降誕前節 、及び 待降節説教

2016年12月18日  待降節第4主日

 「その名はインマヌエル」
イザヤ書 七章三~十七節

四本の蝋燭すべてに明かりが灯りました。今日は待降節第四主日です。いつもはこの待降節第四主日をクリスマス礼拝として祝いますが、今年は二十五日が日曜日ですので、本来の降誕日にクリスマス礼拝を献げます。さて、クリスマスになりますと必ず思い出す讃美歌や聖書の言葉が、みなさんそれぞれあると思います。わたしも、いくつかあるのですが、そのうちの一つが次の御言葉です。新約聖書マタイによる福音書一章の言葉です。

「主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎(おなか)の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、「神は我々と共におられる」という意味である」(マタイ一章二十~二十三節))。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」というのは、主が預言者を通して言われていたことだとマタイは告げるのですが、その預言者こそイザヤであり、この言葉は、先ほど朗読を聞きましたイザヤ書七章十四節の引用です。ところで、聖書の言葉は、具体的な歴史状況の中で、特別な意図を持って語られております。では、この言葉は一体、いつ、どのような状況で語られたのでしょうか。背景を理解しておきたいと思います。

幸いなことに、わたしたちは戦争や、外国からの侵略におびえることもなく、平和の内にクリスマスを迎えようとしております。終戦時に小学生以上であった方なら、戦争の記憶をお持ちかもしれませんが、今、北朝鮮が本気で日本に向けてミサイルを打つとは誰も思っておりませんし、シリアはほとんど交わりのない国です。わたしたちの多くにとって、戦争は遠い世界の出来事で、現実味はありません。ところが、イザヤ書七章は、人々が戦争の恐怖におびえる中での話です。そんなとき語られた旧約聖書の預言者の言葉は、何か教訓とか、教えといったものではなく、緊迫した生々しいものです。今の日本とは異なった、とんでもない不安におそわれていた時代の言葉なのです。ですから想像力を働かせて聞く必要があります。

これはイエス様の誕生から七百年以上前の物語です。七百年前と言いますと、現代のわたしたちに置きかえるなら鎌倉時代末期に当たります。ものすごく前のことなのですが、ユダの人々はイザヤの預言をよく覚えていたのです。そのとき一大事が起こりました。アッシリア帝国が、武力を背景にして中東諸国を支配下に置こうと動き出したのです。アッシリアは、今でいえばイラクの北部モスルのあたりの都市ニネベを首都とする、大きな国で、支配地が地中海にまで至っていました。アッシリアの南側には(今内戦のシリアがある場所ですが)アラムという国がありまして、そのさらに南に北イスラエル王国がありました。北から順に、アッシリア、アラム、北イスラエル王国、南ユダ王国と並んでいたわけです。

アッシリアが世界征服に乗り出すと、アラムの王レツィンも北イスラエルの王ぺカも、真っ先にアッシリアの脅威にさらされます。そこで両国は南ユダ王国の王アハズと三国同盟を結んで力を合わせてアッシリアに対抗しようとしました。しかし南ユダ王国のアハズ王は、北イスラエル王国とアラムのこの誘いに乗らず協力を拒みました。身の安全を考えて危険な賭けを避けたのです。そこでアラム王は、協力しないならアッシリアの味方と同じではないかと、北イスラエル王と連合して、まずユダ王国を攻めたのです。アッシリアとユダの挟み撃ちにあう危険性を避けるためでしょう。この事情が、今日聞きました御言葉の直前、七章はじめに書かれております。

「ユダの王ウジヤの孫であり、ヨタムの子であるアハズの治世のことである。アラムの王レツィンとレマルヤの子、イスラエルの王ペカが、エルサレムを攻めるため上って来たが、攻撃を仕掛けることはできなかった。しかし、アラムがエフライムと同盟したという知らせは、ダビデの家に伝えられ、王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した」(一、二節)。

少し話がそれますが、この両国の同盟はアラム・エフライム同盟と書かれていますが、アラム・イスラエル同盟と言ってもいいのです。イザヤ書を伝えたユダの人々は、アッシリアに滅ぼされた北イスラエル王国を、国の名前ではなく土地の名前でエフライムと呼ぶことによって、本当のイスラエルは自分たちユダの方だと主張しているのでしょう。

本筋に戻ります。アラムがエフライムつまり北王国と一緒になって侵入してきたと聞いて、南ユダ王国のアハズ王と民の心は「森の木々が風に揺れ動くように動揺した」と書かれています。大変な恐怖だったのです。パニックになると人は思いがけない行動に出るものです。実際には同盟軍は都エルサレムを攻撃することは出来なかったのですが、この時アハズ王は、あろうことか「主の神殿と王宮の宝物庫にある銀と金を取り出し、ユダにとっても脅威のはずのアッシリアの王に贈り物として送り」(列王記下十六章八節)、援軍を求めたのです。これは明らかに前後の見境をなくした異常な行為です。経験したことのない国家的危機や不運に出会って、心に恐れが生じ、動揺して、神を信頼しきれなかったのです。目の前のものに頼ってしまいました。詳細は省略しますが、結果としてユダの国は、アッシリアの属国と化していきます。そして政治的独立だけでなく、ここが大事なのですが、信仰の自由も失っていくことになります。エルサレム神殿でアッシリアの神を拝むことになっていくのです。こういう非常事態、困難な状況のなかで、主なる神からの言葉を語った預言者がイザヤです。

「落ち着いて静かにしていなさい。恐れることはない」(四節)とイザヤは告げました。日本語訳では何もしなくてよいかの様に聞こえますが、「落ち着いて」と言うのは「注意深くあれ」という意味で、ここでは、何をするのが一番大切か慎重に判断せよ、頭を冷やせという具体的戒めです。ただ精神的な安定が大切だということではありません。「静かにしていなさい」というのも、沈黙せよ、しゃべるなではなく、「祈れ、わたしに聞け」という意味で、やはり具体的な戒めです。冷静に見れば、あなたが恐れている北とアラムの二人の王は、「燃え残ってくすぶる切り株」(四節)なのだから「恐れることはない」と言われるのです。彼らが脅してきても、所詮はアッシリアに燃やされ、燃え残ってくすぶっている切り株だというわけです。だから「心を弱くするな」(四節)と告げられます。この時、神がイザヤに連れて行けと言われた息子の名は、シェアル・ヤシュブです(三節)。「残りの者が帰ってくる」という意味で、神を信頼するものは残され、万一国が滅びても、やがて回復することを表す象徴的な名前です。この名からも分かりますが、アハズが頭から神を否定していたのではなく、迷いがあったことが伺えます。

アラムと北の二人の王は、なんとかして自分たちの都合のよい人物、タベアルの子をダビデ王家のアハズに代えてユダの王として即位させようと画策しましたが(五節以下)、この時もイザヤはアハズに、そんなことは実現しない、安心しなさい、しかし「信じなければ、あなた方は確かにされない」(九節b)と神の言葉を告げたのです。イザヤは神の約束を語り続けました。しかし、アハズ王は結局信じることを拒否し、神に頼りませんでした。「確かにされない」とは分かりにくい訳ですが、ここの元の言葉は、「信じる」(クアミーヌ)がなければ、「最後まで保つ」(タアメーヌ)もないということで、アミーヌとアメーヌの韻を踏んで繰り返したしゃれた言い方になっています。信じなければ生き残れないぞ、という意味ですが、ある学者の訳は、「仰を貫かないと、用ゼロで破滅する」と苦しい韻を踏んでおります。他にも「固く信頼するのでなければ、固く支えられない」、「信仰に立つのでなければ、立ち行けない」と、色々苦労して原文の雰囲気を訳しております。

「信じないと、確かにされない」、だからじたばたしないで「あなたの神に、しるしを求めよ」(十一節)とイザヤは言い、「深く陰府の方に」しるしを求めるのか、つまりアッシリアの援助に勝利のしるしを見るのか、それとも「高く天の方に」、つまり神の約束を信じて神にだけ期待して外国の援助を求めないところに勝利のしるしを見るのか問います。アハズの応えは、「わたしは求めない、主を試すようなことはしない」でした。ちょっと聞いただけでは、信仰深い敬虔な言葉にも聞こえますが、こんな危機の時に、信仰と信仰と言って神にだけ頼ってはいられないだろうというのが本音です。もしイザヤの言うように、神にしるしを求めて、静かにしていて、戦争に負けたら、結局主なる神の信用を落とすことになるではないかと言ったのです。だから「主を試すようなことはしない」というのがアハズの言い分です。わたしたちは結果を知っていて、この物語を読みますから、アハズは間違ったのだと分かりますが、そういう気持ちも分からなくはありません。「主を試さない」とは、神を信じると言って何もしない、あるいは逆に無謀なことをすることを戒める表現で、今でもよく使います。このように、さすがに預言者に向かって、お前の言う陰府の方だよ、神のみには頼れないとはっきり言わなかった、恐ろしくて言えなかったものの、やはりアハズは神を確かな方として信頼しきることはできず、現実にはアッシリアにも助けを求めたのです。王にすれば、信じないと生き残れないのではなく、なんとかしないと生き残れないと思ったのです。

そこでイザヤは「わたしの主が、御自ら直接あなたたちにしるしを与えられる」(十四節a)と言います。それが有名なこの言葉です。「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(十四節b)。インマヌエルとはインマヌー・エール、「神が、我らと共におられる」という意味です。エールは神のことです。アハズが神に従わないなら、若い女性が神の約束にしたがって男の子を産むが、その子は「神は我らと共にいます」という名前だというのです。インマヌエルの誕生は、神に従いきれなかったアハズに対し、お前はダメな王だから新しい王と首をすげ代えるという意味ではありません。それは本当の解決になりません。そうではなくて、神がわたしたちと共におられるということがはっきりする男の子が生まれ、国を救うと言うのです。神御自らが救ってくださるしるしをわたしたちに与えてくださる、これがイザヤ書に語られている「インマヌエル」預言、救い主の到来を告げる預言です。

このインマヌエルという名前の男の子とは誰のことなのか、はっきりとはわかりませんでした。アハズの子供であるヒゼキヤだろうと思った人や、イザヤの子供だろうと思った人もおりました。ヒゼキヤは大人になって賢明な王となりますが、そのヒゼキヤ王も決して救い主ではありませんでした。しかし、不思議なことに、このイザヤの預言はその後何百年も語り継がれ、忘れられることなく救い主が待ち続けられたのです。忘れる暇がないほど、次々と困難を経験したのがユダヤです。インマヌエルを待ち望む、救い主の来られるのを待ち望むのが彼等の信仰です。

ルカ福音書に記されているクリスマスの物語でも、羊飼いたちがキリストの誕生を待っておりました。そうでなければ、天使の知らせを聞いて、すぐさま行動を起こすことはなかったでしょう。当時羊飼いは、夜通し羊の見張をする苛酷な肉体労働者で、社会の周辺で生きており、人口調査なんて関係がない、つまり数に入っていない人たちでした。しかし、驚くべきことに彼等でさえ救い主の来られるのを知っており、待ち望んでいたのです。ですから、天使に救い主の誕生を告げられた時、彼等の達者な足はますます速くなって夜のベツレヘムの町を駆けて行き、その赤ちゃんを探し出したのです。

こういう訳で、イザヤから七百年後の人たちが、イエス様の誕生について、この方こそ真の救い主なのだということを、長く語り伝えられたイザヤの言葉で言い表したのです。歴史を振り返りますと、ごく短期的に見れば、実はアハズ王はそんなに間違っておりませんでした。アッシリアはエジプトにいたる道を確保するために、すぐにアハズに呼応して援軍を送りましたので、アハズは当面の敵アラムから開放されたのです。しかし、長い目で見ればアッシリアの軍事的影響下におかれ、属国同様になっていったのです。はじめに申し上げましたが、古代社会では、政治的な従属は宗教的な服従をも意味しておりますから、「仕方ない、国は残ったのだから」と自分に言い聞かせながら、アハズ王はアッシリアの祭儀をエルサレム神殿で行なうことになったのです。賢明なようでいて最も大切なものを失ったのです。イザヤも無力感を味わったことでしょう。

人はだれでも問題が起きたとき、目の前の困難から逃げることに必死になります。神の救いを待つことができません。病気になれば、何とかして病気を治そうとしますし、お金がなくなれば必死で稼ごうとします。神を信頼し、神により頼むことが最も大切なことであるにもかかわらず、またそれが分かっているつもりでも、静かに待つことができず、何か現実的にすぐ出来ることの方に集中しがちです。危機は、今もそしてこれから先にも起こります。必ず起こります。その時大切なのは、健康やお金ではありません。命が一番大事だと言う人は多いですが、死に直面すれば、命も一番大事なものではなくなります。まことに大切なのは、神との正しい関係です。わたしたちは神に信頼し、答えを待つことが必要なのです。イザヤの言葉で言えば、「静かにしていなさい」ということです。「信じないと、確かにされない」からです。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ一章二十三節)。イエス・キリストがお生まれになりました。救い主は約束通り来られたのです。わたしたちの教会は、このキリストの体です。世間の人はそんなことは信じません。そこでわたしたちは、この言葉を大胆に生きねばなりません。皆さん、聖書を深く味わいながら、ご降誕を祝いましょう。

