聖霊降臨節説教 2018

2018年6月17日 聖霊降臨節第5主日

「恐れるな、わたしだ」

マタイによる福音書 14章22~33節

新約聖書には、イエス様の奇跡物語がたくさん記されております。その多くが、悪霊追放と病人の癒しです。なるほどイエス様なら、出来るかも知れないなという話です。しかし、これは起こりえないだろうと思われる奇跡も記されています。その代表が、水をワインに変えられた話と、五つのパンと二匹の魚で五千人もの人を食べさせ満腹させられた話、そして、本日の湖の上を歩いて弟子に近づかれた話です。これらは信じられない物語です。マタイは、その有名な物語の内の二つ、五千人もの人に食べさせて満腹させられた話と、湖の上を歩いて弟子の所に来られた話を連続して語っています。この二つの話は繋がっています。マタイは、あなたは最初のパンの奇跡の意味がよく分かりましたかと聞いている感じがします。

信じられない話を二つ連続して記しているのですが、書いたマタイも初めに読んだ初代教会の人も古代の人ですから、現代人とは感覚が違う、科学的知識が乏しいので、こういう話を不思議に思わなかったのでしょうか。そんなことはありません。むしろ現代人の方が、テレビやユーチューブでキリスト・トカゲというあだ名をもつ、イグアナ科のバシリスクという名のトカゲがユーモラスなガニ股で水の上を走る映像を見て、人間も同じように水の上を歩けるんじゃないかなどと考えるかもしれません。しかし、このトカゲは中央アメリカにしか生息しませんので、新約聖書の時代の人たちは水の上を走る動物を見たことがなかったはずです。人が水の上を歩けるかと問われたら、とんでもないと答えただろうと思います。自然現象を見る目は、昔の人の方が鋭かったでしょうから、ペトロが湖を歩くのはやはりどう考えても無理だと思ったでしょう。

この二つの話は、読み手が「うそだろう」と思ってこの先もうこの福音書を読まなくなる危険性があるにもかかわらず、連続して畳み掛けるように記されているのです。どうしても伝えたいことがあるからです。それは「イエス様の本当のお姿」です。「イエスとはどなたか」という問いです。そこで、もう一度パンの奇跡を注意して読みますと、どこにもパンが増えたとは書いてありません。五つしかないパンで、全ての人が食べて満腹した、残ったパンくずも多かったとありますから、わたしたちはついパンが増えたはずだと思うのですが、マタイによる福音書は、パンが増えた、すごい奇跡だとは言っておりません。伝えたい急所はパンの増加ではなく、食べ物がないところで、みんなが食べて満腹したということです。エジプト脱出のときのマナの奇跡を想い起こすことができます。つまり、そこには神がおられたのです。

今日の物語は「それからすぐ」と始まりました。イエス様がパンを裂いて弟子たちに与えられ、弟子がそのパンを群衆に分け与え、男だけでも五千人ほどもいた大群衆が満腹したという出来事のすぐ後で、ということです。新しい教えを説く先生が現れた、ひょっとしたら救い主ではないかとの期待が高まり、食べ物がないようなさびしい所へ、男だけでも五千人もの群集が押しかけてきました。そこでパンが与えられたのです。群集は大喜びだったでしょう。エジプト脱出のとき、神がなさったマナの奇跡を思い出し、モーセの姿とイエス様が重なるのです。当時の人々は昔ならエジプト、今はローマから自分たちを解放してくれる指導者、新しい王、メシアを待ち望んでおりましたから、イエス様を自分たちの王に担ぎあげ、何とかしてもらおうと願ったのです。人々のこの期待が救い主の本当の姿を誤解していることからきていることをイエス様はよくご存知でした。そこでまず弟子たちをガリラヤ湖の反対側へ先に行かせ、群集には解散を命じ、ご自分はひとり山に登って祈られたのです(二十三節)。祈らずにおれない状況だったはずです。バプテスマのヨハネが殺された。群衆は熱狂している。さあ、どうするのがいいか。神のみ旨を問い続けられたことでしょう。山は神に近い場所と考えられており、イエス様はしばしば山で祈られたのです。ここで弟子を先に行かせたのが、イエス様のご意思だったことは、弟子たちを「強いて舟に乗せ」という書き方から分かります。有無を言わせず弟子を舟に押し込まれたのです。

舟は、すでに陸から何(多くの)スタディオンか(一、二キロくらいか。スタディオンは二百メートル弱)離れています。そこへ湖を囲む山から突風が吹いて、目的地になかなか着きません。プロの漁師が乗っているのですから、本当ならすぐ着くでしょう。ところが一晩懸って夜が明ける頃になっても、まだ逆風のため波に悩まされていたと書かれています。こんな状態の夜の湖は混沌の象徴であり、恐れと不安に満ちた所です。このときの弟子たちの気持ちを想像しますと、なぜイエス様はわたしたちだけを舟に乗せられたのか、もし一緒にいてくださったら、こんな嵐に悩まされなくてもよかったのではないか。何をしておられるのだろうか、わたしたちがこんなに困っているのに。おそらくそういう気持ちだったでしょう。以前にも一度イエス様が嵐を静めてくださった経験をしている(八章二十三節以下)ので、なおさらそうだったと思います。前の時は、イエス様は眠ってはおられましたが一緒にいてくださいました。今回はおられません。嵐を治めて下さる方が共におられないのです。

ところが夜が明けるころ、なんとイエス様は嵐の中、湖を歩いて弟子たちの船に近づかれました。「イエスは湖の上を歩いて弟子たちの所に行かれた」(二十五節)とあります。ここを読みますとただ不思議な話だと思いますが、実は、この福音書を読んだ初代教会のユダヤ人は、この言葉にはっきりとしたイメージを持っていたのです。旧約聖書のアブラハムやモーセ、エリヤが神に出会った時、神はモーセやエリヤの前を通り過ぎられたと書いてあります。アブラハムが眠りについている時に、モーセが急いで地に伏せている時に、エリヤが顔を外套で包んでいる時に、彼等のすぐそばに歩いて来られました。人は神を見ることは出来ませんから、そのまま通り過ぎられたのです。つまり「通り過ぎる」という表現は、「通過する」ことを意味するのではなく、神がお姿を現わされた、神が傍に来てくださったという意味です。ここでも、イエス様が水の上を歩かれたということより、歩いて傍に来てくださったことに重点があるのです。ただ単に弟子たちを一刻も早く助けるためなら、空を飛んで来られても、水中を潜って来られてもよかったのです。歩いて来られたというのが旧約聖書の言い方で意味のあることなのです。

人は何か不思議なこと、理解を超えることに遭遇すると恐れを感じます。弟子たちも、イエス様が一緒にいてくださればと願っていたにもかかわらず、実際にイエス様が近づいて来られたとき、超自然的な出来事にイエス様だとは気付かず「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり声を上げて叫んでしまいました。弟子の気持ちがよくわかりますね。おびえ、恐怖のあまり、叫んだと書かれています。イエス様は神としてお姿を現され、弟子たちの傍に来てくださったのです。

イエス様が神としてお姿を現わしてくださったことが、さらにはっきり分かるのが、「安心しなさい、わたしだ。恐れることはない」(二十七節)というイエス様のお言葉です。「わたしだ」というのは、何か合理的な、納得させる説明ではありません。しかし、人格的な信頼を呼び起こす言い方です。「わたしだ」「わたしがいる」と言われたのです。安心させる言い方です。元の言葉では「エゴー・エイミー」です。当時の人々がよく知っていた、この「エゴー・エイミー」という言い方は、神がご自分のことを表されるときに使われた特別な言葉です。神がモーセにおっしゃったお名前です。「わたしはいる、わたしは確かにいるのだ」、これをギリシア語でいうとこうなるのです。「恐れることはない」とおっしゃったのもよくわかります。「わたしは幽霊ではないから恐れるな」ではなく、「わたしが共にいる。だから恐れることはない」とおっしゃったのです。その共におられる神を、モーセやエリヤと違って、弟子たちは見ることが出来たのです。人となってこの世に来てくださったからです。アブラハムも預言者エリヤも経験しなかった「神を見ること」が弟子たちにはできたのです。

イエス様に話しかけられて、ペトロは「主よ」と呼びかけ、「あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」と直ぐ反応しております。ペトロはイエス様なら不可能なことも出来る、とイエス様に対する信頼を現わしております。そこで、イエス様は「来なさい」と命令されます。ペトロはその言葉に従って、舟から降りて水の上を歩いてイエス様に近づきます。しかし、イエス様だけを見ていればよかったのですが、強い風に気がついて足がすくんだのでしょう。そのとたんに沈みかけます。そこですぐに「主よ、助けてください」と叫びました。これは詩編にある祈りの言葉です。「神よ、わたしを救ってください。大水が喉元に達しました。・・・奔流がわたしを押し流します」(詩編六十九篇二節以下)。こんなペトロに、主は直ぐに手を伸ばして捕まえ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」とおっしゃったのです。信仰の薄い者と訳されていますが、お前の信仰は小ちゃいなあ、何で疑ごうたんや、とおっしゃいました。信仰は厚い薄いとか、あるとかないとか言わずに、大きい、小さいと言います。信頼していても、ふっと疑問が沸き上がることがあります。主はそれを叱られたのではなく、その疑いを受け入れ、手を差し伸べられたのです。弟子たちが「本当にあなたは神の子です」(三十三節)と言ったのは、この後、イエス様とペトロが舟に乗り込んで、風が静まってからでした。

