2021年度 聖霊降臨節(前半)の礼拝説教

マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年8月29日
聖霊降臨節第15主日
聖書 使徒言行録 15章1-12節
讃美歌21 202、148
「負いきれなかった軛を」
パウロ一行は出発地であるアンティオキア教会に帰り、伝道旅行について報告します。アンティオキア教会の人たちも力付けられたことでありましょう。ところが、エルサレムから来た人々によってアンティオキア教会は混乱に陥ります。その人たちは、イエスをキリストを信じるだけでは足りない。モーセの慣習に従って割礼を受けなければならない、と言います。
実際には、異邦人の弟子たちもできる範囲で律法を守っていたと考えられます。ところが、それではダメだ、律法をすべて守り、割礼を受けてまずはユダヤ教徒になるように、と言われたのです。
異邦人に割礼が必要かどうか、アンティオキア教会の多くの人はおそらく深く考えていなかったのでしょう。割礼が不要である理由を理解しておれば、惑わされることは少なかったでしょう。逆にまた、アンティオキア教会の人たちが、律法を全部守らなければ、と思っていたのであれば、エルサレムから来た人たちはそもそも割礼云々と言い出す必要はなかったのです。
彼らにすればイエスを信じる人がヤハウェの神の民としての契約の中に完全に入って欲しいと熱心に願ったのです。福音書にはイエスの言葉として天地が終わるまでは律法の一点一画も廃れることはない(Lk 16:17、Mt 5:18)、と記されますから彼らの主張は一面でもっともなことでありました。
しかし、パウロは自身の体験から、特にダマスコ郊外での復活のイエスとの出会いから、イエスを信じることそれ自体が圧倒的な神の恵みによる救いであると理解しておりました。そこでアンティオキア教会では激しい論争が生じた、とルカは書き記します。
結局のところパウロとバルナバはエルサレムまで行って使徒たちと意見交換することになります。パウロは陸路をたどります。その途中で各地の教会に立ち寄り、先の伝道旅行の経過と成果を詳しく伝えます。アンティオキア教会がパウロとバルナバを送り出したこと。多くの町で人々にイエスの福音を伝えたこと。各地に教会をつくり、その途中ではよいことばかりでなく、苦労もハプニングもあれば、怖い思いをすることもあったこと。しかし、全体を見れば神の守りのうちにある旅行であったこと。それは取りも直さず、彼らの伝道活動、特に異邦人伝道が、神の導きのうちにあり、御心に沿ったものであったこと。最後はそれら教会を再び訪ねながらアンティオキアに戻ってきたこと。
今のようにインターネットで次々に情報が伝わる時代ではありません。詳しい話はやはり本人から聞かなければ伝わりません。各地の教会にとってみれば、滅多にないチャンスでありました。現代の私たちの感覚で言えば、宇宙飛行士や南極観測隊員から、宇宙からみた地球のことや半年に渡って雪の中に閉じこめられる生活について、直接に聞けるような機会でありましょう
パウロ自身のダマスコでの体験も、人々にとっては本人からじっくり聞きたい話であったでしょうし、先の伝道旅行の話などはその一つ一つが手に汗握るような話でありました。
そしてパウロたちがエルサレムに到着するとエルサレム教会の人々が総出で出迎えたのです。パウロたちはここでも詳細な報告をいたします。使徒言行録の記事を振り返ってみますと、ペトロはローマの百卒長であったコルネリウスに福音を伝えました。フィリポはエチオピアの高官に洗礼を授けました(10:26-)。
しかし、組織的に計画された異邦人向けの伝道活動は初めてのことでした。それはアンティオキア教会の英断であり、その経過と結果についてはエルサレム教会の人々もとても気になっていたに違いありません。
パウロの報告を聞いて、多くの人は神のすばらしい働きを感謝します。異邦人伝道の大切さに、あらためて注目や関心や気持ちが向きます。それだけに、割礼の問題が律法全体の問題として、避けて通ることの出来ない大問題となるのです。
ファリサイ派から仲間に入った数人の弟子がその報告に納得しなかった、とルカは記します。彼らはユダヤ教の枠の中で救いの実現を考えていたのでしょう。エルサレム教会の人々の生活は、イエスをメシアと信じていること以外はユダヤ教徒そのものでした。日常的に神殿にお参りして祈っておりました。守るべき祭りにも参加していたことでしょう。ユダヤ教という神の救いの計画の外でイエスを信じることは、ファリサイ派出身の人たちにはどう考えても理解できなかったようです。それが彼らの限界であったのです。
彼らの主張を受けて、後にエルサレム会議と名付けられる会議が持たれます。そこでペトロはエルサレム教会の人々が知る出来事を語り始めます。ルカが記したよりも詳しく語ったことでありましょう。コルネリウスとの出会いはユダヤ教への改宗を前提としない救いが実現した出来事でありました(10:34-)。
ペトロは、異邦人が割礼を受けないままに、しかしながらイエスを信じる信仰によって聖霊を受けたことを、そして律法が背負いきれない重荷になっているとイエスが指摘したことを、一同に思い起こさせます(Lk 11:46、Mt 23:4)。それなのに異邦人に割礼を求めるのは神を試みることだ、とまで言います。コルネリウスたちに聖霊を降したのは神御自身の働きであったからです。
イエスの言葉にあるように、律法は今も神と人をつなぐ大切なルートです。ただそれは創り主である神を信じる信仰あってのものでした。詩編の作者にとっては軛ではなく喜びでした。私たちは造り主である神だけではなくキリストであるイエスと神の働きである聖霊を信じます。イエスを信じる信仰によって、負いきれない軛ではなく神の恵みに出会います。私たちの日々が神の恵みのうちにありますように。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年8月22日
聖霊降臨節第14主日
聖書 使徒言行録 14章21-28節
讃美歌21 210、463
「小さな群れに」
パウロとバルナバの伝道旅行、いわゆるパウロの第1回の伝道旅行を使徒言行録の記事に沿って読んで参りました。来夏にはパウロの第2回伝道旅行を読み進めようと思います。
イコニオンの町を脱出したパウロとバルナバは、デルベに向かいます。ルカはデルベで様子を、多くの人を弟子にした、とだけ簡潔に述べ、この伝道旅行の出発地である(シリアの)アンティオキアへの帰り道中へと記事を進めます。
デルベからもう少し東に向かって進みますと、パウロの故郷であるタルソスにたどり着きます。イコニオンからデルベへと進んできた方向にもう一足延ばすだけです。それなのにパウロ一行がなぜタルソスを経由する陸路でアンティオキアを目指さなかったのか、その理由をルカは明記しませんけれども、それは今日の物語から読み取ることができます。
パウロのこの伝道旅行を振り返りますと、ここに記された、リストラ、イコニオン、(ピシディアの)アンティオキア、どれもパウロにとって大成功を収めた町ではありません。むしろ迫害を受けて逃げ出したような町ばかりです。しかし、それぞれの町に、小さいながらも弟子たちの群れ、すなわちイエスをキリストと信じた人々の群れがありました。
ルカの記すところでは、パウロはその「弟子たちを力づけ」るためにそれぞれの町を再び訪問しております。パウロは言います。「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」。これは裏返せば、町々の弟子たちにとって、そのような苦しみが日常的にあった可能性を強く示しています。
町の大多数の人から見ればパウロは好ましくない人物でした。そのパウロの伝えた神を信じている連中、そう思われるだけで弟子たちにとっては十分にしんどいことだったでしょう。パウロ自身は伝道のために次の町に旅立ちますが、その町に住む弟子たちは町の雰囲気が悪いからと言って簡単に引っ越しはできません。彼らの日常の中にあるそのような様々の苦しみは、神の国に入るためのものなのだ、とパウロは語り掛けているのです。
また私たち現代人が見落としがちなことですが、この時代には私たちが言うところの新約聖書はまだありません。私たちは、日曜の朝に、あるいは日々の暮らしの中で、繰り返し聖書を読み、イエスの言葉や行いに何度も出会い、あるいはパウロやペトロを始めとする弟子たちの活動を読み、手紙を読み、その中で読むたびに新しい発見をすることができます。
しかし、この時代の人々にとって、聖書は私たちの言うところの旧約聖書だけでした。しかも書物は貴重品であり、聖書は個人で所有するものではなく会堂に置かれたものでした。