 

祈ります。
父なる神、イザヤはイエス様の誕生の七百年も前に、インマヌエルという名の神の御子の誕生を預言し、わたしたちに、あなたが必ず共にいてくださるという約束を告げました。そして、その言葉の通りにあなたはイエス様をわたしたちのところにお送りくださいました。感謝します。どうか、どのようなときにも落ち着いて静かにしていることができますよう、わたしたちがあなたに信頼しあなたにより頼んで生きていけますよう、導いてください。
主のみ名によって祈ります。アーメン。

12月18日の音声

 

 

2016年12月11日  待降節第3主日

 「美しいものに目を向けよう」
詩編 113篇

「美しいものに目を向けよう」という説教題を付けました。それにしては、この詩編には「美しい」という表現がでてきません。

1 ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ、主の御名を賛美せよ。 2 今よりとこしえに、主の御名がたたえられるように。

確かに、高らかに神をほめたたえる美しい詩編ではありますが、わたしたちがよく知っている詩篇二十三篇などと比べても、特に美しいという感じはしません。比較的短い普通の詩篇に感じます。ですから、この説教題に不思議だなとお感じになったかも知れません。一体何が美しいのでしょう。わたくしは、若い時に、左近淑という旧約学者から、聖書が一貫して美しいと言っているものは何かという説教を聞いたことがあります。大変驚きました。印象深く心に残りました。そのお話の中にこの詩編も取り上げられておりました。それ以来この詩篇を読むと「聖書が語る最も美しいもの」を思いだすようになりました。

この詩編は、見てすぐ分かるように、ハレルヤで始まりハレルヤで終わっています。ハレルヤはもともとはハレルー・ヤーという言葉です。ハレルーは賛美する、ヤーは、ヤーウェの短縮形で神の名ですから、「主の名をほめたたえよ」という意味です。ヘンデルのメサイヤのおかげで、このハレルヤという言葉は誰でも知っています。旧約聖書のヘブル語でこれほどよく知られている言葉はないでしょう。ラテン語でもドイツ語でも英語でもハレルヤです。ところで詩編の終わりの五篇、百四十六から百五十篇は、この百十三篇と同じようにハレルヤで始まり、ハレルヤで終わります。これらは、百十三編も含めて「賛美の歌」と呼ばれています。つまり賛美歌なのです。百十三篇では一~三節、四~六節、七~九節がそれぞれ、わたしたちの讃美歌でいう一、二、三番になっています。詩ですから第一連、二連というのでしょうか。それでは第一連から読んでまいりましょう。

1 ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ、主の御名を賛美せよ。 2 今よりとこしえに、主の御名がたたえられるように。
3 日の昇るところから日の沈むところまで、主の御名が賛美されるように。

この最初の三節ですぐ分かりますのが、各節に同じ言葉が出てくることです。「主の御名」という言葉です。一節では賛美せよ、二節ではたたえられるように、三節では賛美されるように、と続きます。ハレルヤと歌え、主をほめ讃えよで始まって、何をするのかと言えば、御名を賛美するのです。神様の御名です。実は神のお名前はなんと呼ぶのか分かりません。四文字 יהוה で書かれています。初めははっきりした呼び方があったのでしょうが、直接口にするのを憚ってアドナイと呼びかえる習慣ができた結果、読み方が分からなくなりました。アドナイは主人という意味ですから、日本語では「主」と訳されています。「主の僕らよ」と言われるのは、神の僕、具体的には、礼拝していた人たちのことです。どうして礼拝で名前を賛美するのでしょうか。これは旧約聖書の神と人々との関係を考える時に、とても重要なことです。日本では、神社にお参りして、神の名を讃えたりはしません。安産や良縁、合格を祈願するだけです。人から神に願う一方通行です。これに対し、ユダヤ人は何かよいことをしてほしいから、主を賛美しようというのではありません。名を呼ぶこと自体が大切なことなのです。名を呼ぶというのは、ユダヤ教やわたしたちの信仰に特有の信仰のあり方です。神と信仰者の関係が、夫婦や親子の関係に似ているのです。わたしたちは愛する人の名前を呼びますが、ユダヤ人は同じように親しく神のお名前を呼ぶのです。教会でも信仰者は神に親しく呼びかけます。

この詩編を歌ったイスラエルの民は、決して悩み苦しみがなくなって、ああもう安心だ、たくさんお米がとれた、だから主の御名をほめたたえようと言っているのではありません。むしろこの人たちは悲しみを引きずっていた人々です。言い表すことが出来ないような苦しみに泣いた人たちです。しかし、彼らは、苦しみの中にあっても、神が来てくださるという約束を信じ、神が行動してくださることへの期待の中に安心感や希望を持ったのです。関係性から生じる信頼感です。だから神の力、神の名をほめたたえるのです。そしてそれは「今よりとこしえに」、今からずっと連続して続きます。聖書が「とこしえに」と永遠性に触れる時、ずっと先のことではなく、今を含んで途切れることなく時が続く限りです。しかも、時間を超えるだけでなく、日の昇るところから日の沈むところまで、すなわち、東から西まで、空間的にも「あらゆるところで」なのです。時間的・空間的にすべての時・所で、主の御名をほめたたえよと詩人は歌います。では神はわたしたちのために、どう行動されるのでしょう。次の第二連に出てきます。四~六節です。

4 主はすべての国を超えて高くいまし、主の栄光は天を超えて輝く。
5 わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き
6 なお、低く下って天と地をご覧になる。

ここでまず言われるのは主は高きにおられるということです。「高い」、「天を超えて」という言葉が繰り返されます。主はすべての国を超えて高くいます。直訳では、すべての「国民の上に」高い。そして主の栄光は天を超えて輝く、これ以上高いものはない天よりも高い。そして輝いている。続いて、主は御座を高く置き、つまり高いところに座っておられると歌います。主は並ぶもののない、比類のない神なのです。ところが、高い、天を超えて高いと強調される神が、六節では一変して、「低く下って天と地をご覧になる」と言います。神が自分を低く置いて、つまり、わたしたちのすぐ近くに来て、わたしたちを直接ご覧になると言うのです。元の言葉では שפּל シャーペ-ルという言葉が使われていて、身を低く置くという意味です。ところがこの重要な言葉がなぜか色々な聖書や学者の書いた註解書では、上手く訳されていない感じがするのです。口語訳や新改訳では六節が「遠く天と地とを見おろされる」(口語)、「身を低くして天と地をご覧になる」(新改訳)となっていて、神は高くにおられてそこから下をご覧になる、もしくは謙遜に、天や地をご覧になる、あくまで高きにいるままのように訳されていますが、そうではなく、下って来られて、ご自身を低いところに置かれるのです。わたしたちが使っている新共同訳聖書にある「なお、低く下って天と地を御覧になる」というのが正しい解釈でしょう。(関根正雄、浅野順一、クラウス・ヴェスターマンなど、皆見下ろすとしていますし、KJV, NIV, RSV, NRSVなども身をかがめる、stoopとか、見下ろすとしています。変化形を違う動詞に解釈したように思えます。左近淑だけが例外)。詩篇一四七篇六節では同じシャーペールを口語訳や新改訳でも「地に投げ捨てる」「地面に引き降ろす」というように訳してあります。ここは詩篇のみならず聖書の急所であって、神が低きに下られる、身を投げ捨てるということが絶対的に重要です。では神はなぜ低きに身を置かれるのでしょう。第三連にその答えがあります。

7 弱い者を塵の中から起こし、乏しい者を芥の中から高く上げ
8 自由な人々の列に、民の自由な人々の列に返してくださる。
9 子のない女を家に返し、子を持つ母の喜びを与えてくださる。  ハレルヤ

神は「弱い者」「乏しい者」そして「子のない女」の方に向かわれ、そこに身を置いて助けてくださいます。当時は神の祝福は長寿、子だくさん、財産があることだとされていましたから、「子のない女」とは子を産めなかった女という意味で、大そう不幸な人とされていました。勿論今なら意味が違います。神は「弱い者」「乏しい者」「子のない女」に向って、身を投げ捨てて低きに来てくださるというのがこの歌なのです。そして、そういう人々を立ちあがらせ、高くして自由な人にし、また、子を持つ母にして生きる場を与えてくださると言うのです。「弱い者」「乏しい者」「生きていても喜びのない者」と寄り添い、憐れんでくださるのです。神の配慮があるのです。だから恐れることはありません。安心し喜んで生きることができます。これが神の働きです。そしてハレルヤ、主をほめたたえよ、と最後にもう一度叫んで、この詩編は終わります。

この歌は低きに来てくださる神をたたえています。ただそれだけを歌っているのです。ですから六節の解釈は、この詩編を理解するうえで決定的に大事です。この詩篇を読みますと、わたしたちは、すぐに思い出す新約聖書の言葉があります。フィリピの信徒への手紙、二章六~八節です。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。つまり詩編百十三が語る神の姿を、わたしたちはイエス・キリストにおいて、まさに「低きに下る神」として見たのです。

わたしたちは、形の整った訓練されたもの、たとえば、フィギアスケートの四回転ジャンプだとか、蒸気機関車の複雑であるのに整然とした調和のある構造とか、人によっては見事なまでに簡潔に表現された数式とかに美しさを感じます。あるいは苦しみを乗り越え、困難に打ち勝って見事に成し遂げた成功や業績に美しさを見ます。しかし聖書は、天よりも高いところにおられる神が、自分を投げ捨て、苦しみを引きずりながら生きている弱い者や、生きる値打ちがないとまで言われた者の所に来てくださるということに美しさを見ているのです。これは実に驚きであり逆説的です。高いところに完全な姿でおられる神が、低いところに来られると、天上での美しさは破れが生じます。事実、神のひとり子は赤ちゃんの時は、不潔な飼い葉桶に寝かされ、大人になってからはムチで叩かれ、ぼろぼろになって血を流しながら十字架の上で呻きながら死んでいかれたのです。しかし、このイエス・キリストのお姿に「美しさ」を見るのがわたしたちの信仰です。

今日は待降節第三主日です。わたしたちはクリスマスを祝う準備をしています。日本で祝われるクリスマスのイメージは、近代ヨーロッパのそれです。美しく飾られ、華やいだ感じの町に、雪が積もります。道を歩いていて、突然どこかの家の扉があくと、家の中から光がもれます。家の中にはろうそくが灯り、暖かい団炉の周りで、家族が揃っておいしい食事やケーキを食べている。わたしたちの教会でも玄関の上の小さなスペースにリースと青と白のLEDの電飾をつけました。ヨーロッパの国々では、リースの上に真っ白な綿を載せて雪が積もったようにします。これもクリスマスの美しいイメージのひとつです。しかし、聖書が語るクリスマスの美しさは、そういうものではありません。「とてつもなく大きな犠牲」です。方向がずれ、神との関係が崩れてしまったわたしたちのため、神の御子イエス様はこの世に来て下さったのです。そして、わたしたちを贖うため、わたしたちの罪を代わって引き受け十字架についてくださいました。

わたしはカトリックの大学で神学の初歩を学びましたが、そこに東京大学の名誉教授で、今道友信という世界的に有名な哲学の先生がおられました。この先生が、美、つまり美しいということは犠牲が含まれるとおっしゃいました。正義の義という字、それから善悪の善、そして美しいという字、この三つの字はすべて羊という字からなっているとも、この先生はおっしゃいました。面白い指摘です。確かにそうですね。義は羊をわたし、我が担いでいます。犠牲の羊をきちんと担うことが、神の前に責任ある正しい態度、義です。善は羊を、台の上においている。一と口は捧げ物の羊を乗せる台です。犠牲の羊を台に乗せる、これも捧げものに関係して、「よい、善」と言います。そして羊が大きいのが美です。美しいは羊が大きいと書きます。犠牲の羊が大きくて高くついて困る、懐が傷つくほどの犠牲をささげる、これが美しいということなのです。漢字を使った洒落と言いますか、クイズの様ですが、他人のために自分の命を捧げてもよいという心のあり方に、限りない美しさを感じると今道先生はおっしゃいました。

聖書が語る神の美しさとは低きに下る神のイメージなのです。聖書が書かれたオリエント世界、エジプトやバビロンなどでは、神を讃えるとき、輝く容姿を持ち、抜きん出た力を誇る、世界を治める力強い王のイメージです。聖書が語る神は、そういう古代オリエント社会の王とはまるで逆です。低いところに下って来て、弱きものを含むすべてに目を注がれるその神の御業にこそ、美しさが見えるのです。わたしたちの命が本当の意味で、立ち上がり歩き出せるのは、この最も美しいもの、イエス・キリストのお姿に触れるときです。このときわたしたちの人生は変ります。新しい生活が起こされ始まるのです。待降節のこのとき、今一度、本当の美しいものに触れたいと思います。イエス・キリストを迎える準備をご一緒にいたしましょう。

 

