十字架の前に立つわたしたちは、自の醜さ、罪を直視せざるをえません。いかに自分があるべき姿からずれているかを知らされます。第三者的に「おかわいそう」とか、「このユダヤ人たち、ローマ人たちはひどい」などと言っている場合ではないのです。

さて、今日の御言葉を見ていきましょう。ピラトはイエス様を鞭打ってから、十字架につけるために総督の兵士たちに引き渡しました。「それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた」(二十七~三十節)。総督の兵士とは、本国から派遣された正規のローマ兵ではなく、パレスティナに住む非ユダヤ人から集められた補助部隊の兵士たちであったと考えられます。もともとこの兵士たちは、ローマに庇護されたユダヤ人の「王」に好感を持っていませんでした。ですから兵士たちは王の恰好を真似てイエス様を飾り立てたのです。王が本来着る紫の衣服の代わりに赤い外套を着せ、黄金の月桂冠の代わりに茨の冠を、そして王の笏の代わりに葦でできた棒を持たせ、その前にひざまずいて「ユダヤ人の王、万歳」とあざけるというくだらないことをして侮辱しました。そしてユダヤ人指導者がしたように(二十六章六十七節)唾を吐きかけた上、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けたのです。この雇兵たちによる残酷な愚弄と虐待は二十章に「人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである」(二十章十八、十九節)とあった預言の成就です。正規のローマ兵なら、こんなバカなことはしなかったでしょう。しかしいずれにせよ、ユダヤ人・異邦人の両方が、イエス様の虐待と殺害に深くかかわったのです。この光景には人類の罪が満ち溢れています。

そしてついにこの残酷な行為が終わり、兵士たちはイエス様に着せた外套を脱がせて元の服を着せます。準備が整いイエス様を十字架につけるために引いて行ったのです。この後、たまたまその場にいたキレネ人シモンという人物に、イエス様の十字架を無理に担がせた事が記されています。「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた」(三十二節)。たった一節だけですが、この福音書が最も伝えたいイエス様の受難とご復活の記事に一言挟んであります。処刑は町の外で行われていました。受刑者はその場所まで十字架または横木を自分で担いで持っていかなくてはなりませんでした。自らをくぎ付けにする棒を運ばねばならない、自分を埋める穴を掘らされた捕虜と同じ屈辱です。鞭うたれて痛めつけられていたイエス様に代わって「そこのお前、かわりに担げ」とでも言われたのでしょうか、イエス様と何の関係もないキレネ人シモンは十字架を無理に担がされることになります。

イエス様が十字架を担いでゴルゴタの丘に向かって歩かれた道、エルサレムのヴィア・ドロローサ、悲しみの道は狭い道です。目撃者は限られますから、後に本人が証言したのでしょう、実はわたしが十字架を担ぎましたと。マルコによる福音書では、このシモンのことを、アレクサンドロとルフォスの父で、シモンというキレネ人と書いてあります。容易に想像できることですが、マルコはアレクサンドロとルフォスという兄弟から、彼らの父親が経験したことを聞いて、その証言を記しているのでしょう。マタイはシモンの子供たちについては何ら触れていませんから、シモンから直接聞いたのではないでしょうか。聖書の記述は証言に基づいて書かれております。

嫌々引き受けたか喜んで引き受けたかは書かれていませんが、シモンは十字架を背負って主と共に歩いた人になったのです。わたしたちは前にイエス様が弟子たちにおっしゃった言葉を思い出します。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(十六章二十四節)。シモンの場合は自分の十字架ではなくイエス様の十字架ですし、自由意志ではなく強制的に背負わされていてイエス様の言葉とは異なりますが、わたしは、このキレネ人シモンが無理やり十字架を担がされたということは、とても大事な象徴的意味を持つのではないかと思っております。シモンはこの出来事によって、その後信仰に導かれたと信じられております。妻も洗礼を受け子供たちも信仰へと導かれたのでしょう。この時は分からなかったでしょうが、無理やり担がされたことは、実は大いなる恵みだったのです。偶然イエス様に出会った。それも病を癒してもらったとか、良い教えを聞いたとかではありません。処刑場に向かう、ぼろぼろにされたイエス様にたまたま出遭った。そして無理やり十字架を担がされた。しかしこの出来事が、シモンと家族の運命を変えました。恵みに生きることができるようになったのです。

兵士たちは「そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった」(三十三、三十四節)。これはダビデの詩篇にある「人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢を飲ませようとします」(詩編六十九篇二十二節)の通りですが、十字架刑の時は、一種の麻酔薬のように、苦しみを軽減させるための習慣だったと考えられております。イエス様の十字架刑は「彼らはイエスを十字架につけると」という、たった一言で終わっています。そしてすぐに「くじを引いてその服を分け合い」(三十五節)と続きます。衣服をとることも死刑執行人には認められていた習慣のようですが、マタイは「わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く」(詩編二十二篇十九節)という詩編の言葉に重ねて描いております。敵対者たちは義人から彼が持っていた最後の物を奪ったということです。マタイは十字架の出来事を旧約聖書の預言が成就したと見ています。イエス様の出来事はあらかじめ聖書に書かれていた、つまり、神の御計画に従って、すべては御心の通りに行われているということです。苦難の只中にも神は共におられたのです。

その後兵士たちは、座って見張りをしていました。「イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王イエスである』と書いた罪状書きを掲げた。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた」(三十七、三十八節)。十字架のイエス様を描いた絵には、たいてい頭の上のところにINRIと書かれています。これはナザレのイエス、ユダヤ人の王というラテン語IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVMの頭文字を記号のように書いたものです。聖書が言う罪状書きです。誰が見ても分かるように、ラテン語、ギリシア語、アラム語で書かれていたのでしょう。王はラテン語ならレックスRex、ギリシア語ならバシレウスβασιλεύς です。ギリシア語ならINBIとなります。ここでイエス様と一緒に十字架につけられた強盗のことが出てきます。イエス様の十字架が中心にあり、強盗たちがまるで従者のような形で両側に磔けられていました。

「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い』」(三十九、四十節)。頭を振るというのは旧約聖書では典型的な侮辱する仕草です。やはり詩編からの引用です。「神の子なら」と聞きますと四章でみた悪魔の誘惑を思い出しますが、こう言ったのは「通りかかった人々」で、悪魔ではありません。なぜ敵対していない通行人までもが、罵ったのでしょう。それは「これはユダヤ人の王イエスである」と罪状書きが掲げられていたからです。「ユダヤ人の王」とはメシアつまり救い主であるということです。人々はローマ支配からの解放者である救い主を待ち望んでいたのですが、目の前にいる「メシア」を自称した人は、十字架にかけられている、惨めな人物です。期待に応えられない、自分たちをローマのくびきから解放することのできないメシアなどありえません。ですからそれがあざけりになったのです。メシアと言ったのに何の役にもたたないではないかという、期待の裏返しの失望と怒りです。そこに悪魔が付け込んで言わせたのでしょう。神の子なら、まず自分を救えと。イエス様は最後の誘惑にも打ち勝たれます。自らを助け出そうとはされず、神の意志に従い、ただ神の御手にすべてを委ねられたのです。

「同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った」(四十一節)。祭司長たちも同じように侮辱しますが、意味合いが違います。彼らにとっては思い通りの結果でした。奇跡によって民衆を惑わし、権威に逆らうことをしたけれど、見ろ、結局化けの皮が剥がれたではないかということです。彼らは初めからイエス様をメシアだと信じてはいませんから、イエス様が無力な姿を晒している今、自分たちの正しさが証明されたのだと考えました。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう」(四十二、四十三節)という勝ち誇った言葉も、悪魔の「ここから飛び降りたらどうだ」を思い出させます。自分たちが正しかったのだ、ザマーみろと言ったのです。最後には一緒に十字架にかけられた強盗さえもイエス様をののしったと書かれています。

イエス様は、エルサレム入城のすぐ前に弟子たちにこう語っておられました。「人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(二十章二十八節)。イエス様は人々が期待している強い王としてのメシアではなく、人の罪を購うため、苦難と死に自らを委ねるために来られたのです。敵対者たちに逆らって力の行使をせず、神の御心通りに死を引き受けられたのです。罪なきお方がわたしたちのために命を献げてくださいました。それに対し、罪ある者たちが自分の誤った正義を振りかざして叫んだのです。神に見捨てられても仕方ない者たちが、神の名を口にして正しいお方をあざけりました。これこそ直視すべき、わたしたち人間の恥ずべき姿であり、神の御子を殺してしまった罪なのです。マタイは言います。そこでののしっているのは他ならぬわたしたちだと。そこにわたしがいるのだと。マタイが伝えたいことは、神に対する「人の罪」の姿そのものではないでしょうか。

わたしたちは、このことをしっかりと受け止めなければなりません。人はイエス様の十字架の前に立ち、自分の罪を突き付けられる経験をしてこそ神との正しい関係の中に生きることができるようになります。イエス様の十字架での死によって自分の罪が赦されたことを知って、はじめて恵みに生きることができるのです。自らの罪に泣いたことがない人は、他人に対して本当の優しさは持てないでしょう。教会の奉仕をしていると、自分のためではないのに文句を言われ責められることもあります。でもそれも恵みなのです。嫌々ながらであっても他人の十字架を背負わされるという経験が、わたしたちを強く生かします。イエス様がただ一人十字架の道を歩まれた時も、神はイエス様と共におられました。苦難の中でも、深い闇の中でも神は必ず共にいてくださるのです。

祈ります。

父なる神、今日、深い悲しみをもってイエス様の死刑の様子を聞きました。人々にあざけり嘲弄されてもイエス様はご自分を自ら助けることはされず、ただ一人、旧約聖書の詩編に預言されていたように、神のご計画に従われました。そんな神の御子を殺してしまったのは、まさにわたしたちでもあることを知り心が震えます。わたしたちはただひざまずいて自らの罪を悔い、イエス様の憐れみにすがるほかありません。どうかわたしたちを赦して下さい。自分の十字架を背負って、イエス様に従うことができますように支えてください。又ほんの少しでも主の十字架を担えますよう力を与えてください。そしていつも主と共に歩んでいけますよう守り導いてください。

主の御名によって祈ります。アーメン

 

9月1日の音声

 

 
2019年8月25日 聖霊降臨節第12主日
「死刑の判決」
マタイによる福音書27章1~2、11~26節

わたしたちは毎日祈ります。長く祈る人もいらっしゃいますし、短く祈る方もおられるでしょうが、祈らない人はおりません。声に出して祈らなくても、念じるように祈ることもあります。黙想する方もおられます。キリスト者は祈ります。わたしたちにとって祈りは欠くべからざるものです。では、いったい何を祈っているのでしょうか。今日も元気で過ごせるようにという願いも切実なものでしょうが、普通は神への賛美、罪の告白、感謝、とりなしが中心となります。日曜日にみんなで礼拝します時には、主の祈りを全員で声を合わせて祈りますし、全員の祈りとして司式者が代表して用意された祈りをなさいます。またわたしたちの教会では、毎週必ず詩編五十一篇を交読して祈ります。当たり前の様ですが不思議に思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。交読詩篇はたくさんあるのに、毎週なぜ同じ祈りをするのか。それはプロテスタント教会、特に改革派の教会の伝統なのですが、礼拝するときに「悔い改め」の祈りをすることがとても大切にされてきたからです。礼拝では必ず悔い改めをする。もちろんわたしたちの罪を悔い改めるのです。

ところで教会に来られて間もない方々の中には、わたしはそんな悔い改めなければならないような悪いことはしていない。ましてや声に出して一緒に唱えるなんて、ごめんこうむりたいと思われる方もおられるのではないでしょうか。実はわたしがそうでした。特に、「母がわたしを身ごもった時も、わたしは罪の内にあったのです」とは、何事かと思いました。まだ何もしていない、生まれてさえいない時から罪の中にあったとは、いくら信仰の詩といえども言い過ぎではないかと思いました。それでこの箇所に来るとつい言葉が途切れました。しかし、わたしたちがいかに罪深いかは今日聞きました福音書の言葉からよくわかります。

マタイによる福音書を二年半に亘ってずっと続けて読んできまして、二十七章まで来ました。イエス様が裁かれ死刑を宣告される場面です。実に重苦しい、悲しい場面です。この記事から明らかなように、死刑を宣告したポンテオ・ピラトという総督は、イエス様を死刑になどしたくなかったし、彼の妻も反対しております。「あの正しい人に関係しないでください」と助言、あるいは懇願しています。にもかかわらず、「十字架につけろ」と叫び続けた群衆の声に押し切られたのです。この叫び続けた人々は、どういう人たちでしょうか。外国人、つまりローマ兵やギリシア人などの異邦人ではありません。明らかにユダヤ人です。特にイエス様に敵対したユダヤ人でしょうか。ここまでご一緒に聖書を呼んできました方々はよくお分かりのように、イエス様を死刑にするように叫んだのはイエス様に反対したユダヤ人ではなく、むしろ逆で、イエス様を歓迎してエルサレムに迎えた人たち、二十一章で読みましたが、「ダビデの子にホサナ、イエス様万歳」と言って歓迎した人々だったのです。

今日の御言葉は「夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した」(一、二節)と始まりました。いよいよイエス様の最後の一日の夜が明けました。二十六章五十七節以下の場面では、真夜中にカイアファがイエス様を尋問しました。このときと同じように「祭司長たちと民の長老たち一同は」とありますが、これも最高法院がということです。夜も明けた頃、本会議の終わりにイエス様に有罪判決を下したということです。書き方から、この裁判が巧妙に仕組まれた罠であることがよくわかります。

イエス様を拘束するという第一目的は達せられました。残る目的はイエス様の抹殺です。祭司長たちと民の長老たち一同はイエス様を縛って引いて行って、総督ピラトに引き渡しました。イエス様は最初ユダヤの最高法院サンヘドリンで裁かれ、次いでローマ総督によって裁かれます。律法に対する違反、神への冒瀆では、イエス様を死刑にはできません。ユダヤには自治が認められておりましたが死刑にする権限はなかったのです。そこで、イエス様を自分はメシアだと言った、つまりユダヤの王を自称し、ローマに対する反逆を企てる者、テロリストであるとしてローマ法の下で死刑にしようとしたのです。最初からイエス様を殺すことが目的であったので、罪状はどうでもよかったのです。国家反逆罪に相当すると無理な決定を下し、ローマ総督による死刑執行に持っていこうとしました。ユダヤの律法では最高法院は昼間開くことになっておりますが、夜に一同が集まるよう全員集合がかかったのです。また、裁判は祭りの期間は行わないのが通例でしたのに、その規定も無視しています。何としても死刑にしたかったのです。

興味深いのは、イエス様が総督の前に立たれた時、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問する総督に、イエス様が、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになっていることです。「あなたがそう言っている」。あなたが言っているだけでそうではないと、おっしゃったのか、その通りだとおっしゃったのかこれではわかりませんけれども、「あなたがそういうならその通りだ」という意味です。もう少し解釈していうと、確かにわたしはユダヤ人の王であるが、あなたが言うユダヤ人の王ではない。つまり、わたしも自分がユダヤ人の王だと認めるけれども、あなたが言っているのとは意味が違うとおっしゃったのではないでしょうか。ここはちょっと日本語訳では分かり難いところです。この言葉を最後に、イエス様は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と十字架の上で叫ばれるまで、もう何も語られません。イエス様が神の民の王、人類の王であるという意味は、この後の徹底した沈黙が答えているように感じます。説明しても分かることではありません。黙って十字架への道を歩まれました。「ピラトは、『あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか』と言った。それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った」(十三、十四節)と書かれています。

過越しの祭りでは囚人に対する恩赦が慣例としてあったようです。人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたピラトは、「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか」と聞きます。バラバ・イエスは評判の囚人、皆に名前を知られた囚人、おそらくはローマに対する抵抗運動で逮捕された人ではないかと思われますが、ヨハネはこの人を強盗と呼んでいます。この強盗のイエスか、神の使者、救い主と呼ばれるナザレのイエスか、どちらを釈放するのか、イエス様の運命は群衆の決定にゆだねられたかの様です。祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得していました。そこで「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と聞くピラトに、群衆は叫びました、「バラバを、バラバを、キリスト・イエスではなくバラバ・イエスを釈放しろ」と。そして「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言う問いには、「十字架につけろ」と言ったのです。メシアとは、何度も申し上げましたが、ヘブライ語で、救い主、王という意味ですから、ギリシア語に置き換えるとキリストです。

何日か前には「ダビデの子にホサナ、イエス様万歳」と言って歓迎したにもかかわらず数日後には死刑にしろと叫んでいる人々。ではいったい、この人たちにイエス様はどんなひどいことをなさったのでしょうか。人々が幾分堕落はしていても、神の民であることに間違いはなく、おおむね良い性格で、信仰心があり、神の律法に対して情熱を持っていたことを、イエス様はご存じでした。ですから、間違った道に迷い込んだ羊の群れ、飼い主のいない羊の群れ、闇の中を歩む民としてやさしい目をかけ、人々の病をいやし、山上の説教で代表される教えを与えられました。もちろんイスラエルの民も人間ですからまやかしや、卑劣さと無縁ではなかったでしょう。しかしイエス様はそういった人の弱点をよくご存じの上で、彼らを愛し、誠実に関わりを持たれたのです。ガリラヤでも、エルサレムでも同じでした。ガリラヤの人々は愛されたけれども、エルサレムの人々は敵とみなされた、などということはありません。群衆はイエス様の敵ではありませんでした。ところが、その群衆が「十字架につけろ」と言ったのです。