弟子たちがキリストを信じる信仰を維持するためにはイエスを知る人から話を聞くしかありません。パウロやペトロが居れば繰り返してイエスについて語ったことでしょう。しかし彼らは自分たちが聞いた話を思い起こすことしかできないのです。これは本当にツライ状況であったことでしょう。
だからこそパウロは弟子たちの居る町を再訪問し、彼らに向かって「信仰に踏みとどまるようにと励ま」す必要があったのです。そしてパウロは「弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し」た、とルカは記します。ユダヤ教の会堂には必ず長老がいました。そもそも多くの古代社会では長老と呼ばれる人々がその町や村に住む人たちの相談役であり指導者でありました。パウロが任命した長老も、おそらくは(旧約)聖書に通じた人であり、おそらくは旧約聖書に通じるが故に信仰的にもしっかりした人であったことでしょう。
これは今の教会の制度でいうところの長老ではないのですが、彼らは弟子たちが信仰に踏みとどまることが出来るように働いたのです。弟子たちが、救い主を信じる思いを失わないように、信じる力を枯れさせないために、心を満たすことができるように、パウロに代わって弟子たちを励ましたのです。
本当に小さな教会が、小さな信仰者の群れが、ギリシャの神々を信じる町の中に出来ていたのでありました。そしてパウロの訪問という支えを必要としていたのでありました。
リストラ、イコニオン、(ピシディアの)アンティオキア、どこもこの時期にパウロが舞い戻ってくるのに安全な町であったとは思えません。町の人々はパウロのことを覚えていたはずです。パウロが戻ってきたと知れば、また嫌がらせをされたり、おおっぴらに迫害されたりする危険性は充分にあったのです。
しかし、支えを必要とする人が居ればこそ、パウロは神の御守りを信じて、まだ若い教会とその教会に居る弟子たちの小さな群れを励ましに行ったのでした。
このようにパウロとバルナバはそれぞれの町の教会を訪ねながら出発地のアンティオキアに戻ります。パウロたちの報告はアンティオキア教会の人たちをも力付けたことでしょう。
私たちも小さな群れです。2000年の時を経た私たちの前にはパウロもバルナバも居ません。しかし私たちは、聖書によって、時代を超えて、キリストに出会い、神の声を聞くことができます。イエスを感じ、聖霊の働きを読むことができます。困難の中にある時にも、主なる神の御守りと御導きのあることを信じて、聖書の御言葉を頼りに、日々を重ねて参りましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年8月15日
聖霊降臨節第13主日
聖書 使徒言行録 14章14-20節
讃美歌21 17、394
「日々の恵みこそ神による証し」
バルナバとパウロの2人がは彼らに生贄を献げようとした群衆とゼウス神殿の祭司達に向かって猛烈に反対し、生贄を献げることを止めさせることに成功しました。しかしパウロは自分たちの伝える福音を町の人々に理解させることには失敗しています。
パウロは最初にこう言っております。「皆さん、なぜこんなことをするのですか。わたしたちもあなたがたと同じ人間にすぎません」。リストラの人々には意外な言葉でした。
続いてこう言います。「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです」。偶像と訳されている言葉の直訳は「空しいもの」です。空しいものと生ける神の対比は聖書に親しんでいないと分かりにくいと思いますから、ここはパウロの言葉遣いではなくルカが使徒言行録の読者向けに使った言葉遣いかもしれません。いずれにしても、おそらくこのあたりでリストラの群衆は反感を覚えたり、わけが判らなくなったりしはじめたことでしょう。
さらにパウロはこう言います。「この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です」。聖書に親しんだ私たちの感覚から言えばこれは当たり前のことを言っているのでありますが、ギリシャ・ローマ神話の感覚では当たり前ではありません。ギリシャ神話では、天と地と海を作ったのは最高神としてオリンポスに陣取るゼウスではなく、ゼウスと戦って倒された、ゼウスよりも前の世代の神々でした。
結局のところ、ここまではパウロがヘルメスではないということ以外は何も伝わらず、町の人々の混乱と困惑と反感を呼んだだけであったようです。話を先回りをしますと、この失敗が有名なアテネのアレオパゴスの演説に影響を与えていることは間違いないでしょう。
しかし、そこから先はリストラの町の人々にも通じたかもしれません。パウロはこう言います。「しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです」。
天からの雨を降らせる神、実りの季節を与えて、食物を施す神、そのような神の姿はギリシャ神話の世界に生きる人々にも伝わったことでしょう。ギリシャだけではなく、世界の多くの農耕民族に通じる話です。

とはいえ多くの民族では、これらの働きは複数の神々の分業になっておりました。パウロとしては、それがすべて唯一の神の働きであるというところをこそ伝えたかったわけでありますが、その肝心なところが伝わらなかったのです。
さて、そのパウロのウワサが聞こえたのでしょう。アンティオキアとイコニオンでパウロと対立した人達がやって来て、またパウロを殺そうといたします。
ゼウスでもないのに足の悪い人を癒したパウロたちは、今度は逆に魔術師のたぐいとリストラの人々から思われていたのかもしれません。そこにパウロに反感を持つ人たちがやって来て町の人々を扇動したのでありましょう。その結果リストラの町の人々は自分たちがバルナバをゼウスだと思ったことが勘違いであった腹いせでありますとか、魔術師だとしたら次は何をするか判らないという不安を煽られて、パウロを殺そうと思うに至ったようです。しかし実際のところ何が起こったのかは判りませんが、パウロは命拾いして次の町へと向かいます。
パウロが伝えようとした福音はリストラの町の人に理解してもらえませんでした。しかし、神御自身が、雨、実り、季節、作物、食物、を与えてくださるのであり、それらは神が御自身を私たちに向かって証しされているものなのだというパウロの理解は、唯一の神という概念を持つ私たちにとっては信仰の大切な一部です。地球の自然が私たちに与える恵みは神からの恵みであり、それは神が御自身を証しされている恵みなのです。
考えてみれば、教会関係のキャンプに行けば「日々の糧を与えたもう」と歌います。生かされている恵み、という言い方もよく使われます。主の祈りでは今日の糧を与えてくださいと毎日祈ります。足腰の定まらない信徒であり、十全な信徒とは言えない私たちにむかって、神御自身がその働きを証しされているのです。私たちが、神が御自身を証しされている恵みとその証しである恵みを与えてくれる自然を大切にすることは、神御自身を大切に思うことでもあります。
今日は終戦の記念日です。
私たちの国が先の大戦の歴史から学んだように、戦争は人の命と共に様々な物資・資源をも底なしに飲み込んでしまいます。それは神から命を与えられた存在である人間が、神が造られた世界を破壊することであると言えましょう。
私たちの生きているこの世界は神が造られた世界であることをあらためて心に刻んで参りましょう。私たち一人一人が自分自身を大切にする思いと、神が造られたこの世界を大切にする思いとは、通じ合うものがあるに違いありません。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年8月8日
聖霊降臨節第12主日
聖書 使徒言行録 14章8-20節
讃美歌21 149、474
「神と間違われたパウロ」
世界各地の神話の世界を見渡しますと、神が人間の姿を取って現れる物語は珍しくありません。
旧約聖書でも、ソドムとゴモラを滅ぼしに来た神(あるいは天使)がアブラハムに現れ、アブラハムが人数を値切る交渉をする物語が有名です。この時は明らかに神は人間の姿をしておりました。ヤコブの物語では、ヤボクの渡しでヤコブに現れた神が、ヤコブと一晩中格闘したあげくにイスラエルという名を与えます。
ギリシャ神話の場合は日本の神話とよく似ておりまして、神々は元々人間と同じ姿をしております。人間と同じように、食べたり飲んだりしておりますし、夜になれば眠り、人間と同じような喜怒哀楽の感情を持っております。浮気者のゼウスはアチコチで人間の女性相手に子供を作り、そのたびにヘラとの間で夫婦喧嘩をしております。