祈ります。
低く下って天と地を御覧になられる主なる神、「とてつもなく大きな犠牲」の上に、あなたとの正しい関係の中に入れていただくことができたことを思い、心より感謝致します。クリスマスを迎えるこのとき、わたしたちがイエス様に触れ、悔い改めてまた新たに歩み始めることができるよう導いてください。多くの人々と共にクリスマスを喜び祝うことができますように。
主の御名によって祈ります。アーメン。

12月11日の音声

 

2016年12月4日  待降節第2主日

 「主は贖うもの」
イザヤ書 59章12-20節

十二月になりました。今日はアドベント第二主日です。わたしたちの中には、年齢を重ねて生活や健康上の不都合が増えたり、介護や看病で疲れる者が多くなってきました。それでも何とか平和のうちにクリスマスを迎えようとしております。しかし、今日聞きましたイザヤ書五十九章が書かれた時の人々は、わたしたちとはまったく違う、大変な困難の中におりました。紀元前五三九年、ペルシアはバビロンを征服しましたが、配下に置いた国の文化と宗教を尊重する政策から、ユダヤ人の祖国帰還と神殿再建を認めます。そのとき、バビロンに捕囚になってから既に何十年もが過ぎていましたから、帰国できるとなっても、そのままバビロンに留まって生き延びていくことを選択した人も大勢いたようです。勿論、バビロンでの捕囚生活から解放され、神が共におられる、さあ新しいことが始まるぞと、希望を持って帰った人々が、少数ではありましたがいました。しかしそれでも、やはり現実は厳しく、実際の生活はたとえばイザヤ書第二部に当たります四十二、四十三章に書かれております明るい約束の言葉、繁栄や喜びからは程遠いものでした。長かった捕囚の生活からやっと解放されたのに、なかなか神殿を再建することができません。お金も人手も足りませんでした。妨害もありました。そんな中、ペルシアの援助でやっと神殿が出来て、にぎやかに祝いましたが、それでもエルサレムに住む人は少なく、ずっと後の時代になるまで、かなり荒れ果てたままでした。人々は希望を抱けなくなりました。そのような状況の下、人々の間には、神は約束を果たすことができず、祈りにも耳を傾けてくれないという不満が強くなりました。そういう中で、五十六章以下の言葉が語られました。五十五章までとは時代背景が違うことにご注意ください。

しかし、預言者は語ります。「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が 神とお前たちとの間を隔て お前たちの罪が神の御顔を隠させ お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ」(五十九章一、二節)と。そのような状態になっているのは、神がお出来にならないからではない、救いが妨げられている原因は、神との間に壁を作ったお前たちの方にあるのだと言ったのです。次に預言者は「彼らは平和の道を知らず その歩む道には裁きがない。彼らは自分の道を曲げ その道を歩む者はだれも平和を知らない」(八節)とお前たちという二人称から、彼らと三人称に変えて、また、今日の御言葉の直前、九節では「わたしたちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ、輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている」(九節b)と今度は一人称で、今は第ニイザヤが捕囚からの解放の時に希望を持って語った平和とは逆の社会であり、わたしたちは暗黒の中にいると語ります。そして、今日の言葉御前に、わたしたちの背きの罪は重く、わたしたち自身の罪が不利な証言をする。背きの罪はわたしたちと共にあり、わたしたちは自分の咎を知っている」(十二節)と、このような状態になったのは、わたしたちが神に背いたせいである、と自分たちの背きの罪を認めるのです。自分たちの間に悔い改めがないので、正しい神の方向からずれ、神とわたしたちが義しい関係でなくなっていると言うのです。

「主に対して偽り背き、わたしたちの神から離れ去り、虐げと裏切りを謀り、偽りの言葉を心に抱き、また、つぶやく」(十三節)とも言います。これらはおそらく出来事としては、神殿が完成したことで、人々は熱狂的になり、再建のリーダーをかついで王にしようとしたことで、ペルシアに弾圧されたことが背景にあると思われます。何度か申し上げましたが、ユダヤ人をバビロンから解放したペルシアは、宗教には寛大でしたが、政治的独立は決して認めなかったからです。ダビデの家系から自分たちを救ってくれる王、メシアが出るという考えは、時代を超えていつもユダヤ民族が持ち続けた希望でした。それは概ね、政治的独立を意味していました。救い主を待ち望むこの気分がいかに強かったか、わたしたちは新約聖書を読んでおりますからよく分かります。イエス様の時代に人々が求めたメシアも同じです。ローマ帝国から自分たちを独立させてくれる王を、人々は熱狂的に待ち望んでいたのです。国は一旦バビロンに滅ぼされたけれども、こうしてエルサレムに帰ってきたし、神殿もソロモンの時代のものとは比較にならないとはいえ再建されたのです。こうなると、やがては国そのものを再興しようと考えるのは無理もないと思います。

預言者は荒廃した町を見ながら、それを単に敵によってもたらされた災いや不幸や運のなさとして嘆き悲しんでいたのでも、誰かを悪者にして嘆いていたのでもないのです。「この廃墟を作り出したのはわたしたちの罪だ」と言って、神を見捨てた自分たちの罪を嘆き悲しんでいたのです。この世の罪、そして自分の罪に対する嘆きです。神との関係を失った自らのありさまを見て嘆き悲しんだのです。それはまさしく神が求められていた悔い改めの姿です。しかし、この預言者の言葉、姿は人々の実際の姿から程遠いものでした。人々は、自分たちが神の恵みに値すると考えていたのです。

荒れ果てたエルサレムをどうすることもできない人々のありさまがここに表現されています。そもそも自分の力でどうにかできるなら、嘆かなくてもよかったでしょう。どうにもならないから嘆いているのです。聖書は「嘆き」を決して否定的にとらえてはいません。むしろ大事なこととして語っています。現実を直視するからこそ、嘆きが出てきます。現実から目をそらせば、まあこんなものかなと妥協して生きることもできるでしょう。逃げないで現実を直視し、自分の罪の深さ、無力さを知ると、嘆かざるを得なくなるのです。そして、その嘆きがあるからこそ、人は赦しを願い、救いを求め、神に寄り頼む者となれるのです。

しかし、嘆きを肯定的に捉える事と矛盾するようですが、現実を直視することは簡単ではありません。嘆くことすら難しいのです。神がこの世をご覧になった時は、まだ荒廃したエルサレムがあっただけでした。人々はただ不平不満を言っていました。不平不満と心からの嘆きは全く異なります。イスラエルと神の関係は、「わたしはあなたの神、あなたはわたしの民」という契約関係です。そこでは民は神を賛美し、神は民を慈しまれる。しかし、その関係が崩れ去っていたのです。十六節の「主は人ひとりいないのを見」たとは、無人という意味ではないでしょう。人が皆そっぽをむいていたという意味ではないでしょうか。諸国の光りとなれ、祝福の源たれと言われた主に応答する民はひとりもいなかったのです。「まことは広場でよろめき、正しいことは通ることもできない」(十四節)と文学的に語られています。これでは嘆く人がいないのですから、虚無、絶望しかありません。

「主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目に悪と映った」(十五節後半)。神はこういう状況の中で、「恵みの御業を鎧としてまとい 救いを兜としてかぶり、報復を衣としてまとい 熱情を上着として身を包まれました」(十七節)。つまり主なる神が敵に報い、刃向かう者の仇に怒りを表してくださるのです。勿論ここでいう敵とは、様々な困難の総称です。わたしたちの力ではなく、主なる神が困難を解決してくださると言うのです。主は激しい流れのように臨み(十九節)、贖う者としてシオンに来られる(二十節a)。新共同訳ではシオンに来られるとなっていますが、シオンのために来られる、とも訳せます。そして「ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると主は言われる」(二十節)と言うのです。預言者は、「罪を悔い改めて神のもとに帰ってくる人々のために、神は来てくださる」という希望に満ちた約束の言葉を語ったのです。現実はつらい。しかし希望があるのです。

五百年も前に語られたこの言葉が成就したとしか思えない出来事が、実際に起こりました。イエス・キリストの誕生です。旧約聖書は、書いた人も編集した人も知らなかったのに、イエス・キリストを指し示しているのです。国家の混乱の中で預言者が語ったことがずっと後になって実現しました。不思議です。信じない人も多いですが、そのとおりになったとわたしたち教会は信じております。

人々は、どうか救い主が来てくださいますようにと祈っておりました。そこに、救い主が来られる、栄光の雲に乗ってではなく、贖う者としてシオンに来られるという、イザヤが語った約束の言葉が響いたのです。ところが、なぜかこの救いの約束は、人々に受け入れられませんでした。

クリスマスが近づいたこの時期、多くの人々がプレゼントを交換します。プレゼントは贈るのも、もらうのも楽しいものですが、どんなに良いものを用意しても「それ、要らない」と言われたらおしまいです。さらに言えば、嬉しいわと言ってしっかり使ってくれてこそ、確かにその人のものになったと言えます。プレゼントは受け取られ用いられてこそ、本当の意味でプレゼントになります。贈りものを受ける際に大事なことは、頂いた物をまさに自分のものとすることです。それが贈ってくれた人への誠実な対応です。これは神が実現してくださった救いについても同じことが言えます。受け取らなくては救いを得ることができません。感謝して受け取り、救われた者として生きこそ、神のプレゼントは意味を持ち、救いはその人のものとなるのです。

しかし、心を込めて準備したプレゼントでも相手が受け取らないということがあります。この世は、神がこの世にお送りくださった神の独り子、イエス様を受け取りませんでした。それどころか十字架にかけて殺してしまったのです。そのような世に、わたしたちは住んでいます。しかし、わたしたちは、そんなことをしてはいけません。感謝して受け取り、救われた者として生きていくのです。

二十節に「主は贖う者」という言葉がでてきました。「贖い」とは破産した人が、借金を代わりに払ってもらって、奴隷にされていた状態から解放されることです。破産の「嘆き」を吹き飛ばす「喜び」です。主の贖いとは神が与えてくださる解放です。そこには救いの喜びがあります。この世界は既に救い主が来られた世界です。神の救いが実現した世界です。神はわたしたちがそのプレゼントを受け取って、悔い改め、神との正しい関係の中に生きることを望んでおられます。神の救いは既に目の前に与えられているのです。神が下さったプレゼントは、到底その代価が払えるようなものではありません。わたしたちに出来るのは感謝して受け取ることだけです。そして救いを味わいながら神に応答して生きることです。その救いを受け取り、味わって生きるようになるには、資格や能力は必要ありません。何もできなくてもいいのです。嘆きの内にあるからこそ、ただひたすら主の救いに寄り頼むのです。主を信頼して歩む。そこにこそ主が与えてくださる喜びがあり、賛美の歌があります。神はわたしたちを通して、必ずご自身の輝きを現わしてくださいます。そのような信仰の歩みをこれからも共に進めてまいりましょう。それが信仰生活です。主よ、どうか、わたしたちの罪をお赦しください。

祈ります。
イエス・キリストの父なる神、わたしたちを贖うため、御子をこの世にお送りくださったことを感謝します。わたしたちは、いまだに傷つけあい憎み合うことが多い世界に生きています。どうか、わたしたちを贖い、正義を回復し、恵みのみ業を明らかにお示しください。わたしたちがあなたの恵みをしっかりと受け取り、あなたに向かって生きていけるよう導いてください。家族の内に、教会の内に、全世界に、あなたの平和が満ち溢れますように。
主のみ名によって祈ります。アーメン。

12月4日の音声

 

2016年11月27日  待降節第1主日

 「主の光の中を歩む」
イザヤ書 2章1-5節、 35章1ー5節

わたしどもは普通、未来を過去から現在に至るその延長線上に見るものです。人生についても社会についてもそんな風に見ております。しかし、もしも未来が現在の延長でしかないならば、「希望」は出てこないかも知れません。それが現実です。「希望」という言葉に縁遠かった人々は、実は旧約聖書の中にもたくさん見出されます。旧約聖書の主要な部分は国家の崩壊に直面して書かれたか、もしくはその後編集されたものですから、聖書の中の人々は希望を持てない世界に生きていたとも言えるでしょう。しかし、そういう状況にありながらも、初めにこの世界に秩序を与えられた神は、世界を再創造することがおできになる、決して混沌の中には放っておかれないと確信し、新しいことが起こる、既に再創造は始まっている、この世界は完成に向かっているとし、そこにこそ希望があると考えた人々によって聖書は編集されたのです。イザヤも希望のない中で、秩序の回復を待ち望み、主の光の中を歩もうと言っております。待降節第一主日の今日、イザヤの物語を読みながら、聖書の語る希望についてご一緒に考えてみたいと思います。全く異なった二十一世紀の今を生きるわたしたちにも直接語りかけてくる言葉です。