聖書を読みます時に、聖書に書かれているので、水の上をイエス様が歩けるか歩けないかということに焦点を当て、そう信じないのはけしからんと主張する人がいます。これは、聖書が語ることよりも不思議さに目を奪われる態度です。また、近代の合理主義で、自分が理解しやすいように適当な解釈を色々考えだす人もいます。たとえば、実は湖は極めて浅くて、主は浅瀬を歩いておられたのだろうというような解釈をします。これは、聖書が語ることを聞こうとするよりも、自分の理性を納得させようという読み方で、信じるか信じないかという前に、本の読み方として間違いです。ちなみにガリラヤ湖は、そんなに浅くありません。聖書、特に不思議な物語を読むときには、それが何を語っているのか、よくよく注意しなければなりません。安易な「精神化した読み方も危ない」ということは先週も申しました。聖書は人が引っかかるかも知れないように書かれています。無理やり納得するよりも、釈然としない感じを持ち続けるほうがまだいいのです。

聖書が語る奇跡は、信じられないことが起こったのだ、すごいぞという不思議さを語っているのではありません。不思議で奇跡的な業は悪魔でも行うことができるのです。イエス様が祝福してお配りになったパンは、量が少なかったにもかかわらず大勢が満腹するものでした。神が共にいて与えてくださったのです。また弟子たちが嵐に翻弄されて困っている時、イエス様が水の上を歩いて傍に来てくださったのです。神が人となってわたしたちの所に来てくださった。これこそが本当の奇跡なのです。

イエス様が強いて、つまり有無を言わさずペトロたちを置かれた場所は舟でした。舟は漁師にとっては生活の場そのものでした。この福音書が書かれたころの人にとっては、教会が信仰共同体の生活の場でした。ですから、ペトロたちにとっての舟は、この福音書の読み手にとってはまさに教会のことだったのです。信仰によって教会員は団結していました。しかし、現実は甘くありません。ユダヤ教社会からはじき出された初代教会は、ローマから見ると非合法の新興宗教集団です。弾圧の対象でした。ローマ兵に捕まって殺されないか、仲間のユダヤ人から密告されないか、その不安の先に見通しが立ちません。けれども弟子たちと同様、イエス様が共にいてくださることを経験していたのです。そういう状況でこの物語は読まれました。どんな困難の中でも神が傍に来てくださる。それは単に心の中の期待ではなく、「現実に迫るもの」(リアリティー)があったのです。

これはまさにわたしたちの姿です。今あるわたしの生活というのは、わたしが造り上げたものというより、与えられたもの、強いてそこに置かれたものであることが圧倒的に多いのです。親を選んだ人はありませんし、学校も、自分の成績や、親の経済力、あるいは専攻等によっては選択の余地なしのことが結構多いものです。仕事もそうでしょう。好きな仕事に就けるとは限りません。そんな中でいろんな困難に直面します。なかなか思うように事は運びません。果たしてお金は足りるか、病気は治るか、仲直りできるか。わたしたちもイエス様への愛と信頼そのものは失ってはおりません。イエス様がわたしたちと共にいてくださる。水の上をも歩いてでも傍に来てくださる。この事実は信じています。ペトロと同じで、風がなく順風満帆ならば「イエス様こそ救い主」と信仰を言い表せます。しかし、風を見ると恐ろしくなるのです。自分を飲み込むかもしれない現実、沈むのではないかという不安、これにおびえるのです。ペトロの疑いを受け入れて手を差し伸べて下さったイエス様は、わたしたちの疑いをも受け入れ成長させてくださいます。神の助けとは、嵐が襲って来ないことではありません。たとえ嵐の中にあっても共にいて助けてくださる、それが神の助けです。

このことがあった後、イエス様は湖を渡ってゲネサレトに着かれました。その土地の人々は、病人を皆イエス様のところに連れてきます。「服に触れさえすれば治してもらえる」という確信の中に、彼らの信仰が見られます。主はその中の病人をすべて癒されました。大勢のお腹を満たし、湖の上を歩いて弟子に近づき、病に苦しむ人々を癒されたとマタイは言います。わたしたちはこれに対してどう答えるでしょうか。

最後に大切なことを確認しましょう。もしイエス様がわたしたちを強いて舟に乗り込ませられなかったら、こんな嵐に遭って舟の中で右往左往することはなかったかもしれません。陸上に留まっていれば、嵐が来ても沈むようなことはなかったでしょう。しかし、わたしたちは一緒に礼拝をしているのです。もう既にみんな同じ舟に乗っているのです。天のみ国に向かっているのです。それでも、嵐の中で舟から降りて水の上を歩いている感じがする時があります。そして、これはダメかもと思った時、自分が沈んでいくのが分かります。思わず祈ります、助けてくださいと。その途端です、手を伸ばして捕まえ、お前の信仰は小さいなあ、なぜ疑うのかとおっしゃって、舟に戻してくださるのです。これはわたしの経験であると同時に、皆さんの経験でもあるでしょう。信仰の敗北は祝福ですらある。目の前にイエス様が見えなくとも、主は必要と思われたら、近づいてくださいます。そして「わたしだ、恐れることはない」とおっしゃってくださるのです。いま、わたしたちは、イエス様の舟に乗っています。なんと幸いなことでしょう。

祈ります。
天の父なる神、わたしたちの傍に御子イエス様を、お送りくださったことを感謝します。神が人となってわたしたちのところに来てくださった、これほどの奇跡はありません。イエス様がわたしたちと共にいてくださり、「わたしだ、恐れることはない」とおっしゃってくださる、この恵みを感謝します。礼拝し、賛美しながら、イエス様と共に目的地に向かって歩み続けられますよう導いてください。
主のみ名によって祈ります。アーメン。

 

6月17日の音声

 

 

2018年6月10日 聖霊降臨節第四主日

「五つのパンと二匹の魚」

マタイによる福音書 14章13~21節

 

何度も繰り返しましたが、マタイは、王の誕生、王の就任、王の教え、王の奇跡、王へのつまずきを語ってきました。今日から、第六部へ入ります。これからは、天の国、神のご支配を担う王がどのようなお方かであるかその本質、本性が明らかになります。マタイ福音書の全体像を捉える参考にしていただきたいと思います。この区分の中で、十六章になりますが、イエス様は弟子に向かってわたしのことを何者だと言うのか、とお尋ねになります。イエス様を誰であると告白するか、これはわたしたちすべての者に向かっての問であります。お答えせねばなりません。わたしたちは様々な問いの前に立たされますが、どうしても答えねばならないのがこの問いです。どう答えるかで、その人の運命が決まってしまう、ある意味で恐ろしい問いであります。

マタイは、イエス様の本当の姿を示すために福音書を書きました。したがってこの部分は、彼の福音書の中心部分に当たります。王のいろいろな側面が明らかにされますが、今日聞きましたのは、「五つのパンと二匹の魚」で男だけでも五千人以上の人々に食事を提供された話であります。こんなにわずかの食べ物で、大群衆の必要を満たすことはできないはずです。ところが満たされたのです。ありえないことが起こっております。

福音書は四つあります。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、すべての福音書が記録しているのは、この「パンの奇跡」と「十字架と復活の出来事」であります。これは覚えておきたいことです。十字架と復活はイエス様が示された「救い」のわざです。教会の言葉では「贖い」と言いますが、これが福音書のメッセージの根幹ですから当然でしょう。それ以外では、このパンの奇跡だけなのです、四福音書すべてに記録されたのは。弟子たちにとっていかに重要な事件だったかが分かります。現代人ならこんな話がなければ聖書を信じるのだがという気持ちでしょうが、福音書記者たち皆が伝えたかったことは、誰もが信じるのに抵抗を感じる十字架と復活の出来事と、このパンの奇跡なのです。この奇跡と来週読みます湖の上を歩かれるイエス様の記事こそが、弟子たちがイエス様の本性を理解するためのカギになっております。「本当に、あなたは神の子です」(三十三節)という弟子たちの信仰告白を導きだした出来事です。