今日の物語では、パウロが癒しの奇跡を行い、それを見た群衆が騒ぎ始めます。群衆は彼らのギリシャ・ローマの神々への信仰に基づいてこの出来事を理解いたします。奇跡を起こしたパウロとバルナバが、それぞれヘルメスとゼウスに間違われることになるのは、何も不思議なことではありません。興奮した群衆の中から誰かがゼウス神殿に走り、ゼウスとヘルメスが現れた、と祭司たちに報告します。
さて、人々がこの奇跡を見てからどれぐらいの時間が経ったのでしょう。パウロとバルナバは彼らが滞在した家の中に入ってしまっていました。ゼウス神殿の祭司たちが生贄の牛と花輪を用意する時間を考えれば多少の時間が経っているようです。そしてこの時、群衆はリカオニアの方言で騒いでいた、とルカは記します。おそらく、ギリシャ語を使いこなすパウロもリカオニアの方言は聞き取りにくかったのでしょう。しかしパウロたちとしても、自分たちのことをゼウスだヘルメスだと言っているらしい気配は感じていたように思います。
いずれにしても、ザワザワガヤガヤであった外の騒ぎが、急に大騒ぎとなります。群衆の歓声を聞いたパウロたちが外を見れば、祭司たちが牛と花輪を持ってやって来るのが目に付きます。パウロもバルナバもヘレニズム世界で育ったユダヤ人ですから、ギリシャの神々の神殿のこともよく知っていたでしょう。見れば祭司と判ったでしょうし、どうやら連れてきた牛は生贄にするつもりだと判ったでしょう。だとするとそれを献げる相手は自分たちである。それもすぐに判ったことでしょう。
あわてたパウロとバルナバは家から飛び出して人々を押しとどめます。その時に2人は服を裂いて群衆の中に飛び込みます。旧約聖書でも悲しみや悔い改めの表現として服を裂きますが、この時のパウロたちが服を裂いたのは、おそらくは嫌悪の感情をあらわすものであったろうと言われております。
群衆にしてみれば、ゼウスとヘルメスだと思っていた2人が、せっかくの生贄を前にして怒り始めるのです。それも嫌悪の表情もあらわにして「自分たちはゼウスではない。生贄なんか要らない。」と大声で叫びながら着ている服を引き裂いているのです。群衆の方のビックリも半端なものではなかったのでしょう。
パウロを見て唖然としている群衆。どうなっているんだ、と困っている祭司たち。喜び勇んで祭司を呼びに行ったのはいいけど、今になってそれはないよ、と思っている若者たち。そして怒りに震えながらも今の状況で何を言うべきかを間違わないパウロ。そのような光景が浮かんで参ります。
結局パウロはこの時、リストラの人々が自分たちに生贄を献げようとすることは押しとどめたのですが、しかし、彼らに対してキリストの福音を理解させることはできなかったようです。パウロの語ったことの中身は来週具体的に読んでいこうと思いますが、これは使徒言行録のパウロの物語には珍しく、聖書に縁もゆかりもない人々に向けてパウロが語った福音でした。
そして、生贄を献げようとするのを「やっとやめさせることができた」というルカの表現からは、パウロの言いたいことが必ずしも上手く伝わらなかったらしい様子が窺えます。
一方、パウロの言葉を落ち着いて読みますと、イスラエルの神について、唯一の神について、随分と分かりやすく語っていることに気付きます。それも突然の思いがけない事態のさなかにです。ルカはこの場面で聖霊の働きであることを記しませんけれども、福音書に記された、必要な時には言うべき事を聖霊が教えてくれる、というイエスの言葉(Lk 12:12、Mk 13:11、Mt 10:20)を思い出させてくれる記事でもあります。ルカがそのことを意識していたのは間違いのないところでありましょう。
私たちがゼウスに間違われて慌てなければならないようなことは起こらないでしょう。しかし、この時のパウロのように、思いがけない事態に遭遇して頭を抱えたり、怒りにふるえたり、何事かを主張しなければならない場面であれば毎日の生活の中にもあります。思いがけない事態に遭遇した時にも、あるいはそのような時にこそ、切り抜けるのにどれだけ成功できるか判りませんけれども、主を信頼して、主の御守りと聖霊の御導きのあることを信じて、主に従って歩んで参りましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年8月1日
聖霊降臨節第11主日 平和聖日
聖書 使徒言行録 13章48節-14章7節
讃美歌21 505、155、81
「主を頼みとして」
イコニオンからさらに東に行きますと、パウロの書いた「ガラテヤ人への手紙」の宛先であるガラテヤ州の町、リストラやデルベになります。デルベのさらに向こうにはパウロの故郷であるタルソスもあります。
ピシディア州のアンティオキアでは、ユダヤ人たちとのトラブルの挙げ句に「自分たちは異邦人の方に行く」とパウロは言い出します。もっともその後のパウロの行動を見ておりますと、ユダヤ人はもう相手にしない、ということではありません。イコニオンでもパウロはまず会堂に行きます。ユダヤ人であれ異邦人であれユダヤ教の会堂に居る人達は、パウロが伝えようとしている神の救いについて基本的なことを理解しております。それだけにパウロとしては、まず会堂にいる人に福音を伝えたいと考えたのは無理からぬ事でありました。
各地の会堂にいる人たちについてもう少し細かいことを申しますと、福音書にはユダヤ教の主な派閥としてファリサイ派とサドカイ派が出てきます。福音書には記されませんがエッセネ派もありました。サドカイ派はエルサレム神殿にいる貴族階級の祭司たちのグループです。ディアスポラのユダヤ人がエルサレム神殿に宮参りすることがサドカイ派の大前提です。エッセネ派は自分たちの信仰の純粋さを求めて荒れ野に出て行った人たちです。サドカイ派もエッセネ派も、異邦人の国であるローマ帝国のあちらこちらに活動拠点を作って宣教するような発想はありません。
そうしますと、ローマ世界の各地にある会堂はファリサイ派の信仰を持つ人たちの会堂であることが分かります。パウロはタルソス出身のディアスポラのユダヤ人であり、元来はファリサイ派でした。パウロにすれば各地の会堂での礼拝は馴染みある礼拝なのです。復活信仰から言っても、サドカイ派は復活を信じませんがファリサイ派は復活を大切にします。キリストの復活はパウロの語る福音の要点です。第2回伝道旅行では、アテネのアレオパゴスで(17:16-34)話が復活に及んだ途端、アテネ人たちは聞く気を失います。各地の会堂に集まる人が終わりの日の復活を信じている、あるいは少なくとも聞き馴染んでいることは、パウロの語る主の復活を真っ当に聞いてくれることに繋がります。
そう考えていきますと、会堂を足がかりとして福音を伝えるパウロの戦略は今から振り返っても正しいものでありました。でももちろん、パウロの力だけではありません。そこに聖霊の働きがあり、主を頼りとするパウロの信仰があったわけです。
ピシディアのアンティオケと同じように、やがてイコニオンの町でもトラブルが起こります。パウロに敵意を持つ人々は、最初は町の人々を扇動して悪意を抱かせます。その悪意に煽られて、やがてはマチの人々が分裂します。ここには分裂としか書かれておりませんが、実際には激しい対立があり、抗争とでも言うべき状態になったのでありましょう。ついには、彼らは町の指導者(岩波訳では役人)を巻き込んでパウロを殺そうといたします。
最初は小さな悪意であったものが、だんだんに大きくなり、分裂・対立・抗争にいたり、ついには歯止めがきかなくなる。そのような人間の姿が良く描かれております。現代人である私たちの回りでもよく見られる人間のナマの姿です。
そしてついに生命の危険を感じるようになった時、パウロはイコニオンの町を脱出します。使徒言行録を読んでいきますと、パウロは何度もこのようにして町から逃げ出しています。福音のためならどのような目にあっても良いと考えていたパウロです。そして最後にはローマで殉教していくパウロですが、一方で彼の行動は非常に慎重です。後の時代に書かれた外典の登場人物と比較するとよく分かります。外典の殉教者たちは、そんなに急いで死ななくてもと思うほどに殉教に向かって一直線に突き進んでいきます。水を差すようなことを付け加えれば、パウロを宣教者として選んだのは復活の主御自身です。パウロの活動を支えた聖霊としても、簡単にパウロに死んでもらっては困るわけです。パウロには次の町に行ってもらわなければなりません。
ここでは、ルカはそのような事情をよく分かっております。パウロの行動に対して非難がましい表現をしておりません。(6節の後半には)「難を避けた」と記します。リンチにあって殺されてしまうよりも、その場を離れて新しい別の場所でも福音を伝えることが大切なのだ。(イエスから託された)パウロの福音伝道の働きは誰も止めることができないのだ。とルカは考えているようです。