「アモツの子、イザヤ」が預言者として、神からの声を聞き、その活動を始めたのは、ユダ王国を長く治めたウジヤ王が死んだ年、紀元前八世紀半ばのことです。父親の名アモツは「強い」という意味です。預言者アモスとは似ていますが、へブル語では、全く別の名です。イザヤはイェーシャー・ヤフー、ヤフーすなわちヤハウェの救いを意味します。名前そのものが大事な意味を持っています。このころユダヤ、イスラエルは平和な時代が続いておりましたが、実は遠く離れたアッシリアが世界征服にじわじわとのり出していました。アッシリアの都ニネベは、昨今よくニュースに出てきますイラクのモスルのあたりです。アッシリア王は、過去のエジプトやメソポタミアと異なり、被占領地の指導者層を丸ごと移住させ、そのあとに自分たちの言いなりになる別の民族を支配者として移住させ、国替えと混血化を進めました。支配地の力をそぎ、間接統治するという方法でどんどん勢力を伸ばしていたのです。これは実に効果的な方法で、アッシリア以降の帝国は、バビロンやペルシア、ギリシアやローマも皆このやり方を大なり小なり真似ております。国が世界的な帝国となり巨大になって支配地を直接統治するのは無理になってきたのです。

エルサレムは古代オリエント世界の辺境にありました。アッシリアからエジプトに至る海沿いの道の最後のところエジプトの直前に、海の道からはかなり外れた内陸の山の上に建てられていた町でした。地中海から海抜八百メートルの高地、死海から千二百メートル上、まるで比叡山の頂上にあるかの様な町で、メソポタミアからエジプトに至る文明世界から一歩離れて建っていました。そのような町でしたから、外国の軍隊に直接脅かされることが少なく、エルサレムの人々は、神がこの都を守ってくれるのだという強い確信を持っていました。この時も、いくらアッシリア王が勢力を伸ばしたとしても、エルサレムは、主なる神の神殿がある場所、聖なる所なのだから、神の教えに従ってさえいれば、決して滅ぼされることはないと考えていたようです。視野の狭い民族主義だとも言えますが、長く平和が続いておりましたので、遠くを見る目が多少曇っていても仕方がなかったかもしれません。旧約聖書のいたるところにこういった気分が出てきます。たとえば、神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき必ずそこにいまして助けてくださる」(詩編四十六篇二節)という具合です。そのようなときが長く続き、民は、礼拝しているのだから神が守ってくれるのは当然と思い、本当に神に従っているかどうかは考えもしなくなりました。そして、神を真に信頼することを忘れ、自分たちの力で危機を乗り越えようとしたのです。結局アッシリアとの関係でエルサレムがどうなったかと申しますと、アッシリアの宗教の強い影響で、どんどん国が異教的になって行きました。アッシリアの神をエルサレム神殿の中に祭るようになったのです。そしてとうとう、前八世紀の終わり、七〇一年、ヒゼキヤ王の時に包囲攻撃され、降伏したのです。エルサレムからあらゆる金銀が消えていきました。神殿の金細工装飾もはがされました。しかし、何しろ山の上ですから、政治的にも経済的にも、この町の価値はあまり高くないと判断され、他の多くの町とは違って、この町だけは全滅を免れました。(五八六年にバビロンによってエルサレムが完全に制圧され滅亡するまでユダは続きます)

この絶望的な状況の中で、イザヤは、ユダとエルサレムについて幻に見たことを語ります。今日聞きました御言葉です。「終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい 多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。 ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」

この言葉をさっと聞きますと、エルサレムは、主なる神の神殿がある場所、聖なる所なのだから、神の教えに従ってさえいれば決して滅ぼされることはないという、イザヤも人々と同じく視野の狭い民族主義に立った言葉を語っているように聞こえます。しかし、そうではありません。現実には混乱の中にあったのですが、イザヤは遠くに希望を見ていたのです。世界の行く末をわたしたちとは違った視点で見、人生を展望し、これから進む先に神が示された終わりの日をはっきりと見据えていたのです。聖書の世界ではこれを、「終末的」希望と言います。聖書における「終末」は人類の滅亡、世の終わりを意味するのではありません。破局ではなく完成の時です。再び、本当の意味での信仰が回復する時です。「主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムからでる」(二章三節)と言っております。エルサレムから神の言葉が聞こえてくる。あなたたちの神を見なさい、と彼は言います。イザヤはそこに希望を見出していたのです。神に目を向け、「わたしたちの神」と呼びました。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(二章四節)。剣と槍は戦争の道具です。この剣と槍をもはや必要としなくなり、融かして畑で使う鋤や鎌に打ち直すようになる。平和が来ると言います。こういう平和を彼は幻として見ております。幻は日本語では、夢、幻の如くと言いまして、はかなきものの代表のように使われますが、聖書の世界で幻と呼ばれるのは、もっとはっきりした見える希望、ヴィジョンです。わたしたちにも通じる洞察です。

イザヤは、神との関わりの中で未来を見ています。未来を現在の延長上にではなく、全く別次元の、主なる神の介入を通して未来を見ているのです。先ほど朗読を聞きました二番目の方で、「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ、砂漠よ、喜び、花を咲かせよ、野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ、カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る」(三十五章一、二節)と言います。「荒れ野」や「荒れ地」、「砂漠」が象徴的に語られているにせよ、「砂漠に花が咲き乱れる」ことはありません。砂漠は突然できたものではなく、砂漠には砂漠としての過去があり、今があります。ですから、その延長上に花が一面に咲くことはありえません。また「砂漠はレバノンの栄光を与えられる」とも言いますが、レバノンはレバノン杉(香柏とも言います、マツ科の高木、三十メートルにもなる立派な木)で有名な立派な森のある国です。砂漠の未来に「レバノンの栄光」、素晴らしい森が見えてくるはずがありません。延長線上にはありえないことが起こるというのです。

続いて「敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる」(三十五章四節)と言います。神が歴史に介入なさり、秩序を回復なさると言うのす。「このままにしてはおかれない」という神、そのお方に目を向けています。先週祈祷会で読みました詩編一四〇篇には「わたしは知っています。主は必ず貧しい人の訴えを取り上げ、乏しい人のために審きをしてくださることを」と書かれていました。現実世界の外側から入って来られる方がおられる。わたしたちの人生の外側から来て救ってくださる。そういう神がおられるからこそ、現在の延長ではない異次元の未来を語ることができるのです。希望を語ることができます。

このように、厳しい現実の中で預言者が目を向け続けたのは「来て、救ってくださる」神でした。それゆえ、彼は救いが成る「そのとき」について語ることができるのです。必ず来る「そのとき」を語るのです。彼は言います。「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う」(三十五章五節以下)。これは神の介入の徴です。ここに救いの世界が語られています。完全なる癒しの世界として語られます。神の恵みだけが支配し、神の命のみが満ち溢れる世界を、このように描写するのです。わたしたちもよく知っている言葉です(ルカ七章二十二節)。これはずっと後になって、イエス様が御自分のことを語るのに引用なさった言葉です。

わたしたちは「来て、救われる神」を「わたしたちの神」と呼び、このお方を待ち望んでいます。神の命に満たされる救いの時が来ることを待っているのです。ですから、「そのとき」はまさに救いの希望の時なのです。そして、預言者が語った「そのとき、終わりの日」に「来たるべき方」こそ、わたしたちの主イエス様なのです。キリストは来られました。終わりの日は既に始まっています。わたしたちは知っています。世界は完成へと向かっているのです。

イエス様は、「救いの時」が既に始まっていると告げられました。「救いの時」は、救い主の到来と共に始まっています。しかし、主がなされた数々の癒し、奇跡の業は、来るべき神の世界を指し示す「しるし」ですが、それ自体が救いなのではありません。イエス様は、十字架にかかられ、御自分の命でわたしたちの罪を贖ってくださり、そしてご復活なさいました。このキリストの復活の出来事こそ、永遠の命を与える神の介入は既に始まっているという事実を示す「しるし」なのです。わたしたちは、神との関係の中で、未来を見、神がキリストを通して示してくださった救いが完成する「そのとき」を待ち望んでいるのです。

繰り返します。キリストの到来と共に、神の決定的な介入は始まりました。既に救いは始まっているのです。わたしたちは完成に向かって生きています。イエス様の十字架と復活の故に、わたしたちはこの世において既に、罪を赦され、聖霊を与えられ、神の命に与らせていただいているのです。そして、神の国でそうなるのと同じように、今集められて共に礼拝をしています。キリストの体と血に与って、みんな一つとされるのです。やがて嘆きと悲しみは去りゆき、全く一つとされたわたしたちを喜びと楽しみが包み込むでしょう。わたしたちは「主の光りの中を歩んでいる」のです。「マラナ・タ、主よ、来てください」と祈りながら、そして救いが完成される「そのとき」を待ち望みながら歩んで行きましょう。

 

祈ります。
父なる神、今年もアドベントを迎えました。あなたが御子イエス様を、預言者が待ち望んだ救い主として、この世にお送りくださったことを心より感謝いたします。わたしたちがイエス様の救いの出来事を想い起こし、やがてイエス様が再び来られることを覚え、悔い改めてこのアドベントの時を過ごすことができますよう守り支えてください。イエス様が来られたにもかかわらず、まるで来られなかったかのようにこの世は動いています。どうか一人でも多くの人があなたを知ることができますように。そして、皆が一つになって、救いが完成される「そのとき」を待ち望みながら、主の光の中を歩んでいけますよう導いてください。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

11月27日の音声

 

 

 

2016年11月20日  降誕前第5主日

 「終わり、そして始まり」
使徒言行録 28章11-31節

礼拝において使徒言行録の連続講解説教が始まったのは、一年半前、二〇一五年五月十日のことでした。今日はこの書の最後の部分を聞きました。実際わたしたちが過ごした一年半の生活と重なって、この書を通して聞き続けてきた御言葉が心に響いて思い起されます。神の計画は必ず実現していくこと、共に祈り、神の恵みの下に生きる喜びの一方で、思い通りにはいかないこと、主を見失いそうになる試練も多く書かれていましたが、二千年前教会を導かれた主は、今もやはり共にいてくださり、確かに導いてくださっているのだと幾度となく思わされました。今日もいつも通り、静かに主の語りかけに耳を傾けたいと思います。

パウロたちがマルタ島に漂着して三ヶ月が過ぎました。再び航海の出来る、海が穏やかな早春になったので、彼らは、この島で冬を越していた難破したのと同じアレクサンドリアからの別の船に乗って出航いたします。エジプトの穀物をローマに運ぶ船ですが、パウロたちと同じく、海が荒れていたのでマルタから先に進めなかったのでしょう。ディオスクロイというのはギリシア神話の神の像で、海上交通の守り神です。冬になる前に穀物をイタリアに運ぶべきだったのが遅れていたので、すっかり穏やかになる前にでたのでしょう。船はまずシチリア島のシラクサに寄港しましたが、やはりまだ海が荒れていたのか、三日間停泊しました。ここからは海岸沿いに慎重に進んでイタリア半島の、いわゆる長靴のつま先にあるレギオンに着き、その後は春の順風に吹かれて二日ほどでナポリ湾のプテオリに入港しました。ここで船旅は終わりです。後は陸上を行きます。ローマまでもうあと二百キロ、五日の行程です。目と鼻の先です。このプテオリで、パウロがキリスト者を見出し、彼らのもとに七日間も滞在したと記されております。七日間もの滞在が、ただ百人隊長の好意によるとは考えられませんので、ユリウス隊長が公務のためここに滞在することになっていたのでしょう。この期間に、パウロの到着がローマの教会に知らされます。ローマのキリスト者のある者たちはアッピア街道を南に下ってアピイフォルムにおいて、また他の人々はトレス・タベルネでパウロを出迎えたのでした。ルカは感慨に満ちて書き記しています。「こうして、わたしたちはローマに着いた」(十四節)と。

パウロの活動を思い起こしますと、ローマへ向かう志が初めて記されていたのは十九章二十一節においてでした。「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った」。この場面はパウロが第三伝道旅行でエフェソにいた時でした。もう五年も前のことです。その後、ギリシアのコリントに三ヶ月滞在していた時(二十章三節)、彼はローマのキリスト者たちに手紙を書き送り次のように記しております。「何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まずしばらくの間でもあなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです」(ローマ十五章二十三節~)。どうやら最終的にはスペインに行きたかったようです。地の果てにまで福音を知らせたい、これがパウロの意志でした。この途中でローマのキリスト者に会いたいというのが彼の気持ちです。それが思いもかけない事態で実現しました。暴動に遭い、裁判にかけられ、二年間も拘留された挙く、未決囚としてローマに護送されることになり、途中嵐に遭い、船が難破し島に打ち上げられるという経験もしながら、やっとのことでローマに辿りついたのです。随分と回り道をし、無駄な時を過ごしました。今も自由人としてではなく囚人として不当な扱いを受けたままです。スペイン行きは叶いそうもありません。

しかし、事態が計画通り運んだかどうか、願いどおりに実現したかどうか、それはパウロにとっても、書き記しているルカにとっても、大したことではありませんでした。「こうして、わたしたちはローマに着いた」。ローマに着いたこと自体が大事だったのです。なぜ着くことができたのか。それはキリストが彼と共におられたからです。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」(二十三章十一節)とおっしゃった主が導かれたからです。それこそが、恵みに満ちたことであり喜ぶべきことでした。ここから大切なことを再認識したいのです。それは、わたしたちキリスト者にとって、主が共にいて導いてくださり、主の御名がわたしたちの人生を通して聖とされることこそ、わたしたちの存在を意味あるものとすることであり、大きな喜びであるということです。自分の願望が実現することやスムースに事が運ぶことが一番大切ではありません。自己実現を究極の目標としている人は、主と共にある喜びを経験することはできません。