イエス様に愛された人々、時にはイエス様のご愛に応えた人々でしたが、全くあてにならない、未熟で愚かな人々だったことがよくわかります。人々の顔は憎しみで歪んでいたのではないでしょうか。イスラエルを解放してくれるはずのメシアだと期待したけれども期待外れだった。力なく逮捕されローマの権力によって裁かれている、こんな役に立たない男は死刑にしろと人々は叫びました。期待が大きかった分、失望も大きかったのでしょう。周りの大勢が熱狂的に叫んでいます。小さなことでも、周りの声や周りの思いに逆らって一人正しいことを言うのには勇気がいるものです。ましてこのようなときに、自分だけ反対するのは容易ではありません。一緒になって叫びます、十字架につけろと。この群衆の姿はまさにわたしたちの姿ではないでしょうか。神に従うと決めていても、周りに流されてしまいます。一人正しいと思うことを貫く強さは持ち合わせてはいないでしょう。神の前に一人で立つ。それはイエス様がなさったことで、わたしたちは弱い存在です。

「ピラトは、『いったいどんな悪事を働いたというのか』と言ったが、群衆はますます激しく、『十字架につけろ』と叫び続けた」とあります。今日は音楽を専門になさる方々が、ゲストで礼拝しておられますが、バッハの有名なマタイ受難曲では、「ピラトは言った、あの人はいったいどんな悪事をしたのか」という言葉の後、すぐに次に移らないで、ソプラノが応えてこう歌うのです。「あの方はわたしたちすべてに良きことをしてくださいました。盲人の目を開き、脚の不自由な人を歩かせ、父なる神の言葉を語り、悪魔を追い払い、悲しむ人を奮い立たせ、罪びとを受け入れてくださいました。わたしのイエスは、それ以外の何もなさいませんでした」と。群衆はこう答えるべきだったのでしょう。それがバッハの主張です。でも、実際は十字架につけろと叫んだのです。

「ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。『この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ』」(二十四節)。ピラトは群衆の判断を変えることができないと見て、暴動を回避しようとします。イスラエルにいる間に、その儀式について知ったのでしょう、手を洗うジェスチャーをして、自分はイエス様の血に関係がないと言い、責任をユダヤの指導者たちに転嫁します。

それを受けて「民はこぞって答えた」のです。「その血の責任は、我々と子孫にある」と。マタイは、二十五節でそれまで群衆と言っていた言葉を「民」と言い換えています。すべての神の民がという意味です。旧約聖書の預言者エレミヤが言った通り、「彼らは聞き従わず、耳を傾けず、彼らのかたくなで悪い心のたくらみに従って歩み、わたしに背を向け、顔を向けなかった」(エレミヤ書 七章二十四節)のです。いまや民全体がイエス様の殺害の責任を引き受けることになりました。この言い方は、イスラエル全体がとうとう決定的にキリスト・イエスを拒絶してしまったこと、神の民であることを放棄してしまったことをはっきりと表しています。この罪の異常なまでの重さが示唆されています。

「そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した」(二十六節)。ピラトは群衆が要求していたことを行います。

ポンテオ・ピラトは新約聖書ではあまりにも有名な人ですから、少しだけ彼に触れておきます。彼はローマ帝国最北端、今のスコットランドの町で生まれました。西暦二十六年から、サマリヤとイドマヤを含めたユダヤ地方の第五代総督に任命されております。総督は軍事力を背景に、治安を安定させ、ローマへの税金を確実に集め、裁判を処理します。こういう立場の人物によくみられることですが、賄賂を取ったり恣意的な処刑を行ったり、ヨセフスの『ローマ古代史』による評判はあまりよくありません。いくつかの重大な事件に巻き込まれていますが、その原因として彼がユダヤ人の宗教心や、歴史、国民感情にほとんど関心を払わなかったことは確かなようです。ありていに言えば、ユダヤ総督に任命はされましたがユダヤ人が嫌いで、自分の弱さ、優柔不断を隠すために強圧的な統治をした男です。何よりも、自分では無罪だと信じていたイエス様を、民に迎合して処刑したことで、二千年に亘って世界中でその名を知られております。おそらく当時のローマ皇帝ティベリウスよりも彼の方が有名です。

さて、今日の聖書の御言葉は、読者であるわたしたちに何を訴えているのでしょうか。イエス様を憎んで殺したい者、自分の現実、罪をそのままにして今の在り方でよいとする者、つまり悔い改めない者は、キリスト・イエスか、バラバ・イエスかという究極の選択を迫られると、バラバの方を選んでしまうということではないでしょうか。神の手を払いのけて自己主張を貫く。わたしにキリスト・イエスは必要ない、そういった誇らしげで高らかな宣言が、実は愚かな選択と抱き合わせになっています。わたしたちを活かそうと神の手が伸ばされています。それがとりもなおさずイエス・キリストというお方の存在です。わたしたちが罪を悔い改めて、神の子とされるためです。「悔い改める」とは、帰るべき家に帰ることで、ヘブライ語では「シューブ」というのだとは、いつもわたしがする説明です。神を信じるとは、我が家に帰ることで、最も自然な、人として本来のあるべき姿だという意味です。わたしたちの中にはイエス・キリストを信じたい、信じてもいいと思う気持ちがあります。今年の三月に鎌倉雪の下教会で伝道説教をした時も、七月に北海道大学で多くの教授、大学院生に話した時も、はっきりわかったのですが、多くの人がイエス様を信じたいと思っています。でもはっきり最終的な決断がつかないのです。きっかけがない、あるいは深くうなずくことができない。わたしは別にイエス様を拒んでいるのではない。いやむしろ心の中にそっとしまってあるのだという感じです。しかし自分の終わりがいつ来るかは、誰も分かりません。ですから、わたしたちも今日も、たった今も、悔い改めるのです。

イザヤ書の五十三章四節以下八節までを読んで説教を終わります。イエス様のことが預言されています。
「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。・・・・・物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを」。

祈ります。

父なる神、今日、深い悲しみをもってイエス様の死刑判決を聞きました。群衆の恐ろしいまでの愚かさに驚きますが、これが自分とは無縁ではないことに気づき、さらに驚かされます。わたしたちはただひざまずいて自らの罪を悔い、イエス様の憐れみにすがるほかありません。どうかわたしたちを赦して下さい。こんなわたしたちのために十字架についてくださったイエス様に、心より感謝します。どうか主に従って歩んでいけますよう守り導いてください。主の平和を与えてください。

主の御名によって祈ります。アーメン

8月25日の音声

 
2019年8月4日 聖霊降臨節第9主日
「ユダ、自殺する」
マタイによる福音書27章3~10節

 

先週のペトロの否認に続いてユダの自殺が語られます。ペトロがイエス様を知らないと否認する悲しい話は、イエス様が尋問をお受けになった話と並んでいると先週申し上げました。イエス様が大祭司の前ではっきりとご自分が神の子救い主、ユダヤ人の王、主であることを明言されたのに対し、ペトロは女中に言われただけなのに、自らをごまかし、あんな人は知らないと言いました。イエス様の物語に対比してペトロの物語が置かれていて、そういう意味でマタイ福音書二十六章五十七節から七十五節まではひとつの物語でした。そして今日からいよいよ二十七章です。ところで、これまでの二年半にわたって、ずっと連続講解説教で、一節も飛ばさないで順にマタイによる福音書を聞いてまいりましたから、今朝の週報を見て、二十七章に入って一、二節がなく三節から説教がなされることに「あれっ」と首を傾げた方もいらっしゃるのではないかと思います。月間予定表や三か月予定を見ていてくださる方はお判りでしょうが、次回、ここも飛ばさずに説教されます。二十七章の一、二節はイエス様が死刑にされるためにピラトに引き渡される場面が記述されています。ペトロの裏切りから、イエス様に視線が戻ります。ところが、続いてピラトによる裁きが語られるのかと思いますと、唐突にユダのことが挿入されています。イエス様が裁かれる物語の中に、ユダの自殺が挟まって語られているのです。そのユダの物語は「そのころ」と始まりますが、ユダの物語の前や後には、祭司長たちはピラトのところにいるのに対し、ユダの物語では神殿にいます。この場所へのユダの物語の挿入は、明らかに何らかの意図があります。イエス様がわたしたちのために十字架におつきになったこの重大な出来事の途中に、弟子であったペトロの裏切りに続いてユダの自殺が並べて書かれていて、ペトロとユダが比較されているのです。なぜマタイはユダの話をイエス様が裁かれ殺されることが決まる途中のここに挿入したのでしょうか。ユダの裏切りは二十六章の前半で語られ、二か月前の六月二日に説教されました。突然、続きが飛んでここに出てきました。ペトロとユダは何が違うのでしょうか。この二人を比較することによって後の世の弟子であるわたしたちに、マタイはどうしても伝えたいことがありそうに思えます。いったいそれは何なのでしょう。

マタイは、イエス様の十字架の前に立たされるわたしたちに、ペトロとユダの裏切りとその決着のつけ方の対比を示すことによって、主に従っていくという信仰生活で最も大切なことを語っています。そういう意味では、二十六章の後半から二十七章の前半も、また大きな一つの物語と言ってもいいのです。福音書は四つとも復活がクライマックスでしょうが、わたしは、このペトロとユダの違いに目を留めさせるこの箇所もクライマックスのような気がしております。神の救いの物語、イエス物語の頂点です。

それではいつものように順を追って見ていきましょう。「そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、『わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』と言った」(三、四a節)。ユダは最高法院がイエス様を逮捕できるように協力したのですが、実際に事が起こってみると、最高法院はイエス様をローマ総督に引き渡すことになります。ひょっとしたらユダも、ペトロ同様に遠巻きにしながらことの成り行きを見守っていたのかもしれません。カイアファの屋敷の中にまでは入いらなくとも、屋敷の外でことの成り行きを見守っていた可能性は十分あるのではないでしょうか。自分のしたことの結末ですから、気になったに違いありません。

まさかローマ総督に引き渡されて殺されることになるとは思わなかったということでしょうか。ユダはイエス様を裏切ったことを後悔したと書かれています。ここでの「後悔する」という言葉は、悔い改めではなく、悔やむとか心を変えるという意味の単語が使われています。まずいことをしたなということです。しかし違いはわずかです。ユダの後悔が単に上辺だけのものでなかったことは、お金に対して執着のあった彼が、裏切りに際して手に入れた銀貨三十枚を返そうとしたこと、また、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」とはっきり告白していることからも明らかです。

「罪のない人の血」はギリシア語訳の旧約聖書に何度も出てきます。ユダヤ人にはなじみ深い言葉です。血は命ですから、無罪の人の命を奪ってしまったという表現です。この期に及んでとでもいうべき時に、ユダは「イエス様は無実だ。自分の行為は間違っていた、罪を犯した」と言ったのです。この告白は、イエス様には罪がないということを、ピラトの尋問を前にした、まさにこの時にはっきり語られています。

「しかし彼らは、『我々の知ったことではない。お前の問題だ』と言った」(四b節)。最高法院の側は、ユダなどどうでもよかったのでしょう。自分の先生を裏切った奴にすぎません。イエス様には罪がないというユダの断言を否定すらせず、我々には関係がない、知ったことではないとユダを突き放し、自分のことは自分で始末せよと言っております。彼らにとってユダは道具でしかなく、いったん役に立てば後はどうなってもよかったのです。

もはやユダには自分の行為を後戻りさせることはできません。「そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ」(五節)のです。「投げ込んで」とありますが、本当に投げ込んだのか、そもそも神殿に投げ込むことができるかどうか分かりません。そっと置いたのかもしれません。「置いた」と訳してもいい言葉です。マタイは、ユダの死については一言、「首をつって死んだ」とだけ言います。マラナ・タ教会には、旧約聖書を詳しくお読みになっている方々が何人かおられますので一言触れておきますが、サムエル記下の十七章に記載のある、ダビデを(謀反を起こした息子アブサロムに)売り渡した裏切り者のアヒトフェルの死に用いられたのも、「首をつって死んだ」(七十人訳サムエル記下十七章二十三節)という同じ言葉です。ユダの死とアヒトフェルの死に、共通点を見ることができます。ある事柄を記述するときに、そのことと似た過去の出来事から影響を受けるのはよくあることですが、あまりにも両者を直接的に関連付けて類推を拡大するのは控えた方がいいでしょう。また、使徒言行録の一章にはユダの死がもう少し詳しく違ったふうに報告されていますが、マタイにとって実際の死に方はどうでもよかったのです。ユダが自分の過ちに彼なりの決着をつけたことが焦点でした。

マタイは祭司長たちに視点を戻します。「祭司長たちは銀貨を拾い上げて、『これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない』と言い、相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。このため、この畑は今日まで『血の畑』と言われている」(六~八節)。祭司長たちは銀貨を見つけます。そしてそれを血の代金と言っております。我々には関係がないと言っていたのに、命と引き換えになった金だと認識しているのです。自分たちが罪のないものを殺したと認めているのと同じです。その上でこういう買収のために支払われた金は祭儀的にはきれいなお金とは言い難く、神殿の金庫には入れられないから、清くない金で清くない異邦人のために、清くない土地を購入することにしたのです。外国からユダヤに来て、なんらかの理由で亡くなった人の墓地にしました。このため、イエス様の流された血にかかわる畑と呼ばれるようになったと書かれています。マタイがこれを書いているのは、ユダの死後三十年以上たってからです。

「こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。『彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。主がわたしにお命じになったように、彼らはこの金で陶器職人の畑を買い取った』」(九、十節)。マタイはイエス様だけでなくユダの死に関しても聖書の言葉、エレミヤの預言が実現したと言っております。ところで「こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した」という言葉は二章十七節にも出てきました。ヘロデが二歳以下の男の子を、一人残らず殺させたところです。恐ろしい出来事が成就された時この言い方がされています。しかし、九、十節の言葉自体は旧約聖書にそのまま出てきません。ユダヤ教指導者が、陶器師の畑を買って銀三十枚を支払ったというような出来事を暗示する記事もありません。ユダヤ人は旧約聖書の出来事を再解釈して、自分たちの身の周りのことを説明するという習慣がありましたから、有名な預言者と関連付けて、マタイはすべて神の御計画の通りになっていくのだと言ったのです。

ユダの自殺という結末がこんな風に語られ、祭司長たちこそがこの陰謀の責任者であり、張本人であることがはっきりわかりました。ここから先はピラトに主導権が移ります。この後、彼らはもう自分たちの力で事を行うことは無くなります。

さて、マタイはペトロの裏切りに続けてユダの自殺を並べて書くことによって、後の世の弟子であるわたしたちに、どうしても伝えたいことがあるのだろうと最初に申し上げました。一体それは何でしょう。ペトロとユダを比較できるように書いていますが、ペトロとユダのどこが違うのでしょう。

ペトロもユダも重大な罪を犯しました。ペトロはイエス様を否認したのですが、ユダはイエス様を売り渡してしまいました。迫害の時代、イエス様を否認した人々はまた教会に戻ることができましたが、仲間のキリスト者を売り渡した人は教会に戻れません。迫害を受け信仰をなくすだけではなく、告発する側に回って自分を守ろうとする者もいた初代教会にとって、仲間のキリスト者を敵に売るという行為は、今考えるよりずっと恥ずべきで重大な行為でした。しかし、わたしはペトロとユダは紙一重であると思います。ペトロは、自分の情けなさに愕然として「激しく泣きました」。何もできなかったのです。自分で何もできず、ただすべてを委ねることしかできませんでした。大きな汚点を背負ったままです。汚点を負ったままで神の憐れみにすがったのです。一方で、ユダは彼なりに後始末を付けました。彼の自己主張、美学かもしれません。ユダにしてみれば、このまま何もしなければ「罪のない人」を殺す片棒を担いだだけになります。そこで銀貨を返し、首をつったのです。自分の命を絶つことで「埋め合わせ」をしようとしました。自分で自分を裁いて、すべてを償おうとしたのです。ユダは倫理的な意味での救いがたい罪人ではないかもしれせん。ユダの最大の罪は自殺したことではなく、恵みに絶望したことです。神の恵みに期待することができなかったのです。自殺はその結果にすぎません。神の憐れみに身を委ねることができませんでした。

このことが二人の「生き死に」を左右しました。自分で埋め合わせもできず、格好も悪いペトロの方がイエス様に愛されて、大胆に生きることができるようになっていきます。殉教に至るまで弟子として忠実に生きることができました。ユダは潔く死をもって始末をつけました。ある意味では格好をつけたのですが、極端に言えば、「先生、もうあなたに救ってもらうことはあきらめました」と言ったのです。イエス様が宣べ伝えられた恵みの信仰から抜け落ちてしまいました。御前から失われた者になってしまったのです。