パウロが復活の主に出会ったダマスコ郊外での出来事を思い起こします。アナニアに向かってイエスはこう告げております。「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」。
パウロが訪れた町々で受けた敵意はイエスがアナニアとパウロに告げた苦しみでありましょう。それでもパウロが宣教者として立ち上がり、町々を訪れ続けたところに、主を頼みとするパウロの信仰を見ることができます。
私たちはパウロのような歴史に名の残るキリスト者ではありませんけれども、神の民として、どのような時にも主を頼みとする歩みを続けて参りましょう。主を頼みとする私たちに、主が共にいてくださり、主の平和を調えてくださいますように。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年7月25日
聖霊降臨節第10主日
聖書 使徒言行録 14章1-7節
讃美歌21 208、403
「主はそこに働かれる」
パウロはバルナバと共にアンティオキアからキプロスに渡って宣教活動を開始します。その後、もう一度海を渡ってピシディア州の町に行きましたところ、その地のユダヤ人たちとトラブルになり、町を出て東の方に向かい、イコニオンに入ります。ここでも多くのユダヤ人やギリシャ人がイエスを信じるようになった一方で、信じようとしないユダヤ人も出て参ります。
パウロとバルナバは、彼らの話を信じようとしない人々の悪意にも関わらずイコニオンの町にとどまり続け、イエスの福音を語り続けます。ルカはこう記します。「二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った」。続いてルカはこう記します。「主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされた」。
不思議な業を行い、恵みの言葉を具体的に証ししたのはもちろんパウロとバルナバなのですが、それはパウロたちを通じて主が、つまりイエス自身が行ったこと。パウロたちに対する悪意が高まってゆく中、イエス自身が(さらには神と聖霊が)そこに働かれたことである、とルカは主張しているのです。
いつものことながら、パウロとバルナバは何をどのように語り、どのような「しるしと不思議な業」(奇跡)を行ったのか、ルカは使徒言行録に記しておりません。ルカが記す事柄自体も、とくにパウロやペトロの説教は実際の記録ではなく、当時の歴史書一般のスタイルとしてルカが書いたものです。
そこをもう少し書いてほしいという民衆の願いが偽典や外典の物語を生んだという実情があります。後世の絵画や小説の題材としてはよく用いられます。一方で一般的に史料的価値は少なく、パウロの容貌についてもあまり信頼できませんが、実際にも冴えない見栄えの人物ではあったようです。
さて、主御自身が福音について証しをされたと考えるのは20世紀後半以降のキリスト教神学の先取りです。伝道・宣教の場に神御自身が働かれる。世界に向けて神御自身が働かれる。私たちはその働きに参与する、と現在では考えられています。
現代人である私たちの毎日の生活には、そのような神の働きかけを感じる機会は少ないかもしれません。それでも、今も神は働きかけている、と現代のキリスト教は考えています。パウロの場合も、私たちの目に見えているところで働いているのはパウロとバルナバですが、本当は主御自身が働いておられたのです。
おそらくは数ヶ月にわたって、パウロたちは粘り強くイコニオンで活動を続けたようです。パウロに悪意を持つ人が居るといっても、福音を聞いて信じたばかりの人々を残して逃げ出すわけにはいきません。キリストの福音を信じた人々を指導し続けることもパウロたちにとって重要な働きでした。新約聖書の後半はパウロが各地の教会に書き送った手紙がいくつも収められておりますが、これも人々を指導するパウロの働きでした。しかしやはり直接その場で指導する方が行き届くのは当然です。
段々と高まる周囲の悪意を感じながら、あるいはそれだからこそ、パウロとバルナバは丁寧に人々を導いたのでした。自分たちが(次の町に行って)居なくなった後も、ここイコニオンでイエスの福音を信じる人々が散らされてしまわないように、人々の信仰を育てたのです。話を先回りしますと、この伝道旅行の帰り道にパウロはイコニオンやその他の町を再び訪ねて回っております。
イエスの譬え話を思い起こします。ある種は石の上に落ち、ある種は道の上に、ある種は畑に落ちた。畑に落ちた種は100倍にもなったという、あの有名な譬え話です(Lk 8:4-8 他)。畑に落ちた種は土が良かっただけではありません。世話をする人が居たからこそ大きく実ったのです。パウロも第1コリント書(3:6)で、パウロは種を蒔き、アポロは水を注いだ。しかし育ててくださったのは神だ、と記します。これはパウロの実感であったことでしょう。
ただ、このイコニオンでは、周囲の悪意をモノともせずに教会を育てた、そのパウロの態度自体がパウロに反感を持つ人々を余計にいらだたせた、反感を強めてしまった、という一面もあるようです。そのあたりは次週に見ることといたしましょう。
今日の物語からは、パウロとバルナバの、あるいは生まれたばかりの異邦人教会の、ねばり強い活動を読みとることが出来ます。それは社会のマイノリティであるという意味で現代の私たちに通じます。その粘り強い活動の根底にあるものは、主なるキリストと神御自身のこの世への積極的な働きかけによるものなのです。三位一体の主が今もこの世に働いておられることを覚えながら、主を信じる毎日を歩んで参りましょう。主の弟子として歩む私たちの日々が、主を証しする日々でありますように。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年7月18日
聖霊降臨節第9主日
聖書 使徒言行録 13章42-52節
讃美歌21 205(今日は光が)、464(ほめたたえよう)
「次の安息日にも」
安息日の礼拝に参列したパウロは、会堂長から励ましの言葉を求められ、とっておきの励ましの言葉を語り始めます。それは、祈り求めていたメシアがついに現れたということであり、そのメシアを信じることで異邦人でも救われるというものであり、メシアであるイエスに自分は出会った、というのです。それは会堂に居た異邦人にとってもユダヤ人にとってもとびきりの励ましの言葉でありました。
そこで、その会堂に居た人々は「次の安息日にも同じ話をしてくれ」とパウロに頼みます。パウロを引き留め、さっきの話しの続きを話してくれ、もっと詳しい話を聞かせてくれ、と言い始めたのでありましょう。もちろん、パウロの方は待ってましたとばかりに引き留められます。パウロは多くの人と語り合い、「神の恵みの下に生き続けるように」(13:43、岩波は「神の恵みに留まっているように」)彼らを励まします。
ルカは何も記しておりませんけれども、次の安息日までの一週間もパウロは会堂で出会った人や話を伝え聞いた人たちにイエスの福音を伝えていたことでありましょう。
次の安息日になりますと、さらにたくさんの人が集まって参ります。しかし、その様子を見た町のユダヤ人の有力者たちはパウロ排斥の動きを取ります。ユダヤ人の有力者たちはパウロの追い出しに成功します。パウロとバルナバは「足の塵を払い落とし」てアンティオキアの町を出て行きます。これは当時の習慣の一つで、自分とあなたはもう無関係だ。あなたたちがどんな失敗をしても私には責任がない。そういう思いを示す動作でした。福音書の中でもイエスが弟子達を派遣する場面で福音を聞こうとしない町を出る時にはそうしなさい、と指示しています。
さて、排斥の動きを受けたパウロは「私たちは異邦人の方に行く」と言い出します。もっとも、次のイコニオンの町でもパウロはやはり最初に会堂で福音を語り始めます。パウロとしては、ユダヤ人を見捨てたということではありませんし、異邦人の方へ行くにしても、イスラエルの神とそのメシアについて知っている異邦人に会いたければ、ユダヤ教の会堂に行くしかありません。しかし、異邦人向けに使徒言行録を書くルカとしては、パウロにそう言わせたかったのでしょう。パウロは同じセリフを何度か口にしています。結果的に言えば、異邦人にパウロの視線が向いたことは、キリスト教が大きく広まる重要なステップとなったのでした。
さらにその直前にパウロは自分を攻撃する人々に向かってこう言っております。「あなた方はそれを拒み、自分自身を永遠の命に価しないものにしている」。これと対照的なのが、「神をあがめる改宗者たち」(岩波:神をあがめる人々と改宗者たち)に向かって「神の恵みの中に生き続けるように」と勧める言葉です。一方は福音を拒み、もう一方は恵みの中に生き続ける。どちらをも人間は選ぶことが出来るのだ、とパウロ(ルカ)は言っているわけです。あるいは選ぶという言葉を言い換えて、目指して生きるとか、心がけて生きるとか、そのように言っても良いでしょう。