「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った」(十三節)。今日の聖書箇所の直前には、洗礼者ヨハネが領主ヘロデ・アンティパスによって無惨にも首をはねられて殺されたことが書かれておりました。その知らせがイエス様のもとに届けられます。それを聞いてイエス様は深い悲しみと痛みを覚え、ひとりになって祈るためでしょう、舟に乗って人里離れたところに退かれます。ヨハネの死がイエス様を退かせております。ヨハネが捕らえられたと聞いた時にも、ガリラヤに退かれたことを思い出します。ところが今度は退くはずが、うまくいきませんでした。それを知った大勢の群衆が歩いてガリラヤ湖の周りをぐるりと回ってイエス様の後を追いかけてきたのです。方々の町から追ってきました。

「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた」(十四節)。大勢の群衆の中には病人がいました。また病人を連れてきた家族がいました。彼らの苦しみは、ただ病気である苦しみではありませんでした。当時は病気になると「汚れている」と見なされました。罪を犯したからだと言われます。両親が罪を犯したか、本人が罪を犯したのかなどとささやかれます。彼らは神に裁かれている、見捨てられていると思われていましたし、つらいことですが、自分たちもそう思っていたのです。「罪人」と見なされて、ユダヤの戒律社会からはじき出されていたのです。律法の誤った解釈です。神は律法を遵守している優等生には恵み深くあるかもしれないけれど、律法を守り切れない自分のような人間を顧みてくださらない。救ってくださるはずがない。神と自分はもはや関係ない、見捨てられた。そう思っていたのです。イエス様はこういう神の国の外にいると思っていた人たちを「見て」、深く憐れまれたのです。はらわたまで揺り動かされるほど深く同情なさいました。聖書には同情や憐れみを表す言葉がいくつもありますが、このはらわたがちぎれるほど深く憐れむという意味の「憐れむ、スプラングニゾマイ」は、イエス様だけに使われる特別な言葉です。

そこで「群衆の中の病人をいやされ」ました。彼らを本当に生かすことのできる、まことの羊飼いなる神が、恵み深いことを示すためです。あなたたちは見捨てられてはいない、呪われてなんかいない。愛されている。神の国はあなたたちのものでもあるのだと。病気のいやしは、神が憐れみをもって関わり、彼らもまた神の国に招かれていることを示すしるしだったのです。ここまでは、これまでにすでに見てきました病人のいやしと同じです。しかし、ここから意外な展開となっていきます。

「夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。』イエスは言われた。『行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。』弟子たちは言った。『ここにはパン五つと魚二匹しかありません。』イエスは、『それをここに持って来なさい』と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。」(十五~二十節)。弟子たちは、もう遅いから解散してめいめいが食べ物を買いに行けるようにしてくださいと言います。しかし、イエス様は「あなた方が彼らに食べるものを与えなさい」とおっしゃったのです。えー、という驚いた弟子たちの顔が浮かびます。パン五つと魚二匹しかなかったのです。途方に暮れた弟子たちは素直に「できません」と言えず、「ここには、何もありません。ただパン五つと魚二匹しかありません」と言うほかありませんでした。弟子たちにはこの指示がなぞだったと思います。最低限の食べ物だってないのに、どうしよう。

イエス様はもちろん弟子たちがそのままでは大勢の人々に食べものを与えることが出来ないことをご存知です。そこでおっしゃいました。「それをわたしのもとに持って来なさい」。この聖書箇所は大事な、大事なことを指し示しております。パン五つと魚二匹だけを手にした弟子たちと共にイエス様が立っておられる、ということです。イエス様は「五つのパンと二匹の魚」を取って、天を仰いで賛美を唱えて神をほめたたえた後、パンを裂いて弟子たちにお渡しになったのです。口語訳では「五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し」とあって、パンを祝福なさったように聞こえますが、「それを祝福し」は誤訳です。「それを」とは書いてありません。パンを祝福して、まじないのように増やされたのではありません。わたしたちの献金の祈りも注意せねばなりません。口語訳の影響を受けております。献金を献げて、それを祝福して使うのではありません。ましてや清めて使うものでもありません。今の聖書は正しく訳されております。天を仰いで賛美の祈りをして、パンを裂かれたのです。弟子たちは、イエス様が裂かれたそのパンを主から受け取って群衆に与えたのでした。すると、「すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった」のです。彼らは食べて満腹し、喜んだのです。先週出てまいりました、ヘロデの誕生祝いの御馳走に比べると、贅沢な料理や、おいしい果物、葡萄酒もありません、質素な食事です。でも、イエス様の用意してくださった食事は、満腹にしてくれるものでした。肉体的な必要を満たし、満足できるものだったのです。神の憐れみに満ちた、豊かな祝福に溢れたものでした。

わずかなものでしたけれども、イエス様に差し出す時、豊かになって用いられました。群衆が満たされたのは、明らかに弟子たちがもともと持っていたものによるのではなく、キリストに由来するものによるのです。弟子たちはただ差出し、イエス様が裂いてくださったものを運んだのです。群衆は満たされて神の国の喜びを味わいました。この奇跡はこれまでの病気の癒しとは違います。いったい、そんなことがありえるのだろうか。どうしてそんなことが起こり得るか。そう思う人がいても不思議ではありません。現代人にとっては全く信じられないような話です。そこで、わたしたちはこう思います。なるほど、イエス様の元に持てるすべてを差し出せば、それがいかに貧しい、量的に少ないものであっても豊かに用いられるのだな。お金にしても、能力にしても、時間にしても。確かにそうだ、そう考えるとストンと腑に落ちるなと。聖書の記事を納得したいのです。でも、よく注意したいのです。こういう解釈では、カルト集団のようになる危険性がないでしょうか。献げなさい、そうすれば豊かになると。お金儲けのうまいカルトのやり方です。聖書の語る奇跡を精神化するのは実に危険です。無理に納得する必要はありません。

それではマタイの時代の人たちは、書かれている通りに信じていたのでしょうか。わたしは結論から言って、そうだと思います。マタイの時代どころか、十八世紀までの信仰者は、聖書に書かれていることをそのまま信じていたと思います。では十八世紀までの教会では、五つしかないパンで、大勢の人々を満腹にできたというようなことがあったでしょうか。教会史の記録をいくら見ても、この出来事以降、同じようなことが起こった記録はありません。正直に申しますが、もしこれと同じことが起こったと主張し、素晴らしいだろうという教会があれば、わたしは皆さんにその教会に行くことを勧めません。

列王記下に、同じような話があります。「一人の男がバアル・シャリシャから初物のパン、大麦パン二十個と新しい穀物を袋に入れて神の人のもとに持って来た。神の人は、『人々に与えて食べさせなさい』と命じたが、召し使いは、『どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう』と答えた。エリシャは再び命じた。『人々に与えて食べさせなさい。主は言われる。「彼らは食べきれずに残す。」』召し使いがそれを配ったところ、主の言葉のとおり彼らは食べきれずに残した」(列王記下四章四十二~四十四節)。ずっと昔に、神に力を与えられたエリシャが召使に命じて多くの人々に食料を提供しました。今度はイエス様が弟子たちを用いて、群衆に食事を提供されました。パン五つと魚二匹であっても、信じきれない弟子であっても、豊かに用いられたのです。こういう出来事は、この二回だけです。今同じようなことは起こりません。古代の信徒は、パンが増えることを喜んだのではありません。パンを増やせるお方が共におられることを喜んだのです。たとえ奇跡が起こらなくても、起こせるお方、そのようなことができる方が、共にいてくださることに励まされたのです。

イエス様は、「天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった」、「取って」「賛美の祈りを唱え」「裂いて」「お渡しになった」のです。わたしたちは知っています。この福音書を読み進んでいきますと、もう一度この言葉に出会うことを。「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である』」(二十六章二十六節以下)。今も教会で、聖餐の食卓を囲むときに、いつも聞く言葉です。ガリラヤの草の上でパンを裂いて渡されたイエス様は、十字架におかかりになる直前の木曜日、最後の晩餐において、同じようにパンを裂き、「これはわたしの体である」と言って弟子たちに渡されることになります。

「これはわたしの体である」と言ってパンを裂かれたイエス様。その言葉の通りになりました。その翌日、十字架にかけられてなくなりました。その肉体は、打ち付けられた釘によって裂かれ、槍で刺された脇腹から血が流れました。その流された血は、「罪が赦されるように、あなたのために流された血」でありました。イエス様は、わたしたちの罪を贖うために、十字架の上で死なれたのです。罪を赦された者が、神の国への招きに応えられるようになるためです。「主はわたしの羊飼い。わたしには何も欠けることがない」と詩編二十三篇の言葉を繰り返せるようになるためです。そして、もう二度と「わたしは見捨てられている」などと言わなくてよいようにです。