神の前に格好よく生きたい、口にはしなくてもわたしたちは多かれ少なかれそう思っています。イエス様を信じると言いながら、実はイエス様を信じて立派にやっている自分を信じています。あんなことをやった。今こんなことをしている。ことあるごとに自分の経験を証と称して語ります。しかも往々にして自己主張していることに気付いていません。これは、わたしには憐みなんて必要ありませんと言っているのと同じことです。神の愛なんて幻想でしょうし、そんなものはわたしには関係ありませんと言っているのと何ら変わりはないのです。自分の力と愛で生きていきます。それが失敗すれば、自分で責任を取ります。人様に迷惑はかけません。これではユダです。自分で自分に決着をつけ、神に自分を触らせなかったのです。わたしがわたしの王である。この主張は極端に言えば売春婦と同じです。わたしの体はわたしのもの。どうしようが自分の勝手、他人から説教されるいわれはない、となるのです。

この裏返しが教会でも見られます。マラナ・タにはいらっしゃいませんが、あちこちの教会で何度も見かけました。自分はダメなものです。何もできないのですと言うのです。謙遜を装っていますが、あなたとは違うと言っているだけで、自分は特別な人間ですと主張しているのと同じです。あなたのように賢くはない、でもこれだけはわかってほしい、自分の言う事を聞いてほしい、こんなことをしてほしい、と自己主張しているだけです。何もないけれどもこれだけは持っています。他の人とは苦労の度合いが違うんです。この辛さを知らない人には、何もわからないでしょう。何でも自分でするというのと、何もできないというのは同じことの裏返しです。自分がする、自分のできることだけに目が向いています。聖書が語る福音はそうではありません。大事なのはすることではなく、主にしていただくことです。主に委ねることです。

わたしたちが救われたのは、自分の確かな信仰のゆえではありませんし、あるいは逆に自分の無能の故、自分の特別なみじめさの故でもありません。ただ、ただ神の助けがあったからです。神の助けは必要不可欠なものです。もう神に頼る必要がなくなったと勘違いされるまでに科学も技術も進歩しました。人は医学に救いを求めます。それでも、現代医学のなしえる限界を超えて現状を変えたい人には、スーパードクターだけではなく、神の助けが必要です。どんな人にも神の助けが要ります。神の助けがいらない人などいません。すべての人にとって神の助けは必要なのです。そして、それは得られるのです。ペトロとユダの出来事はわたしたちにそれを教えてくれます。神の助けがある、感謝してそれを受け取るところ、信仰から新しい生き方が生じます。「われ思う、ゆえにわれあり」ではなく、神が共におられるので、「われ信ず、ゆえにわれあり」です。


祈ります。

父なる神、イエス様が祭司長たちとピラトによって裁判にかけられ殺されようとしておられる、まさにその時、弟子であったユダは首をくくりました。ペトロはあんな人は知らないと言いました。わたしたちは大きな過ちを冒すときがあります。そのようなときさえ大きな愛で包んでくださるその恵みに感謝します。裏切り、不安、わたしたちにも無縁とは言えません。でもどうかユダではなくペトロのように生きることができますように。イエス様が共におられることを信じ、すべてを委ねて歩めるようお支えください。

主の御名によって祈ります。アーメン

 

8月4日の音声

 
 
2019年7月28日 聖霊降臨節第8主日
「ペトロ、イエスを知らないと言う」
マタイによる福音書26章69~75節

 

先週はイエス様が最高法院で尋問された様子を聞きました。マタイはこのあとイエス様からいったん目を転じ、二人の弟子の悲しい出来事を語ります。ペトロの否認とユダの自殺です。今日はペトロの出来事です。イエス様が厳しい尋問をお受けになった。こういう時に祈るべき一番弟子が、わが身の保身を図り「あんな人は知らない」と言ってしまったのです。これまで、ペトロは主を否認するようなことは決してないと大っぴらに語っていました(三十四節)。ゲツセマネでは勇気あるところを見せ逮捕に来た者に切りかかったようです。いったんは他の弟子同様逃げてしまったにせよ、イエス様が逮捕された後も、これから何が起こるのかを見届けるべく、大祭司の私邸までついてきたのです。けれどもペトロがイエス様に従ってガリラヤから来た一人だと見知っていた女中が、この人はあの人の仲間だと言い始めると、いとも簡単に否定しました。しかも一度や二度ではなく三度も。四福音書がすべてこのペトロの出来事を伝えております。この場にほかの弟子もいたとマタイは言っておりませんから、目撃者はおりません。マタイは後にペトロから直接この出来事を聞いたか、あるいはペトロから聞いた誰かから聞いたのでしょう。初代教会ではたいそうよく知られた伝承で、ペトロが繰り返し語ったものと思われます。ペトロこそがこの出来事の証言者です。後になって、イエス様の出来事とともに自らのみじめな姿をどうしても語っておくべきだと考えたのです。

マタイは、これまでにもペトロの失敗に何度か触れております。使徒のリーダー格である彼の失敗が語られているということは、使徒たちが皆そうであったということを思わせます。しかもこういう不名誉な行為が、最高法院がイエス様を裁くという大事なときに起こったのです。日本の侍なら、こういうときは命がけでイエス様を守ろうとしますし、先生が捕まれば、わたしもこの人の仲間だと申し出るような気がします。時代劇の見過ぎでしょうか。そして最後に鶏が鳴きました。イエス様がお前は裏切るぞと予告なさった言葉を思い出して激しく泣きました。これが今日聞きました出来事です。では、順を追って見て行きましょう。

「ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、『あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた』と言った」(六十九節)。日本語訳にはありませんが、「ところで」とか「さて」という言葉があって、ここまでの話が方向転換します。イエス様の出来事からペトロの出来事へ視点が移ります。この文章はイエス様が捕まえられてカイアファのところに連れていかれた話の途中に挿入されていた五十八節「ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた」に繋がっています。五十七~七十五節はひとつの話と言ってよい物語で、イエス様とペトロが対峙するようクローズドアップされています。ペトロは中庭の外の方に目立たないようにじっと座っていたのですが、女中の一人、若い女性でしょうが、好奇心いっぱいでおしゃべりだったのでしょう、遠くからペトロを目ざとく見つけてやって来ます。そしてペトロに向かって「あなた、あなたもあのガリラヤのイエスと一緒にいたでしょう」と断言したのです。ガリラヤという言葉には幾分軽蔑の響きがあったと思われます。エルサレムの人にとっては、ガリラヤなんて遠く離れた何もないところくらいの感じでしょうか。今でも東京に行きますと、京都も大阪も地方と言われます。ニューヨークでは、北も南もすべてひとまとめにしてミッドウエストと呼びます。ニューヨーク以外はすべて中西部の田舎という意味です。イエス様はいかにもガリラヤの人という雰囲気があったのではないでしょうか。「イエスと一緒にいた」というこの女中の指摘に「ペトロは皆の前でそれを打ち消して、『何のことを言っているのか、わたしには分からない』と言った」(七十節)のです。はっきりとそうではないと言わずに、何のことを言っているのかわからないというのは、ごまかしです。不意をつかれて「違う、そうではない」とまでは言えなかったのでしょう。

これはまずいことになったと思ったペトロは不安に駆られ、すぐ逃げ出せるように門の近くまでゆっくり後退します。運悪くここでも別の女中に見つかりました。「ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、『この人はナザレのイエスと一緒にいました』と言った」(七十一節)。見下した感じがする言い方です。あのナザレのイエスと一緒にいたと言っています。ガリラヤというよりもナザレという方がずっと田舎の感じがします。貧しく寂しい村という含みがあります。フィリポがナタナエルにイエス様を紹介した時、ナタナエルは「ナザレみたいな辺鄙な村から何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ一章四十六節)と言った、そうヨハネは伝えておりますが、この女中も、ペトロのことをあの田舎者と一緒にいた仲間だと言ったのです。「そこで、ペトロは再び、『そんな人は知らない』と誓って打ち消した」(七十二節)のです。今度は、ペトロははっきり知らないと言いました。誓って言いました。嘘だったら神の罰を受けてもいいという強い否定です。何を言っているか分からないというのではなく、そんな人は知らないとはっきりイエス様を指して言いました。これまでずっと「主」と慕って来た方を、そんな奴は知らないと言ったのです。イエス様は「人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う」(十章三十三節)と人前でイエス様を認めることの重要性を語っておられました。イエス様が大祭司の前で公然と自分はメシアだとお認めになって自らを表されたのに対し、ペトロは大祭司ではなく単なる女中に言われただけなのに、自らをごまかし、あんな人は知らないと言ったのです。ペトロの弱さがはっきり出ております。

おそらく逃げ出したい気持ちはあったのでしょうけれども、それでもイエス様のことが気にかかります。「しばらくすると」というのは、たぶん何十分か後ですが、まだ逃げ出せないでおりました。そのときに「確かに、お前も間違いなく仲間だ」と言われてしまったのです。こう書かれています。「しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。『確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる』」(七十三節)。ペトロが話したガリラヤなまりのアラム語は、すこし知識のあるものならどこの出身か分かるものだったでしょう。喉音やシュ、トゥという語尾がはっきりせず、言葉のアクセントが違うのです。ガリラヤの人は言葉がはっきりせず、会堂で聖書を朗読したりみんなを代表して祈祷をしたりするのを禁じられている場合もあったようです。わたしが若いころ、東北や南九州の田舎を旅行している時、道を尋ねてもその答えが全く分からず苦労したことがあります。特に東北の言葉は語尾に「まんずー」みたいに「ずー」とつくので、差別的に「ずーずー弁」と言っていました。上野の駅なんかで福島や山形のおばあさんが話しているのを聞くと外国語のように聞こえました。

「そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた」(七十四節)。「呪いをかけて誓う」、これも強い表現です。もし嘘だったら神の呪いを受けてもかまわないと宣言したというようにもとれないことはありませんが、文脈からみると、「イエスというやつは神から見捨てられたのだ」とイエス様を呪ったように解釈する方が自然です。これは二度目よりもさらにずっと強い表現です。するとすぐ鶏が鳴きました。「ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた」(七十五節)。ペトロがこれ以上ないというくらい強くイエス様を否定した時、鶏が鳴きました。ペトロはハッと我に返ったのでしょう。イエス様と共にいるという最も大事なことを否定してしまったことに打ちのめされます。ゲツセマネに向かう途中、鶏がなく前にあなたは三度私を知らないというだろうと予告されたイエス様の言葉が頭をめぐります。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(三十五節)、絶対にそんなことはありませんと抵抗したのに、その通りになってしまったのです。人前で泣く勇気がなかったのかもしれません。ペトロは中庭から外に出て激しく泣きました。激しく泣き、自分を悔いました。

マタイは記しておりませんが、ルカはここでイエス様が振り向いてペトロを見つめられたと書いております。イエス様の悲しげなお顔が目に浮かぶようです。イエス様はペトロをどう思われたのでしょうか。説教後に歌う讃美歌一九七の二節が有名です。前の讃美歌にもありまして、よく歌われました。「ああ主のひとみ、まなざしよ、三度わが主を否みたる、弱きペトロを顧みて、赦すはたれぞ、主ならずや」。赦されるはずのないペトロをお赦しになったのです。イエス様が赦されたのはペトロが後悔したからではありません。そうではなくて、イエス様はもっとずっと大きな観点からペトロを包み込まれたのです。これは、ただただ神の恵みにほかなりません。このイエス様の姿に、慰められた人は多いでしょう。

ペトロがイエス様を知らないと否認する悲しい話は、イエス様の裁判の話と並んでおります。大祭司の前でイエス様が、「人の子は全能者の右に座るもの、天の雲に乗って地に降るもの」だと宣言しておられるまさにその時、同時進行する形でペトロは三度もイエス様を知らないと言ったと書かれているのです。説教のはじめの方で五十八節と六十九節は繋がっていると申しましたが、イエス様の物語に対比して、ペトロの物語が置かれています。この意味で、このマタイ福音書二十六章五十七節から七十五節まではひとつの物語なのです。

この出来事、ペトロの三度の否認は決して明るい出来事とは言えません。イエス様に対する誠実さやしっかりした信頼を持ち続け、それらが揺らぐことがなかったので教会のリーダーとなっていったわけではないことがはっきりわかりますから、ペトロにとっては、むしろ秘密にしておきたかったことかもしれません。しかしペトロは何度もこのことを語ったのです。ペトロはいろんな失敗をしていますが、今回はイエス様と一緒にいたことを否定し、イエス様のことを知らないと言ったのです。イエス様に対する重大な裏切り行為です。けれどもこのように、後悔し激しく泣かざるを得ないようなことをしてしまった時、罪と弱さを暴露してしまった時にさえ、イエス様は赦してくださったのです。このご愛がこの後のペトロを支えたのではないでしょうか。「わたしは神の子、救い主、人の生と死と裁きを任された者。あなたは今からそれを見る」とおっしゃったそのお方が、ペトロがだらしなかろうがみじめであろうが、彼を愛し支えてくださったのです。三度も否認したペトロ、それでもこの裏切り者のペトロは支えられて、やがて殉教に至るまで弟子として忠実に生きることができたのです。神の大きな愛を見ることができます。

わたしたちが救われたのは、自分の確かな信仰のゆえにではありません。神の助けがあったからです。神の助けは必要不可欠なものです。神の助けなんて、ナンセンスで必要ないという人でも、医学の助けが必要だと思う人はいっぱいおられます。先日、自分の子供がインシュリンの出ない病気、Ⅰ型糖尿病である哲学の先生とお話をしました。ずいぶん辛らつに厳しく学問を語る、やや皮肉っぽい先生ですが、そして聖書を学問的に読んではいても信仰に至らない方ですが、子供の話になると優しい父親の顔になります。助かる可能性はあるかと真剣にわたしにお尋ねになりました。近代医学は百年程の歴史しかありません。十九世紀までは、抗生物質もありませんでしたし、感染症のメカニズムも分かりませんでした。精神の病、遺伝的な病についても何もわかりませんでした。麻酔が効かなくて、手術は出来ませんでした。効果が期待できる薬もほとんどなかったのです。多くの人は神の助けを求めました。ところがこの百年ほどの間に、医学は飛躍的に発展しました。医学的手当てでかなりの症状が治るようになり、もう神に頼る必要がなくなったと勘違いされるまでになりました。それでも、現代医学のなしえる限界を超えて現状を変えたい人には、医学だけではなく、神の助けが必要です。他人を愛する力を得たい人、ねじれてしまった自分の性格を直したい人にも、神の助けが要ります。いえ、神の助けがいらない人などいません。すべての人にとって神の助けは必要です。そしてそれは得られるのです。ペトロの出来事はわたしたちに希望を与えてくれます。神の助けがあると信じるところから、新しい生き方が生じます。


祈ります

父なる神、弟子たちのリーダーとして用いられたペトロが、イエス様と一緒にいたことを否定し、そんな人は知らないと言い切った出来事を知るとき、人の信仰の小ささ罪深さと、神の恵みの大きさ力強さを感じます。それと同時に、いつも共にいて支えてくださることを信じ、この奇跡に感謝します。どうかこれからもいつも共にいて守り導いてください。そして小さな信仰のわたしたちをも十分に用いてください。

主の御名によって祈ります。アーメン

 

7月28日の音声

 
 
2019年7月21日 聖霊降臨節第7主日
「侮辱され、裁判を受ける」
マタイによる福音書26章57~68節

最後の晩餐から始まったイエス様のご生涯最後の夜の出来事を継続して学んでおります。ユダの裏切りにより、ついにイエス様は逮捕されました。除酵祭の木曜日、真夜中の出来事が続きます。

「人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた」(五十七、五十八節)。逮捕されたイエス様はすぐに大祭司カイアファのところに連れて行かれます。そこはカイアファの屋敷で、公的な場所ではありませんが、既に律法学者や長老たちが集まっていました。この時、逃げたはずのペトロが入れないはずのこの大祭司の自宅の庭にまで入って来ています。ペトロは逃げたままではなく、遠く離れてではあってもイエス様に従っていたのです。

「さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった」(五十九~六十a節)。最高法院の全員が揃っています。彼らの目的は、以前にも「計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した」(四節)とありましたように、イエス様を死刑にすることです。属州ユダヤの支配者は、治安維持についてある程度の統治権を任されていましたので、神殿における商人や両替人との出来事があって以来、イエス様は治安を脅かす危険人物として目をつけていたのです。もし民衆がメシアだと思い込んで反ローマで立ち上がりでもしたら大ごとになります。裁判が開かれておりますが、形式的手続きをしておこうというだけのもので、もちろん公正な審理ではありません。普通に審理したのでは有罪にできそうもないと思ったのでしょう、裁く側が始めから偽証人を求めています。偽証人は何人も現れますが、目的を達することができません。

「最後に二人の者が来て、『この男は、「神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる」と言いました』と告げた。そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。『何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。』イエスは黙り続けておられた。」(六十b~六十三a節)。最後の二人の証人の言葉は、完全に偽証かどうかわかりません。イエス様は律法に忠実な方ですから、神殿には反対はされていませんが、エルサレムに対し「お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる」(二十三章三十八節)とおっしゃったことも、神殿の建物を指さし「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」(二十四章二節)とおっしゃったこともあります。また十二軍団以上の天使を天の父に要請できる方です。神への従順からそのようなことはなさいませんでしたが、神殿を壊し、建て直すことはすぐおできになるはずです。最後の二人の発言は、当人たちは偽証をしたつもりでも、内容は本当のことを言っていたのです。ここまで、いくつもの偽証、嘘が並べ立てられますが、イエス様は反論なさいませんでした。何もおっしゃらないイエス様に、大祭司は「何も答えないのか」「どうなのか」と答えを求めます。イエス様は黙り続けておられました。黙っていると不利になりますが、それでも何もお答えにならなかったのです。イザヤ書にある有名な言葉「苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」(イザヤ書五十三章七節)を思い起こします。またイエス様ご自身がイザヤ書を引用して「彼は争わず、叫ばず」(十二章十九節)とおっしゃっていたことを思い出します。