異邦人たちはこれらの言葉を聞いて喜びに溢れ、主を賛美します。自分たちの行く先々で、自分たちの信じるイエスの福音をさらに広めていったのでした。もちろん、パウロの伝える福音を受け入れたユダヤ人たちも同じように行く先々でイエスの福音を伝えたものと思われます。
パウロの異邦人伝道の志がどの時点で確立したのか、それは定かではありませんが、パウロ自身もタルソス出身のユダヤ人ですから、ルカの言うところのギリシャ語を使うユダヤ人であり、ヘレニズム文化に親しみがあり、異邦人の知り合いも多かったことでしょう。安息日の会堂に集まる異邦人の気持ちはよく知っていたと思われます。このピシディアのアンティオキアでの出来事はパウロに大きな気付きを与えたのかもしれません。
繰り返しになりますが、神を敬う異邦人達にしてみれば、自分たちはイスラエルの神を信じているんだけど、それでも自分たちは救われないと思っていたのが、神が遣わしたイエスを信じることで本当に救われる。義とされる。と知らされたのです。
いやイスラエルの神を信じているからこそ、モーセの律法では救われないということに対して大きなとまどいがあったことでしょう。それを打ち消して解決してくれたのがパウロでした。そのとまどいがあったからこそ、パウロが勧めたことは彼らに「良き知らせ」となったのです。イエスを信じることで神の恵みの中に生き続けることができるならば、それは文字通りの「良き知らせ、goodnews、ユーアンゲリオン、福音」となるのでした。そのことが如何に大きな喜びであったかは、私たちの想像を超えます。
その喜びを持って、彼ら自身「次の安息日にも」再び集まったことでありましょう。その喜びが、初代教会の活力を産むエネルギーの一つでありました。彼らの生き方を通して福音がさらに広がったのです。初代教会の一つの姿をこの物語の中に見ながら、私たちもイエスを信じる毎日を積み重ねて参りましょう。神の恵みの中に生き続けたいと願い、イエスを目指して人生のひとときひとときを歩んで参りましょう。そして次の安息日にもまた、互いに良き知らせの喜びを持ってこの会堂に集まろうではありませんか。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年7月11日
聖霊降臨節第8主日
聖書 使徒言行録 13章26-41節
讃美歌21 4、326
「この方によって義とされる」
パウロはピシディア州アンティオキアの会堂で、安息日の礼拝説教を頼まれました。パウロはファリサイ派の有名なラビであったガマリエル(5:34)の元で、律法についてしっかり学んだ経験を持つようです(22:3)。突然の指名を受けても、それに応えられるだけのものを持っておりました。しかも会堂長は、礼拝に集まった私たちを励ますような話をして欲しい、と頼んでいます。パウロは取って置きの励ましの言葉を語り始めます。バビロン捕囚によって国を失って以来数百年、祈って祈って待ち続けたメシアがついに現れた、というのです。
その話をするために、パウロはイスラエル民族の起源というべき出エジプト物語から話し始めます。要所で預言者の言葉を振り返りながらイスラエルの歴史を語り、イエスの福音について語ります。現代人である私たちの目から見れば、イエスが復活したこととイエスによる罪の赦しがどう結びつくのか、いささか説明不足に思えますが、イエスを信じることによってユダヤ人であれ、異邦人であれ、神の前に義とされる、とパウロは説きます。
メシアの出現はユダヤ人にとってはもちろん大きな喜びの知らせであり、のみならず、会堂に集まっていた異邦人にとっても、イエスを信じれば異邦人でも救われると説くパウロの言葉は大きな福音でありました。割礼に代表される律法をすべて守ることがイスラエルの神の救いの大前提でした。それはギリシャ人やローマ人としてのルーツを持つ人には非常に厳しい条件でした。その厳しさは、私たちにはなかなか実感しにくいものがあります。
ユダヤ人と同じ会堂で同じように神を礼拝していた異邦人たち、神を畏れ、神を敬い、神をあがめる異邦人にとって、パウロの主張は大きな喜びの知らせでありました。彼らは、律法の規定によれば信じているだけでは救われないと言われ続け、イスラエルの神を信じているからこそ、モーセの律法では救われないことに対して大きなとまどいがあったことは想像に難くありません。
ところがパウロは「モーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされる」と語ります。イエスを信じることで神の救いの中に本当に入ることができるというのです。これが彼らの心に響きます。彼らとしては、ユダヤ教の会堂で行われる毎週の安息日の礼拝に参加しながらも満たされなかったところを、見事に満たしてくれたのがパウロの伝える福音でした。不安や不満を打ち消して解決してくれたのがパウロでした。だからこそ、このあと彼らはパウロを引き留めるのです。
今日は踏み込まないことにしますが、今のキリスト教会はどうであろうか?と思わせる物語でもあります。
ところで、この時のパウロの説教に限りませんが、使徒言行録に書かれたパウロやペトロの説教は、その時に語ったとおりの内容ではありません。当たり前のことではありますが、現代とは異なり、速記録や録音はありません。ルカが直接聞いていた可能性もほとんどないでしょう。基本的にはこの時代の多くの歴史家が書き残した様々な演説と同じです。つまり、なんらかの資料を基にしながらも、ルカがパウロやペトロの思いや口調を忖度しながら書いています。もちろん、元資料をたぐれば、パウロやペトロの話を聞いて、聞き覚えていた人の記憶に辿り着きます。
では使徒言行録はルカの作文かと言えばそうではなく、多くの場合に元資料の気配がどこかに残っています。今日の物語のポイントになるのは、38-39節、中でも「モーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです」でありましょう。ここがやはり如何にもパウロらしいことを言っております(パウロ書簡と全く同じとは言えませんが)。ルカが使徒言行録を書くに当たって使った資料の中に、パウロの言葉として入っていたのでありましょう。元の資料を残した人にとって、印象に残る、あるいは衝撃を受けた言葉であったと思われます。
このパウロの言葉は今につながるキリスト教の重要な考え方、大変に重要な中心的な教えです。私たち一人一人に当てはまる言葉です。一方で、多くのユダヤ人がついて来たとも書いてありますから、この時代はまだキリスト教とユダヤ教は袂を分かつような関係ではなかったことも判ります。会堂に居たユダヤ人の多くも、パウロが語るイエスの福音、ユダヤ教徒が待ち望んでいたメシアがすでに現れたのだというメッセージに多いに励まされたのでした。
モーセの律法を文字通りに全て行うことは現代社会においてほぼ不可能です。現代どころかキリスト教はその歴史の初期にすでに文字通りに行うことを放棄しております。ユダヤ教の人でも、現代においては超保守派と呼ばれるごく一部の人以外は全てを守っているとは言えません。
振り返れば、イエスは律法を文字通りに守ることではなく、律法の精神を取り戻して大事にすることを示しました。私たちはそのイエスに従う者たちです。パウロの言い方をまねれば、イエスによって義とされた者たちです。イエスによって義とされたことを心に刻み続けて、たしかな神の祝福の中を、神の恵みによって与えられている命を、今日の命は今朝与えられたものと覚えて、イエスに従う信仰の日々を重ねて参りましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年7月4日
聖霊降臨節第7主日
聖書 使徒言行録 13章13-25節
讃美歌21 55、402、81
「励ましのお言葉があれば」
今日のパウロたちはすでにキプロスからもう一度海を渡り、アジア大陸に戻ってきております。最初に出てきますパフォスはキプロス島の西側の海岸にある町です。そこから船に乗り、地中海を北に渡ったところがパンフィリア州のベルゲです。
ルカはここで興味深い記事を短く載せております。助手として連れてきていたヨハネが一行から別れてエルサレムに帰ってしまった、というのです。その理由をルカは書き残しておりませんけれども、このことで第2回の伝道旅行はバルナバとパウロが別行動を取った、とルカは記します。
パウロとバルナバはベルゲから北に進みます。これは今でいうトルコ共和国のアジア側の半島の高原地帯に踏み込むことになります。彼らはピシディア州のアンティオキアに辿り着きます。出発したのもアンティオキアで少々ややこしいですが、この名前の町は当時のローマ世界の中にはいくつもありました。