思いがけずもローマに着いたパウロは、自分だけで住むことが許されたようです。ただし自由な外出は許されず、二十節に触れられているように、何らかの形で鎖に繋がれていたようではあります。ルカはこの使徒言行録の結びにおいて、何年も切望していたはずのローマのキリスト者との交わりについては全く何も書き記してはおりません。間違いなく出会いがあったはずなのですが、ここでは「おもだったユダヤ人たち」、つまりユダヤ人指導者たちとの二回に亘る会合の様子を描いております。いったい何を伝えたかったのでしょうか。それを考えながらユダヤ人たちとのやり取りを読んでいきましょう。十七節以下を御覧ください。パウロはここでも、他の場所同様に、ユダヤ人たちにキリストの到来を伝えようとしております。しかし、軟禁状態ですので、かつて行った様に、会堂に出向いて語りかけることはできません。そこでユダヤ人指導者たちを自分のもとに呼び集めました。彼らが直ぐに呼びかけに応じたところを見ると、肯定的にせよ否定的にせよ、キリスト教に対する関心が高かったことが窺われます。あるいはパウロは一流のラビとして名前が知られていたのでしょうか。「あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい」(二十二節)と指導者は言っております。パウロはまず、彼が皇帝に上訴するに至った経緯など、なぜ自分が囚人として鎖につながれているのかを説明しました。そしてこの上訴が決して同胞を告発しようという意図のもとになされているのではないことを説明いたします。その上で、注目すべき言葉を語ります。「イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです」。自分が伝統的ユダヤ人たちに対立しているのではないことを明らかにするのです。同じ内容はこれまで繰り返し語られてきました(二十三章六節、二十六章六、七節)。ここでルカが繰り返してこの言葉を記しているのは、ここにパウロがユダヤ人たちに対して語り続けてきたメッセージの中心があると見たからでしょう。

パウロが伝えてきたメッセージは、旧約聖書が教え、ユダヤ人たちが信じてきた希望を打ち壊したり、覆したりするものではありません。パウロも彼に反対してきたユダヤ人たちも「同じ希望」を抱いているのです。つまり終末の希望、神の国の希望、復活の希望です。違っていたのは、ユダヤ人たちが未だ救い主、メシアを待ち続けている一方で、パウロは「既にメシアは来られたのだ、ナザレのイエスがそのお方である」と言っているところです。メシアが苦難を受けられて罪を贖ってくださった。そして神はそのメシアを復活させることにより、神の国の栄光を現してくださった。この方の名によって罪の赦しを得させるバプテスマを与え、神の国へと招いてくださった。このように、彼らが希望してきた救いが既に決定的な仕方で始まっていることをパウロは伝えてきたのです。そして、今パウロが願っているのは、ユダヤ人の敵意から身を守ることでも、彼らを告発することでもありません。パウロが願っていることはただ一つ、本当の意味で彼らと希望を共有することだったのです。

ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来ました。そこでパウロは、朝から晩まで説明を続けます。神の国について証しをし、聖書を引用しながらイエス様がメシアであることを語り続けたのでした。パウロは理に適わないことを「信じなさい」と主張したのではなく、理に適ったことを言葉を尽くして時間をかけて伝えたということが、「説得しようとした」(二十三節)という言葉に現れております。しかし、人間の出来ることはそこまでです。結果どうだったでしょうか。「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった」(二十四節)のです。これまでと同じ事がローマでも起こりました。皆がパウロの言葉を受け入れたわけではなく、皆が反対したわけでもなく、彼らの間に分争が起こったのです。その後のパウロの言葉から推測すると、圧倒的多数は信じようとはせず、福音の言葉を受け入れたのはごくわずかであったのでしょう。

彼らが立ち去ろうとしたとき、パウロはイザヤ書を引用して次のように語ります。「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、語られました。『この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。』だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです」(二十五~二十八節)。パウロが引用しているのはイザヤ書六章(九節以下)です。イザヤが預言者として神から召された時に与えられた言葉です。イザヤは初めから人々に拒絶されることを覚悟して活動を始めなくてはなりませんでした。それは単に彼の言葉が理解不可能であるからということではなく、悔い改めて神に立ち帰ることを求める言葉が直面せざるを得ない現実なのです。人は自分をそのままにしておいて、方向を変えることもせずに、安易な恵み、手軽な救いを求めるものです。自分は安全な高みに居て、潮の流れが変わることを期待しているのです。イスラエルの民もそうでした。しかし、神の恵みによる招きは、一方的に与えらるものでありますが、それは同時に人が神に立ち帰ることを求めます。方向を変えることが求められますが、ところが人間は頑なで、たとえそれを理解したとしても、簡単には出来ないのです。

イザヤに起こったことがパウロにも起こりました。神の恵みに最も近いはずであったユダヤ人たちは、いにしえから約束が与えられ、その通りに救い主が与えられたにもかかわらず、福音を受け入れようとはしませんでした。今までパウロが常に経験してきたことですが、やはりここでもそうでした。パウロの姿はイスラエルの民に裏切られても裏切られてもなおイスラエルの民に関わり続けられた神の姿と重なります。

この使徒言行録はルカによる福音書の続きとして記されました。ルカによる福音書は、主イエスの降誕物語から始まります。天使たちが羊飼いに現れ、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(ルカ二章十一節)と告げた、あの物語です。今年もまたクリスマス・イブには聞くことになるでしょう。しかし、そのようにきらめく希望を語ることから福音書を書き始めたルカは、神の国における救いの完成を描いて、めでたしめでたしと二巻目を締めくくっていません。そうではなくて、メシアの誕生が最初に告げ知らされた民が、その救いの言葉を拒否したことを最後に書き記すのです。そして、特別感動的でもなく次のように使徒言行録を終えています。「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」(三十、三十一節)。

使徒言行録の終わりは、ハッピーエンドではありません。むしろ奇妙な終わり方であると言えます。しかし、この不自然にも思える終わり方の意味するところは何でしょう。ルカは明らかにこの部分を、最終的「結論」として書いているのではないようです。物語は一応ここで終わります。しかし、これが結論ではなく、続きがあるのです。終わりは新たな始まりでもあります。歴史は、その終わりと始まりを繰り返しながら続いていくのです。まだ終点に着いてはいません。歴史の中で教会は様々な時代を経験しました。これからもそうです。まず使徒たちを通して働かれた主は、今わたしたちを通して働きを継続しておられるのです。今見ていることが結論ではありません。神の御計画は完成へと向かっています。わたしたちは、いつでも自分たちが「旅の途上にある」ことを覚え、目先のことに囚われて一喜一憂することなく、神に向かい一歩一歩進むのです。

パウロはこの使徒言行録の最後に「この神の救いは、いまや異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです」と語っています。勿論すべての異邦人が聞き従ったわけではなく、ごく一部です。しかし神はわたしたちを捉えてくださいました。わたしたちは主にあって、神の国に向かっています。一つが終わっても、それはまた新たな始まりです。本当の終わりに至るまで、神の国を宣べ伝え、希望を持って主の後ろに従って行きましょう。こんなことをしていても効果がない。もう止めようというのは、キリストの内から出ることです。わたしたちにはありえません。み名を崇めさせたまえ、御国を来たらせたまえ、マラナ・タと祈りつつ、前に進みましょう。そのようにしてわたしたちも使徒言行録のあとに、新たな一ページを加えていくのです。

これで使徒言行録を読み終えます。

祈ります。
父なる神、使徒言行録の御言葉に一年半に亘って向き合い、最初から最後まで残さず聞き終えることができました。聖霊なる神の導きによって、ペトロやパウロが歩んだ足あとを振り返り、わたしたちのこととして向き合えたことを感謝します。次週から待降節に入ります。今年も、御子を送ってくださったあなたの恵みに感謝しながら、主のご降誕を皆で共に祝うことができますよう、また、わたしたちがこれからもあなたの守りに応えて生きることができますよう支え導いてください。
主のみ名によって祈ります。アーメン。

 

 

2016年11月13日  降誕前第6主日

 「マルタ島での奇跡」
   使徒言行録 28章1-10節

パウロは、ローマ軍に護送される囚人としてローマに向けて地中海を移動しておりました。ところが、乗っていた船がクレタ島の沖合で「エウラキロン」と呼ばれる地中海特有の北東からの暴風に巻き込まれ、来る日も来る日も激しく吹き荒ぶ暴風に、自分たちがどこにいるのか、どこに向かっているのかさえ分からなくなります。そして十四日目の夜、ようやく船は陸地に近づきます。翌朝、砂浜のある入り江を見つけ、そこに船を乗り入れようとしましたが、浅瀬にぶつかって船を乗り上げ、波によってとうとう船が完全に壊れてしまいました。しかし何とか皆、板切れや乗組員につかまりながらも泳いで島に上陸します。島に流れ着いた時、おそらく百人隊長は、身についた習慣で全員無事に泳いでこれたかどうか直ぐに調べたでしょう。訓練された軍人は、生き残りの人間を無意識に数えるものです。ですから、二十七章の終わりに、全員が無事に上陸したと書かれておりました。助かる望みが消えかけようとしていた時パウロが言った、「だれ一人として命を失う者はない」(二十七章二十二節)という宣言が成就したのです。

二十八章に入りますと、彼らが打ち上げられた島での様子が記されております。その島はマルタと呼ばれる島でした。今でもマルタ共和国として知られています、地中海のど真ん中にある小さな島です。紀元前千年のころからフェニキアの植民地でした。フェニキアはツロ、シドンの地方にありましたが、イスパニア、いまのスペインをも植民地にして、地中海の海上交通を支配した古代に栄えた国です。その後紀元前四百年頃フェニキア人の作った都市国家カルタゴ(フェニキア語でカルト・ハダシュト、新しい町)に征服され、そのカルタゴがローマに敗れてからは、ローマ領になりましたが、パウロの時代でも、島民はフェニキア人の子孫だったようです。マルタは、旧約聖書の時代から海上の重要拠点でした。

二節の「島の住民は親切にしてくれた」というところの、「島の住民」と訳されている言葉は、バルバロイという言葉です。文語訳では「土人」でした。しかし、バルバロイは必ずしも未開人、野蛮人という意味ではなく、言葉が通じない人、何をしゃべっているのか理解できない人という意味ですから、ここではギリシア語やラテン語が話せない人ということになります。土地の言葉しか話さないとなるとフェニキア語でしょうが、フェニキア語はヘブライ語によく似たセム言語ですから、パウロは通訳なしである程度、意志疎通ができたのではないでしょうか。フェニキア人は、ローマの文明に乗り遅れていたかも知れませんが、決して野蛮人などではありませんでした。

二百七十人以上もの難民なのか、漂着民なのかが押し寄せて来て、島の人は驚いたでしょうが、海が荒れて船が座礁し、人々が流れ着くということは時々あったのでしょう。彼らは直ぐに事情を察して、濡れた服を乾かし、体を温めるために火を焚いてくれました。季節はちょうど今頃、秋の終わりから冬の初めです。遭難者は火を起こす道具どころか持ち物を全て失い何も持っていなかったのですから、火を起こして温めるという島民の情けが無かったら、全身ずぶ濡れのパウロたちは体が冷えて、命さえ危なかったかも知れません。村挙げて遭難者を丸抱えで助けてくれたようです。ルカは深い感銘を受けたようです。明治時代、和歌山県串本の農民が、嵐の中、村挙げて全力でトルコ海軍の遭難者を助けた故事がありますが、まさにそんな感じだったかもしれません。「大変親切に」とは、普通じゃない親切、あり得ないほどの親切です。大変重い言葉です。

さて、島の住民が、降る雨と寒さをしのぐためにたき火を焚いてくれた時、パウロが一束の枯れ枝を火にくべると、隠れていた蝮が熱さのため枯れ枝から出てきてパウロの手に絡みつきました。ところが、パウロはその蛇を火の中に振り落として、何の害も受けなかったのです。これを奇跡と見てよいかどうかは議論の分かれるところです。毒のない蛇だったのかも知れませんし、深く噛まれていなかっただけかも知れません。学者によりますとマルタ島には蝮はいないそうです。しかし二千年前にはいたのに絶滅したのかもしれません。あるいは他の毒のない蛇を蝮だと見誤ったのかもしれません。いろいろ考えられますが、それは重要なことではありません。ここに書かれていることは、ルカによる福音書で主イエスが語られたこととの関連で見るべきでしょう。「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない」(ルカ十章十九節)。つまり、重要なのはこの出来事の中に上からの権威と力が現れているということであり、イエス様が弟子たちに約束なさった神のご支配の印が、パウロにおいても実現したということです。