「大祭司は言った。『生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。』イエスは言われた。『それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る』」(六十三b~六十四節)。イエス様が黙っておられるので前に進めません。イエス様に宣誓させた上で、神の子、メシア、ギリシア語ではキリスト、だとはっきり言うよう迫ります。生ける神に誓ってというのは大祭司の強い命令です。必ず答えなさいということです。もちろんこの問いは、一種の罠です。「そうだ」と答えれば、自分を神の子だと主張した、おれは神だと言ったのと同じで、これは冒瀆罪で死刑になってもおかしくありません。違うと答えれば、これまでの働き、癒し、奇跡、宮清め、あれはいったい何だったのかということになります。ここで始めてイエス様が言葉を発せられます。誓いは神の意思に反しますから、イエス様は誓われるのではなく、あいまいにお答えになりました。「あなたのいうとおりだ」と訳しますと明らかな肯定ですが、「それはあなたが言ったことです」と訳されています。その後にご自身の言葉を続けられます、「あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」と。神の右の座とは、神の右に座っている主、王であり支配者です。詩編百十篇に「わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう」とあります。イエス様は、大祭司に問われたことを大きく越え、ご自分が神の右の座に座られる方であること、やがて天の雲に乗って来られると告げられたのです。神の子メシアであるばかりでなく、裁き主として来るとおっしゃったのです。今まで弟子たち以外には語られなかったこのことを、裁判人に向かって公にはっきりとおっしゃいました。

「そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。『神を冒瀆した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒瀆の言葉を聞いた。どう思うか』」(六十五~六十六a節)。イエス様の返事に、大祭司は、神の右の座に座り、世界を裁くなどと言うことが許されるはずがないと感じたのです。唯一の神に対する反逆だと思いました。そこで「神を冒瀆した」と言い切り、神への冒瀆を聞いた証人として服を引き裂きます。神冒瀆を最初に聞いた者は、自分の着物を引き裂いて強い遺憾の意を表すのが当時の習慣です。そして、その一言で十分であるとして、議長権限で議員たちに結論を求めました。皆にどう思うかと尋ねたのです。

「人々は、『死刑にすべきだ』と答えた。そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、『メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ』と言った」(六十六b~六十八節)のです。人々が死刑にしろと言います。最高法院全員が証人です。もうこれ以上証人はいりません。顔に唾を吐くことは最も深い軽蔑の表現です。ここもメシアと訳されていますが、ギリシア語で「キリストよ」と先ほどの大祭司の言葉に呼応して呼びかけ、メシアならだれが殴ったかわかるはずだろうとからかっています。救い主が、わたしたちと同じ人として、バカにされ苦しまれました。そのお姿をここに見るわたしたちは、沈黙せざるを得ません。

ここで聖書を読むときしばしば出てくる最高法院について少し触れておきます。サンヘドリンと呼ばれますが、祭司長二十四人、民の長老二十四人、律法学者二十二人で、計七十人、それに議長を務める大祭司を加えて七十一人から構成されています。宗教上の問題を主として扱うのですが、宗教が生活と一体化しておりますから民事、刑事、納税などに関しても議論されます。ユダヤの権威ある規則集ミシュナーによりますと、議員七十人中二十三名が集まれば会議が成立したそうです。古代にしてはよく整った制度で、まず赦されるべき証拠が論じられ、続いて罪に定めるべきだという証拠が論じられ、被告の立場は尊重されていて、弁護人が被告を擁護する時間が十分取られていたのです。ひょっとすると江戸時代の奉行所の裁定よりも制度的にはしっかりしていたかもしれません。判決は議員が起立して賛成反対を表明しますが、過半数で無罪、有罪とするには三分の二の同意が要ります。ですからある場合は有罪にはならないが無罪でもない、灰色になります。無罪の場合はすぐ放免されますが、有罪の場合は翌日宣告されます。これが一般的な裁判のやり方です。近代の人権に配慮したやり方を思わせますね。

ところがイエス様の場合は、この普通のやり方と違って、いくつも妙なことがあります。まず夜開かれているということ。祭りの前日、当日という普通は開かれない時に開かれていること。大祭司の私邸、自宅で開いていること。弁護人がいないこと。有罪とする決定的な証拠がないこと。さらに、判決後すぐに死刑になっていることなどです。もちろん今わかっている最高法院のやり方が書かれたミシュナー法は、二世紀のラビたちがまとめた規則ですから、神殿が崩壊した後のローマによる支配下で、実際上は守るのが不可能な時代に理想的な法として確定されているものです。イエス様の時代とは違うのかもしれません。状況や政治的必要に応じて変えていたのでしょうが、それにしてもずいぶん無理な裁判を強行したように見えます。

この後二十七章に入ると分かりますが夜明けとともに、彼らはイエス様を総督ピラトに、ユダヤの王と名乗ってローマ皇帝に反逆を企てた人物として引き渡します。反ローマの危険人物、民族主義に凝り固まったガリラヤの狂信者、国を解放しようとするメシアに仕立て上げて、ローマの手によって処刑させようと最高法院は動きました。裁かれているのはイエス様ですが、本当に裁かれているのはサンヘドリンの方です。やがて終末の日に裁きを受けるべき人たちが、その裁きをなさるイエス様を裁こうとしているのです。

自らを神の子、救い主と言った。この男は正気ではない。この男は自分を神だと言った、神に等しいものだと言った。神への冒瀆だ、死刑にしろと裁判は進みました。この裁判はマルコ、ルカ、ヨハネ、すべての福音書が伝えております。とても有名なシーンです。絵画では大祭司は悪い顔に描かれております。何年か前、パッションという映画が大変話題になりました。ご覧になった方も多いでしょう。あまりにも生々しく血なまぐさいと女性には不人気でしたが、「ユダヤ人の大祭司やその仲間の祭司長たちが、悪く描かれすぎている。いかにも悪い奴という描き方はユダヤ人への偏見である」という抗議の声も多く上がりました。わたしも同感です。わたしは、この時の大祭司が、冷静で穏やかな顔の中に、イエス様への憎しみを押し込めていたのではないかと思っております。むしろその冷静さに人間の愚かさ、神への鈍感さ、一種の怖さを見る気がします。大祭司が見るからに悪そうな顔では、文字の読めない中世の農民向け教育絵画なら仕方がありませんが、少し滑稽です。また、六十九節以下にペトロの話がこの話と連続したひとつの物語として出てきますが、大祭司は悪い奴、ペトロは気の毒な弱気な弟子、という典型的な理解は間違いです。マタイは問うのです。ペトロと大祭司は何が違うのか、また、あなたはこの大祭司と何が違うのかと。皆さん、いかがでしょう。ご自分の顔と全く違う顔、悪そうな顔がカイアファだと思われますか。それともあまり違わないでしょうか。

イエス様のご受難が、人類の歴史上特別な意味を持つのは、人間の愚かさと弱さが露呈しているからではなく、神のご意思が最もはっきりしているからです。悪魔は強いけれども、神はもっと強いのです。イエス様の十字架は愚かな悪意に満ちた人間の引き起こしたことではありますが、それを超える神の勝利について語られています。

イエス様は、大祭司の問いかけにお答えにはなりませんでしたが、お前はキリストなのか、という問いにはお答えになりました。イエス様は、ご自分が神の子救い主、ユダヤ人の王、主であることを明言し、聞かれた以上のこと、やがて「人の子」としてやって来られることを明白にされました。わたしたちは、そのイエス様と共に生きております。わたしたちの信仰は、難しい教義でも神学でもなく、イエス様が共にいてくださることを喜び、目を覚まして祈っていることです。それ以外にはないと言っても言い過ぎではありません。イエス様が共におられることを、主の平和といいます。「主の平和があなたと共に」というのが、わたしたちの最も基本となる挨拶です。ずっとなされてきました。昔は教会の言葉はラテン語ですから、パックス・ドミニ・テクムと言いました。Peace of the Lord be with you です。マラナ・タ教会ももう長年この挨拶を礼拝でしております。

神がわたしと共におられる、わたしには恐れがないという聖書の言葉を、本当にそうだ、アーメンと心に沁み込むように教えてくれたのは、若い時の友人でした。彼女はメトロポリタン・オペラハウスの歌手でした。つまり世界でもトップクラスの歌手です。家が近くで同じ教会の教会員で聖歌隊でも一緒に歌っていました。四十二歳の時にがんが見つかって四十三歳で召されました。一九九六年に読売交響楽団の招きで来日した時、既にがんと闘っていましたが、教会で話してくれたことが忘れられません。その時の証をわたしが通訳して皆さんにお配りしたので記録が残っております。こう言いました。

「この世界における神のご計画の中で、わたしたちの人生がどのような位置を占めるのかという全体像を見ることはできません。ですから大切なことはいつでも神様が用いやすい状態に自分を置くことではないでしょうか。たとえわたしが百歳まで生きるようにとお考えにならなかったとしても、明日召されるにしても、神様が味方であることに変わりはないのです。神様はいつもわたしの傍におられ、わたしを助けてくださいます」。

こう話して彼女は、讃美歌五〇九を歌いました。光の子として歩きたい。わたしがマラナ・タに来てごく初期に皆さんにご紹介した讃美歌です。大祭司のように、人間の言葉はしばしば人を傷つけますが、その力は大きくありません。たとえ人間の言葉に傷ついてもイエス様の沈黙が、わたしたちを救って下さいます。新しい命をくださいます。最後は勝利するのです。


祈りましょう。

 父なる神、わたしたちを救うあなたのご計画を成就させるため、イエス様が裁きの座についてくださったことを感謝します。裁判の中でイエス様はご自分が救い主であり、やがて裁き主としてやってくると明白におっしゃいました。この世でのすべての出来事、病と健康、成功と失敗、成果と無駄な骨折り、わたしたちの人生の決算をするため来られる裁き主が、いつもわたしたちと共にいてくださるイエス様だというのはなんという励ましでしょう。主よ、あなたが共にいてくださることを心から感謝致します。

主の御名によって祈ります。アーメン。

 

7月21日の音声

 

 

 

2019年7月14日 聖霊降臨節第6主日
「裏切られ逮捕される」
マタイによる福音書26章47~56節

 

「ユダはすぐイエスに近寄り、『先生、こんばんわ』と言って接吻した」(四十九節)。身内といってもよい十二人しかいなかった内弟子のひとりであるイスカリオテのユダが、イエス様に接吻して挨拶をしました。当時の習慣でしょう、ごく日常的なことのように見えます。でもこれは忘れられない裏切りの決定的な場面です。イエス様を捕らえようとしている人々に向かって、この人がイエスだという合図にほかなりませんでした。神の御子、救い主が十字架にかけて殺されるきっかけとなる挨拶です。この時ユダはどういう気持ちだったのでしょう。何もかもご存じだったはずのイエス様は、なぜ平然としてユダの挨拶をお受けになったのでしょう。いろいろ気になります。

今朝はまず、「こんばんは」と訳されているユダの挨拶の言葉に注目したいと思います。この元の言葉は、χαῖρεカイレで、これは「χαίρωカイロー、喜ぶ」の二人称単数命令形です。挨拶の言葉としてよく用います。「ご機嫌いかがですか」「おはよう」「ただいま帰りました」などと訳されます。ご存知のように、使徒パウロは獄中からフィリピの信徒たちにあてた手紙で、何度も「喜びなさい」と言っていますが、それが同じχαίρωカイローの二人称ここは複数形の命令形χαίρετεカイレテです。あなた方は喜びなさいです。「喜ぶ」がもともとの意味なのです。

ユダはイエス様に「先生、喜んでください」と言ったと取れないこともありません。ずいぶん深い意味がありそうにも思えます。先生、やっとあなたが望んでおられた十字架の死が実現しますよと言ったのでしょうか。わたしがこの挨拶に強く引っ掛かりを感じますのは、次の二十七章でイエス様が死刑の判決を受け、ローマの兵士から死刑囚として侮辱されたときの言葉、「ユダヤ人の王、万歳」(二十九節)の万歳も同じχαῖρεカイレだからです。イエス様に赤い外套を着せ、右手に葦の棒を持たせ、頭には茨の冠を載せ、ふざけて王にするようにイエス様の前にひざまずいて言ったのです。「ユダヤ人の王様、喜びなさい」と。お前は今やユダの王になったのだ、喜べと。

けれどもやはり、わたしはイエス様をバカにしたローマ兵も、ユダも、「こんばんは」とか、「ごきげんよう」という軽い意味で言ったのだと思います。ユダの言葉は「こんばんは」と、ローマ兵のそれは「万歳」と訳してありますが、聞いた人は特別な意味のない挨拶言葉だと思ったのではないでしょうか。しかし、彼らは意図しないまま、「喜びなさい」と本質を突く言い方をしていたのです。そうマタイは伝えています。神のご意思が成就する十字架の死と、神の国の王となること、それが誰の目にも明らかになるのです。つまりローマ兵もユダも「喜びなさい」という素敵な言葉を、暗い、人を殺す前触れとなる言葉に変えてしまっていますが、彼らの悪意を完全に超えて、本来の言葉の響きがしております。なんとも皮肉なことです。

ところでイースターの説教を思い出していただきたいのですが、この福音書では、この「χαίρετεカイレテ」という言葉を、お甦りのイエス様がマリアたちにそれこそ喜びを持っておっしゃったのです。ご復活の朝、イエス様が墓にやってきた二人のマリアに向かって最初に話しかけられた言葉が「カイレテ」です。これは先程挙げましたパウロの「喜びなさい」という言葉です。口語訳では「平安あれ」と訳されていましたが、わたしたちの聖書では、「おはよう」と訳されています。宗教的な言葉としてではなく、ごく普通の明るい挨拶の言葉として使われています。朝ですから「おはよう」です。「やぁ、おはよう」とおっしゃったのです。イエス様のこの言葉があったので、パウロは、この言葉を本来の意味で使えるようになったのです。わたしたちマラナ・タ教会は、同じあいさつの言葉でもユダの言葉ではなく、「喜んでください」と本来の意味であいさつできるようになりたいものですね。皆さん、喜びなさい、カイレテと。

ユダの裏切りの挨拶に対してイエス様はお答えになります。「友よ、しようとしていることをするがよい」(五十節)。先日も申し上げましたが、ユダはイエス様に対して、「キュリエ」「主よ」ではなく、「ラビ」「先生」と呼びかけています。そのユダに対しイエス様は「友よ」と返しておられます。この「友」は、新約聖書の中ではマタイにのみ三回出てくる言葉で、他の二か所も、いぶかしみの思いを含んで使われています。ヨハネ福音書に出てくるあなたがたを友と呼ぶの「親愛の情を持っている友」ではありません。それに続けて短い文が続きます。元のギリシア語は省略されていて不完全です。「君、そのためにここに来た・・・」あるいは「来たことが・・・」だけです。いろんな意味に解釈が可能です。訳しにくいところです。「友よ、なんのためにきたのか」。こういう訳もあります。「お前はこのことをするために来たのか」「このことをするためにくちづけをしたのか」等々。今の新共同訳「友よ、しようとしていることをするがよい」は厳しい訳し方です。「あなたはこのことをしに来たのか、それなら、今ここでするがよい」という意味でしょう。ユダがしようとしていることをイエス様はよくご存知でした。それを受け入れられたのです。包み込んでしまわれた。ユダよ、お前はすべきことをしなさい。わたしはそれを受け入れようとおっしゃったのです。ユダの行いはユダ一人のものではなく、イエス様が引き込んでしまわれ、神の行為に変えてしまわれました。ユダの裏切りというひどい行為が、イエス様によって神のご愛を表すものとなっています。

ユダの合図で、イエス様を知ったものどもが進みより、手をかけて捕らえました。「そのとき、イエス様と一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした」(五十一節)とあります。ヨハネ福音書はこの男がペトロであったと書いていますが、マタイははっきりとは書いておりません。もしペトロだとしますと、納得できる気がします。「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(三十五節)と言っていたからです。決死の覚悟だったのでしょう。それにしても、イエス様の弟子たちは武装していたのでしょうか。ペトロたちは元漁師ですし、以前イエス様は、弟子たちを派遣するにあたり、「旅には履物も杖も持って行ってはならない」(十章十節)とおっしゃっていました。杖さえ持っていないのだから刀など持っていなかったのではないかと思いますが、なぜ持っていたのでしょうか。過越しの小羊をほふるために短刀を持っていたのだろうという学者もいます。イエス様は有無を言わせず、剣をさやに収めるようおっしゃいました。「剣を取るものは皆、剣で滅びる」と。創世記に「人の血を流すものは、人によって自分の血を流される」(創世記九章九節)とありますが、イエス様ご自身、山上の説教でも「あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」(七章二節)とおっしゃっていますし、また「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(五章三十九節)ともおっしゃっています。それは単なる非暴力、無抵抗の教えではありません。もっと力強いものを感じます。