そして安息日になると彼らはユダヤ教の会堂・シナゴーグに行きます。当時も、また今日でもそうなのですが、ユダヤ教徒の人々は安息日になると会堂に集まり、礼拝の時間をもちます。私たちキリスト教徒が毎週教会で礼拝することの原型が、ディアスポラのユダヤ人たちのシナゴーグでの礼拝でありました。
この時点では、キリスト教はまだユダヤ教の一派であったと言ってしまいますと身も蓋もない物言いになりますが、歴史の現実はそうでありました。そして、シナゴーグに集まる人々には、ただ一人の神ヤハウェについても、あるいは預言者の語ったメシアについても、あらためて説明をする必要はありません。ダビデの子孫から救い主がいよいよ生まれた、と聞かされれば、皆がハッとするわけです。その上でパウロとしては、自分の伝えるイエスこそがそのメシアであるのだ、と主張すればよいのです。
何よりもパウロ自身は(エルサレム教会の使徒たちほどではないにせよ)自分がユダヤ教徒であることをやめたつもりはありません。やはり安息日にはシナゴーグでの礼拝に参加したいという思いがあります。
この会堂長が言った「励ましの言葉があれば」という言い方がよいですね。調べが付かなかったので、これがこの時の会堂長独特の言い方だったのか、今でもどこでもこのように言われているのか、判りませんのですが、その日の聖書の言葉を元に人々に励ましの言葉をください、皆を励ましてください、皆が元気になるような言葉をください、とパウロは頼まれています。
安息日を守り、その日に集まって詩篇を歌い、信仰告白の言葉を唱え、聖書を読み、聖書を解き明かして人々を励ますシナゴーグの礼拝のルーツはバビロン捕囚の時代に遡るともいわれます。異郷の地における礼拝が神殿での礼拝と異なる様相を呈することは容易に理解出来ます。聖書が読まれ、励ましの言葉が語られるのは捕囚の時代から今に至るまでも変わりません。イエスも安息日の会堂でイザヤ書を渡されて語ります(Lk 4:14-)。
パウロが「律法と預言者の書」の何処に基づいて「励ましの言葉」を依頼されたのか、あるいはパウロが指名されたのは何故なのか、興味は尽きません。もちろん、パウロは会堂長の依頼に応えます。パウロにとってとびきりの励ましの言葉、イエスの福音を語り始めます。イスラエルの歴史を振り返るところから始め、歴史の振り返りの最後に、パウロにとっての現代であった洗礼者ヨハネを紹介します。ルカはヨハネについて何も記しません。説明不要なほどにヨハネの活動は知られていたのでしょうか。それともルカが省略したのでしょうか。
パウロはヨハネの言葉を引用した上でイエスを紹介し始めます。イエスこそみんなが必死と祈って待っていたメシアである。この世にリアルに現れたメシアである。自分はそのイエスに出会ったのだ。預言者を通じて語られた神の救いの約束は実現した。具体的な人物としてイエスが登場したのだ。とパウロは語ります。
そのような救い主・メシアが現れたのなら、その知らせはシナゴーグに集まる人々にとって最高の励ましの言葉でありました。
ところで、御存知のとおり、当時は聖書に限りませんけれども、書物は高価な物でありました。人々は手元に置いていつでも読むということは出来ません。安息日の会堂でも一人一人が手元に置いて読むのではなく、読まれる箇所を聞いたのです。近代印刷術以前は世界中がそうでした。もちろんそれは会堂の誰かが読むのでありますけれども、人々は律法や預言者の書を、それを読む人の声を通して、神の励ましの声として聞いたのです。それは人の声という具体的で人格的なものを通しての、神との出会い、神の声との出会いでありました。
弟子たちにとってのその究極が、イエスがこの地上に産まれ、育ち、自分たちと共にガリラヤの土地を歩いて神の恵みを語ったことでありました。
私たちも具体的な他者との出会いの中で神に出会っているに違いありません。弟子たちのように、生身のイエスにリアルに出会って語り合って励ましの言葉を聞くことはさすがにないでしょうけれども、今の時代を共に生きる他者との日々の出会いの中に、私たちの命を造った神との出会いがあり、キリストであるイエスとの出会いがあるのです。その出会いに気付かせてくださいと祈り求め続けて参りましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年6月27日
聖霊降臨節第6主日
聖書 使徒言行録 13章1-12節
讃美歌21 7、406
「パウロの出立」
アンティオキア教会はユダヤ地方の外にある教会です。考えてみますと、サウロ以前にすでにダマスコにもアンティオキアにもイエスをキリストと信じるグループが居たわけです。最初にそこに伝道した人についての記録は残っておりません。ただしいずれも最初はユダヤ教の会堂(シナゴーグ)に集まる人たちに向かって、メシアの出現と最後の審判の接近を伝えたことでありましょう。会堂に集まる人たちはメシアの出現を願っている人々でありました。パウロも多くの場合は会堂に集まる人たちに宣教します。
アンティオキア教会はパウロの伝道旅行を送り出した教会です。第2回と第3回はパウロの個人的な活動だったとも言われておりますが、少なくとも第1回の伝道旅行は、アンティオキア教会の公式のものでした。それはバルナバとパウロを送り出すために、教会の人たちが彼らに「手を置いた」という表現から分かります。
ある時、アンティオキア教会の人々が心を合わせて祈っておりますと、聖霊がバルナバとパウロに宣教旅行の命令を与えます。人々は断食と祈りをもってパウロとバルナバを送り出します。この時、アンティオキア教会の人々が2人の上に手を置きます。按手です。もともと按手という儀式はユダヤ教にありました。アブラハム、イサク、ヤコブと続く族長物語の最後にも、ヤコブが孫のエフライムとマナセを祝福するときに頭に手を置いて祝福を祈ります。民数記の27章にも出てきます。それは神の祝福と力が、按手する人から按手される人に直接に伝えられる儀式でした。
福音書ではイエスが幼子を祝福するときに手を置きます。使徒言行録では、病気の癒しのために、また聖霊を受けるために、あるいは新しい職務への任命のために、按手が行われます。いずれも神の祝福を願い、祝福を伝える儀式でした。
彼らはキプロス島に渡ります。今日の記事では、彼らの名前が「バルナバとサウロ」と書かれます。おそらく、この伝道旅行ではバルナバがリーダーでした。バルナバはキプロスの生まれであり(使徒4章)、バルナバが土地勘のあるところ、ということがキプロスの選ばれた理由の大事な部分でありましょう。
サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で教えを述べます。どうやら彼らは複数あるシナゴーグを片っ端から回っていたようです。
バルナバとパウロは、島全体を巡ってやがてパフォスという町に行きます。サラミスがアンティオキアに近い東海岸の港町であるのに対してパフォスは西海岸の町です。彼らはユダヤ人の会堂のある町を伝いながら、キプロス島を東西に横断したのでした。
しかしパフォスまでの町々でのことは何も書かれておりません。良くも悪くも書き残すほどのことが無かったのでしょう。おそらく、サラミスからパフォスまでの町々では新たに教会を作ることができなかったのでしょう(建物のことではなく、集まり・エクレーシアとしての教会)。パウロが第2回の伝道旅行でバルナバとは別行動を取った理由をルカは同行者マルコ・ヨハネの扱いに置きますが、キプロスではバフォス以外の街では伝道の成果が出なかったことがあったのかもしれません。パウロにすれば、バルナバのやり方にもどかしい思いを持っていたのではないでしょうか。
そしてようやく、なにがしかの結果が出たのがこのパフォスであったと思われます。ここで彼らは地方総督に自分たちの教えを聞かせることに成功します。続いて、総督の目の前で、パウロとエリマが思いがけず対決しますと、パウロの厳しい言葉によってエリマは目が見えなくなります。それを見た総督は信仰に入った、とルカは書きます。教えを聞いてイエスを信じたのではなく、奇跡を見て信じたと書かれるのは、いささかパウロらしくない気がいたします。これもパウロとバルナバの仲違いの理由の一部かもしれません。
とはいえ、しかしながらここで注目しておきたい言葉があります。パウロはエリマに向かって厳しい言葉を投げつける時に、「聖霊に満たされて」魔術師を睨みつけます。このキプロス宣教は、聖霊の呼び出しによって始まっただけではなく、その道中においても聖霊が彼らの後ろに働いていたのでした。