今日聞きましたパンの奇蹟は、後に十字架において実現することを指し示す「しるし」に他なりませんでした。やがてキリストが自らを裂いて、血を流して命を人々に渡される。そのキリストを受け取って、神との交わりの中に回復されて、はじめて人は本当の意味で満たされることになる。パンの残りを集めたら十二の籠が一杯になるほど人は満たされることになる。パンの奇跡は、それを示す「しるし」だったのです。五千人の給食は同じことは起こらないと申し上げましたが、最後の晩餐も同じことは起こりません。ところが聖餐の食卓において毎回起こっているとも言えます。わたしたちも追体験できるのです。ですから教会はこの物語を大切に伝えてきました。聖餐のパンとぶどう酒と共にこの物語を伝えてきたのです。

マタイの時代も、そのあとの時代も、教会は迫害下にありました。祈っても、祈っても助からない人が大勢いました。食べ物がなくなれば飢え死にしました。パンは増えなかったのです。では聖書に書いてあることを信じなくなったでしょうか。いいえ、むしろ逆です。信仰はますます堅くされていきました。信仰は、奇跡をみた驚きで持つものではありません。それはまじないです。イエス様への信頼を持っているからこそ、奇跡を待ち望むのです。現代人がやりがちな、精神化して納得することも考え直さねばなりません。天を仰いで神を賛美して祈ることを学ぶべきではないでしょうか。

これだけしかないと自らの貧しさと無力さに打ちのめされる時にこそ、与えられているものが見えて来ます。わたしたちはそれをイエス様にいったん差し出し、受け取りなおして、イエス様がおっしゃる所に運ぶのです。それが教会の務めです。キリストが自らを裂いて手渡してくださったキリストの体、キリストが流してくださった贖いの血こそ、教会は大勢の人に手渡さなくてはならないのです。この世界が本当に必要としているのは、キリストの裂かれた体、流してくださった血です。キリストによる罪の贖いと新しい命だからです。

祈ります。
父なる神、イエス様がご自分の体を裂き血を流すことによって、わたしたちを生かしてくださったことを感謝します。出来事のうわべに惑わされず、聖書の伝えるメッセージを正しく受け取ることができるように、わたしたちを強めてください。奇跡だ、奇跡ではないというところに意識を向けるのではなく、示されている本当のお姿を捉えることができるよう導いてください。上を向いてあなたを仰ぎ、賛美して祈ることができますように。
主のみ名によって祈ります。アーメン。

 

6月10日の音声

 

 

2018年6月3日 聖霊降臨節第三主日

「洗礼者ヨハネ、殺される」

マタイによる福音書 14章1~12節

イエス様と同じ時代に生きた人たち、直接、耳で言葉を聞き、その目で奇跡を見た多くの人たちは、ほとんどが、イエス様がメシア、神の国の王だとは理解できませんでした。マタイは十一章からずっとこのことについて話してきました。十三章に入って神の国のたとえで中断しておりましたが、先週聞きました十三章の最後のところでは再び、故郷の人々のつまずきが語られておりました。そして今日は、つまずきの最後です。時の権力者ヘロデ・アンティパスについて語ります。この人はバプテスマのヨハネを殺した人ですから、イエス様がヨハネの生き返りではないかと恐れました。イエス様が分からない、無理解の話はバプテスマのヨハネから始まりましたが、最後は彼を殺したヘロデで終わっています。おそらくマタイは、意図的にそういう風に福音書の記述を纏めたのでしょう。イエス様の活動は、バプテスマのヨハネと深い深い関係があります。

初めに領主ヘロデについて紹介します。聖書には何人かのヘロデという名前の人が出てきます。同じ家族ですが別人です。おそらくわたしたちがよく知っているのは、イエス様がお生まれになった時の、ユダヤ王ヘロデです。ヘロデ大王と呼ばれます。大王といわれるだけあって、有能で力がありました。ローマから、この男ならと信頼されてユダヤ全土の統治者としての立場を保証されておりました。名実ともにユダヤ王です。ベツレヘムの二歳以下の子供を皆殺しにしたことでその悪名は知れ渡っております。しかし一方で神殿を大改修するなど、ユダヤ人のプライドを取り戻した功労者でもあります。土木工事に長けておりました。各地にローマ風の建物を建てました。今日登場したヘロデはそのヘロデ大王の息子で、ヘロデ・アンティパスと呼ばれます。たくさんいた子供の一人で、腹違いの兄にフィリポがおります。ヘロデ・フィリポ一世です。子供たちは父ほどの力がなく全土を治めることができませんでしたので、ユダヤは分割統治になり、一部はローマが直接治め、ガリラヤ地方だけの領主になったのがアンティパスです。ですから王ではなく「領主」と呼ばれます。のちにパウロの時代に登場するヘロデ・アグリッパ一世は、ヘロデ大王の別の息子アリストブロスの子で、アンティパスから見ると兄の子、甥です。彼らはみなローマで教育を受けており、それなりの知識人であり貴族です。イエス様を十字架にかけたときのヘロデがアンティパスです。エルサレムはヘロデの領地ではありませんので、ローマの総督ピラトが裁きを下しました。ただしイエス様はガリラヤ人ですから、領主アンティパスの許可をとって処刑したのだと思います。ルカはそう伝えております(ルカ二十三章)。

「そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き」(一節)と今日の御言葉は始まります。「そのころ」というのは、話が変わるときマタイが使う常とう句です。必ずしも十三章に直接繋がるわけではありません。ナザレの出来事のすぐ後かも知れないし、そうでないかも知れません。ヘロデは自分の領地ガリラヤで最近売りだし中のラビの動きに神経を尖らせていたのでしょう。騒動が起こっては困ります。イエス様に関するうわさがいろいろ聞こえてくるので、調査官を送り、イエス・グループの動きについて報告をさせたようです。そしてこうつぶやきました。

「家来たちにこう言った、『あれは洗礼者ヨハネだ、死者の中から生き返ったのだ。だから奇跡をおこなう力が彼に働いている』」(二節)。ご記憶でしょうか、十一章で「ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた」(十一章二、三b節)とありましたから、イエス様が活動されていたのは、まさにヨハネが獄中にあった期間のことだと考えられます。アンティパスが、文字通りイエス様をヨハネの生き返りだと思ったのなら、ヨハネの首を刎ねるまでイエス様のことを全く知らなかったことになりますが、ヨハネを牢に閉じ込めていた一年余りの間に、イエス様のうわさを聞いていたでしょうから、文字通り生き返ったなどとは考えなかったはずです。ヨハネの処刑を後悔したので、イエス様をヨハネと結びつけ、ヨハネの霊がイエス様の中に働いていて、あのような活動をさせている、奇跡的な力が働いているのだと恐れたのでしょう。思い出していただきたいのですが、ルカ福音書によればイエス様はヨハネと親戚ですし、歳もほとんど同じです(ルカ一、二章)。おそらく風貌も似ていたのではないかと想像します。オリゲネスという有名な教父はそう言っております。マタイはヨハネとイエス様が親戚だとは言っておりませんが、いずれにせよ良心の呵責がありますと、いろいろな妄想が出てきて無関係なことでも頭の中で結びついて恐れに囚われることがあります。

マタイは洗礼者ヨハネが殺された場面を振り返って説明します。「実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが、『あの女と結婚することは律法で許されていない』とヘロデに言ったからである。ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである」(三~五節)。実は、と解説を始め、アンティパスはヨハネを捕らえ、縛り、牢に入れていたと丁寧に描写します。確かに彼がヨハネを捕らえたのです。けれどもすぐには殺せませんでした。この書き方に、アンティパスがヘロデ大王のような強烈なキャラクターではなく、少し気の弱いお坊ちゃんの感じが出ています。ヘロデ大王なら、「捕らえて殺した」と、あっさり書かれるでしょう。彼は少し躊躇して捕らえたようです。奥さんのヘロディアに、「わたしあの人嫌い、牢に入れて頂戴」とでも言われたのです。まるで見たように申しましたが、こういう事情です。アンティパスは、もともとアラビアのナバテヤ王の娘と結婚していました。もちろん政略結婚です。ところが、ローマを訪れたときに、兄フィリポの奥さんであったヘロディア、彼女はフィリポにとってもアンティパスにとっても兄にあたる人の娘で姪なのですが、この姪にして義理の姉となったヘロディアと恋仲になり、ナバテヤ人の妻を追い出して、駆け落ちするように結ばれたのです。今風に言えば、政略結婚ではなく真の愛に目覚めたのでしょう。ヘロディアは、娘を連れてフィリポのもとを去っております。それでヨハネは「彼女と結婚するのは律法違反です」と言ったのです。レビ記に「兄弟の妻を犯してはならない。兄弟を辱めることになるからである」(レビ記 十八章十六節)、「兄弟の妻をめとる者は、汚らわしいことをし、兄弟を辱めたのであり、男も女も子に恵まれることはない」(レビ記二十章二十一節)とあります。ユダヤの律法では、まだ兄弟が生きているうちに、兄弟の妻と結婚することはできなかったのです。このあたりのアンティパスの倫理観は、彼が既にユダヤ人ではなく、ほとんどローマ人であったことがよく分かります。ローマの貴族の性道徳は何でもありです。もともとヘロデの家系はユダヤ人というよりもイドマヤ、つまりエドム人ですから、初めから律法をそれほど気にはしていなかったと思われます。