加えて次のようにもおっしゃったことからわかります。「お願いすれば、父は十二軍団以上の天使をいますぐ送ってくださるだろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう」(五十三、五十四節)。一軍団は当時五千六百人ですから、すぐに七万近くの天使が応援に駆け付けるとおっしゃいました。もしその気になれば難なく逃げられます。父なる神は圧倒的な力をもっておられるのです。しかし、イエス様は神の力を振り回すことはなさいませんでした。そんなことをすれば、聖書を通して預言されている神の救いが実現しないではないかとおっしゃっています。聖書に約束されている神の御計画が成就する、これが最も大切なことです。まさに悪魔がイエス様を神殿の屋根の端に立たせて「神の子なら、飛び降りたらどうだ」と誘惑した最初の出来事を思い出させます。このときもイエス様は、力を行使されませんでした。ご自分が逮捕されるこのときにも何の抵抗もされなかったのです。

非暴力も謙遜も力がないとできません。非力では非暴力でおられません。本当の強さ、力は神から来ます。わたしの友人で、発生生物学の優れた学者がおりました。彼は空手を懸命に練習しておりまして、有名な道場の高段者でした。小柄ですが普通の人にはまず負けません。外国で開催された学会に出かけると、夜町に出るときは、こういう友達が一緒にいると心強いものです。何十年も前のことですが、ロンドンの下町で実際にごろつきに絡まれそうになったことがあります。わたしは漫画のように彼がみんななぎ倒してくれると思ったのですが、何もしないのです。これではやばいなと思っていると、そのごろつきの一人が、偶然にも昼間、学会の合間に道場で汗を流してしていた彼をみかけていて、この日本人たちはまずい、逃げろと言ったのです。彼の黒帯姿を見ていたのです。殴り合いになったら必ず負けると。ああ、やはり本当に強いのはいいなと思いました。後日談があって、あの時どうして何もしなかったのか、間違いなく勝てただろうに、と尋ねましたところ、空手をしていると相手も空手ができるのではないかと思ってしまう。相手が自分より強いか弱いかは見ただけではわからないからだと言いました。イエス様の非暴力とは全く違っていましたが、悪に力で手向かってはなりませんね。神に頼らねばならないのです。

聖書に戻ります。イエス様は向きを変えて、剣や棒で武装して捕えにきた群衆に語られます。「またそのとき、群衆に言われた。『まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった』」(五十五節)。毎日神殿で座って教えていたのだから、いつでも簡単に平穏に会うことができた、捕らえることもできたではないかとおっしゃいました。そして「このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである」(五十六節a)と続けられたのです。特定の個所を指しておられません。イエス様の物語は始めから終わりまですべて、聖書の成就なのです。時が来たのです。

更に、「このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(五十六節)と締めくくられております。数時間前、ゲツセマネに行く途中で、弟子たちにゼカリヤの預言を引用して「わたしは羊飼いを打つ。すると羊の群れは散ってしまう」とおっしゃったことを思い出します。そのとき決してそんなことはありませんと否定した弟子たちは皆、イエス様を置き去りにして逃げました。すべての弟子が逃げ出したのです。

マタイによる福音書を読み始めたのが二〇一七年の一月一日でしたから、もう二年半になります。説教をするのに考えに考えて苦しんできたので、いろんなことを発見しました。今回もまたひとつ発見しました。それは、わたしが今キリスト者として生きていられるのは、ただイエス様のご愛によるのだということです。弟子たちは皆、最後までイエス様に従って行くつもりでした。ペトロは、たとえ他の者が裏切っても、自分だけは裏切りませんと断言しました。その自信があったのです。でも、実際にイエス様が捕らえられる出来事に直面すると、ペトロも他の者も皆イエス様を見捨てて逃げてしまいました。かろうじてペトロだけが裁判の行われる大祭司の家までついていくのですが、そこで弟子だと見破られそうになって、そんな男は知らないと三度も大声で言ってしまいます。

わたしは自分が五十年にわたり忠実なキリスト者、弟子だったという思いがあり、それに値する信仰が自分の中にはあるのかなと思っていました。口に出しては言いませんけれども、ペトロと同じように逃げない自信がありました。でも、それは根拠のない自信だとわかったのです。イエス様はペトロたちを、いざとなったら逃げてしまう弱い人間だと初めから分かっておられました。分かっていながら、それでも弟子として選ばれたのです。そして同じように弱い人間であるわたしたちをも弟子として選び、愛し導いてくださっているのだと気付いたのです。イエス様が一方的にわたしたちを選んでくださり、愛して導いてくださった、だからわたしたちは弟子としてやって来られたのです。そんな頼りのないわたしたちをイエス様は弟子として見守ってくださっている、そのことがわかった時、かろうじて弟子となれたかなと感じました。

星野富弘さんという方がこういう話をしています。若くて元気だったころ、希望に溢れてこの道を自転車で走っていた。でもそのころは、道ばたにこんなにきれいな花が咲いているということに全く気づかなかった。自分の夢や希望で心が一杯で、その他のことは目に入らなかった。でも首の骨を折って車いすでとことこゆっくり道を歩くようになって初めて、こんなにきれいな花が咲いていることに気がついたと。夢があり希望があるということは素晴らしいことです。自信に満ちて人生を生きることは喜ばしいことです。わたしもそういう人生を生きたいとずっと思っていました。でも大切な夢や希望が消えてしまうこともありえます。思いがけないことで自分のプライドが失われる、自由が失われる、業績が消えていく、家族を失う、そんなつらい経験をすることもあります。もう絶望かなと思うときもあるでしょう。でもそんなときに初めて気がつくことがあります。見えてくるものがあるのです。道ばたにひっそりと可憐な花が咲いているのです。車いすで進むのは時間がかかりますが、押してくれる人がいるので結構遠くまで行けます。そしてわたしを愛してくれる人がいるということを発見します。わたしたちの世界には、共にいる神、イエス様がいてくださるのです。忘れてはならないことです。

祈りましょう。

父なる神、わたしは決してあなたを見捨てませんと言ったその舌の根も乾かないうちに、弟子たちは皆逃げてしまいました。なんという情けないことでしょうか。しかし、自分も同じであることに気づきました。自分の決心や努力ではなく、あなたのご愛がわたしたちの信仰を成り立たせてくださっていることを感謝します。イエス様がわたしたちと共にいてくださる、この恵みに感謝して生きる者としてください。

主の御名によって祈ります。アーメン。

 

7月14日の音声

 
2019年7月7日 聖霊降臨節第5主日
「ゲツセマネで祈る」
マタイによる福音書26章36~46節

 

イエス様のご生涯最後の夜の出来事を続けて学んでおります。最後の晩餐の後、イエス様と弟子たちとはオリーブ山に祈りに出かけられました。ここは名前の通り、オリーブがたくさん生えていて、その実を収穫できる山ですが、山の斜面にオリーブオイルを搾る大きな石臼があったと言われます。油をシュマネと言いますが、ガトは絞った油を入れる大きな酒樽のような樽で、ガト・シュマネで油を搾る作業場を指したようです。ゲツセマネと聞きますとキリスト者の間ではイエス様の祈りの場所として固有名詞のように響きますが、もとは普通名詞だったと思われます。ヨハネはキドロンの谷の向う側の果樹園のある所(ヨハネ十八章一節)と言っております。ヘブライ語の油臼、あるいは油絞りという言葉がギリシア語に音訳されて、ゲトシュマニという名前になり、わたしたちがよく知る名前になりました。今では世界中で知られた名前です。

ここでイエス様は忘れられない印象的なことをなさいました。このように書かれています。「それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、『わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい』と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。』少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。『父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに』」(三十六~三十九節)。他の弟子たちにはここに座っているようにと言われ、ペトロとゼベダイの子たち二人、ヤコブとヨハネだけを伴って行かれたと聞きますと、同じペトロとヤコブ、ヨハネだけを伴って高い山に登られた、山上の変容の場面を思い出します(十七章)。その時と同じように三人はイエス様の様子を最も身近なところで見るために招かれています。ここでは彼らは、イエス様が悲しみ苦しみ始められ、人間的な悲しみにあるのを体験します。目的地に近づいたとき、イエス様は三人にも、ここにいてわたしと共に目を覚ましているようにとおっしゃいました。単に目を覚ましているというだけではもちろんありません。神に目を向け一緒に祈ってほしい、ご自分の悲しみ、苦悩を共有してほしいと思われていたのです。そしてその後、一人で祈るため更に少し先まで行かれ、うつ伏せになって祈られました。うつ伏せになるのはアブラハムが神と語るとき、とった姿勢です(創世記十七章)。そして、できることならと言って、この杯をわたしから過ぎ去らせてくださいと祈られました。以前ゼベダイの息子たちにご自分の死を、自分が飲まなくてはならない杯と語られたように(二十章二十二節)、杯は十字架につけられて殺されることを指しています。イエス様はかねてから、エルサレムに行ってそこで殺されるとはっきり預言なさっていました。そしてそれを止めようとした弟子たちをきつく叱られたのですが、そのご自分も、殺される時が近づいた今、死ぬばかりに苦しい、「父よ、できることならこの杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈られたのです。なぜここでこのような祈りをされるのか、潔く神の定めに従って、十字架に向かうのではなく、「できることならそうならないように」と父なる神に祈られるのでしょうか。不思議に思えます。分かるのはこれが敬虔な祈りであることです。ヒゼキヤが死の病にかかったときもひたむきな祈りによって、神は十五年寿命を延ばして都を救われたことがありましたが(列王記下二十章)、神は確定的な運命を決められる方ではなく、決定を変えられることもある御方です。イエス様の悲しみは、今や救いを失おうとしているユダヤ人のための悲しみではなかったのでしょうか。まさに身代わりとなられたことが分かります。イエス様はもし御心ならばこの杯をと祈られました。イエス様の意思ではなく神の意志が成るように祈られたのです。

そしてこう続きます。「それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(四十、四十一節)。三人が眠っているのをご覧になったイエス様は、ほんの少し前に一緒に死ぬ覚悟だと堂々と言っていたからでしょうか、ペトロを咎められていますが、「あなた方は」と複数形になっていて三人に向かっておっしゃっています。彼らはイエス様が目を覚ましていなさいとおっしゃったほんの一時さえも、目を覚ましていられなかったのです。イエス様は再び「目を覚まして祈っていなさい」と命令されました。ペトロたちはもちろん目を覚ましてイエス様と一緒に祈ろうという思いはあったでしょう。でも意思があっても、それを貫徹できないのです。心は燃えても、肉体は弱いのです。目を覚まして祈ることは、キリスト教徒であるわたしたちにとって最も大切なことです。誘惑に陥らぬようにするためです。誘惑に陥らないようにと言われるということは、誘惑に陥り易いからです。日々祈る主の祈りにも、「わたしたちを試みに合わせず、悪より救い出してください」とあります。試みと訳されているのが誘惑です。

「更に、二度目に向こうへ行って祈られた。『父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように』」(四十二節)。イエス様はまたもや離れて行って祈られました。今回は、もう杯が過ぎ去っていくことはないことを受け入れ、ただ神の御心が成ることのみを願っておられます。ここでも主の祈りとしてイエス様が教えてくださった通り、あなたの御心が行われますようにと祈っておられます。「わたしが望む通りではなく、あなたが望まれる通りに」と。

そして「再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた」(四十三、四十四節)。再び戻ってこられたときも、またも彼らは眠っていました。今度は何も言わずにそのまま彼らを離れ、三度目も同じ言葉で祈られたと書かれています。祈りが継続されます。イエス様の祈りは、敬虔で、服従と信頼の意思に満ちたものでした。神がずっと支えておられたのです。わたしたちもいつでも、苦難の時においても、共にいてくださる神に祈ることができます。自分の願いを宣べ、神の御意思に聞き従うことができるのです。わたしたちはいつも「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」という言葉を聞いています。

人が試みに陥るということはどういうことでしょう。それはわたしたちが神を認め、神の御言葉を礼拝でも生活でも聞いていながら、それにもかかわらず神よりも賢明になろうとすることです。神が支えてくださることを感謝するよりも、自ら支えとなろうとすることです。もっと言えば、神がお語りになっていることに従おうとするよりも、自分の考えを神の御名を用いて語るということです。恣意的な御言葉の運用です。このように誤って神の御名を用いたり、神の意図以外のことをしようとしたりすると、いかに信仰告白に堅く立っていても、神の御名を口にしても、結局神に逆らい、御声には従わないことになります。これが誘惑に陥る、試みに負けるということです。

わたしたちは目を覚ましていなくてはなりません。終末についての教えでも、目を覚ましていなさいと教えられました。二十四章に「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである」(二十四章四十二節)とあり、二十五章の花婿を待つ十人のおとめのたとえ話にも「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」(二十五章十三節)とありました。目を覚ましているということは、特別なことではなく、毎日を忠実に生きること、主の言葉が与えられるのを静かに待つことです。目を覚ましているとは、信仰に生きると言ってもいいのです。

ここでよくよく注意したいのですが、誘惑に陥るのは、どうでもいいと思っている時ではありません。真面目に考えている時や、良い事をしようとする時にしばしば起こるのです。古代のイスラエルの民はエジプトを脱出して荒れ野を彷徨った時、自分たちの考えに従って神の像を作りました。それを拝むことによって、より敬虔な民となり、神の栄光をより一層現わせると思ったからです。一見良いことをしているようでいて、不従順です。なぜこういう誘惑に陥るのか、それは「目を覚まして祈っていない」からです。祈るということは、自分で作り出せない助けを求めて神に呼びかけることです。叫ぶと言ってもいいのです。この目を覚ましていることと祈りの欠ける時に人は必ず試みに陥り、神に不従順となります。わたしたちはどうでしょうか。

この聖書の「目を覚まして祈っていなさい」という御言葉を読むとき、どうしてもわたしたちはどうなのか、その過去、現在、未来を考えねばなりません。よく知っていることですが、過去、日本基督教団は、神の言葉に聞き従うよりも、国家に協力し、第二次世界大戦の消極的参加者となってしまいました。神に感謝するよりも天皇に感謝してしまったのです。神の言葉への信頼を見失い、神に感謝することが減り、聖書が語るように生活することを止めて、教会員ですらアジア各国への侵略に加担し、刀をぶら下げて軍艦に乗り、あるいは戦闘機を操ったのです。戦勝を祈りました。戦争に対し「違う、止めよう」と積極的に発言した人はいませんでした。これは過去のことですが、それでは現在はどうでしょうか。わたしは十年以上毎年五月に行われる教区総会に出席しておりますが、そこではいかに神に聞き従い礼拝をすべきか、いかに賛美を献げるかについて、話し合いも分かち合いも行われたことがありません。最も大切なこと、神の言葉に聞き従うということについては、まともな議論さえなされておりません。神ではなく人間中心の思想に毒され、「神から離れてしまった人間の罪」意識が希薄です。人間の中に何か良きものがある、努力すれば何とかなると信じている牧師、キリスト者のなんと多いことでしょうか。

教会同士の伝道協力や信仰告白を一致して唱えること、聖餐を祝うことなどは、それぞれの考えが違うので、議論し出すと収拾がつかなくなる。多数派が少数派を否定し排除することにもなりかねない。一人も排除することがあってはならないからということで全く議論しません。従って、こういった最も大切なこと、礼拝や聖餐に関しては何でもありの状態を招いております。それぞれの教会、牧師が全く恣意的な解釈を行って何をしても戒規にかけられることはなくなりました。未受洗者陪餐について、教団が北村牧師を資格停止にした、この重要な問題に関しても、おかわいそう、差別はいけない、なぜこの牧師だけを狙い撃ちにするのかというセンチメンタルな議論で混乱しています。これが教団の現在です。大阪教区だけでなく、教団全体がそうです。こういうことについて、マラナ・タのお一人お一人が無関心であってはなりません。

ではこれからはどうでしょうか。わたしは感謝すべきことに希望を見出しております。マラナ・タ教会は宗教改革五百周年を記念して、コンサートをいたしました。他教派の牧師、信徒、教団の他教会の信徒も参加して実施することができました。このような試みは、教団の過去と現在からは出てこない試みです。他にもこれはまさに神がなさったことだと思いますのが、メノナイト・ブレザレン教団の牧師二人とわたしの三人で始めた教派を超えた牧師の勉強会が、神に用いられて、今では、カトリック、正教会、無教会の先生方が交通費も謝礼も出ないのにマラナ・タ教会に来て交わりを楽しみ、学びが続いています。これは日本の全教会の中でも極めて珍しいことで、日本を代表するキリスト教学者の水垣渉先生も毎月参加してくださるようになりました。アメリカからも毎年二度、北海道からも年一度、牧師、伝道者が参加して熱い議論がなされています。信徒の学びである、聖書講座、教会史の講座、神学カフェも、他教派、カトリックの信徒の参加のもと開かれてきました。こういう働きは、誰かの努力でできるものではありません。マラナ・タ教会のこうした姿を見ていますと、神様が働いておられるのがよくわかります。神の関わりたもうことは必ず成就します。イエス・キリストの教会は滅びません。たとえ日本基督教団が滅びても、神の教会は滅びません。どんなに小さくても大丈夫です。

「それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。『あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た』」(四十五、四十六節)。三度目に帰って来られたときも、弟子たちは眠っていました。今度はそのことについて何もおっしゃいません。ゲツセマネでの祈りは終わりました。時が近づいたという言葉に続き、罪人たちの手に御自分が引き渡される予告がなされ、立て、行こうとおっしゃいました。敵に向かって進まれるのです。これ以降イエス様はただ一人で十字架に向かわれます。