現代のキリスト教では、弟子たちの時代だけではなく今も聖霊はこの世に対して働きかけている。神の働きかけは聖霊の働きを通してこの世に現れる、と理解しています。私たちの日々の歩みの中にも神の聖霊の働きが現れることを願いながら、私たちの生きていくべき道を歩んで参りましょう。パウロのような歴史に名を残す大きな宣教の働きは出来ないかもしれませんが、信仰者としての日々の歩みの中で、神の国の実現のために力を尽くしましょう。一人一人に与えられた賜物を活かし、またその賜物を集めることで、マラナ・タ教会としての伝道につなげ、イエスの救いを伝えて参りましょう。私たちがそのような生き方をするならば、パウロが聖霊によって選ばれて宣教旅行に出立したことに通じる生き方となるのです。
先日の役員会では、私たちのマラナ・タ教会は賛美する喜びを伝える教会である、とされました。福音のギリシャ語であるユーアンゲリオンの元来の意味は「良き知らせ」でありました。喜びを伝えることはまさに良き知らせでありましょう。私たちの日々が、良き知らせを伝える日々でありますように。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年6月20日
聖霊降臨節第5主日
聖書 使徒言行録 9章19-31節
讃美歌21 361、456
「狙われたサウロ」
祈り続けるサウロをアナニアが訪ねます。サウロの目を癒し、サウロを立ち上がらせ、教会の他のメンバーに対してサウロの人物保証をします。かなり脚色されているのでしょうけれども、アナニアという人物が実際にダマスコの教会に居て、その主要なメンバーの一人であった可能性は高いと思われます。むしろ、使徒言行録に記録が残っているかどうかに関わりなく、各地の教会それぞれに様々な賜物を持った人達が居て、周囲の状況に翻弄されながらも信仰を守り続け、教会を支え続けていた。そのような歴史をこの箇所は垣間見せてくれます。
アナニアに依って立ち上がらされ、聖霊に満たされたサウロは、イエスの救いを述べ伝える者となります。ところが、教会を迫害する者として知られていたサウロです。もちろん、すぐに信じて仲間に入れてもらえたわけではないでしょう。
イエスが何度となく一人で山に入って祈りの時を持ったように、あるいはモーセやエリヤやエリシャといった旧約の預言者たちが祈りのために、あるいは王の追求を逃れるために、山に籠もったように、サウロもユダヤ人の多く住む町を離れて、自分の信仰を見つめ直す時間を持ちます。
やがてダマスコに戻ったサウロは、自分がかつては刺客として赴いた町で福音を伝え始めます。その結果、彼は命を狙われます。サウロが誰彼となく弟子たちを迫害したのに比べますと、サウロはピンポイントで命を狙われたようです。それだけ影響力の強い人物であったのだと考えられます。
アナニアによって癒された後、ダマスコであるいはエルサレムで、聖霊の支えと力を受けて大胆に語るサウロの姿をルカは描きます。この後、使徒言行録は再びペトロの活躍を記録し、サウロは13章まで出てきません。13章以降が、いわゆるパウロの伝道旅行です。どうやらその間に10年以上の時間が経っているようです。あまり先回りが過ぎてもいけません。
最初の時点でのダマスコでの活動に戻りましょう。この最初のサウロの伝道ははっきり言って失敗でした。
ダマスコで命を狙われて逃げ出したサウロは、エルサレムでも殺されそうになって逃げ出さざるを得なかった、とルカは記します。サウロ自身は、聖霊による止めようのない熱情と、熱心な信仰とによって福音を語る一方、決して心穏やかな日々を過ごしたわけではないのです。あちらでもこちらでも恨みを買い、命を狙われて、心に平安があるとは思えません。
先週の物語では、イエスの幻がアナニアに語り掛け、サウロがイエスの名前のためにどれほど苦しむことになるのか、それをサウロに示そう、と言います。早速に示されているようです。
平安があるとは思えないサウロの状況を描きながら、ルカはいささか唐突に、教会が「平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け」ていたと書きます。皆さん御存知のように、この平和は平安でもあります。ルカは、サウロ自身の心の平安についてではなく、むしろサウロ自身にせよ、当時の教会全体にせよ、聖霊の慰めを受けていたことをこそ伝えたかったように読めます。
もっとも裏読みをすれば、サウロが逃げ出してくれたことでダマスコの教会は平安を得たと読めないこともありません。実際そうであったのでしょう。弟子たちの側からすれば、いつまた寝返るか分からないという疑いは拭いきれません。対立する側から言えば単純に裏切り者です。しかも、学があり、弁がたち、肝も太い、やっかい極まりない裏切り者です。その両方からサウロは疎んじられてしまうのです。
素直な読み方に戻りましょう。サウロはアナニアに祈ってもらい、聖霊に満たされてイエスを述べ伝えます。弟子たちもまた、サウロが復活のイエスに出会う前から、聖霊を受け、主の平安の中に信仰生活を送っておりました。聖霊に満たされ、聖霊の慰めをしっかりと受け取ること、それが平和のあるいは平安の基礎となるのだ、とルカは語り掛けてきます。
どのようにすれば聖霊の慰めを受け取ることが出来るのか、といったハウツー的なことをルカは書きません。ヒントはあります。先々週以来3回に分けて読みました9章の物語の中には、「イエスの御名を呼び求める」という特徴的な言葉があります。14節と21節です。あるいは、イエスの名によって、主の名によって、イエスの名を伝えるために、という言葉もあります。
創世記を丁寧に読みますと、「主の名を呼んだ」という言葉が折々に出て参ります。これは神を礼拝した、という意味の言葉であると考えられております。使徒言行録の時代の人たちも同じであったのでありましょう。イエスの名を呼ぶことが、信仰の始まりであり、究極であり、祈りであり、礼拝であるのです。何度となく命を狙われたパウロも、主の御名を呼ぶ人でありました。
私たちも同じです。主イエスよ助けてください、主イエスよ憐れんでください、主イエスよ力を与えてください、と主の御名をひたすらに呼び求める祈りこそが、私たちの信仰の基礎なのです。礼拝式文の中の祈りは別ですが、自分の部屋で祈る祈りであれば、あれもこれも順序立てて言葉にして祈らなきゃと思わなくて良いのです。時には言葉にならない祈りのこともあるでしょう。それでもいいのです。どのような時でも、イエスの御名を呼び求め続ける者でありましょう。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年6月13日
聖霊降臨節第4主日
聖書 使徒言行録 9章10-19節
讃美歌21 343、504
「直線通りの家」
ステファノ殉教事件の時に、サウロの名前が突然クローズアップされます。御存知のとおり、サウロはヘブライ語読み、パウロはギリシャ語読み、同じ名前です。
ダマスコに居るイエスの弟子たちを迫害するために送り込まれた実行部隊のボスがサウロでした。ところがダマスコの近くまで来た時、天からの強い光がサウロ一行を照らし、サウロは倒れてしまいます。どこからともなく声が聞こえます。その声はサウロの耳に「わたしはお前が迫害しているイエスだ」と響きます。サウロにとってこれは衝撃の名乗りでした。サウロは弟子たちが「イエスは復活した」と言うのを聞いて、軽々しく復活などと言うな、と思っていたのに自分も復活のイエスの声を聞いてしまったのです。あまりのことに、足腰立たなくなったサウロは、町に入れば「為すべき事が知らされる」という声を聞いて、仲間の手助けを受けてダマスコに辿り着きます。肩を貸した仲間が、無理矢理に歩かせる様子が目に浮かびます。サウロが連れて行かれたのは「直線通り」と呼ばれる通りにあるユダの家でした。
一方、イエスはアナニアという弟子にも幻でお告げを語ります。「アナニアよ」と呼びかけられて、「主よ、ここにおります」と答えるあたりはサムエル記の物語を思い起こさせます。アナニア自身もサムエル記を思い起こしていたことでしょう。
アナニアは直線通りのユダの家を訪ねるように指示されます。ユダがどのような人物なのかは書かれておりませんが、続いて出て来たサウロという名前にアナニアはビックリします。アナニアがサウロの名前を知っていたことからも分かりますように、弟子たちの迫害者として、強い信仰と信念を持って、弟子たちを論破し、必要と有れば暴力をふるうことも辞さない、実行力と肝っ玉を兼ね備えた人物としてのサウロの名前はダマスコに居る弟子たちのところまで聞こえていたのでした。アナニアとしては、サウロに顔を合わすなんて真っ平ゴメン被る、という気持ちだったことでしょう。ホントにサウロのところに行くのですか?と聞き返すアナニアに、イエスは単純明快簡潔に指示を繰り返します。「行け」「あいつは俺が見込んだヤツなのだ。」と。