ヨハネが、わざわざアンティパスに文句を言いに来たとは思えませんから、おおっぴらに繰り返し民衆に語ったのでしょう。領主の律法違反を糾弾したのです。女性は自分の好きな人との仲を邪魔する人が大嫌いです。ヘロディアがアンティパスに「あの人、何とかして」と言ったというのは、わたしだけの思い込みではないと思います。そこで、ヘロディアのご機嫌取りでヨハネを捕らえたものの、群衆はヨハネを高く評価しておりましたから、うかつに処刑すると暴動が起こりかねません。殺すこともできず、そのままにしておりました。当時バプテスマのヨハネはイエス様よりずっと有名で、人気がありました。この後の八節を読みますと、本当にヨハネを殺したがっていたのはヘロディアだとわかります。アンティパスはボンボンでローマの傀儡ですから、もめごとは嫌だったのです。

「ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。それで彼は娘に、『願うものは何でもやろう』と誓って約束した。すると娘は母親に唆されて、『洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください』と言った。王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前それを与えるように命じ、人を遣わして牢の中でヨハネの首をはねさせた。その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った」(六~十一節)。この部分は、オスカー・ワイルドの「サロメ」という戯曲で皆さんご存知の筋書きですが、ワイルドの戯曲や、リヒャルト・シュトラウスのオペラは、このマタイによる福音書やマルコによる福音書の話とは、かなりかけ離れた官能的な芝居になっております。ヘロディアの娘はサロメと名前が分かっているのですが、マタイもマルコも名前を記しておりません。サローメとは、皆さんご存知のシャローム、平和を語源とする女性の名前です。とてもこの娘が平安、神の平和を表すとは思えなかったのでしょう。名前を省いております。わたしは、お芝居の通りに新約聖書に書いてあると思い込んでいましたが、福音書を読みますと、本当はそうではないのだと気づかされました。誕生祝のパーティなどというものは、当時は王などのごく限られた人だけがするものだったようですが、領主としての権威を誇示するために盛大に祝ったのでしょう。その祝宴の真最中にヘロディアの連れ子、つまりフィリポの娘が踊りました。王家の娘が踊るのは珍しいことです。彼女の踊りはアンティパスと出席者を大いに喜ばせたようです。領主はお酒の勢いもあったのでしょう、願うものは何でもあげると娘となった少女に約束します。誓ったのです。このように、みんなの前で王や領主が約束しますと本人以外取り消せません。娘はすぐ母親のところに相談に行きます。そのときヘロディアは、娘を「唆した」のです。「ヨハネの首をください」と言いなさいと。お盆に載せてすぐにこの場で、というところにヘロディアの憎しみがよく現れております。

先に申しましたが、おそらくアンティパスは小心者で、ヨハネを恐れながらも、ヘロディアの要求を拒むこともできず、娘に誓ったことでもあり、みんなの視線も気になってヨハネを殺してしまいました。娘はおそらくまだ十代前半の少女だったでしょうが、怖くなかったのでしょうか。お盆に載せてあるヨハネの首を受け取って母親に持って行ったのです。この首をどうしたのか、想像すると不気味で怖いですね。このシーンはいろんな画家が描いておりますが、サロメの顔はたいてい無表情で虚ろです。わたしたちは、山上の説教でイエス様が「一切誓いを立ててはならない」とおっしゃったのを知っていますが、ヘロデは不用意に誓うことで恐ろしい罪を犯したのです。「唆す」というのは、実際には要求し指示しているのですが、間接的に促す巧みな言い方です。最近では政治家や監督、コーチがやって有名になりました。

「それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した」(十二節)。首の行方はどうなったか分かりませんが、胴体の方は牢に残されたままだったのでしょう。弟子たちがやってきて遺体を引き取り埋葬します。これはなかなか勇気のいることだったでしょう、自分たちも捕らえられる可能性があったのですから。このあと無力感に襲われたヨハネの弟子たちにとって、できることはイエス様のところに報告に行くことぐらいでした。彼らは牢にいたヨハネの遣いで「来るべき方はあなたですか」と、以前イエス様に尋ねに来ました。ヨハネが宣教を開始したのと同じ「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝えていたイエス様をヨハネの後継者と見ていたのでしょう。先生が殺されましたと報告したのです。

この物語には後日談があります。ヨセフスの「ユダヤ古代誌」にある興味深い話を紹介します。アンティパスが追い出した最初の妻の父、ナバテヤの王アレタ四世は、娘がアンティパスに大切にされなかったことに怒り、アンティパスを襲撃します。アンティパスはその戦いに敗れローマ軍によってかろうじて助け出されました。ユダヤ人は、ヨハネの不当処刑で罰が当たったのだと見ました。さらに悪いことに、ナバテヤに敗れたことによって、傀儡政治家としてのローマの信用も失いました。のちにローマは、ヘロディアの元の夫フィリポが死ぬと、フィリポの領地をアグリッパに与え、新しいユダヤ王に任命しました。使徒言行録でおなじみのアグリッパは、子供のころからローマの宮廷で後の皇帝カリグラと一緒に育てられ、皇帝の遊び友達、ご学友でした。皇帝の親友です。このアグリッパが、実はヘロディアの実の兄なのです。ヘロデ大王の孫にあたります。ヘロディアは兄だけが王になったこと嫉み、夫のアンティパスに、あなたもローマに行って皇帝に願い、兄のようにガリラヤの王にしてもらいなさい、わたしも王妃になりたいわと迫ります。そこで気の弱いアンティパスは渋々ローマに行くのですが,この事態を察知したアグリッパは、自らの王位を守るため、先手を打って代理人を皇帝のもとに派遣し、アンティパスは謀反を企てていますと密告させます。もちろん嘘なのですが、カリグラはアグリッパの訴えをそのまま信じ、アンティパスがローマに着くや否や捕らえて、彼の領地と全財産を没収してアグリッパに与えてしまいます。結局アンティパスはガリア、今のフランス、当時は田舎ですが、そこに流刑になり一生を終えます。ヘロディアも同じ運命をたどります。多分この二人、仲は良かったのでしょう。

イエス様が故郷で拒否された話のすぐ後に、ヨハネが殺された記事があります。ヨハネに起こった事がイエス様にも起こるのではないかという予告のように取れます。幼子のイエス様を殺そうとしたヘロデ大王の息子のヘロデが先駆者ヨハネを殺したのです。そしてイエス様を殺すことに手を貸すのです。

この物語は、暴君が妻の唆しによってヨハネを殺してしまったというものですが、アンティパスはもともと自分の不道徳を糾弾するヨハネを、政治的立場を脅かすものとして排除したかったのです。そして、ヨハネの弟子たちがイエス様をヨハネの後継者だと思ったのと同じように、「あれは洗礼者ヨハネの生き返りだ」とアンティパスもまた、そう思ったのです。彼にとってイエス様は危険人物です。この後、来週の説教箇所ですが、五千人の給食という有名な物語に移りますが、女性も子供も数えると、一万人もの人がいました。数多くの人々に食事が配られ、イエス様の周りに見事な宴席が作られます。多くの人からなる信仰共同体は政治的圧力となり得ます。ヘロデの饗宴と五千人の給食は、見事な対比になっております。一方はごちそうがいっぱい出たけれども、ヨハネを殺してその首をお盆に載せるという気持ちの悪い食事、もう一方はパンと小さな魚だけですが天からの豊かさに与った食事です。

ここに小さなパンとぶどう酒があります。今日わたしたちは共に聖餐に与ります。これを食べ、これを飲むことによって、わたしたちの罪のために十字架にかかり、贖いとなってくださったイエス様の愛と恵みとを思い出すのです。イエス様によって生きること、食べることに召されているわたしたちの幸いを、今一度はっきりと意識し、ご一緒に味わいたいと思います。

祈ります。
今もイエス様がわたしたちと共にいてくださることを感謝します。ヘロデは領主であり、愛する妻もおり教養もありましたが、イエス様が分かりませんでした。ヨハネの生き返りではないかと恐れるだけでした。ヨハネを殺し、イエス様を拒否して、すべてを失いました。どうかわたしたちからつまずきを取り除き、主に従う者としてください。共に一つの食卓について、恵みを味わえますように。
主のみ名よって祈ります。アーメン。

 

6月3日の音声

 

 

 