ここで見た、だらしない弟子たちが、ご復活のイエス様の執り成しで再び立ち上がれたことは、大きな勇気を与えてくれます。わたしたちも弟子たちを決して笑えません。わたしたちの過去も現在も威張れたものではありません。でも信仰には希望があります。誘惑に遭わない人はいません。アブラハムもダビデも、エリヤもエリシャも誘惑に遭いました。わたしたちもそうです。ゲツセマネで苦い経験をしたペトロは後にこう言っております。「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。」(第一ペトロ五章八、九節)。

「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい」という言葉以上に、わたしたちに必要な言葉はありません。目を覚ましていましょう。自分を主にしてしまうような愚かさに陥らず、神に目を向け、望みをイエス様に置きましょう。主に望みを置く人がいるところが教会です。神がくださった信仰は、神の呼びかけに答え、御言葉に従うことです。さあ、しっかり立って、主がわたしたちの目の前で十字架におかかりになり、お甦りになった事実をしっかり見ましょう。そしてそれがわたしたちのためであったことを確認するのです。


祈りましょう。

父なる神、ゲツセマネでのイエス様の驚くべき祈りを聞きました。悲しみ苦悩の中でイエス様は、わたしの願い通りではなく、あなたの御心が成りますようにと主の祈りの言葉で三度も祈られました。わたしたちのため、弟子たちのためであったのに、このときの弟子たちの情けない姿が、自分の姿に重なります。こんなわたしたちといつも共にいてくださることを感謝します。どうか誘惑から救い出し、目を覚まして祈っていることができるようにわたしたちを変えてください。あなたに信頼を置いて生きていくことができますように。

主の御名によって祈ります。アーメン。

 

7月7日の音声

 
 
 
2019年6月30日 聖霊降臨節第4主日
「ペトロの離反」
マタイによる福音書26章31~35節

先週の説教箇所の最後にこう書かれておりました。「一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた」(三十節)。イエス様は弟子たちとエルサレムのとある場所で過越の食事を終えると、オリーブ山に向かわれました。一時間ほどかかる距離です。普通なら食事の後、ワインを飲んでおりますし寝る準備をするのではないかと思いますが、出かけられました。この後引き続いて起こることに備えて祈るためでした。イエス様は大事なことが起こる前には山で祈られました。そのオリーブ山に向かう途中で、弟子たちにとっては衝撃的な予告をなさいます。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」(三十一節)。最後の晩餐の時に「はっきり言っておくが、あなた方の内の一人がわたしを裏切ろうとしている」(二十一節)とおっしゃっていたのに加え、今度は「あなた方は、皆」と、おっしゃったのです。原文では、文頭にあなた方は皆と置かれていて、皆ということが強調された言い方になっています。「つまずく」の意味は、くそっと言って躓いたものを蹴とばすか、拾って投げ捨てることで、裏切るというより響きは柔らかですが、マタイ福音書では非常に強い意味を持っています。イエス様への否、イエス様からの離反を表すために使われています。救い主を見失うことです。メシアだと考えていたのに、敵に対して何ら超越的な力も使わずに殺されるのであれば、メシアとして信じ続けるのは難しく、捨ててしまうだろうという厳しい言葉です。お前たちは皆、神の救いを捨てることになる、とおっしゃったのです。

そして「『わたしは羊飼いを打つ。すると羊の群れは散ってしまう』と書いてあるからだ」(三十一節)と預言者ゼカリヤの言葉を引用なさいました。わたしとは神、羊飼いはイエス様、そして羊の群れは弟子たちを中心としたイエス様の共同体を指します。散ってしまうとは、追い散らされ、もはや一つの群れではなくなってしまうということです。イエス様のこの予告は、十字架の出来事の後、イエス様の弟子たちが散らされ、それぞれ元の生活に戻ってしまうことを予感させます。漁師は漁師に戻るのです。まるでこの三年間何もなかったかのように。すべては無駄になってしまうかのようです。イエス様の教会は、まだできてはいないのですができる前から、あるいはやっと出来かけた最初から崩壊するとおっしゃったのです。これから形作られるはずの教会共同体、イエス様の弟子の群れは、最初の第一歩でつまずく、そして崩れるということです。しかし、その崩壊を仕掛けられるのは他でもない神です。羊飼いを打たれるのは神ご自身なのです。信じられないほどの衝撃です。

この言葉に続けて、イエス様はこうおっしゃいました。「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」と(三十二節)。イエス様は、弟子たちを驚かせ失望させられただけではなく、それに続けて、復活して、羊飼いが羊の前を歩くように、先にガリラヤに行くとおっしゃったのです。散らされて終わりではなく、再び集められるという約束、確かな希望です。イエス様は弟子たちにこれから何が起こるか、あらかじめ語られたのです。しかし、ペトロはちゃんと聞いていませんでした。「復活した後」という決定的な言葉を聞き逃したのです。分かっていません。

自分がほかの弟子とひとくくりにされたことが不満だったのでしょうか、ペトロは、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」というイエスさまのお言葉の始めの部分のみに強く反応して、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(三十三節)と見栄を切って言いました。イエス様のおっしゃった言葉をそのままオウム返しに使っています。他の弟子には当てはまるかもしれないが、自分は違うと言ったのです。決してつまずかないぞと彼が言ったときの「決して」は、否定の言葉に強調の言葉がくっついて、「決して決してそんなことはない」という強い否定です。するとイエス様は自分だけは違うと言い張るペトロに、「アーメン」、つまり「はっきり言っておく」という大事なことをおっしゃるときにいつも使われる言葉をおっしゃってから、「あなたは今夜、鶏がなく前に、三度わたしのことを、あんな人は知らないと言うだろう」(三十四節)とおっしゃいました。「知らないと言うだろう」と訳されている言葉は、「否む、否認する」という言葉です。そして三度もそう言うとおっしゃったのです。逃げ出すだけではなく、そして、たまたま出来心でつい知らないと言ってしまうのでもなく、完全に意図的に繰り返して知らないと否定するぞということです。鶏がなく前という時間は、夜明けよりもっと早い時間帯ですから、もう数時間のうちにそれは起こると言われるのです。ここで「わたしを知らないと言う」ときの「わたしを」という目的語も強調された言い方になっております。三年間も寝食を共にしてきた「このわたしを」です。深い思いのこもった言葉です。

これに対してペトロは更に「『たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません』と言った」(三十五節)のです。以前イエス様が、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められたとき、ペトロは「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と言ってイエス様をいさめたことがあります。そのときイエス様は「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」とペトロに言われました。そして「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と続けられたのです(十六章二十一~二十四節)。今回ペトロは学習効果があったのでしょうか、「たとえ、自分を捨てご一緒に死なねばならなくなっても」と言っています。自分を捨てイエス様と共に死ぬ覚悟があると言いました。自分の真の姿に気づいていないペトロにすれば、これだけ真剣に思っているのにわかってくださらないとイエス様の言葉が心ないものに聞こえたのかも知れません。俺だけは決してそんなことはないと直ちに反論しました。死ぬ以外の選択肢がなくても、逃げ出すようなことはしない、一緒に死ぬ覚悟だと言ったのです。

これはペトロだけのことではなかったのでしょう。他の弟子たちのことは詳しくは書かれておりませんが、「ほかの弟子たちも皆、同じように言った」(三十五節)とマタイは付け加えております。けれども、何時間か後には、皆、イエス様を見捨てて逃げてしまったことをわたしたちは知っています。そしてペトロは、逃げただけではなくイエス様が予告なさった通り、三度イエス様のことを知らないとあからさまに言うことになります。

ペトロはイエス様にそんなことはないと強く反論しましたし、たとえ皆があなたにつまずいても自分はつまずかない、自分は違うと言いました。たしかにペトロは間違ったことを言っているわけではありません。「自分の十字架を背負って、イエス様に従う」と言っているわけですから。ただこの発言は実際には根拠が乏しく、もろいものだったことを知らされているわたしたちは、ペトロはおっちょこちょいだなあとか、やっぱり頭の中で思っていただけで現実を捉え切っていなかったのだなとか、甘いなと思います。では、わたしたちはどうでしょう。このような状況の中で、わたしなら一体どうすればよかったのだろうかと考えますと、困ってしまいます。こんな時イエス様がいつも祈っておられたことに思い至ります。この後も、イエス様はご自分が歩まねばならない十字架の道を前にして、ゲッセマネで夜を徹して祈られました。ひたすら神に祈られたのです。わたしたちも苦難の中でできることはまず祈ることではないでしょうか。

この二十六章では除酵祭第一日のことが、最後の夜の食事の準備から始まり、聖餐を制定された食事の風景、それに続いて、オリーブ山に向かわれたときの情景が詳しく語られております。わたしたちはまるでその場にいるかのように、イエス様のご生涯の最後がこういう風だったと詳しく知ることができます。映画やお芝居でもこの場面は詳しく描かれております。でも、よく知っているつもりでも一番大切なことには意外に気が付かないで通り過ぎているものです。見過ごしてしまっています。わたしはそうでした。ペトロと同じように、イエス様が、あなたがたは散らされる。しかしわたしは復活した後、あなた方より先にガリラヤに行くとおっしゃったのを聞き損なったのです。いったいこの聖書箇所からどういうことを聞き取ればいいのかと考えるとき、いろいろなことを思わされますが、なんといっても、この力強い宣言を聞き逃してはならないのです。イエス様は復活して、懐かしいガリラヤに行かれるのです。弟子たちも故郷に戻ります。羊飼いは打たれ、羊の群れは散らされてしまう。イエス様を中心にした仲間たち、最初の教会と言ってもいい群れは崩れ去る。けれども甦って先に故郷に行かれるイエス様によって、また集められるのです。散らされるのはほんの短い期間です。

今から起こることはすべて神の御手の内にあるのです。イエス様はおかわいそうな、お気の毒な過越の犠牲ではありません。ご自分に降りかかってくる苦難をすべてご存じの上で引き受けられました。イエス様の後ろには神のご意思がありました。

この前のイースターに、聖歌隊が前奏に中世の古い賛美歌をVictimæ Paschali Laudesとラテン語で歌いました。「過越しのいけにえをほめたたえよ」という意味です。この曲はⅡ編の九一番としてわたしたちは知っています。「われらのすぎこし主はほふられぬ 世の罪を負い小羊なる主は御父に執り成したもう・・・」。この曲を、ルターが最後の晩餐のテーマで文章を書き直し、ヴァルターという人が編曲したのが、特別賛美で歌ったChrist lag in Todesbanden、「キリストは死の縄目に繋がれ」という曲です。これは今の三一七番「主はわが罪ゆえ」、以前のⅡ編なら百番として、わたしたちもよく知っている歌で、復活祭の歌の中でも、最も有名で美しい旋律の賛美歌です。ちょっと残念なのは、ルターの歌なのでドイツ語で歌われ、歌詞が直接には心に伝わらなかったことです。Christ lag in Todesbandenと主旋律をソプラノではなくテノールが歌います。二人しかいないテノールの声が会堂に響いたのを覚えておられないでしょうか。ところで「キリストは死の縄目に繋がれた」とルターは書いているのですが、これは違うと言った人がおります。これだとキリストはずっと死の縄目に繋がれているという風に理解されうるけれども、今は繋がれていない。イエス様はお甦りになった、だから「死の縄目を断ち切り」と言わなきゃだめだと言うのです。面白い解釈です。イエス様は死の縄目を断ち切られた。そして先立って行かれる。わたしたちは、死が縄目となってわたしたちを捉えて離さないと思っているけれども、イエス様は死の縄目を断ち切られたのです。それが宣言されています。「わたしは先にガリラヤに行く」という一言で。

主はただ先頭に立って導かれるというよりも先回りをしておられるのです。先手を打ってくださいます。死に直面するわたしたちに先回りして望みをつないでくださいます。何かあるとわたしたちは絶望です。崩れ去ります。でもイエス様は甦って、先回りして、あらかじめわたしたちのために戦っていてくださる。道を示してくださいます。教会はそのように信じてまいりました。これは大変だ、どうしたらいいのだろうかという状況でも主が道を切り開いてくださるのです。わたしたちもそこに信頼を置きます。牧師が辞任する。突然歩けなくなる。がんの宣告を受ける。目が見えなくなってきた。家族が治りにくい病気である。そいう状況にわたしたちは置かれています。昔の教会の人達はもっと大変でした。迫害があったので、いつ殺されるかわからなかったのです。スパイがいるので、仲間も心から信頼できない。解決法としては教会に来るのをやめる、信仰を否定する、いくつか選択肢がありましたが、殺されるかもしれないという状況にあるにもかかわらず、人々はそのようなときでも、喜んでイエス様の声を聞いたのです。「わたしは甦って先にガリラヤに行く」。待っているぞという声です。暗い洞窟の中で行われた礼拝でも聖書朗読の声を聴いたのです。先にガリラヤに行く、と。

イエス様がお甦りになって先んじてガリラヤに行かれることを知って、人々は喜んで礼拝したのです。やせ我慢ではありませんし、自分の決断に依怙地になったわけでもありません。俺はこんなに頑張っている、死んでもついていきますという自を誇る信仰とも無縁でした。無力ではあっても、ご復活の主に自らを委ねて進んで行ったのです。自分を捨てたとき、自分を獲得することができます。すべてを放棄して初めて、すべてを得ることができるのです。わたしたちもこの礼拝で「わたしは甦って、先にガリラヤに行く」というイエス様のお言葉をしっかり聞かねばなりません。

ご復活の主に自らを委ね、献身の思いを持って歩んで行きたいと願います。明日の朝、目を覚ましたときに「主はお甦りになった。わたしもその望みに生きます」と祈れたら、信仰生活は楽しいでしょう。

祈ります。

父なる神、ペトロの離反が予告されました。ペトロの姿と自分が重なります。自分はあの人たちとは違う、大丈夫だと思いがちなわたしたちから、どうか自己中心的な心、おごり、うぬぼれを取り除いてください。自分の中に確かさがないことをはっきり知ることができますように。日々祈る生活に導いてください。そしてどうかお甦えりになって、先んじてガリラヤに行かれるイエス様に、すべてを委ねて生きていくことができますよう守り支えてください。

主の御名によって祈ります。アーメン。

6月30日の音声


 
2019年6月23日 聖霊降臨節第3主日
「主の晩餐」
マタイによる福音書26章26~30節

「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である』」(二十六節後半~二十八節)。除酵祭の第一日、弟子たちとの最後の食事で、イエス様が何をなさり、何をおっしゃったのかが書かれています。これはイエス様のこの世への遺言です。直弟子たちだけではなく、わたしたちにもこのようにせよということです。このイエス様の命令は、今も生きて働いております。

「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き」と始まります。賛美の祈りを唱え、パンを裂くと聞きますと、ガリラヤで五千人に食事を与えられたとき、「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しに」なったことや、四千人に与えられたとき、「七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになった」ことを思い出します。ですから、パンを取って賛美の祈りを唱え、それを裂かれたことについては、何の違和感もなかったことでしょう。手に取られ、感謝され、裂かれ、与えられるパンなしにはわたしたちは生きていけないのです。とても簡素でありふれた食事のシーンですが、普通とは何か違うことが起こっております。

「取って食べなさい。これはわたしの体である」(二十六節後半)。この言葉に弟子たちは驚いた、あるいは戸惑ったのではないでしょうか。弟子たちにとってどれくらい訳の分からない言葉だったのか、あるいはすんなり納得できる言葉だったのか、どんなふうに理解されたのか、マタイは何も書いておりませんから想像するしかありません。しかし、日本で先生が食事の時、ごはんの入った器を持って、少しずつご飯を分けて、「これはわたしの体である。取って食べなさい」と言われたら、かなり不思議な感じがします。このとき、裂かれたパンを取って食べることが、ただちにイエス様の死と結び付くと知ることは難しかったはずです。イエス様がご自分をわたしたちに与えようとされていることは、次の杯の言葉を聞くまではっきりわかりません。

パンの次に、杯が続きます。イエス様はパンの時と全く同じように、杯を取り感謝の祈りを唱え、弟子たちに渡して「皆、この杯から飲みなさい」とおっしゃいました。それに加えてその直ぐ後に、「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(二十八節)と続けられました。罪が赦されるように流される血であり、そしてそれが多くの人のために流される「契約の血」であるとおっしゃったのです。この言葉はイエス様の死と明確に結びついています。

「契約の血」は、モーセが民に犠牲の血を振りかけたことを想い起こさせます。契約の書を取り、民に読んで聞かせたとき、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言う民に、モーセは「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である」と言って犠牲の血を振りかけました(出エジプト記二十四章)。これはユダヤ独特の習慣で、犠牲の思想が流れています。血は命です。またもう一つ注目すべきことがあります。通常のユダヤの食事の場合にはぶどう酒はそれぞれ自分の杯から飲むのが普通であったのに、イエス様はこの杯から、つまり一つの杯から飲みなさいと言われています。一つの杯から飲むことによって、イエス様の死によってもたらされる罪の赦しが、共同体の力となる、皆を一つにする、そして多くの人の救いになるということが指し示されているのです。教会がパンを食べワインを飲む儀式において、イエス様の犠牲による恵みの力に与れることが示されています。