納得したのか、渋々だったのか、冷や冷やしながらだったのか、ご命令とあらば致し方有りません、と討ち死に覚悟だったのか、とにかく出掛けて行ったアナニアはユダの家を訪ね、サウロに手を置いて祈り、サウロは見えるようになります。皆様ご存じの通り、「目からウロコ」なんて諺はここから来ています。
元通り見えるようになったサウロは「身を起こして洗礼を受け」たと書かれます。身を起こしてという言葉からは、力を失って座り込んで祈っていたサウロの様子が浮かんで参ります。しかしそれだけではありません。日本語では「身を起こす」と訳されておりますけど、イースターの物語と同じように、元のギリシャ語では、あるいは英語でもそうですが、ここには「復活」と訳すこともできる言葉が使われています。英語では arise です。
弟子たちがイースターの日に復活のイエスに出会って立ち上がっていったように、サウロも3日間の茫然自失の状態からアナニアの祈りによって復活と言っていい立ち上がり方をしたのでした。
もちろん、サウロ自身も祈り続けていました。3日間、ひたすらに祈る間にパウロが何をすべきなのか示されたのでありましょう。これは預言者ヨナの物語を思い起こさせます。
サウロはアナニアに手を置いて祈ってもらい、その祈りと洗礼によって聖霊が満たされることで元気を取り戻します。ひたすらに自分が祈るだけではなく、アナニアが来て祈ってくれることでサウロは再び立ち上がる力を得ていきます。ルカの記す順番に従えば、洗礼が食事よりも先です。そして、食事をして元気を取り戻したとルカは書いておりますが、むしろ、聖霊を受けることで、食事をする力を得ていくのです。
サウロ転じてパウロの後半生を見ると、腰の据わった信仰と信念と実行力と切れ味のいい頭脳とで様々な壁や困難を乗り越えていきます。
しかしそれは、パウロ自身の器であるだけでなく、アナニアが来て祈ってくれたように、パウロを支え、パウロのために祈った多くの人の存在有ってこその活動でありました。人々のその祈りによって、パウロが聖霊に満たされ、聖霊の賜物を受け、力を与えられ、人々のその祈りによって、イエスが共に居てくださったからこその活躍でありました。パウロ自身もそのことを知っており、いつも彼のために祈ってくれる人達のためにパウロもまた祈っていたことが彼の書いた手紙から伺えます。
私達も互いに祈りあい支えあう心と信仰を持ち続けたい。何よりも、イエスが共に居てくださることを常に思い起こす日々でありたい。復活の主が共に居てくださると信じることで、聖霊の力がそこに働いていると信じることで、打ちのめされた時に、あるいは、八方塞がりの時に、立ち上がる力を得ることになります。そしてまた、祈りをもって、祈りによって、支えあうことが信じる力を得ることに繋がります。そのことを、今日の物語は、たしかに私達に伝えてくれるのです。支え合う祈りを祈り続けることができますように。

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マラナ・タ教会主日礼拝説教 2021年6月6日
聖霊降臨節第3主日
聖書 使徒言行録 9章1-9節
讃美歌21 342、502、(81)
「天からの光」
今年も聖霊降臨節の前半に使徒言行録を御一緒に読みます。教会の迫害者であったパウロが、一転しておそらくは最も熱烈で急進的なメンバーになった物語から始めましょう。
聖霊降臨の出来事のあと、弟子たちはイエスと過ごした3年間について語り始めます。やがてイエスを信じる人の集団が大きくなります。しかし良い事ばかりは続きません。ステファノの殉教事件が起こり、弟子たち自身も彼らの話しを聞いてイエスを信じた人達も大きな不安の渦に巻き込まれます。そのステファノ殉教事件の時に、弟子たちに対立する側の一人として突然パウロ(サウロ)の名前がクローズアップされていきます。
サウロは律法を守る事に厳格なファリサイ派の一人でした。福音書では悪役となるファリサイ派ですが、キリスト教は実際には多くのことをファリサイ派から受け継いでいます。彼らは律法を生活の中に活かす事に大変真摯に向き合った人達でした。
そのファリサイ派の目から見れば、イエスはとても型破りな律法解釈と共に大言壮語を繰り返すトンでもないヤツ、預言者を自称する偽メシアであったのです。普通ならば、その首領が殺されてしまえば弟子たちの集団は四散しそうなものですが、この不埒なグループは息を吹き返したのです。これは何とかしなければなりません。脅迫してでも正しい道に引き戻さねばなりません。それがサウロの熱心さでありました。
ただしエルサレムの大祭司にはダマスコの街の誰かを殺す権限などありません。実際にはダマスコ市内の何処かに密かに連行して脅したり殴ったりするぐらいが関の山でしょう。ダマスコにあるユダヤ教の諸会堂に向けて大祭司たちは一隊の刺客を放ちます。その刺客のボスがサウロでありました。
ダマスコへ向かう途中、サウロたちの一行を突然強い光が照らします。突然の強い光といえばクリスマスの夜の物語を思い起こします。あるいはルカの頭の中には同じような光景が浮かんでいたのかもしれません。
強い光に目がくらんで足元がおろそかになったのでしょうか。サウロは倒れます。そこへ押し被せるように声が聞こえてくるのです。「サウロよ、なぜわたしを迫害するのか」
サウロにしてみれば迫害している意識などはありません。自分は正しい事をしているのです。熱心に神の正義を追い求めているのです。間違った信仰に迷い込んだ連中を、多少手荒な事をしてでも正しい道に引き戻そうと努力しているのです。
迫害という言葉に思い当たるとしたら、ステファノの幽霊でも現れたか?そんなことなら思ったかもしれません。サウロは問い返します。新共同訳は言葉が丁寧すぎます。「お前は誰だ」ぐらいに言い返していたようにも思えます。
サウロがダマスコ派遣グループのボスになるぐらいにエルサレムで活躍していたのなら、彼は既に何度となくイエスの弟子たちの主張を聞いていたはずです。弟子たちは「復活のイエスが現れた」と言います。復活と最後の審判の信仰はファリサイ派の大切な教えです。それだけにサウロは強い反発を持って弟子たちの証言を聞いていたことでしょう。サウロからすれば、復活という大事を軽々しく口にする弟子たちが許せなかったのです。
しかし、今聞こえてきた声が本当にイエスの声だとしたら、と思った時、サウロは心の底から恐怖を覚えたに違いありません。ステファノの幽霊なんかよりももっと恐ろしい事態です。イエスの復活が本当なら、ファリサイ派の信仰に依れば、それは最後の審判の始まりを意味していました。
熱心なファリサイ派といえども、明日でこの世は終わりです、と宣言されたら喜びはしないでしょう。しかも、この世が終わる時に何が起こるかが具体的に知らされているわけではありません。なにか大変な事が起こる、としか知らされていません。
そして、イエスが本当に復活したなら、それはサウロにとってイエスが偽メシアではない可能性を強く示していました。彼自身のファリサイ派としての知識と信仰によって、世の終わりが始まる恐怖にさらされたサウロに、イエスが本当は本物のメシアであったのかもしれない、という疑問の追い打ちが掛かったのです。このあとサウロは3日間暗闇の中で祈り続けます。そしてこの出来事の結果、サウロはそれまでの熱心さをそのままに、イエスを伝え、イエスのために働く人物となります。考えてみれば聖書(旧約聖書)に示された神と救い主を信じる信仰という大筋ではサウロの信仰は全く揺らいでおりません。
天からの強い光によって薙ぎ倒されたサウロは、その光の中で聞いた言葉によって、その光の中で受けた召命によって、3日後に再び立ち上がり歩き始めます。私達もまた、私達一人一人に、それぞれに与えられたイエスの言葉によって力を得て、どのような状況にあっても、立ち上がり、光の中を歩き続けたいものです。天地創造の最初の言葉は「光あれ」でした。この先のパウロの人生は波乱に満ちたものでした。多くの危険と隣り合わせでした。それでも、彼のそばにはいつもイエスが共に居られたのでした。
私達の社会も今、落ち着きない状況の中にあります。見えない危険と隣り合わせの日々を過ごしています。それでもなお、私たちのすぐそばを、イエスが神の光をかざして共に歩いておられることを使徒言行録の物語は語り掛けてくるのです。光の中を歩み続けましょう。

わたしたちの教会は、プロテスタント諸派が合同してできた日本基督教団の教会です。穏健で健全な福音主義に立っています。どのような信仰の立場の方でも歓迎いたします。しかし教会が二千年間守ってきた伝統には忠実な教会です。

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