島の人はパウロが蝮にかまれたのを見ました。直ぐかけよって手当をしてくれる人はいなかったようです。親切をした島民も考えたのでしょう。この人は海の遭難では命を落とさないで助かったけれども、直ぐにこういう災難に遭った。これはやはり人殺しか何か悪い人ではないか。パウロはあくまで囚人でした。人には隠されていても、神は御存知である。だから『正義の女神』がこの人を生かしておかないのだ。蝮にかまれた人は必ず死ぬという常識と、罰が当って蝮にかまれて死ぬのだという因果応報の迷信から、人々はすぐには動かず、パウロが死んでしまうのだろうと思って様子をうかがっていたのでしょう。ところが、咬まれても害を受けず平気なパウロを見て、それが真逆にひっくり返ります。海難からも助かり、蝮からも守られている。「この人は神様だ」と言いだしました。人殺しから神に変わってしまったのです。思わず、笑いそうになる場面です。マルタ島の人が言う神様とは、どういうものだったのか分かりませんが、「正義の女神」も信じているようですから、ギリシア神話に近い、男の神だったのかもしれません。以前(十四章)、パウロがリストラで足の不自由な男の人をいやしたとき、見ていた群衆がバルナバを「ゼウス」、パウロを「ヘルメス」だと言ったのに対し、彼らは強く抗議し、生ける神に立ち帰るように言ったのとは異なり、ここでは特に反論をしていません。何よりも言葉が上手く通じませんし、助けてくれた島の住民を諭し難かったのかもしれません。

先程も申しましたように、この話は、奇跡かどうかよりも、パウロを守る力、上からの権威と力が働いていることを現しています。それは続いて起こる出来事にもよく表れています。

二百七十六人もの人ですから、わたしたちと言うのが、全体の人であったか、パウロや百人隊長ユリウスたちのグループであったのか、またルカたちキリスト者のグループなのかわかりませんが、ともかくパウロたちを、その場所の近くに住んでいたプブリウスという島の長官が、手厚くもてなしてくれました。彼はギリシア語を話せる人のはずです。三日間御馳走をしてくれたようです。そこで、「たまたまプブリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした。このことがあったので、島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらった」(八、九節)とあります。下痢は赤痢をさす単語が使われています。腸管に出血を伴うひどい下痢で、命の危険があったものと思われます。イエス様がペトロの家に行かれた時、ペトロのしゅうとめの熱を取り除かれ癒された話が思い出されます(ルカ四章)。また更にはペトロが中風の男アイネアをいやした話や、ドルカスという名のタビタを生き返らせた話(使徒九章)を思い出します。かつてイエス様がなさったのと同じことをしているのです。単に手当したというのではなく、命を救う行為を行っています。これは、これらの行いがペトロやパウロの行為のようであって、実は彼らの行為ではなく、イエス様がペトロやパウロを通して働いておられることを示しています。このようないやしの働きは既に様々な場面で見てきましたが、それらも、ただ奇跡的な行為だというわけではなく、神の支配を現し、神の国を示すしるしでした。そして、奇跡やしるしが描かれていることによって明らかにされていることは、この場面の主役はペトロやパウロではなく神であり、神による救いの働きであることです。この物語の真の主人公は神御自身なのです。振り返りますと、使徒言行録の初めから一貫している主張です。

今までずっと見てきた嵐の中での出来事についても、全く同じことです。全員の奇跡的救出という出来事も、パウロの勇気や判断力のおかげではないということです。もちろん運不運、嵐に遭ったことが不運であり、助かったことが幸運であったということでもありません。パウロを通して現れているのは、生ける神の力なのです。パウロを召し、ローマにまで行かせようとしておられる神が、この一連の出来事を御支配の内に導いておられるのです。島民たちは、神だと思ったパウロたちに深く敬意を表し、船出に必要な物を提供しました。パウロたちのローマ行きを助けてくれました。

使徒言行録の連続講解も次回が最終回となりますが、読み続けてきた中でいつも気付くことは、様々な出来事はすべて神の御支配の内にあることです。そしてわたしたちもまた、同じ支配の内にあり、やがて目に見えるように完全に現される神の計画の内に生かされているのだ、ということです。神が共にいて支配しておられるのですから、どのような状況にあっても恐れることはありません。すべては御手の内にあるのですから、どんな障害や困難があっても、大丈夫なのです。神がすべてを導いてくださいます。わたしたちは神の方を向き、祈ればいいのです。すべてを良き方に導いておられるお方の御心がなっていきます。そのことを信じ、口ではっきり言い表し告白して生きるところに、わたしたちのロ-マが近づいてくるのです。

マラナ・タ教会のこれまでの三十八年を振り返りますと、色々な恵みが思い出されます。一方で、ああいうことは無ければがよかったのになあ、あれはもっとこうすべきだったという事も確かにあります。これからもそうでしょう。しかし、パウロを思い出しましょう。大変な窮地に立ちながら動揺したかもしれませんが、どのようなときでも祈りかつ賛美しております。祈り、賛美することで、神に信頼する力がおのずと備わってきます。すべてを神に委ね安心して生きることができるようになるのです。信仰生活とは理論ではありません。実際に信仰に生きることです。これでいいと判断して進んだのに、逆境に立たされることもあります。その時にも祈り賛美する。これが信仰です。難しいことではありません。熱心なキリスト者のつもりなのに大きな災難にあった、苦難の中にある。ちゃんとやっているのにいろいろ言われて嫌になった。こんなことで教会から離れてしまうのは悲しいことです。苦境に立たされた時こそ恵みを見つけ出して感謝し、祈り賛美する。これが信仰生活の秘訣です。パウロは、それをコリントの信徒への手紙に書いています。皆さんの大好きな聖句で説教を締めくくりたいと思います。「せん方つくれども、望みを失わず」、途方に暮れても失望しないで祈るということです。

祈りましょう。
天の父なる神、あなたの導きを感謝します。マラナ・タ教会を、またお一人お一人をあなたのご計画どおりに導いてください。どのようなときにも、たとえ困難の中にあるように見えるときでも、望みを失わないで、祈りかつ歌うことが出来るようにしてください。主の平和がわたしたちの内に、この地上に満ち溢れますように。
主のみ名によって祈ります。アーメン。

11月13日の音声

 

 

2016年11月6日  降誕前第7主日

 「嵐で難破する」                                                    使徒言行録 27章27-44節

わたしたちはいつも、ここに集まっている人々だけではなく、時を超えて、召された方たちとも一緒に礼拝をしていると意識しておりますが、今日は特に永眠者記念礼拝として、教会員およびそのご家族で既に召された方々のお写真と共に礼拝しております。日頃お会いしないご遺族の方々とも共に礼拝できることを、大変うれしく思います。

さてマラナ・タ教会では、昨年から連続して一節も飛ばさないで使徒言行録から御言葉を聞いております。今日もいつもと同じように先週に続いての聖書箇所が読まれました。本日の内容に入る前に、少し振り返っておきましょう。パウロは、この時、色々ないきさつから、ローマ軍に護送される囚人としてローマに向けて地中海を移動しておりました。海が荒れる季節に入ったので冬を越すための港へ向かいましたが、クレタ島の沖合で「エウラキロン」と呼ばれる地中海特有の北東からの暴風に巻き込まれ、幾日も海上を漂っています。人々は大切な積み荷の小麦を海に捨て、船具までを投げ捨てて助かろうとしました。しかし、来る日も来る日も暴風が激しく吹き荒び、太陽も星も見えないほどのひどい天候で自分たちがどこにいるのか、どこに向かっているのかさえ分かりません。ついに彼らは望みを完全に失ってしまいました。

しかし、そこでパウロが立ち上がり言ったのです。「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」(二十三~二十六節)。暴風の中で望みを失ってしまった人々に対し、風をも支配しておられる神のことを語りました。このような状況の中でもパウロは神に向かい、神に祈り、神を待ち望んでいたのです。ですから、神からの「恐れるな」という語りかけを聞き、人々に対して「元気を出しなさい」と語りえたのです。福音書を読んでいる方ですと、ガリラヤ湖の上で、嵐の時に、イエス・キリストが弟子たちにおっしゃった、「恐れるな、安心しなさい」という言葉を思い出されることでしょう(マタイ十四章二十七節)。

今日聞きました箇所はこの続きです。船がアドリア海を漂って十四日目の夜、真夜中頃船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じました。アドリア海と言いましても今のアドリア海ではなく、もっとずっと南、イオニア海よりもさらに南の地中海のど真ん中です。当時はこのあたりもアドリア海と呼ぶことがあったようです。経験を積んだ彼らの耳は、確かに波が岩に当たって砕け散る音を聞き分けたのです。そこで水深を測ってみると二十オルギィア(一オルギィアは約一.八五メートル、約四十メートル)です。少し進んでまた測ってみると十五オルギィア(約三十メートル)になりました。地中海はヨーロッパとアフリカ両大陸に囲まれた内海ですが、広大な面積の大海であり、深い所は五千メートル以上、平均でも深さ千五百メートルはあります。ですから深さ三十メートルと言えば、かなり陸に近づいていることは明らかでした。ほっとする半面、暗くて視界がありませんから、暗礁に乗り上げる危険が多くなります。そこで彼らは船尾から錨を四つ投げ込み、船が進むのを止め、夜の明けるのを待つことにしました。ところが、船員たちは船首からも錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたのです。彼らは自分たちだけ船から逃げ出そうとしていたのでした。その企ては発覚し、パウロは百人隊長と兵士たちに告げます。「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」。そこで兵士たちは、ロープを断ち切って小舟を流してしまいました。

暗く長い夜が明けかけていたころ、パウロは新しい事態に際し、生き延びるため、まず食事をとって力をつけるよう一同に勧めました。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(三十三、三十四節)。こう言ってパウロは一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めたのです。大変印象的な場面です。この「パンを取り」「感謝の祈りをささげ」「(パンを)裂いた」という三つの言葉は、実はキリスト・イエスが十字架にかけられる前に弟子たちと持った最後の晩餐の場面に出て来る言葉です。つまり、著者は明らかにこれを主の晩餐と重ね合わせているのです。もちろん、その船に乗っていた殆どの人はキリスト者ではなかったでしょうし、この食事がそのまま教会の礼拝で行う聖餐であるというわけではありません。しかし、それにもかかわらず、十四日間の漂流の後、長い闇が明けようとしていたその時になされた食事は、ただの食事ではなくて、キリストの臨在のもとにあって心を一つにした聖餐式を暗示するものであったと言っているのです。その特別な食事によって、一同は元気づき、十分に食べてから、最後の穀物を海に投げ捨てて船を軽くし、上陸に備えたのでした。

さて、この場面にもう一歩踏み込んでみましょう。船がようやく陸に近づいてきたので、やっとみんなが安心して食事を取ることができた。そんな様子に見えないこともありません。しかし、前後を注意深く読みますと、そうではありません。「ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした」(四十一節)。こんなことがこの後、起こります。まだ風は止んでおらず、船尾を壊すほどの激しい波があったのです。そして、何よりも注目すべきは、船員たちの行動です。彼らは夜中にもかかわらず船から逃げ出そうとしていたのです。陸地が近づき、水深が浅くなってきたとは言っても、夜明け前の闇夜です。暗礁があっても分かりません。海は相変わらず荒れているのですから、そんな中、照明もなく小舟で漕ぎ進むことはいくら何でも無謀で、自殺行為です。そんなことをベテランの船員たちがするでしょうか。どうも船員たちは大きな危険を冒してでも逃げ出すほうがましだと考えていたことになります。つまり、船が夜明けまではもたないだろうと判断したということです。実際翌朝に船尾が波で壊れています。嵐の中、岸に近づき船員たちは不安と恐れがピークに達し、乗客を見捨てて逃げようとしております。一方海を知らない客は、何とかなるかもという漠然とした期待の入り混じった気持ちで、ひたすら夜明けを待ちわびていました。助かるか助からないかという瀬戸際の状況だったのです。結果的に全員が助かったということは、正に「間一髪」の救出劇であって、少し間違えば命を落としていたのです。

そこが分かりますと、ここ(三十三節以下)に記されている食事の重要性が明らかになってきます。この場面には不思議な静けさと平安が満ちています。しかし、それは助かることが確実となった静けさと平安ではなく、未だ嵐の中にあり、命の危険があり、先は全く見えない中の平安なのです。決して当たり前の事ではないことが分かります。特別なことが起こっているのです。見えるようです。映画ならこうです。闇の中に吹きすさぶ風の音、荒れ狂う波の音。ところが騒々しかった音が突然すうっと消えて無音になる。静けさが船内を満たすと、そこに光が差込んでパウロと周りの人々を照らし出す。夜明けの光ではなく、闇夜に天から射す細い光です。その光の方にパウロは顔を上げて感謝の祈りを献げるのです。パウロを囲んで一同も祈る。風前の灯火ともいうべき状態で、吹き荒れる空間の中にもう一つの全く別な空間が開けている、そんなシーンです。