教会は二千年の長きにわたって、この最後の食事を記念して守り、礼拝の中で最も大切な秘儀として行ってきました。マラナ・タ教会の場合「これは、あなた方のためのわたしの体である。わたしの記念としてこれをおこないなさい」と始まるコリントの信徒にあてたパウロの手紙(一)十一章に書かれた言葉を用いております。もちろん、元はイエス様の言葉です。パウロの手紙は、福音書よりも前に書かれたと思われますから、ごく初期から教会ではこの言葉は食事のたびに宣言されていたのでしょう。

ところで「これはわたしの体である」という短い簡単な言葉は、キリスト教会で最も大切にされている言葉ですが、この言葉はその解釈をめぐってキリスト教会に激しい論争と分裂を引き起こしました。残念なことに教会は今も分裂したままになっております。代表的な解釈はカトリック教会の教えといってもいいでしょう。古代の教会は、パンそのものの中に無理にイエス様を見ようとしたために、パンがイエス様のお体に神秘的に変化すると解釈しました。これはまさしくイエス様の体ですと言いました。分かる気がします。間違いとまでは言えません。皆そう信じて、これはまさにイエス様のお体であると宣言する司祭の言葉に、うなずいてアーメンと言って感謝してパンを受けてきました。そのためパンではなく「ご聖体」と言います。面倒な言い方ですが聖変化する、化体と言います。パンなのですが、聖なるものに変化する、まさしく、イエス様の体に化けたのだという意味で化体、化学の「化ける」という字と「体」と書きます。聖餐式のパンは、科学的には小麦粉であり、でんぷんなのですが、それをイエス様の体に実際に変化すると理解し、霊の深み、自らの存在の深みにおいて受け止めるのです。ここで大切なのは、イエス様がおっしゃった「わたしの体」というときの体は、アラム語ではわたし自身を指します。マイセルフです。これを受けるとは「イエス様自身を受ける」ことです。パンは口で受け胃袋に入って、やがて体の一部となりますが、命のパンとしてイエス様ご自身を信仰で受けるのです。ところが、何事も千年以上も続けていると、よほど祈っていないと形骸化が起きてしまいます。パンをキリストの体に変化させる宣言ができる教会の権威、司祭の権威をあまりにも強め、あまりにも荘厳な雰囲気でそれを宣言し執行してきたために、美しく尊い儀式がただ形だけのものになり、献身の決意が薄れていきました。奇しくも今日はカトリック教会では「キリストの聖体の祝日」です。

カトリック教会のこういう理解に対し、わたしたちは少し違った考えをしています。最後の晩餐の時、この言葉を語られたイエス様は弟子たちの前でご自分の体を裂くことも、血を流すこともなさっていません。パンも杯も実際のイエス様の体や血ではありません。ですからわたしたちは、「これはわたしの体である、取って食べなさい」とは、イエス様が体を裂いてまでも、血を流してまでも与えようとしておられるものを恵みとしていただく、そういう姿勢を励ましておられると考えています。信仰あるいは献身への招きです。そう理解しているのです。「アーメン、そうです。これはまさしくわたしのための恵みです。神にこの身を献げてわたしも生きていきます」とわたしたちは応答します。

ところがプロテスタント教会は、カトリック教会の絶対的権威を否定し形骸化した儀式を廃止しましたが、今度は残念なことに、聖餐に秘められたサクラメント、つまり秘儀を見失い、象徴に過ぎないとみなす間違いを犯してしまいました。結果的には聖餐の軽視が起こりました。パン裂きと杯の言葉は恵みの力に与ることなのに、カトリック以上に形式化し、中身を見失っていきました。どうしてこんな小さなパンとぶどう酒を飲むのか、古代の儀式でしょ、ピンと来ないわという人が大勢います。

杯の中に入っているのはワイン、ぶどう酒ですが、これはイエス様ご自身の血であると同時に、契約の血でもあります。契約の血とはいったい何でしょうか。神の御計画に従ってわたしたちのために十字架につかれたイエス様の贖いの血です。イエス様の死の上に新しい契約は基づいており、これは神の一方的裁量によるものです。イスラエルの神とイスラエルの民との古い契約が、イエス様とわたしたちの新しい契約に代わっていく。旧約の時代から新約の時代へと変わるのです。ここでもパンと同じように、ぶどう酒を誰がイエス様の血に変えることができるのかとか、その権威は誰から授けられたのかなどという議論は不毛です。昔の人は、パンと同じように、司祭がこれはキリストの血ですと言った瞬間にイエス様の血に変わる、聖変化するのだと考えましたが、行き過ぎるとおかしなことになります。ぶどう酒をイエス様の血であるという点にだけこだわると、万が一、聖餐式でぶどう酒をこぼしたら大変なことになります。絨毯に、あるいは木の床に沁みこんでしまうと、もう拭き取れません。すると誰かがイエス様の血を踏んで歩くことになります。こぼしてしまったので会堂を燃やしたことが実際にありました。それは愚かな昔の人がしたことだろうなどと思ってはなりません。わたしの友人に正教会、つまりロシア正教の司祭がいますが、マラナ・タ教会で開かれている神学研究会で話してくれたのは、彼自身の経験です。あるおじいさんが、手が震えて聖餐式でぶどう酒をこぼしてしまった。もうイエス様の血に変化したぶどう酒です。そのとき血を吸った絨毯の毛を丁寧に丁寧にカミソリで削り取り、それを水でゆすぎ、その水は畑に流し、絨毯の繊維は燃やして灰にして大地にそっと返したと言うのです。これに限らずほとんど迷信といってよい行為を大真面目にします。キリストの血ですから歯についたままにしたり、舌に残ったままにしたりではいけませんから、口をゆすぐためのワインを飲みます。パンも同じで、口の中に残ったパンかす、キリストの体の断片があってはいけませんから、聖餐のパンを食べた後は普通のパンで、残ったパンかすを胃に流し込みます。

こういう話をし出すときりがないのですが、聖餐式のワインが器に残りますが、それは必ず司祭が全部飲み干します。どうしても容器に少し残りますからそれを何度も何度も水で薄めて飲み続けます。日曜ごとに司祭はお腹がパンパンになるまで、水でゆすいだキリストの血を飲み続けるのです。そして最後にきれいな布で容器をふき取り、その布は丁寧にボウルで洗い、その水は畑に流します。植物の命に供するのです。司祭になった初めのころは日曜日が拷問だったとわたしの友人の司祭がここで証言しました。これは彼らがいかに変なことをしているかという批判ではなく、いかに真面目に大げさともいえる真剣さで聖餐を執行しているのかというご紹介です。

カトリック教会とプロテスタント教会は、和解のプロセスを踏んでおりまして、一緒に聖書を学び、ともに祈り、共に賛美し、カトリック教徒もプロテスタントの牧師を少なくとも表面的には教職として敬い、信仰告白は使徒信条を共に唱えることができます。わたしも司祭を、式服を着た職業的宗教人とは呼ばずに、神父様と敬意をもって呼びます。しかし、信仰告白、教職制度、聖書解釈で歩み寄りはできても聖餐式の在り方、聖餐への参与においては一致できません。いくら話し合っても無理です。このパンを心の底からイエス様だと信じるかと聞かれますし、はいと言わなければ、決して聖餐には与かれません。わたしはこの違いが分っているので、はいと答えますが、それならなぜプロテスタントの牧師をしているのか、カトリックに帰正せよと迫られます。帰正とは、「正しきに帰る」です。つまりプロテントは間違っている、これは決して揺るがないカトリックの考えです。プロテスタントは、二十世紀半ばまで全くの異教徒、つまり異端でもない、全く違う宗教の信者、露骨に言えば悪魔の子として扱われましたが、いまは「不幸にして分かれた兄弟」と呼ばれます。不幸にも間違って出て行った人たちです。ですから帰ってきなさいと祈っているわけです。二十世紀初めまでカトリックが異端と考えていたのは、ギリシア正教など東の教会と英国の聖公会です。プロテスタントは異端ですらなかったのです。繰り返しますが、今日ではカトリックとプロテスタントは、お互いの違いを認めあい、完全な和解はできないけれども、仲良くやっていくことになっております。ですから、マラナ・タ教会主催のコンサートにも積極的に協力してくださいますし、わたしは月一回カトリック教会にでかけて祈っているわけです。わたしが子供のころと比べると、別世界のような感じです。

聖書本文に戻ります。イエス様は食事を終える前に、「言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」(二十九節)と言われました。父の国と訳されていますが、これはイエス様が使われた「王国」(βασιλείᾳ)、神のご支配という言葉です。父の国が到来する近さと確かさとが語られています。来るべき神の完全なご支配の中で、イエス様と共に食事をする、共同体の完成が予告されているのです。ご降誕の時に「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(一章二十一節)とありましたように、イエス様はインマヌエル、共におられるお方です。来るべき神の国では、イエス様は弟子たちと共に食事をし、ぶどう酒を飲んで祝われるのです。わたしたちもそこにおります。

わたしたちはイエス様がおっしゃったことを、どこまで真剣に聞いているかが問われております。人間は誰もパンとぶどう酒を聖なるものに変化させることなどできません。神父様もそんなことは信じていないのです。神だけがおできになります。わたしたちは神をたたえて感謝します。感謝してパンとぶどう酒をイエス様がおっしゃったとおりに「これはわたしの体である」、「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と信じて受け取ります。神のご意思に従ってイエス様が血を流されたことを思い出すのです。イエス様はわたしたちの罪を取り除き、天の国において共にいてくださるインマヌエルの神です。わたしたちは今からは新しい契約の時代だぞという神の宣言を聞きます。明白な宣言です。それは契約の血が流された、間違いない神のご裁量のもとにいるという宣言でもあります。それに、アーメンその通りですと応じます。これが聖餐です。

祈ります。

父なる神、「食べなさい、そして飲みなさい。これはわたしの体、わたしの血、これはあなた方に与えるわたし自身です」というイエス様のお言葉を聞きました。ずっと昔遠い国で人となられただけではなく、今も礼拝で行う聖餐に於いて、共に食卓を囲むとき、わたしたちの糧であり飲み物であってくださいます。すべてを献げ与えてくださいます。このインマヌエルの神秘に感謝します。わたしたちの魂がこれからも、イエス様の中に憩うことができますようお守りください。どうぞマラナ・タ教会の一人一人を支え、活かしてください。

主の御名によって祈ります。アーメン。

23日の音声

 

★★★

 
2019年6月16日 聖霊降臨節第2主日(三位一体日)「過越の食事」
マタイによる福音書26章17~25節

「はっきり言っておくが、あなた方のうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」。除酵祭の第一日、お祝いであり、かつ厳粛な過越の食事の席でのことです。ひょっとしたらウキウキした気分だったかもしれない弟子たちにイエス様の声が響きました。その場の雰囲気が伝わってきます。おそらく空気が凍りついたのではないでしょうか。「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた弟子たち。いかにショックを受けたかが分かります。「はっきり言っておく」というのはイエス様が大事な事をおっしゃるときの決まった言い方です。「アメーン・レゴー・ヒュミーン」、「まことに、われ、汝らに告ぐ」という毅然とした言葉です。イエス様がいよいよ十字架につけられるという時になって、イエス様の傍に仕え、寝食を共にした弟子の中に裏切りという悪意の壁ができております。二千年前のエルサレムのとある部屋で、十三人の男たちが食事をしています。家の人や料理を提供した女性もいたはずなのですが何も触れられておりません。この十三人にだけスポットライトが当たっています。誰も気にしないような、ありふれた過越の食事です。しかしこれは世界で最も有名な食事の場面となりました。

さて今日の御言葉は、「除酵祭の第一日に」と日付の記述で始まりました。これから後は時間の順で出来事が報告されていきます。いよいよ受難物語の核心部です。まず食事前のできごとが語られます。「除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、『どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか』と言った。イエスは言われた。『都のあの人のところに行ってこう言いなさい。「先生が、『わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする』と言っています。」』弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した」(十七~十九節)とあります。どこで過越の準備をすればよいかと尋ねる弟子たちにイエス様は「都のあの人」のところに行って準備をするように言われます。あの人とは、名前や正体が特に重要でない人なのでしょう。いつものあそこだよとおっしゃったのかもしれません。その人と弟子たちに命令を下されたのです。かれらは命じられた通りに過越しの食事を準備します。この受難物語の中心はもちろん食事の場所ではなくイエス様です。イエス様の物語です。

「わたしの時が近づいた」とおっしゃいました。二節でも「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される」とおっしゃっています。ご自分の時について、時を知り、時を支配する者として、そしてその時の中で出来事となる神の御計画を、ただ導くだけではなく、成就するよう神と共に行為している者として語っておられるのです。このとき、弟子たちは命じられたとおりに行っていますが、この弟子たちの服従は神の物語を進めていく重要な要件でした。

「夕方になると」という言葉で、新しい話に入ります。「イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。一同が食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』弟子たちは非常に心を痛めて、『主よ、まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた」(二十~二十二節)。この時弟子たちは、まさか自分ではないですよね、と言いました。かれらは明白にイエス様を裏切ることなどは考えたこともなかったでしょうが、自分たちの将来の行動には不安がありました。イエス様のお言葉を聞いて、自らの思いを振り返って考えたに違いありません。今はそんなことはなくても裏切らないとは言えないのです。不安になって、そうではないというイエス様の答えを期待しました。それで代わる代わる尋ねたのです。

日本の映画なら、「上様、それは誰ですか、わたしがそいつを切り捨てましょう」と言うような気がしますが、イエス様の弟子たちは、そうではありませんでした。自分たちも裏切らないとは限らないと思ったのです。ここで十一人の忠実な弟子と一人の裏切り者という形ではなく、十二人のユダとキリストという形が見えてきます。事実、この後の展開をわたしたちは知っていますが、全員がキリストを見捨てることになります。少し飛びますが三十一節をご覧ください。「今夜、あなた方は皆わたしにつまずく」とおっしゃいました。つまずくとは聖書特有の言葉で、腹を立てるという意味です。歩いていて石ころにつまずくと、悪い石だなと言います。石が悪い。わたしではなく。くそっと腹を立て、その石を蹴っ飛ばす、道端に捨てる、それがつまずくという意味です。今夜、あなた方はみなわたしを蹴とばす、捨てるとおっしゃったのです。そんなことはない、たとえみんながつまずいても、わたしだけは命を懸けてあなたに従いますと言ったペトロが、真っ先に「あんな人は知らない」と言うのです。弟子のひとり、あるいは十二人のうちの一人が裏切るというのは、他の十一人は裏切らないという意味ではなく、弟子が裏切るというところに強調点があります。

洗礼を受け、主に従うと誓約した人があっさり教会を捨てる、これも裏切りですが、では教会に残って毎週礼拝しているわたしたちは裏切らないかというと、「間違いない、決してそんなことはない」とは言えないのです。キリストの前に立つわたしたちは、自分は裏切り者ではないと主から保証していただかねばならない人間なのです。わたしたちも自分たちとイエス様の関係はどうだろうかと問わなければなりません。

お前たちのうちの一人がとおっしゃったイエス様は、もちろんそれが誰であるかご存知でした。少し具体的に「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸したものが、わたしを裏切る」(二十三節)と説明されました。当時の食事は、鍋のようなものを囲んで車座に座り、自分のパン、もしくは羊の肉を手を伸ばして真ん中にある鍋、ここでいう鉢に入っているスープやタレに浸して食べたのではないかと想像できます。わたしたちなら、わたしと一緒に同じ鍋から食べ物を取る者が、という感じでしょう。同じ一つの鍋を囲む者、あなた方わたしの弟子がという意味です。みんながパンを浸すのですから、誰のことを指しておっしゃったのか弟子たちにはわかりません。一人一人が同じことをしていたはずです。誰が引き渡す者になるか、弟子たちの心は騒ぎますが全くわかりませんでした。わかっていれば弟子たちは阻止したでしょう。しかしイエス様は、ご自分が死ぬということも、誰のせいで今まさにそれが起ころうとしているのかもよくご存知でしたが、その事態を覆すため指一本動かそうとはされませんでした。またそれはだれなのか、はっきりおっしゃいませんでした。黙々と自分の行くべき道を行かれました。

わたしたちなら、どのようにするでしょう。多分、イエス様とは違う仕方をするはずです。どんな時でも、裏切りや悪に打ち勝とうとします。悪意には抵抗します。悪に支配されたり負けたくはありません。悪には妥協せず打ち勝つ、これこそがわたしたちのゴールです。しかし、あえて悪にゆだねることもありえるのです。放蕩息子のたとえなどがそうです。息子を破滅させることが明白なのに父親は、自分の財産を分け与え家を出ていくことを容認しました。それは人の業ではなく神の御業です。

「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(二十四節)。イエス様はもう一度、聖書に書かれている通りに自分は去っていくと言われました。神のご計画は、破棄できないのです。イエス様は、ユダがご自分の死をもたらすことがわかっておられたにもかかわらず、ユダの悪意を達成させられます。ここにユダが決して変えることのできなかった栄光があります。ユダの罪は「人の子を裏切るその者は不幸だ」というイエス様の言葉で注目されます。悪意は自分自身に向かって跳ね返ってきます。決して勝利しません。ユダは、恐ろしい言葉を聞くことになります。「生まれなかった方が、その者のためによかった」。これは呪いの言葉ではなく、ああ残念だ、悲しいことだというニュアンスです。生まれなかった方が、わたしには都合がよいとおっしゃったのではなく、生まれなかった方がその者のためによかったです。気の毒にそれほどつらい目にあうぞとおっしゃいました。