2018年5月27日 聖霊降臨節第二主日
三位一体日

「故郷の人々のつまずき」

マタイによる福音書 13章53~58節

何度もお話してきましたが、もう一度マタイによる福音書の構成を繰り返しておきます。大切なことなのですが、数えきれないほどあるマタイ福音書の註解書や研究書で、分かり易くはっきりとこの福音書が全体として何を語っているのか、どんな構成になっているか聞いてわかるように簡潔に記されている本は、ほとんどありません。この教会の牧師勉強会に二度来られたバプテスト教会の中澤啓介牧師の註解書は、わたしにも分かるように明快に述べている数少ない本です。わたしはこの先生のおかげで、マタイによる福音書を大きく捉え、いま自分がこの福音書のどこにいるのか、前後関係を含めて、はっきり認識できるようになりました。中澤先生によれば第一部、一、二章でイエスという王がお生まれになったことを、第二部、三、四章で、その王なるイエス様が即位されたことと、その王国における民の新しい生き方を、第三部、五章から七章で、有名な山上の説教、王の教えが記されています。ここまでが大きな第一幕です。八章から大きな第二幕に入りますが、八章から十章、第四部には、神の国の王がお示しになった神の国が来たことの徴、いわゆる奇跡が記されています。そして十一章から十三章、第五部にはイエス様と周囲の人々の間に生まれた対立が記されていますが、そのうち十三章は、横道にそれて繰り返し天の国とは何々の様だとたとえで語られている。そのように中澤先生は説くのです。この後は王の隠された本質が明らかにされ、王の贖い、十字架と復活まで話が進んでいきます。今わたしたちは第五部の終わりのところにおります。

わたしたちはこれまでに、天の国が来た、つまり神のご支配が実現するぞというイエス様の宣言を中心にして、その神の国の王の誕生、王の就任、王の教え、王が王であるとわかるしるし、つまり奇跡が語られ、にもかかわらず人々が王につまずいたことを聞いてきました。そして十三章の終わりに差し掛かっています。

先週のペンテコステ前に、天の国のたとえを六週間連続して聞きました。イエス様は「天の国はこういうものだ、何々の様だ」と畳み掛けるようにお話になりました。その前の十一、十二章では、イエス様につまずいた人々の話が続いておりました。バプテスマのヨハネ、ガリラヤ湖周辺の村々の人たち、ファリサイ派の人々、イエス様の家族、ずっとつまずきの話でした。しかしマタイは、人々のつまずきの話をしたかったのではなく、天の国が来た、その神のご支配を表す王がイエス様なのだと語りたかったのです。そのために、つまずき以上に大事なのは天の国が来たということだと思い出させるように、天の国のたとえをつまずきの話の途中に割り込ませて繰り返して語ったのです。そうして今日の箇所です、もう一度元に戻って、別の人々のつまずきについて語ります。天の国が来たこと、その国の王がイエス様であることは、ものすごく大切なことですのに、まるで畑に埋められた宝の様で、人の目から隠されたことだったのでしょう。人々は分かっておりません。イエス様につまずきました。

わたしは、「つまずき」、「つまずく」という言葉を繰り返しましたが、新共同訳聖書ではマタイ福音書だけで十八回出てきます。元の言葉は「σκανδαλίζω スカンダリゾー」と言い、「σκάνδαλον スカンダロン、罠とか罪、つまり不信仰や堕落」を語源とする言葉です。罠を仕掛ける、障害を置くといった意味を持ちます。毒麦のたとえの説明で、「人の子は、つまずきとなるものすべてを自分の国から集めさせ、炉に投げ込ませる」(四十一、四十二節)とありましたが、あのつまずきです。受難や終末時においてはイエス様を最終的に見捨てることにも用いられています。ですから、この言葉のニュアンスは、道に落ちていた石ころに運悪く、あるいは不注意でつまずいたという感じではなく、もっと考えさせられる深い意味合いがあります。よく教会で聞く言葉とも違うのです。わたしたちは、牧師のちょっとした言葉や口調に傷ついた、役員の言葉に失望して教会から足が遠のいた、自分の身の上に起こった不幸な事件で信仰を見失った、そういう場合に、「つまずいた」と言うことがありますが、福音書の語る「つまずき」はそういうことではありません。そうではなく「罠」にかかるという意味合いです。イエス様が神のご支配を人々に分からせる救い主であるということは、誰にでもわかる事柄ではなく隠されていた、まるで罠にかけるように分かり難くされていたというニュアンスです。ですから色々なものにつまずいたといって教会から遠のいておりますと、人生はつまずきだらけになってしまいます。そもそも牧師が人格高邁とは限りません。もしつまずくなら必ずイエス様につまずいてください。それならば聖書的に納得がいきます。つまずくべくしてつまずいたのですから。人につまずいてはいけません。罠に引っかかって信仰が分からない、イエス様が救い主だと分からないことがつまずきです。

今日聞きましたつまずいた人、つまりイエス様を理解できなかった人とは、郷里のナザレ村の人たちです。彼らは三十年近く子供の時からイエス様を知っておりました。彼らにとってイエス様は、大工ヨセフとマリアの子です。幼少のころ、移住先のエジプトから戻ってきました。よく知っていたことが災いして、せっかくイエス様の話を聞いても、村の普通の青年に見えてしまって、イエス様を知り過ぎていたがゆえに、その本質に気が付かなかったのです。次週は逆に全くイエス様に無知だった領主ヘロデ・アンティパスのつまずきが語られます。

さて今日の御言葉は「イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、故郷にお帰りになった」(五十三、五十四a節)と始まりました。これまでマタイは、自分の記述を大きく転換させるときには、「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」(四章二十三節)や「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」(九章三十五節)のような締め括り、要約の言葉を記して次の話に移りました。ここでも「イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、故郷にお帰りになった」と同じような言いまわしで、たとえによる説教をいったん結び、イエス様がいよいよ本格的にご自分の本質を明らかにされる前に、もう一度「つまずき」の話で締めくくって、次の部への導入としております。

「会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。『この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう』」(五十四~五十六節)。天の国のたとえを語り終え、カファルナウムを去って故郷に帰られたイエス様は、ユダヤ会堂で人々に教え始められました。「会堂で教えておられると」とあっさり訳されていますが、単に会堂と訳されています言葉には、原文では「彼らの」会堂と念押しして断っています。イエス様を受け入れなかった会堂です。もはや自分たちが所属している会堂ではないという意味が込められています。また、教えておられたという言葉は未完了形の文体で書かれており、たまたまではなく繰り返して教えられたニュアンスです。何を語られたのか、ルカは詳しく書いておりますが、マタイは関心を示しておりません。

ナザレの人々はイエス様から何度も説教を聞いたのです。聞いた「人々は驚いて言った」とあります。びっくり仰天したという強い言葉です。イエス様の説教の素晴らしさに感心したのです。山上の説教のあとにも「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた」(七章二十八節)と、同じ言葉遣いが出てきました。民衆はただ非常に驚いたのです。しかし、ここではすぐ後に「このような知恵と奇跡をおこなう力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか」という言葉が続きます。単純な驚きではなく否定的な響きが感じられます。預言者と生活を共にした人にとって、預言者を過去の生活から切り離して、神によって召された務めに目を留めるのは容易ではなかったのです。

ナザレの人たちは、イエス様の知恵と、不思議な力は分かったのです。しかし、その本当の姿、メシアだとは分かりませんでした。故郷の人ではなくても、多くの人が分からなかったのですが、故郷ではそれにもまして分かり難かったのです。大工の子に過ぎないではないかという認識が邪魔をしたのです。「この人は大工の息子ではないか」といわれている「この人」とは、あいつはというやや見下した言い方です。当時の大工は、ただ家を建てる人ではなく、農具を加工する鍛冶屋であり、家具を作る職人でもあり、そして家も建てる高度な技術を持つ立派な職人ですから、大工という職業が軽蔑の対象ではありません。また、ここでは弟の名前だけでなく妹も出てきます。イエス様の家庭は、当時のどこにでもありそうな子沢山の家庭です。皆よく知っています。とても偉大な宗教指導者が出るような特別な家庭とは思えなかったのでしょう。興味深いのは、彼らがイエス様のことを大工の息子で、母親はマリアだと言っていることです。子供は父親の名前をつけて呼ばれます、ヨセフの子と呼ぶのです。たとえ父が既に他界していてもそうです。イエス様の出生の秘密が知られていたのかもしれません。本当はヨセフの子ではないと。こういう人に、なぜこんな力が出てくるのだ、おかしいではないかというのがナザレの村人たちの反応です。

「このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、『預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである』」(五十七節)とおっしゃいました。ここで「つまずいた」と訳されているのが、先ほど申しました「スカンダリゾー」で、「信じる」の反対語と理解できます。人はイエス様の前に立たされると、信仰を持って応答するか、不信仰で応答する、つまりつまずくか、そのどちらかを選ぶことになります。イエス様の故郷、ナザレの人々はイエス様が救い主だとは信じることができなかったのです。そこで「預言者が敬われないのは郷里と家族の間だけだ」と、当時の人ならだれもが知っていた格言を引用なさいました。預言者は神の人と尊敬されましたが、生まれ故郷では、どうしてもその人の子供時代の面影に目が行ってしまって、普通の人間にしか見えなかったでしょう。以前わたしが信徒として過ごした教会で、優れた説教者だった牧師も、故郷に帰ると、あの○○家のいたずら坊主かと言われて、とても説教させてもらえる雰囲気ではないと言っておりました。子供時代に礼拝中に会堂の中を走り回って説教している牧師のハゲ頭を叩いたこともあったそうですから。

当時イエス様の評判は預言者としてのものだったのでしょう。もちろん単なる預言者ではなく、生ける神の御子だったのですが、ナザレでは預言者とさえ見られなかったのです。天の国の王、神のご支配のしるしではなく、マリアの子、ヨセフ家の長男でしかなかったのです。もしイエス様がヘロデのために立派な家具を献呈したのであれば人々は賞賛したでしょう。しかし、「神の国が来た、悔い改めて父のもとに帰って来なさい」とおっしゃったので、つまずいたのです。

「人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった」(五十八節)。最後にマタイは、ナザレでの伝道のまとめを記します。イエス様は「彼らの不信仰のゆえに」メシアとしてのしるしをお見せにならなかったとあります。日本語では不信仰としか訳しようがありませんし、不信仰とは、もちろん信仰がないという意味ですが、ここで言われている信仰は、神信仰のことではありません。ナザレの人も、ほかの地方の人も、当時のユダヤ人たちのヤハウェ信仰に差はなかったでしょう。πίστις ピスティスという重要な言葉が使われています。ここでこの不信仰という表現は、もちろんイエス様に対する不信仰です。信仰、ピスティスと言いますと、わたし、わたしたちが信じるという意味にとりますが、聖書のピスティスには、神のピスティスという言い方もあり、これは、神との関係性を表す言葉です。ここではイエス様との関係性です。イエス様は、神への忠誠と献身だけでなく、神に従うご自分との連帯を人々に求めておられたのです。その連帯ができないので、わずかな奇跡しかなさらなかったとマタイは言っているのです。ナザレで示されたのは、人の不信仰です。ナザレの人のつまずき、それは自分たちと一緒に日常生活を営まれたイエス様を知っていたことから起こりました。それは、イエス様が分からないということ以上に、救いの拒否となっていきます。

さて、みなさん、今日わたしたちが聞いたこの出来事はどこの出来事でしょうか。確かに聖書翻訳者が付けた見出しには、ナザレでの出来事だとしております。わたしもそのように話してきました。でも聖書の本文には、どこにもナザレだとは書いてありません。故郷での出来事だとだけあります。イエス様を受け入れなかったのは、果たしてナザレだけだったのだろうかと問われている気がします。わたしたちの故郷、枚方や京都もそうではないかと。イエス様の日常生活を知っていた分だけ、ナザレの人々はイエス様の力ある行為をより受け入れにくく、一般民衆より早くイエス様を拒んだだけではないでしょうか。群衆に対してまだ話は続けられますが、だんだん乖離が大きくなり、とうとう神の御子を十字架につけて殺してしまうことになるのです。イエス様は伝道を開始されたとき、天の国が来たと「ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え」始められました(四章二十三節)。しかし会堂で教えられたのは、マタイによる福音書では、これが最後になります。

今わたしたちはナザレの人たちと違って直接イエス様のお話を聞くことはできませんが、イエス様のおっしゃったことや、イエス様の御業、十字架と復活などを伝えられています。枚方もまた神の御子が住まわれる所、また、神のご支配が及ぶところなのです。わたしたちもまた、ナザレの人たちのように素直に心を開く前に、拒否していないでしょうか。ただ単に見過ごす、聞き損なうというだけではなく、神に反対する立場に立ってしまっていないでしょうか。イエス様のおっしゃっていることは極端で、今の日本では受け入れられない。神はいてもかまわないけれども、自分の世界には入ってきてほしくない。この拒絶、つまずきが、十字架の出来事を予感させます。無関心も同じです。「ああ、そう」ではなく、ただ感心しているのでもなく、しっかりとイエス様に従っていきましょう。

祈ります。
父なる神、イエス様の言葉や奇跡の御業がわたしたちに伝えられていますことを感謝します。どうかわたしたちの心を開き、ただ驚くだけではなくしっかりと受け取り、イエス様に従って歩んでいけますよう力をお与えください。枚方もあなたの国、あなたのご支配の及ぶ神の国です。あなたが支配してくださっていることをもう一度想い起こし、あなたの恵みに応えて生きていくことができますよう導いてください。
主のみ名によって祈ります。アーメン。

5月27日の音声

 

 

2018年5月20日 聖霊降臨日

「聖霊が降り、神の偉大な業を語る」

使徒言行録 2章1~13節

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(一~四節)。二千年前の五旬祭の日、イエス様の最初の弟子たちが、エルサレムのどこかに「一つになって集まって」いました。先生が殺されたのですから、弟子達は隠れていたのでしょう。バラバラにではなく皆が一つになって集まっていたのです。そこにとても不思議なことが起こりました。激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまったのです。風は神の息、霊を表します。天からの激しい風の音や、炎は、神が姿を現された徴です。そして舌は言葉を表します。言葉が炎のように下った。弟子たちは聖霊に満たされたのです。ご復活のイエス様は天にあげられる前、使徒たちに向かって、最後に「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(一章八節)とおっしゃいました。この聖霊が降り力を受けるという約束が成就したのです。それまで隠れていた弟子たちは、驚いたことに多くの人の前に出てきただけでなく、外国語で証をしました。聖霊が降ったのです。弟子たちはイエス様に与えられたもう一つの賜物としての任務、広い世界に向かって、「イエス様の証人」になる働きを始めたのです。

この日、弟子たちは「聖霊に満たされ」ました。神の霊が体中に充満したのです。弟子たちを用いて神の力が現れます。弟子たちを通して神の御業が現れるのです。神が人を通して御自身を現してくださる、このとき人は無自覚的に何かをするのではなく、自覚的になります。興奮状態になるのではありません。力を与えられるのです。まさに「聖霊に満たされた」のです。

「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」(五~八節)。

この当時、ローマ帝国によって、道が整備され、治安が保たれ、誰でも旅が出来るようになっていました。出エジプト記に「年に三度、男子はすべて、主なるイスラエルの神、主の御前に出ねばならない」(三十四章二十三節)とありますから、国が滅び、世界中に離散してしまっていたユダヤ人の子孫の中には、自分たちの原点を求めて、年に三度、過ぎ越しの祭り、七週祭(五旬祭)、仮庵の祭りのときには、エルサレムに帰ってきて滞在する人もおりました。こういう人は「信心深いユダヤ人」と呼ばれています。その人たちも、もちろん天から聞こえた激しい風が吹いて来るような音を聞きました。驚いて外に出てきました。帰国した外国生まれのユダヤ人は、もはやアラム語やヘブル語ではなく、生まれた国の言葉を話します。そこで彼らは聞いたのです。どう見てもエルサレムの人ではない、ガリラヤなまりのある田舎の人たちが、自分の生まれた故郷の言葉で話しているのを。あっけにとられました。ハワイやブラジルに移住した人の子孫が、京都に帰ってきているとき、そこにたまたまいた田舎の人が、英語やポルトガル語の、しかも方言で、突然話すのを聞いたようなものです。

「わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」(九~十一節)。地図をご覧ください。エルサレムから見て、パルティア、メディア、エラムは東方、メソポタミア、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリアは北方、クレタ、ローマは北西の方、キレネ、リビアは西方、エジプトは南西、アラビアは南東にあります。エルサレムを中心に四方八方から帰ってきていたのです。彼らは何を聞いたのでしょう。語られたのは「神の偉大な業」です。イエス様の弟子たちは、師であるイエス様がなさったことを受け継いで、神の国の到来を告げ、イエス様の出来事、十字架と復活、神の偉大な業を語りました。世界中の人々に、それぞれの故郷の言葉、普段使っている言葉で、神のなさった業を語ったのです。神はこの世界を救うために、弟子たちがいろんな言語で話せるようになさったのです。この出来事は、皆同じ言葉を話していた人々が神の領域にまで侵入し、神のごとく地を支配しようとしたバベルの塔の物語を想い起こさせます。このとき神は人々同士が思いを通わせることができないようにするため、言葉を混乱させようと多くの聞き分けられない言語を話すようにされました。創世記十一章の物語です。このときとは逆のことが起こったのです。言うまでもありませんが、弟子たちは努力なしで、それ以後も外国語が話せたわけではありません。この時だけです。これは聖霊の働きを象徴する、きわめて特殊な出来事でした。