パウロが食事を勧めたとき、まだどうなるか分からない状況でした。しかし、パウロがパンを取って感謝の祈りを献げているその時、救いは確かに一歩一歩近づいていたのです。大きな目で見れば、パウロがパンを裂いて食べ始め、皆も自分の命を救うことにあくせくすることを止めて食事に与った時、彼らは既に救いの中に、明るい光の中にいたのです。静かな喜びに包まれていました。「一同も元気づいて食事をした」(三十六節)。いい言葉ではありませんか。パウロが語った「元気を出しなさい」という言葉に応えるものでした。それは、神からいただいた元気であり、救いの先取りによる元気に他ならなかったのです。嵐のただ中で、皆がその元気に与っていたのです。

先にも言いましたように、ルカはこの食事をただの食事としては描いておりません。キリストの臨在のもとにある食事として、キリストの御名のもとに、聖餐と礼拝が重ね合わされています。そのように描くことによって、この嵐の中にあるパウロたちの姿と、当時の迫害や試練の中にあった教会とを重ねているのかも知れません。歴史的に見れば、ここに書かれている事柄は、その後の代々の教会が聖餐に与りながら、みんなで心を合わせて祈ることで乗り越えてきた厳しい経験に他ならないのです。先に「嵐の吹き荒れる空間の中に、もう一つの全く別な空間が開けているような」と申しました。それはマラナ・タ教会でも経験してきたことなのです。嵐の中にあっても、揺るぎない平安と静けさ、救いの喜びを先取りした元気に与ることができるのです。信じる人に心の中に起こるというものではありません。ここで現実に起こるのです。キリストが共にいてくださるからです。「沈没しそうなこの状況で、のんびり食事などできるか、祈ってなどいられるか、礼拝などしておれない」と言って走り回っていては、残念ながらこの平安を知ることはできません。教会生活を通して、こういう静けさに預かってきた先輩たちを覚えて、今わたしたちも、平安の内に置かれているのです。

朝になり、彼らは砂浜のある入り江を見つけ、そこに船を乗り入れることにしました。ところが浅瀬にぶつかって船を乗り上げ、波によってとうとう船が完全に壊れ出しました。兵士たちは囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうとします。囚人を逃がせば、兵の責任となるからです。もし実行されていたら、パウロも殺されていたでしょう。しかし、百人隊長の決断で、この計画は実行されませんでした。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板きれや船員につかまって泳いで行ったのです。幸運にも陸地が目の前でした。だれ一人として命を失う者はなく、必ずどこかの島に打ち上げられるはずだというパウロの預言が成就します。全員が無事に上陸したのです。マルタ島でした。実にクレタ島から千キロも西に流されて、二週間海を漂った末に助かったのです。主がパウロと共におられたのです。同じ主が、ここで礼拝するわたしたちとも共におられます。主の平和が皆さんと共にありますように。

 

祈ります。

父なる神、いつも共にいてくださることを感謝いたします。あなたは御心のままにすべてを良き方向に導いてくださいます。どうか、どのような状況にある時もあなたを見上げ、祈って待つことができますようお支えください。揺るぎない平安の内をあなたに応えて歩む、静かな喜びを与えてください。

今日、永眠者記念礼拝として、召された方々を覚え、御遺族と共に礼拝できましたことを感謝し、主イエス・キリストの御名を通して祈ります。アーメン。

11月6日の音声

 

2016年10月30日  降誕前第8主日

 「パウロ、ローマへ船出する」                                                    使徒言行録 27章1-26節

二十七章に入りました。パウロは二年に亘るカイサリアでの獄中生活の末、ローマに護送されることになります。ここからは旅の細かい描写を中心として物語が綴られていきます。一節に再び「わたしたち」という言葉が現れますので、著者のルカがパウロに同行していることが分かります。旅日記をもとにして記憶をたどって書き記しているのでしょう。今日聞きましたように、この旅は平穏無事なものではありませんでした。船が難破して死にそうな経験をするのです。実際に旅をした者による記録であることを考えますと、書き記されている一つ一つの言葉が身近に迫ってまいります。ルカは何を見たのでしょうか。そして、その出来事を通して何をわたしたちに伝えようとしているのでしょう。

船の針路について細かく生き生きと描写されていますので、順に見ておきます。十九世紀のイギリス人で、地中海でしばしばヨットを操縦していたジョン・スミスなる人物が、パウロたちと同じ航路を、同じ季節に何度も航行して、使徒言行録の記述が正確であり、今でも起こることだと証言しています。まず、パウロの護送に当たったのは、皇帝直属部隊、近衛兵の百人隊長ユリウスという人物でした。皇帝直属の部隊長ですから、おそらく伝令将校でしょう。特務機関とでも言うのでしょうか。たまたまローマに帰るところだったと思われます。パウロの他に数名の囚人も彼に託されたようです。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも一緒でした。この人はエフェソでの騒動の時パウロの同行者として捕えられたと書かれておりましたし(十九章二十九節)、コロサイの信徒への手紙にもわたしと一緒に捕らわれの身になっているアリスタルコと出てきますから(コロサイ書四章十節)、テサロニケでパウロの説教を聞いてすぐ回心し、以来パウロにずっと同行していたであろう人です。同労者です。一度ならず捕えられていますから教会の中心的人物と見られていたのかもしれません。彼らはカイサリアから乗船しました。カイサリア港には大きな船が入れなかったらしいので、彼らの乗ったのは、岸沿いに航行して、港を順番に回る、いわば各駅停車の、アドラミティオン港を母港とする小さな船でした。アドラミティオンはわたしたちが知っている町トロアスの近くです。どこかで大きな船、急行に乗り換えるつもりだったようです。翌日、船はまず北に向かってシドンに寄港します。ここでパウロはシドンのキリスト者たちとの交わりを許されました。ローマ人は、人種的偏見の極めて少ない国民でしたし、百人隊長の中には十章に出てきたコルネリウスのように、キリスト教に惹かれる人もいたのでしょう。市民権を持っているとはいえ、囚人同様のパウロが、ローマの百人隊長ユリウスから好意的な扱いを受けていることがわかります。指揮官がギリシア人なら、こうはいかなかったでしょう。

その後、間もなくして出航しましたが、ここで向かい風に出遭います。これは西から吹く季節風であったと思われます。そのため船は西へは向かえず、北上し、キプロス島の北側に向かい、キリキア州とパンフィリア州の沖を通って、陸から吹きおろす風の助けで西風に逆らって進みます。この船旅は難航したようで、船はリキア州のミラに停泊することになります。ミラは風のために航行できない船の避難所でもありました。ここで百人隊長は幸運にもイタリアに行くエジプトのアレクサンドリアからの大きな船を見つけることができ、パウロたちを乗り込ませました。これはアレクサンドリアとローマとの間の穀物運搬用の大きな船であったようです。外洋に出ることができます。西風の影響で、ミラに流されてきていたのでしょう。アレクサンドリアは、昔の大坂と同じ、国中の穀物が全てここに集められたところで、穀物相場が開かれていました。この船でミラを出港しますが、この大型船もまた強い北西の風のため船足が捗りません。海流に乗ってやっとのことでクニドス港に近づきました。本来ならここからアテネかコリントに向かうのでしょうが、しかし、そこでも風に行く手を阻まれます。結局、船は北からの風で南に流され、クレタ島のサルモネ岬を回ってさらに島の南岸に沿って進むことになりました。そしてようやくラサヤという小さな町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いたのです(八節)。聖書の地図九をご参照ください。随分遠回りです。ここまで風は西からと北から吹いております。

さて、ここまで読んで気付きますことは、ルカがしきりに「風」また「風」と風に言及していることです。風によって航路が変更される、あるいは決定される、風によって予定が狂います。それはエンジンを持たない帆船ならば不思議なことではなく、当時の地中海においては、いくらでも起こり得たことでしょう。しかし、この物語がこの先さらに暴風の中で翻弄される人々の描写へと進んでいくことを考えますと、これは単によくある出来事としてルカが記しているのではなさそうです。注意して読みますと、この二十七章全体に亘って「風」が主要な役割を演じています。言うまでもなく、ここに語られている「風」は、比喩ではなく自然現象です。自然の力というのは、人間の手によってはどうすることもできない力の代表でもあります。そのどうしようもない力によって進む方向が左右されているのです。現代では、船にはエンジンがありますから、このような船旅はめったにないかもしれません。しかし、人の力を越えた何かによって進路が左右され、予定を変更させられ、思い通りにことが進まないという現実は、現代でも少しも変わりません。そうしますと、ここで逆風に翻弄された帆船を繰る人の姿は、今も変わらない人のありようを象徴しているかのようにも思えます。実際は主人になり得ないのに、自分が人生の決定者であるかのように思い込みながらも、様々な風によって進路の変更を余儀なくされ、振り回されている、そのようなわたしたちの姿です。

読み進みます。九節に「かなり時がたって」と書かれております。予定よりかなり長引いて停泊したのでしょう。既に断食の日を過ぎておりましたので、航海が危険な季節となっていました。「断食日」というのは、旧約聖書レビ記(十六章二十九節)に規定されている大贖罪日の前の五日間で、今の暦では九月末から十月初めに当たります。冬になると地中海は荒れます。古代の人は九月中旬から三月頃まで航海を中断していたようです。そこでパウロは人々に忠告を致します。「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大な損失をもたらすことになります」(十節)。これはパウロの霊感、預言というよりは、経験から来る知識と見てよいでしょう。過去に難船した(第二コリント十一章二十五節)経験から学んだ忠告です。しかし、この助言は受け入れられませんでした。もっと経験豊かな船長や船主が航海を続けることを主張したからです。この港はゆとりがなかったのでしょう、冬を過ごすのに適していなかったので、他の者たちも、いま停泊中の「良い港」から船出して七十キロ足らずの距離にあるフェニクス港に行き、そこで冬を過ごすことを求めました。フェニクスまで行けば、ギリシアは、もうすぐです。

神の御心によってローマに向かっていると信じているパウロが、慎重な意見を述べ、同船している人々の方が積極的な意見なのは、よく注意したいことです。信仰的であることと無謀であることは異なります。また、いわゆる「積極思考」と「信仰」とは別物です。「出来ると信じれば出来るのだ」という根性は、パウロの信仰ではありませんでした。確かに彼はやがてローマの地に自分が立つことを確信しています。それは神の御心であるゆえに必ず実現すると信じているのです。しかし、いやだからこそ、彼は「どんどん進んでも大丈夫だ」とは言わずに、「待つべきだ」と言うのです。

百人隊長たちは船長に従い航海の続行を決定しました。「ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ」(十三節)と記されております。また「風」の話です。今度は南からの順風でした。好機を捕らえることは大切です。しかし、その時点で彼らに欠けていたものがありました。それは人が自分の及ばない力のもとに生きているのだと認識する謙虚さです。そのようなときにこそ静かに神の御心を問う必要があります。「人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ」た、と聖書は語ります。よくわかります。わたしたちもちょっと順風が吹くと、すぐ万事上手くいくと考えてしまうものです。なんとなく「望みどおりに事が運ぶと」考えるのです。しかし、事は人間が望むように行くとは限りません。突然、嵐が起こりました。「しかし、間もなく『エウラキロン』と呼ばれる暴風が、島の方から吹き下ろして来た。船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた」(十四、十五節)のです。エウラキロンとはこのあたりで有名な暴風です。ギリシア語のεuρος東風とラテン語のaquilo北風の合成語ですから、北よりの東風です。今度は強い東風に流されたのです。来週読みますが、結果的には千キロも西に流されたのです。

嵐の大きな力に翻弄されその身に危機が及ぶとき、人はいったい何をするでしょうか。ルカは次のように書き記しております。「しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」(十八~二十節)。初めは船主が「積み荷を守れ」と叫んだに違いありません。小麦を失ったら大きな損失です。必死で積み荷と船を守ろうとしたことでしょう。しかし、やがて人々は大切な積み荷を捨て始めます。そして、翌日にはついに航海に必要な道具や上陸時に必要な船具まで捨ててしまったのです。嵐の中で、それまで大切だと思っていたものが、いざとなれば邪魔にさえなることに気付きました。命が危機に曝されると、人は本当に必要なものは多くはないことに気付きます。大金持ちが余命幾ばくもないと知らされた時、「蔵の中の穀物を全部やるから寿命を延ばしてくれ」と叫んだというような話はよくあります。自分は何に執着しているのか。それは本当に執着する値打があるものなのか。何が本当に大切なのか。何が最終的に必要であるのか。この船の人々の姿は、わたしたちに問いかけてきます。

さて、大切な積み荷や船具をほとんど全て投げ捨て、為し得ることを精一杯為しても、なお幾日もの間暴風に翻弄されました。太陽も星も見えないので、どこに流されていっているのかもわかりません。とうとう助かる望みは全く消え失せようとしておりました。人は自分の手で自分を救えないとなると、望みを失います。長い間食事もとっていなくて、気力もなくしてしまった、そのような絶望した人々の中に、一人の男が立ちました。パウロです。彼は他の人々とはまったく異なる姿で立っておりました。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島(良い港)から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」(二十一~二十六節)。