そして、この場面は次のように終わります。「イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、『先生、まさかわたしのことでは』と言うと、イエスは言われた。『それはあなたの言ったことだ』」(二十五節)。ユダはこの場でも事の進行に気づかないふりをして言います。「先生、まさかわたしのことでは」と他の弟子と同じことを問いました。けれども呼びかけの言葉が違っています。弟子たちは「主よ」「キュリエ」と呼びかけましたが、ユダは「先生」「ラビ」と呼びかけたのです。ラビはユダヤ教の律法学者に向かって使われる呼びかけです。ユダはイエス様に対して、一人の律法学者に対するように振舞ったのです。ユダはもう完全にイエス様から離れてしまっています。ユダの問いに対してイエス様は、「それはあなたの言ったことだ」とおっしゃいました。新改訳聖書は、「いや、そうだ(お前だ)」と訳していますが、この時点ではほかの弟子はユダが裏切るとは認識しておりませんから、ここは原文通り、「あなたは言った」と直訳する方がいいでしょう。二十七章に入りますと、ユダは自殺します。結果的にはユダの裏切りはユダの行為ではなく神の行為であり、ユダは身を滅ぼし、イエス様は栄光をお受けになるのです。

さていつも思うのですが、いったいユダのしたことをどう理解すればいいのでしょうか。これは決して分析したり批評したりする事柄ではなく、福音書が伝えるように理由はよくわからないけれども、こういう事実があったということに止めるべきでしょう。しかしひとつだけ申します。もしこのユダの裏切りがなかったなら、イエス様の十字架での死は実現しなかったのでしょうか。そうだとすると、ユダこそがイエス様の行いを助けたことになります。救い主の本当の意図を分かっていて裏切ったのでしょうか。その結果過越祭での犠牲としての十字架での死が実現した。そんなふうに解釈すると出来上がっていたシナリオを、まるで役者のように演じきったということになります。いわゆる「やらせ」になってしまって、神の出来事が芝居になってしまいます。そうではありません。イエス様がわたしたちの救いのために苦しみを受けることが決まっていたとしても、そのためにユダがイエス様を裏切ったのではありません。やはりユダの裏切りは、悩んだ末の、ぎりぎりの決断だったといえるでしょう。このままでは先生は、何もできない。やはりイエス様は救い主なんかではなかったのだ、偽物だと判断したからこそ敵の手に引き渡したのだと思います。一方でイエス様は、悪をも神の出来事に変えられました。悪に負けたように見えるけれども、敗北をもって勝利なさったのです。

先々週の十四節以下十六節までの説教で申しましたが、そもそも十二人の弟子たちはイエス様ご自身が選ばれた人々です。ユダを選び指導してこられたのはイエス様なのです。しかしイエス様はユダの裏切りを阻止なさいませんでした。そしてそのユダの裏切りによって、神がお定めになった通り、過越祭に犠牲の小羊としての、十字架の死が実現したのです。わたしたちの贖いが完成されました。

このように見てきますと、わたしたちは、そしてわたしたちの教会はどうなのだろうと思います。まさか銀貨三十枚のはした金で先生を裏切ったり、金銭欲で悪事をたくらんだりはしないかもしれませんが、イエス様への裏切りは、ないとは言えないのではないかと思えます。いやむしろ、もし正直な信徒ならば、「わたしがユダだ」と叫びたくなるのではないでしょうか。ユダのようになってしまって救ってもらえないのではないかと心配になります。けれどもわたしたちは、あまりにもユダのことを考えないほうが良いと思います。ユダではなくイエス様のことを思いましょう。ユダは突然裏切ったので悪人になったのではなく、以前から少しずつ心が離れていったのです。ですからわたしたちは、日ごろから神の前に生きようと願いましょう。神の御前を生きる、それが教会の合言葉です。教会は神が義としてくださった人間の集まりです。心配することはないのです。いろいろとなぜかなと思うことがありますが、前にも申しましたように、人間の行動とは別に、はっきりしていることは、イエス様はすべての人の罪を贖うため、十字架についてくださったこと、神の愛には限定がないことです。キリストはあらゆる人間の罪のために、わたしたちのために、そしてユダのためにも死なれたのです。神の愛は拒否できません。イエス様の十字架によってわたしたちは神のみ前で生きることができるようになりました。わたしたちは恵みによって義とされたのです。この恵みをしっかりと受けとめたいと思います。キリストの体と血に与り、永遠の命を生きることのできる喜びに満たされて歩みましょう。

祈ります。
主よ、あなたはわたしのためにも苦い杯を飲み、犠牲となってくださいました。感謝します。どうかわたしをあなたから離れることなく、常にあなたの十字架を見上げて従い歩むことができるようにしてください。聖なる神よ、わたしを立ち上がらせてください。いつも御前においてください。おろかなユダにならないように導いてください。
主の御名によって祈ります。アーメン。

6月16日の音声

★★★
2019年6月9日 聖霊降臨日
「聖霊が降り、神の偉大な業を語る」
使徒言行録 2章1~13節

十字架の死から三日目、イースターの朝にお甦りになったイエス様は、四十日の間、弟子たちと共にこの地上を歩まれた後天に上げられたと聖書は証言しています。ですから復活日から六回目の木曜日が昇天記念日です。今年は五月三十日でした。毎年、昇天日になると、あああと十日ほどでペンテコステだなというくらいにしか思わないのですが、今年はこの日香子が突然歩けなくなったので、わたしには忘れられない日となりました。さてイエス様はこの日、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(一章八節)とおっしゃいました。これはご復活のイエス様が天に上げられる前に、使徒たちに向かって語られた最後の言葉です。

この言葉が成就する形で、五旬祭の日とても不思議なことが起こりました。ご昇天からさらに十日経った、ご復活から五十日目です。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(一~四節)とあります。

先生を殺され弟子たちは不安だったでしょう。けれどもご復活のイエス様が彼らの真ん中に現れて、「父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ二十四章四十九節)とおっしゃった言葉に従って、エルサレムで神をほめたたえていました。その弟子たちが「一つになって集まって」いたとき、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまったのです。「風」は神の息、霊を表します。「天からの激しい風の音や炎」は、神が姿を現された徴です。そして「舌」は言葉を表します。言葉が炎のように降ったのです。弟子たちは聖霊に満たされました。聖霊が降り力を受けるということが、皆にわかる形で歴史的事実として起こったのです。ルカが伝える約束が成就しました。

そしてこのことが起こったとき、驚いたことに弟子たちは多くの人の前に出てきて外国語で証をしました。弟子たちはイエス様に与えられたもう一つの賜物としての任務、広い世界に向かって「イエス様の証人」になる働きを始めたのです。

「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」(五~八節)。

出エジプト記に「年に三度、男子はすべて、主なるイスラエルの神、主の御前に出ねばならない」(三十四章二十三節)とあります。年に三度とは、過ぎ越しの祭り、七週祭(五旬祭)、仮庵の祭りの三度です。この当時、ローマ帝国によって道が整備され、治安が保たれ、誰でも旅が出来るようになっていましたので、国が滅び世界中に離散してしまっていたユダヤ人の子孫の中には、自分たちの原点を求めて、これらのときにはエルサレムに帰ってきて滞在する人もいました。こういう人は「信心深いユダヤ人」と呼ばれています。その人たちも、もちろん天から聞こえた激しい風が吹いて来るような音を聞いたのです。驚いて外に出てきました。帰国した外国生まれのユダヤ人は、もはやアラム語やヘブル語ではなく生まれた国の言葉を話します。そこで彼らは聞いたのです。どう見てもエルサレムの人ではないガリラヤなまりのある田舎の人たちが、自分の生まれた故郷の言葉で話しているのを。あっけにとられました。ハワイやブラジルに移住した人の子孫が京都に帰ってきているとき、そこにたまたまいた田舎の人が英語やポルトガル語の、しかも方言で突然話すのを聞いたようなものです。

「わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」(九~十一節)。地図をご覧ください。エルサレムから見て、パルティア、メディア、エラムは東方、メソポタミア、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリアは北方、クレタ、ローマは北西の方、キレネ、リビアは西方、エジプトは南西、アラビアは南東にあります。エルサレムを中心に四方八方から帰ってきていました。これら世界中から集まった人々が、それぞれの故郷の言葉、普段使っている言葉で語られているのを聞いたのです。彼らは何を聞いたのでしょう。語られたのは「神の偉大な業」です。イエス様の弟子たちは、師であるイエス様がなさったことを受け継いで、神の国の到来を告げ、イエス様の出来事、十字架と復活、神の偉大な業を語りました。神はこの世界を救うために弟子たちがいろんな言語で話せるようになさったのです。この出来事は、皆同じ言葉を話していた人々が神の領域に侵入し、神のごとく地を支配しようとした「バベルの塔建造物語」を想い起こさせます。そのとき神は人々同士が思いを通わせることができないようにするため、言葉を混乱させようと多くの聞き分けられない言語を話すようにされました。創世記十一章の物語です。このときとは逆のことが起こったのです。いろいろな言葉が話されているのに、同じ思いにさせられたのです。言うまでもありませんが、弟子たちは努力なしで、それ以後も外国語が話せたわけではありません。これは聖霊の働きを象徴する、きわめて特殊な出来事でした。

さて、ここからが大切なポイントです。「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」という出来事は世界伝道の始まりとして、たいそう象徴的な出来事でした。神は人を用いて人を救おうとしておられるのです。神は人を通して救いの御業を進めてこられました。神に用いられた誰かが、わたしたちに神の業を語ってくれ、それを聞いてわたしも今ここにおります。人による伝道、ここに聖霊の働きがあります。このように、人を通して働かれる神の御業の中にわたしたちは存在しています。ですから聖霊で満たされ、用いられて、家族やほかの人を救えるのです。救いの御業は人から人へと伝えられていきます。聖霊に満たされて生きることは、自分のためだけではなくて家族のためであり友人のためでありこの世の救いのためなのです。言い換えますと、世の救いのための言葉、福音を語るのが教会のなすべきことです。この働きは聖霊降臨日に始まり、今も続いています。それで聖霊降臨日は伝道の開始、教会の誕生日として祝われます。この日には、分れ分れに現れた炎の様な舌を思い出して、赤い服を着たり、赤いネクタイをしたり、何か赤いものを身につけて、この出来事に思いを寄せます。ペンテコステは、クリスマス、イースターと並ぶ祝祭です。

「人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた」(十二、十三節)。七節では弟子たちが話せそうもない言葉で語っているという理解できない現象を前にして、これはどういうことなのだろうか、何か大きな意味を持つことなのだろうか人々は驚き怪しみました。ここでは、はっきり語られているにもかかわらず、あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだとあざけっています。神に招かれ、心を開いていく人がいる一方で、あざけるだけで神に近づけない人がいるのです。

弟子たちは、イエス様が十字架にかけられて殺されるという事件のあと、ご復活のイエス様に出会うという体験をしましたが、いま一人一人の上に同時に聖霊が降る経験をしました。個人的に、しかし共同体全体に、聖霊が働きました。この不思議な経験が、個人のものでありながら、全体に起こったことはとても重要な意味を持ちます。わたしたちの信仰はある意味で極めて個人的なことですけれども、みんなのものでもあるのです。聖霊に満たされた弟子たちは、一人一人がキリストを証し、神の偉大な業を語りだしました。そして教会が生まれたのです。教会は聖霊の働くところです。

集まった人々が聞いたのは、「神の偉大な業を語っている」言葉でした。聖霊に満たされた人々から聞いたのは、神の御業を誉め讃える賛美の言葉だったのです。人が神の御業に思いを向け、神の偉大な業を誉め讃えるということは決して当たり前のことではありません。人は、自分が何をしたか、何を成し遂げたかということに関心があるのです。それは熱心なキリスト者、献身的なキリスト者も例外ではありません。神の御業に目を向けるより、自分が神のために何をしたかという、自分の行いの方に関心が向かうことが多いのです。しかし、人生において最も大切なことは、「何を成し遂げたか」ではありません。「神が何をしてくださったか」ということの方がよほど重要なのです。同じように教会についても、最も大切なことは、教会が神のために何を成し遂げたかではありません。神が教会に何を為してくださったかということ、神の偉大な業のほうが大事なのです。自分の業への囚われから解放された時、神の御業をほめたたえ賛美することができるようになります。これこそが礼拝です。

聖霊の働きとは何か、よくわからないという声が聞こえます。確かにキリスト教の教えには分かり難いことがたくさんありますが、よく説明を聞きますと多くのことはそうかなと思えます。しかし聖霊につては何度聞いてもピンときません。そんなとき、聖霊体験をなさったという方の話が耳に入ってきます。その方はご自分の経験を分かってもらおうと懸命にお話になります。けれどもその多くが不思議な現象であり、興奮状態になったことです。踊り、泣き叫ぶ信徒もいます。聖霊の働きを強調する教会にそういう人が多いです。そこで聞いた人たちは、ヘンテコな連中と揶揄し、この人たちは「ヘンテコステ」だなと思うわけです。ペンテコステの出来事を自分の常軌を逸した興奮状態と重ねて語りますから、やはり聖霊とは何かわかりません。

聖霊の働きとは一体どういうものか、はっきりとお話ししますので、覚えておいてください。聖霊の働きの第一は、パウロが、「この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます」(ローマ八章十六節)と言っていますように、人がイエス様の信実によって神の前に義とされたことを証ししてくださることにあります。「自分の力ではなく、神の恵みで神の子とされた」と言われてもどこか頼りなくどこにその確かさがあるのかと感じます。そんなとき、聖霊によってわたしたちは「はっきり救いを自覚する」ことができます。上からの力による自覚、救いの覚醒がおこるのです。第二は、聖霊は、わたしどもの日常生活をお導きになります。ガラテヤ五章十六節以下に、「霊の導きに従って歩みなさい。・・・霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」とあります。聖霊の導きに従って歩むと、豊かな実を結び、肉の欲望に負けません。聖霊は一歩一歩冷静に、決して無駄な興奮状態に陥れることなく、わたしたちの歩みを進ませ実を結ばせてくださいます。現実に働かれる神の力です。そして第三は、これが少し分かり難いのですが、歴史の終わりに必ず来る終末、神の裁き、神の国が完成する時に、この人はOKですよ、義なる者ですとスタンプを押してくださいます。救いの確かさを人に確信させ、一時ではなく毎日を共に過ごし、そして終わりの時にこの人は神の子なのだと保証してくださるのです。この三点が聖霊の主な働きです。

時々誤解されますが、聖霊の働きは人を興奮状態にすることではありません。若いころわたしはこの点にひどく引っ掛かりました。「聖霊に満たされている」と聞いても、その実感がないものですから、見てわかる、感じられる、興奮状態になることを聖霊体験だと勘違いしてしまったからです。しかしそうではありません。聖霊は人をクールにし、神の御業を語り、しっかりと歩ませてくださるのです。五旬祭に起こった聖霊降臨の事実は、わたしたちにはっきりと感じられなくても、その後もずっと、いまもわたしたち一人ひとりに起こっています。

クリスマスには、神がわたしたちと共におられるのだ、神の御子がこの世界に来てくださった、インマヌエルと知らされます。わたしたちは神の御子と共に歩むのです。イースターには、イエス様の十字架とお甦りによってわたしたちの罪が赦された、イエス様の信実によって救われるのだと知ります。そして、今ペンテコステの出来事を通して、わたしたちは終わりの時に聖霊によって証していただくのだと知ります。この人はキリストの仲間だというスタンプを押していただくのです。これが分かれば怖いものはないでしょう。三点セットになっています。クリスマスは祝うけれどイースターは軽く済ませ、ペンテコステには何もしないというのは時々見かけますが、まともな教会のすることではありません。キリスト教の三つの祝祭は、そういうわけで人の救いのすべてを表しています。

わたしたちは、たとえ体が動かなくても声にならない声で賛美を歌えます。病床にも必ずイエス・キリストの霊が共にあるからです。この喜びは誰も奪うことができません。わたしたちはそれを証しすることができます。そういう仲間を大勢見てきました。たとえ小さな群れであっても、恐れることはありません。この後すぐペトロが言っております。十七節をご覧ください。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る」(十七節)。安心していいのです。わたしたちは聖霊に満たされています。まだ見ぬ先の事にびくびくすることはありません。老人も夢を見ることができるのです。わたしたちの希望を、神の偉大な御業を語ろうではありませんか。

祈ります。

父なる神、わたしたちそれぞれに分かる言葉で話しかけ、あなたのもとに招いてくださっていることを感謝します。わたしたちが招きに応え、あなたに心からの賛美と感謝の祈りを献げることができますよう導いてください。またどうかわたしたちを聖霊で満たし、今度はわたしたちが家族や隣人にあなたの偉大な業を語っていくことができますよう支えてください。皆があなたの霊に満たされ、共にあなたの希望に向かって歩んでいける日が来ますように。聖霊よ、来てください。

主のみ名によって祈ります。アーメン。

6月9日の音声

 

わたしたちの教会は、プロテスタント諸派が合同してできた日本基督教団の教会です。穏健で健全な福音主義に立っています。どのような信仰の立場の方でも歓迎いたします。しかし教会が二千年間守ってきた伝統には忠実な教会です。

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