弟子たちは、イエス様が十字架にかけられて殺されるという事件のあと、ご復活のイエス様に出会うという体験をしましたが、いま一人一人の上に同時に聖霊が降る経験をしました。個人的に、しかし共同体全体に、聖霊が働きました。この不思議な経験が、個人のものでありながら、全体に起こったことはとても重要な意味を持ちます。わたしたちの信仰は極めて個人的なことですけれども、みんなのものでもあるのです。聖霊に満たされた弟子たちは、一人一人がキリストを証し、神の偉大な業を語りだしました。そして、教会が生まれたのです。教会は聖霊の働くところです。

マラナ・タ教会では、ペンテコステの日に各国語で主の祈りを唱えています。今年で八年目になりますが、今年は、ギリシア語、ラテン語、アラビア語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、英語、中国語、韓国語、それに隠れキリシタンと今の日本語、合計十一種類の言葉で、主の祈りを唱えることができました。「聖霊に満たされ」「いろいろな国の言葉で」「神の偉大な業を語る」ことを真似てやっております。主の祈りだけですが、ペンテコステらしく、それぞれの国の方がそれぞれの国の言葉で、同じ祈りを共に献げることができます。よい試みだと思っています。

「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」という出来事は、世界伝道の始まりとして極めて象徴的な出来事でした。神は、人を用いて人を救おうとしておられるのです。ですから、激しい風が吹いて来るような音が天から響いたのはこの時だけですし、炎のような舌が現れたのもイエス様が天に昇られた直後の、この五旬祭一回限りなのです。それから後、神は人を通して救いの御業を進めてこられました。教会の発展の歴史をわたしたちは知っておりますが、ペンテコステの出来事のあと、突然、炎のような舌が現れて、その舌に導かれて教会に来た人はいないと思います。神に用いられた誰かが、わたしたちに神の業を語ってくれ、それを聞いて、わたしも今ここにおります。人による伝道、ここに聖霊の働きがあります。

このように、人を通して働かれる神の御業の中にわたしたちは存在しています。ですから聖霊で満たされ、用いられて、家族やほかの人を救えるのです。救いの御業は人から人へと伝えられていきます。聖霊に満たされて生きることは、自分のためだけではなくて、家族のためであり、友人のためであり、この世の救いのためなのです。言い換えますと、世の救いのための言葉、福音を語るのが教会のなすべきことです。この働きは聖霊降臨日に始まり、今も続いています。それで聖霊降臨日は伝道の開始、教会の誕生日として祝われます。この日には、分れ分れに現れた炎の様な舌を思い出して、赤い服を着たり、赤いネクタイをしたり、何か赤いものを身につけて、この出来事に思いを寄せます。ペンテコステは、クリスマス、イースターと並ぶ祝祭です。

このように教会は聖霊に満たされて誕生し、発展していきますが、決して順風満帆ではありませんでした。使徒言行録は、教会が始まった時代の出来事について書かれた書物ですが、良いことだけに集中してまずいことは触れない、単なる思い出話ではありません。教会の性格、キリスト者の被った迫害や分裂、キリストの弟子として生き続ける困難や喜び、みな書かれています。使徒言行録を読むことは、今のわたしたちの教会のあり方を考え、信仰生活のあり方を考えていくことにもなるのです。わたしたちは、世の人に向かって、キリストの福音を語らねばなりません。そのために聖霊に満たされることを期待します。しかし、聖霊に満たされることと都合よくことが運ぶこととは同じではありません。「あの人は聖霊に満たされた人だ、だからあんな素晴らしいことが出来るのだ」とか、「どうもあの人は、聖霊に満たされていない」という感じを抱くことがありますが、どちらの理解も正しくありません。決してそんなことはありません。神は御心のままに人を用いて御業を成し遂げていかれるのです。

「人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた」(十二、十三節)。七節にも人々は驚き怪しんだことが書かれていましたが、ここでもまた人々の反応が書かれています。同じように、驚き怪しんだ人々がいます。理解できない現象を前にして、これはどういうことなのだろうか、何か大きな意味を持つことなのだろうかと考えています。神に招かれ、心を開いていく人がいます。しかしその一方で、嘲(あざけ)っている人がいるのです。

使徒言行録が書かれた時代、教会はほかの宗教が主流である社会の中で、少数者として誕生し、生き抜いていかねばなりませんでした。この時代の教会の背景は、今の日本の教会の背景でもあります。ですから、聖霊によって何が始まったのか、もう一度聖書に確認したいと思います。集まった人々が聞いたのは、「神の偉大な業を語っている」言葉でした。聖霊に満たされた人々から聞いたのは、神の御業を誉め讃える賛美の言葉だったのです。人が神の御業に思いを向け、神の偉大な業を誉め讃えるということは決して当たり前のことではありません。人は、自分が何をしたか、何を成し遂げたかということに関心があるのです。それは熱心なキリスト者、献身的なキリスト者も例外ではありません。神の御業に目を向けるより、自分が神のために何をしたかという、自分の行いの方に関心が向かうことが多いのです。しかし、そのような自分の業への囚われから解放されねばなりません。人生において最も大切なことは、「何を成し遂げたか」ではないからです。「神が何をしてくださったか」ということの方がよほど重要なのです。同じように教会についても、最も大切なことは、教会が神のために何を成し遂げたかではありません。神が教会に何を為してくださったかということ、神の偉大な業のほうが大事なのです。創立四十周年を祝うのも、わたしたちが成し遂げたことではなく、神がしてくださったことを思い出すのです。

上からの力によって事が成るということを知りますと、一方でもう一つ別の内からの強い力、決して逃れられない罪と死の問題も知ることになります。しかし、罪や死をやみくもに恐れる必要はありません。真の人としてこの世に来てくださった神の御子イエス様が、どうしても避けられない人の重荷、罪と死の問題を背負って十字架にかかり、わたしたちを神と和解させてくださったからです。そして「わたしは世の終わりまでいつもあなた方と共にいる、平和があるように」とおっしゃいました。上からの力を信じ、神の偉大な業を語ること、それこそが信仰の中心です。そして、神の子とされ、神の相続人として永遠の命に生きる、これがわたしたちの希望です。

ペンテコステでは、聖霊の働きが具体的に人に示されました。そして、使徒言行録が書かれたころまで、初代教会は急拡大していきました。しかしそれは厳しい時代の始まりでもありました。急拡大したと言っても所詮ローマ帝国内にあっては小さい集まり、国家権力に対してはなんら影響力を持たない無力な集まりにすぎません。それにもかかわらず、迫害という大きな困難にさらされたのです。ユダヤの伝統的社会とローマ皇帝による二重の教会迫害は、よく知られた事実です。キリスト者は時には捕えられ殺されました。そういう中にあっても信徒は教会に集まってきました。死刑になるかもしれないという恐れがある、教会に行くと明らかに不利な扱いを受ける、そういう時代であったにもかかわらず、教会に集まったのです。たとえ迫害に遭っても、喜びを失わなかった人が大勢いました。彼らは礼拝で、命の御言葉を聞き、聖餐に与りました。神の偉大な業が語られるのを聞き、永遠の命に生きるためイエス・キリストのお体と血をいただいたのです。

今のわたしたちは幸いなことに迫害にはさらされていません。病院は機能していますし、社会福祉も整っています。教会の持つ意味がかえってはっきり分からなくなっているのでしょうか、日本では教会に来る人が減っています。けれども今も同じです。わたしたちは教会に集まり、共に祈り、礼拝し、聖餐に与ります。たとえ体が動かなくても、病床で声にならない声で賛美を歌います。そこには必ず、イエス・キリストの霊がわたしたちと共にあるからです。この喜びは誰も奪うことができません。わたしたちはそれを証しすることができます。たとえ小さな群れであっても、恐れることはありません。この後すぐペトロが言っております。十七節をご覧ください。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る」(十七節)。安心していいのです。わたしたちは聖霊に満たされています。先の事をびくびく心配する必要はありません。老人も夢を見ることができるのです。わたしたちの希望を、神の偉大な御業を語ろうではありませんか。

祈ります。
父なる神、わたしたちにアラム語やギリシア語ではなく日本語で話しかけ、あなたのもとに招いてくださっていることを感謝します。それに応えてあなたに心からの賛美と感謝の祈りを献げることができますように導いてください。そしてどうかわたしたちを聖霊で満たし、今度はわたしたちが家族や隣人にあなたの偉大な業を語ることができますよう支えてください。あなたの霊に満たされ、皆が共にあなたの希望に向かって歩んでいける日が来ますように。聖霊よ、来てください。
主のみ名によって祈ります。アーメン。

 

5月20日の音声

わたしたちの教会は、プロテスタント諸派が合同してできた日本基督教団の教会です。穏健で健全な福音主義に立っています。どのような信仰の立場の方でも歓迎いたします。しかし教会が二千年間守ってきた伝統には忠実な教会です。

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