望みを失っている彼らに、判断の誤りを指摘してから、それでも「大丈夫、船は失うけれども、皆命は助かります。だから、元気を出しなさい」とパウロは励ましを語ります。そしてその根拠として、彼は「神のこと」を語っています。人間の手に負えない力に翻弄され、前後、左右にきょろきょろしてかすかな望みを探すことしかできない人々に対し、上から支配しておられるもっと大きなお方について語るのです。そのお方をパウロは「わたしが仕え、礼拝している神」と親しく呼んでいます。そして、御使いを通して聞いた「恐れるな、あなたは皇帝の前に出頭しなければならない」という言葉を語ります。元の言葉では、神の必然を現すデイという言葉が使われていて、必ず皇帝の前に出頭することになっているという意味です。パウロは「わたしがローマに行くのは神の御心で、定められたことなので、一緒に航海しているあなたがたも必ず助かる」と言ったのです。天使がどのような姿で立ったのか、それが幻だったのか現実だったのか分かりません。しかし、一つのことだけは分かります。人々が嵐の中で自分を救うことに必死になり、やがてその望みを失っていったその時にも、パウロは静かに神に向かって祈っていたということです。天使が現れたかどうかよりも、神に向かう姿勢、ここにパウロと人々との決定的な違いがあったのです。神に仕え、神を礼拝していれば、嵐に遭わないということではありません。神に仕え、神を礼拝する者もやはり同じように嵐に遭い、恐るべき状況に置かれ、望みを失うこともあります。しかし、それでもなお神に向かうのです。神を待ち望みます。神は必ず応えてくださいます。パウロは神が支配されているから、恐れることはないと言います。

今日見てきましたパウロたちの姿は、嵐の吹きすさぶこの世界のただ中に置かれている教会の姿に重なります。これから先どうなるのか、不安が頭をよぎります。しかし、大丈夫なのです。安心していいのです。神の摂理の下に生きるとき、必ず神はわたしたちを良き方向に導いてくださいます。わたしたちは嵐の中でも望みを失うことはないのです。神を礼拝し、神に従って生きる。わたしたちに本当に必要なのはこれだけです。この嵐を支配し給う神がすべてを整え支えてくださるのです。謙虚に、しかし恐れずに進み、しっかり生活しましょう。神の御心は必ず成就します。

 

祈ります。

父なる神、パウロは自分がローマに導かれていることを信じ、大きな御計画の中で、困難に次ぐ困難を経験しても、あなたを賛美しております。わたしたちも、たとえ困難の中にあっても、あなたの御心がなされていくことを信じ、歩み続けることができるよう支えてください。いつもあなたに向かって祈り、あなたを賛美させてください。そして、何が大切で本当に必要なものかを知って、為すべきことを為していくことができますよう導いてください。

主のみ名によって祈ります。アーメン。

10月30日の音声

 

 

2016年10月23日  降誕前第9主日

 「パウロ、信仰を勧める」                                                    使徒言行録 26章19-32節

伝道者パウロが、ローマへと導かれていく物語をずっと聞き続けてまいりました。今日聞きましたところは、ローマに向けて船出する前の最後の説教です。アグリッパに引き出されて弁明しているのですが、中身は説教です。パウロのパレスティナでの最後の言葉ですから、大変重要なことを語っています。キリスト信仰の急所と言ってもよいでしょう。聞くわたしたちにも時代を超えて語られております。

アグリッパを前にパウロが語っているのは、人が知っても知らなくても大差ないような事柄ではありません。王であろうが誰であろうが、それを知らないで生きることは不幸である、と言わざるを得ない重大なメッセージです。パウロの言葉を通してわたしたちにもまっすぐに向かってくる神の福音に耳を傾けましょう。

今日のみ言葉は「アグリッパ王よ、こういう次第で」と始まります。この直前にアグリッパに語られた「こういう次第」とは何かを振り返っておきたいと思います。それは、迫害者であったパウロ自身の回心の物語でした。キリスト者を捕えるためダマスコへ向かう途中、パウロや同行していた者たちが天からの光に包まれ倒れたとき、彼は「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」(十四節)という主の御声を聞きました。復活の主がパウロに直接語りかけられたのです。彼はその語りかけに、まさにとげの付いた突き棒を蹴り上げて痛い思いをしている、愚かな自分をはっきりと悟りました。そして、とうとう自分の誤りと罪とを主の前に認め、とげの付いた棒を蹴るのを止めたのです。主は更に「わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである」とおっしゃいました(十七、十八節)。ユダヤ人と異邦人を、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせるために、他ならぬ復活の主イエスがパウロを選び出し、彼らのもとに遣わされたのです。これが直前に語られた回心の物語です。

「そういう次第で」、主によって変えられたパウロは、主から示されたことに従って、働き始めます。ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して福音を宣べ伝えたのです。人々を闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせるためですから、その福音は、人々の知的好奇心を満足させるための言葉でも、一時的な慰めや生活の知恵でもありません。メッセージは当然、聞き手に神の言葉に対する応答を求めるものになります。パウロはユダヤ人と異邦人と両者に対して「悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするように」(二十節)と区別なく伝えたのです。ここで、あえて「行い」、「悔い改めにふさわしい行い」に言及していることは重要です。悔い改めはただ単に「心のありよう」ではないのです。この世には反省する人はたくさんいます。しかし、反省そのものは決して救いをもたらしません。悔い改める(メタノエオー、ギリシア語)の意味は、何度も申しあげましたが、本来は、帰る(シューブ、ヘブライ語)、神に立ち帰るです。それは心の問題ではなく、具体的に生きる方向を変えることです。生きる場所、立つところを変えて、神に立ち帰り神と共に生き始めることです。神の御前にある者として、神の名を呼びながら生き始めることなのです。これは毎日の目に見える生活に関わる大変具体的なことです。例えば、ペトロはペンテコステに教会が誕生した日にこう語っています。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を許していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(二章三十八節)。悔い改めを、洗礼を受ける事に結びつけてこう言いました。洗礼を受けた瞬間から、悔い改めにふさわしい行いをすぐ行えるようになるということではないでしょう。しかし、目に見える「洗礼」は、具体的な行動の出発点としての悔い改めをよく表しています。聖霊を受けて生きるのです。

パウロは「悔い改め」をユダヤ人にも異邦人にも区別なく求めました。ユダヤ人として生れると、神との関係が特権的に自動的に与えられているのではありません。彼らもまた悔い改めて神に立ち帰らなくてはならなかったのです。一方で異邦人だから、救いの戸が閉ざされてしまっているということもありません。それまでどれほど神に背いて生きてきた者であっても、また神ならぬ偶像に仕えてきた者であっても、扉が完全に閉ざされてしまっているということはないのです。誰であれ、同じように悔い改めて、救われた者にふさわしい行いが出来るのです。

誰もが同じように救われる、これは自分達だけが「神の民」であると自負し、そこに自らの誇りを置いているユダヤ人たちには許し難いことでした。普遍ではなく特別を目指していた彼らにとって、異邦人と同じなどということは到底耐えられなかったのです。ですから「帰ってきなさい」という恵み深い呼びかけに対しても、立ち帰るどころか敵意を表しました。「そのためにユダヤ人たちは、神殿の境内にいた私を、異邦人並みの悔い改めを迫ったけしからぬ奴として捕らえて殺そうとしたのです」とパウロは語ります。しかし、パウロが語っていた悔い改めへの呼びかけの根拠は、彼らユダヤ人たちが信仰の基準としているヘブライ語聖書に書かれていることでした。預言者たちやモーセが必ず起こると語ったことだけをそのまま、神が与えられた務めとして、証ししてきたのです。神の助けで固くしっかりと立たされて、身分の高い人にも低い人にも、子供にも大人にも、すべての人に伝えてきたとパウロは言い、その内容を続けて語ります。「つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです」(二十三節)。イエス様が「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する」(ルカ:二十四章四十四節)と言われていたのを思い出します。メシアが現れて、今のどうしようもない状況から救い出してくださるという希望は、当時のユダヤ人の多くが持っていて、救い主の出現を期待していました。しかし、実際の救い主は苦難の僕の姿をおとりになり、スーパーマンのような救い主ではなく、苦しみを受け、また、死者の中から復活する救い主だったのです。

ローマ人であるフェストゥスにとって、メシアの苦難、そして死者の中からの復活という事柄はまったく信じがたいことであり、理解を越えたことであったに違いありません。狂気としか思えなかったのでしょう。パウロの証言はフェストゥスによって中断されてしまいました。二十四節以下です。「フェストゥスは大声で言った。『パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。』パウロは言った。『フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います』」(二十四~二十七節)。フェストゥスの反応は仕方のないことかもしれません。死を越えた復活と、来るべき世に関わる事柄は永遠なる神に属することであって、人間の頭だけからでは理解できないからです。そして、人間の経験に属していない事は、とんでもない狂気にしか聞こえないということは、十分にあり得ることです。南太平洋の島から一歩も出たことがない人にとって、空から固まった冷たい水、氷の結晶が降ってくる、雪が降るなどという話は、理解不可能な信じがたい話としか思えないのと同じです。

しかし、それでは人の救いに関わる真理は、結局理性とは無関係なところでしか捉え得ないということになるのでしょうか。神に関わることは理性を離れた神秘的な体験においてしか知り得ないことなのでしょうか。あるいは理性を捨てて何かを「信じ込む」しかないのでしょうか。そうではありません。パウロはフェストゥスに対してこう答えています。「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです」。理にかなわないことを信じ込むのは迷信ですが、パウロが語っていることは迷信とは無関係の、真実で理にかなったことなのです。神との関係が崩れ罪の中にいる人間を救うため、神は具体的にこの世界の中に神の民を形成し、彼らに与えた約束に従ってメシアをこの世に送って下さったのです。福音には筋道があります。神がこの世界に明らかにされた理にかなった筋道があるのです。

そもそもこの話は、「今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです」(六節)という、パウロの抱いている希望から始まりました。人間の最終的な救い、神の国の実現と人の復活の希望です。神が支配なさる命の世界に生きる者とされることこそ、既に先祖に与えられた救いの希望なのです。罪と死に支配されている人間にとって、神を離れては、どこにも救いはありません。だから「帰りなさい、神に立ち帰りなさい」という呼びかけがなされるのです。

しかし、この呼びかけは、決して当たり前のことではありません。「神に立ち帰りなさい」という呼びかけは、神の赦しを前提としているからです。赦しがなければ、赦される方が一方的に帰る事はできません。また、罪赦されることも、当たり前のことではありません。神は聖なるお方であって罪を憎まれるからです。しかしそれでもなお、そのお方は悔い改めて立ち帰ることを求められ、罪人を赦されるのです。パウロは、それは「預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと」、神が約束されていたことなのだと言い、「つまり、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになる」(二十三節)のだと続けます。メシアの苦しみ、身代わりの死こそが神の赦しの根拠でした。そして、その十字架のメシアの復活、これこそ神がメシアの苦しみを、わたしたちの罪の代償として受け入れられた徴だったのです。それはまた、死人の中からの復活の初穂であって、わたしたちもまた復活の命に与るのだという希望を指し示しているのです。預言者たちの語ったことは、この歴史のただ中において実現し、復活の主はユダヤ人にも異邦人にも等しく救いの光をもたらされたのです。神の赦しと救いの根拠がただキリストにあるのならば、そこにはユダヤ人も異邦人もありません。既に罪の代価は支払われました。人に求められているのは、神に立ち帰り、神と共に生き始めることだけなのです。

パウロは単なる観念的な思想を語っているのではありません。そうではなくて、預言とその成就、ナザレのイエスというお方を通して実現した出来事を語っているのです。それは、この歴史の中に神によって深々と打ち込まれた楔のようなものであると言ってよいでしょう。ですから、パウロはアグリッパにこう語りかけます。「王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこか世界の片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います」(二十六、二十七節)。ユダヤの王として、これらのことは理解されているはずだと言い、信じておられると思いますと断定します。

アグリッパはパウロに言いました。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」。パウロは答えます。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります」と。たとえ王であろうが町の主だった人々であろうが、神に立ち帰ることを知らないならばまことに不幸と言わざるを得ない、そうパウロは確信しているのです。「私のようになってくださることを神に祈ります」。自由を失って鎖に繋がれているパウロをして「私のようになってほしい」と言わしめる福音の力、すべての人に与えられている大いなる光が明らかにされました。わたしたちはここに、他ならぬわたしたち自身への語りかけを聞きます。「あなたはこの言葉をどう受け止めますか、信仰への勧めを受け入れないのですか」と聖書は問いかけています。

 

祈ります。

父なる神、パウロを用いて、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活されたことをわたしたちにも伝え、「悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするように」と招いてくださっていることを感謝します。わたしたちがその言葉通りに悔い改めて立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いができるよう、導いてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

 

10月23日の音声

わたしたちの教会は、プロテスタント諸派が合同してできた日本基督教団の教会です。穏健で健全な福音主義に立っています。どのような信仰の立場の方でも歓迎いたします。しかし教会が二千年間守ってきた伝統には忠実な教会です。